世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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こういう話をすると、あえて自分の迂闊な性向をみずから暴露してしまうみたいで、たいへん気恥ずかしいのですが、よくこんなことを経験します。

以前、朝出がけに妻がなにやら盛んに大杉漣の出演した映画やドラマ(TV出演していた妻の愛視聴番組「ゴチ」も、そうでした)の話をするのです、朝のこの慌ただしい時に「なんだってまた、よりにもよって大杉漣なんだよ」と、内心では、その話題を振る妻の「そもそも」の意図が分からず、少なからず苛立って聞き流していました。

きっと、自分の表情にはあからさまな嫌悪が険しさとなって表れていたと思います。

まあ、そのときの見当のつく事柄といえば、たぶん大杉漣が出演した映画「兄貴の嫁さん」の話をしたことがあって、その映画「兄貴の嫁さん」が日活ロマンポルノ系の作品であることを知った妻が即座にドン引きし、その話はそのまま気まずく中断されたなんてことがあり、なにやら後味の悪い思いをしたことがありました、思い当たることと言えば、気まずく中断させてしまったことのフォローの積もりかなという感じでした。

そのときはちょっとイラッときたものの、これもいつもの唐突な「妻のしょうもない芸能人の噂話のひとつか」と無視する感じで家をあとにしました(そういう会話をしたことなんか、当然すぐに忘れています)、会社についてからしばらく同僚と世間話をしているうちに、「きのう、大杉漣が亡くなったぞ」と聞かされ、あっと思いました、今朝、妻が盛んに話しかけてきたのは、「これか」とはじめて気が付いた次第です。

星野仙一死去や西城秀樹死去の報ばかりでなく、そのほかの「タイムリーな話題」であることなど知らずに、唐突に話題を振られ、「?」を抱えながら、必死になって話を合わせる(その裏であれこれ模索をめぐらして焦りまくる)なんてことが、よくあります。

星由里子と朝丘雪路のときも、ちょっとそんな感じはありました。ある人のブログを読んでいたら、盛んに朝丘雪路の思い出話を書いてあるので、「なんでだ」と訝しく思った直後に彼女の訃報を知りました、彼女もう82歳になっていたんですね。藤本義一や大橋巨泉死去のときもそうでしたが、かつて11PMを愛好していた自分などには、「あっという間の人生」という思いをそのつど強くしています。

しかし、よくよく考えてみれば、これらの話の根本にあるのは、自分の「迂闊さ」なんかではなくて(最初に「死去」の事実をはっきり教えてくれていれば、どれもあり得ない話です)、しかし・ともかく、自分が「分からないこと」に直面したとき、たぶん、いちいち応対する煩わしさとかもあったりして、ついつい根本のところを理解しようとしないまま「他人と適当に話を合わせる」という、不誠実で場当たり的なとてもイケナイ面倒くさがりやの自分の性向がありありとうかがえて、ときどき妻がキレて不機嫌になるのは、自分のこうした性格の部分に「冷たい拒絶」みたいなものを感じ取るためかもしれない、などと最近では自己分析をしています。

なんやかやの話の流れから、ついつい自分ばかりが悪い自己懺悔録みたいになってしまいましたが、しかし、その逆の場合だって大いにあるわけで、その辺のところもちゃんと記しておかないとバランス的につり合いが取れず、不完全燃焼をおこしそうなので、ちょっと書いてみますね。

皆さんの周りではどうなっているのか分かりませんが、自分的にはまだまだ「平昌オリンピックのカーリング・フィーバー」というのは継続していて、例の吉田知那美風な「ナイッスー」というフレーズがすっかり身についてしまって、何かの折につい出てしまい(日常的に使う局面というのが、これがまた実に多いのです)、最近では「ナイッスー」とやらかすたびにドン引きされるという「空気」を(空気じゃないか)会社でも家庭でもモロに感じはじめていたところ、ここにきてまた「ミックスダブルス世界選手権」と「パシフィックアジア選手権・日本代表決定戦」などというビッグイベントがあったりして、またまた「カーリング熱の盛り返し感」が顕著になってきて、なんだか少しホッとしているところです。

しかし、そんなふうに安心しているのはアンタくらいなものかもよという冷ややかな指摘(いまでも平昌オリンピックのカーリング・フィーバーをぐずぐず引きずっているのは、あんたくらいなものだという妻の冷ややかな示唆です)もないわけではなく、キープ・スマイルで「ナイッスー」と言いたい局面でも、つい気後れして口ごもってしまう今日この頃ということは、まあ、あるにはあります。

そうそう、「気後れして口ごもる」といえば、昨日の「パシフィックアジア選手権日本代表決定戦」(LS北見が富士急に3連勝して日本代表の座を得ました)をyou tubeで見ていて感じたことがひとつありました。

どの試合でも、吉田知那美選手はじめどの選手も、マスコミやミーハーの俄浮かれファンの期待に大いに反して、平昌オリンピックの試合では盛んに発していた「ナイッスー」や「そだねー」(現在のところ今年度の流行語大賞最有力候補といわれています)をあえて意識的に封じているような印象を受けました。しかしまた、それを「あえて」と感じてしまうあたりなんかも、この自分もまた「ミーハー」のうちのひとりなんだろうなと気づかされてしまう部分はあります、もっとも「もぐもぐタイム」の方はしっかりありましたけれどもね。

オリンピック開催中のあのとき、日本での盛り上がりを知らずに平昌で快進撃を繰り広げていた彼女たちが自然に発していた「ナイッスー」や「そだねー」は、単に試合を戦ううえで必要としたひとつのコミュニケーション・ツールにすぎず(さらにいえば、スキップ藤澤のモチベーションをアップするためのツールという一点につきます)、相互間の親和が保てさえすれば、それはなにも「ナイッスー」や「そだねー」じゃなくってもよく、たとえ「パシフィックアジア選手権日本代表決定戦」において「ナイッスー」と「そだねー」を発しなかったとしても、彼女たちはそれに代わるべきものとしての「なにか」を発し・交わし合って戦ったに違いありません、ぼくらの知らない「別の言葉」や「別な仕草」でね。

そして、それが虚像を作りたくって仕方のないマスコミによって、ひとつのキャッチフレーズとして「烙印」的に固定化され決めつけられることとは無関係な部分で、彼女たちはまたそれとは異なる「現実的な言葉」を発し・使い始めるに違いないのだと思います。

問題なのは、そんなもの(レッテル)なんかではないこと、戦いの場においてなにが大切(実)で、なにが愚劣(虚)なことか、吉田知那美という選手は、最早「ここ」には既にいないことで、アスリートとしての進化を(それに反してマスコミの後進性も)示し、そして気づかせてくれた実にクレバーなアスリートなのだなと感心しました。

試合のあとに、you tubeでたまたま、藤澤五月と吉田知那美が交互にインタビューに答えている7分ほどの動画がアップされていたので、ついつい見入ってしまいました。

そこでは、かつてふたりがそれぞれに厳しい経緯を経てロコ・ソラーレ北見に加入するまでと、そのときの気持ちの動揺について思い出しながら語っています。

吉田知那美は、かつて、カーリングに対する「強くなりたい」という自分の気持ちがあまりにも過剰すぎて空回りした過去(旧所属チームでの人間関係の困難と軋轢を経てスポイルされました)を振り返り、「カーリングについて、こんなふうにストイックに考えてしまう自分が、どこかおかしいのか」と思い悩んでいたとき、藤澤五月がロコ・ソラーレ北見に加入してきて、「あっ、もっとおかしな人がいた」と笑いながら、藤澤への敬意をこめて語っていました。

殺伐としたこの都会において、生き場を見失ってしまった自分たちには、なにごとにつけてもストイックに取り組む人々を、まずは冷笑で揶揄してしまうという、いつの間にか歪んでしまった感性をもってしまっているので、僕たちが「もっと変な人」を見つけ出そうとすることは、実は到底不可能なことであって、吉田知那美だからこそ藤澤五月のストイックな「もっと変」に気づくことができたのだと思います。

そうそう、以前you tubeで、まさにそのストイックな藤澤五月を揶揄(だから、当然敬遠)するようなタイトルの象徴的な動画を見たことがあります。

そのことに触れるまえに、いまでもその動画が見ることができるかどうか、試しに「藤澤五月」と打ち込んでyou tube検索をかけてみたら、まず最初のページにその動画は現れました。

4分41秒のその動画、メインのタイトルは「私も正直、藤澤さんは無理でしたね」、そしてサブ・タイトルは、「藤澤五月が学生時代に友だちがいなかった理由が悲惨すぎる。」「姉が語るカーリング女子スキップの本性」というものでした。(本性? いい言葉じゃありません、「お里が知れる」というやつですね)

この動画が、このタイトルからすれば、当然、藤澤五月のストイックさを揶揄し、敬遠しようとしている内容と予測してしまいますが、実際のところは全然別内容の「客寄せのための虚妄タイトル」でしかありませんでした。

「姉・汐里」という人の家族的な回想が随所に引用されているところを見ると、雑誌か何かに発表された記事の丸写しを能のない接続詞でつないでいるだけの無能で幼稚な構成です、刺激的なタイトルをつけるくらいが精々のところで、内容の改ざんなどという芸当までは思いも及ばなかったか、それとも元々能力的に無理だったのか、その内容はむしろ素直なものでした。

その内容をざっと要約すると、こんな感じです。

父親の影響でカーリングを始めた姉(汐里)に対して、負けず嫌いだった妹(五月)は、姉に負けたくない一心でカーリングにのめり込んでいった。

高1のときに世界選手権に出場、卒業後、中部電力に入社。

2014年、ソチ五輪代表決定戦に敗退して、挫折を味わった。

「妹(五月)は、内気な性格で、友達とうまくやっていくことも苦手でした。だから、環境の違う人と一緒にやるっていうのは、本人も厳しかったんだと思います。」

転機は、2015年5月に帰郷して、LS北見に加入したことだった。

「いまは、周りの方々にうまく支えられている感じです。特に、一歩引いて支えてくれている本橋麻里さんには感謝です。」

「もともと団体競技には向かない性格かもしれません。中学校まで部屋は同じでしたが、私の物は私の物、お姉ちゃんの物も私の物という意識でしたから、私が妹のカバンを黙って借りたときには、一生口を利かないって泣きじゃくっていたのに、私の物は平気で勝手に使っていましたから(笑)。

妹はひとりで突っ走るタイプだったので、いまのチームに入って一人だけじゃ勝てないってことに気づいたんだと思います。」

意外にもジャイアン気質だった藤澤。でも、最高の仲間がいれば大丈夫だよね。(おわり)


現在、アスリートとして活躍している誇らしい妹を、姉はあえて幼く無邪気だったころの妹を回想して幾つかの微笑ましいエピソード(身勝手だったり自己中だったり)を紹介しています。

肉親に対する親愛の前提部分をあえて除外して、「身勝手だったり」「自己中だったり」の部分だけを切り取って、そこだけ孤立させて紹介すれば、きっと「私も正直、藤澤さんは無理でしたね」とか「藤澤五月が学生時代に友だちがいなかった理由が悲惨すぎ」という内容に捻じ曲げることができるのかもしれませんよね。どこをどう押せば、そんなことになるのか、ネットで流されるガセには、ほんと気を付けなければいけません。

こんなとき、菅原文太が生きていたら、こんなふうに言ったかもしれませんよね。

「おい、若杉の兄貴の隠れ家、地図に書き込んで、サツにチンコロしたんは、おどれらか!」なんてね。



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by sentence2307 | 2018-05-20 17:46 | カーリング | Comments(0)
忠実な読者というわけではありませんが、気が向いたときに新聞や雑誌に掲載される書評に目を通しています。

時には「集中的」に読んだり、あるいは、すっかり興味をなくして読まなくなったりということを繰り返しているのは、モチロン自分のむらっけのあるダレた性格に起因するところ大なのですが、あえて言えば、読む書評への失望(その尾を引くほどのダメージ)というのも、大きな要因のひとつかもしれません。

つまり、「すっかり興味を失って読まなくなる時期」というのは、書評というものに対する失望のダメージから回復するのに必要な時間という、そんな感じです。

自分が遭遇したひどい書評に、本の「まえがき」と「あとがき」を安直に要約しておいて、あとは「目次」をつまみ食い的に丸写ししただけなんていう凄まじいのがありました。

そんな書評に出会ったりすると心底がっかりさせられてしまいます、えらそうに大学教授なんて名乗っているテアイにかぎってそんなのが実に多いのです。特にwebなんかではね。

そんな書評に出会うたびに、故丸谷才一はやはり偉大だったんだなと痛感します。品位ある署名入りの書評を書くということは、それほどの覚悟と誠実さが求められるものなのだなと。

興味も知識もないなら、最初からそんな仕事は引き受けないというのが知識人(おっと、「知識人」とは、これまた古い)としての見識だし誠実さというものではないかと思います。

では、散々そんなに腹立たしい思いをして一度は見放したはずの書評なのに、なぜまた性懲りもなく読み始めるのかといわれれば、自分としてはあの時あんなふうに考えたものの、だんだん時間が経つにつれて、冷静に考えてみれば、たかが情報収集のために参考にするだけの「書評」にすぎません、なにもそんなに目くじらを立てて深刻な重責を負わせなくたっていいんじゃね、むしろこちらの方が見当違いをしていたくらいだと思い直すからだと思います。まあ、こんなことをグダグタ繰り返しながら現在に至っているというわけです。

しかしアレですよね、そんなふうな堂々巡りを繰り返しているうちに、だんだん書評氏ばかりを責められない部分もあるのかなという思いも湧いてきました。

まあ、この世に存在する本のすべて(高潔なものからイカガワシイものまで)が、すべて書評に値するような完璧で素晴らしい本なのかというと、そうでもなくて、こういう現実に照らせば、それに呼応する書評だって、高潔なものからイカガワシイものまで多々あるのは当然といえば当然なわけで、それはそれで仕方のないことなのかもしれないなと。

そうそう、最近は「参考文献」が掲げられていない学術書なんていうのもあるくらいです、自分がどのような本を読んで知識の基盤を培ってきたのかという証しとして「参考文献」を提示するのであって、研究を生業とする学者の著書に「参考文献」の提示を欠くというのは致命的なことであって、それだけで信用を半減させると非難されても仕方のないことかもしれません。

最近、自分が手にした映画関係の本でいえば、佐藤忠男が書いた「喜劇映画論 チャップリンから北野武まで」(中日映画社、2015.4.10)という本には、索引(作品、人名、事項)というものがまったく付されてないので、本当にがっかりさせられました、これではこの本の本来の価値も半減です。

自分などは、まず一度通読したあとで、「索引」を眺めてその本の余韻に浸るのというのを何よりもの楽しみにしているくらいなので、これではまるで作りっぱなしの「読み捨て」を推奨しているようなものという悪印象を免れません。

索引作りは編集者の責務だと思い、こちらから著者に提案するくらいでないといけないなー(著者が固辞するっていうのなら、話は別ですが)。だいたい、索引(作品、人名、事項)というものがまったく付いてない本なんて、著者に対しても失礼だと思うくらいでないといけないぞ(なんて、むかしはよく上司からお小言を頂戴したものです)。

さて、その気が向いたときに読むという書評の話に戻りますね、自分が読んでいる定番の書評のひとつに「月報 司法書士」に掲載されている連載コラム「新聞が深くわかる読書案内」という記事があります、筆者は、元日本経済新聞論説委員だった安岡崇志という人。

このコラムの楽しいところは、同時に数冊の本を紹介するという書評の形式をとりながら、それぞれ単発の感想を書くのではなくて、そこに共通しているテーマを関連づけながら新聞の論説風に仕上げているところに独自な異色性にあります(あっ、そうか、この人、元日経の論説委員というだけあって、その辺の纏めのテクは自家薬籠中のものというわけだったんですね)。

似て非なるそれぞれのテーマをこねくり回して、ときには、「それはないだろう」というアクロバット的な離れ業を見せてくれたりするなど知的サービス満点の工夫があって、単発の書評にはないアメージングさも出色のものがあります。

ただ、ときにはその「粘着」が強引すぎて首を傾げたくなるものもないではありません。

まあ、下世話に言えば、落語の三題噺の逸脱の醍醐味を味わえるという感じでしょうか。

今回、「月報 司法書士」2018.4月号のこの欄で取り上げられた本は、以下の4冊。

①園田英弘編著「逆欠如の日本生活文化」(思文閣出版)
②中牧弘允「会社のカミ・ホトケ」(講談社選書メチエ)
③寺岡寛「社歌の研究」(同文館出版)
④ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」(岩波文庫)

そして、コラムの趣旨は、日本の「4月入学」という学校制度をまず取り上げ、かつて世界のグローバルスタンダードを根拠にした東大からの「正論・9月入学」の提案でさえも撥ねつけたくらい「4月入学」という学校制度がいかに日本に根付いた独自の生活文化であるかと説いたうえで、

「西洋化は日本化を伴うという逆説的な現象の見極めにある」

「会社は神をまつり、物故社員を慰霊する法要を営んでいる。会社ビルの屋上には小祠があり、聖地の高野山や比叡山には会社墓が並んでいる。創業者や社長が亡くなれば社葬をもって告別する、と日本にしか見られない会社の宗教的な行いを書き示す」

「会社の社訓・社是を織り込んだ社歌を作り社員に歌わせて、社員の一体感や会社への帰属意識を高めようとするのは、外国企業にはない経営手法とし、海外の現地子会社の従業員に社歌を浸透させるのに苦労する日本企業の事例も紹介している」

「欧米で生まれ発展した社会組織である会社とその経営・運営方法を、日本人が、日本の社会に移植し根付かせるうちに出来上がった、外国にはない会社の在り方と経営手法は、いくらでも見いだせる」としたうえで「つまり両書は日本文化を伴った西洋化について論じた日本文化論としても読めるわけである」なのだそうです。

そして、ここから4冊目のルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」へと論を進めていくのですが、その部分をまるごと筆写してみますね。

「西洋化に日本化が伴う現象は、西洋と日本の固有の文化や社会現象に相違がなければ起きない。その違いの甚だしさは、日本が地球の裏側にある知られざる異邦だった時代に、我が国に来た西洋の人々をひどく驚かせた。

1563年から1597年に亡くなるまで日本で布教をしたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが書いた「ヨーロッパ文化と日本文化」は、西洋人の「驚きの記録」の最も古いものだ。序文には「彼らの習慣は、我々の習慣と極めてかけ離れ、異様で、縁遠いもので、このような文化の開けた、創造力の旺盛な、天賦の知性を備える人々の間に、こんな極端な対照があるとは信じられないくらいである。」とある。

容貌、服装、暮らしの習慣、食事や酒の飲み方から死生観に至るまで609項目も挙げた「極端な対照」を読むと、日本人が西洋の文化をそのまま受容するわけはない、「西洋化は日本化を伴う」のは、必然だと納得するに違いない。」と。

これが、この書評のすべてです、学校制度としての「4月入学」が日本の独自文化だと語りだし、この独自文化として「物故社員の法要」「会社ビルの屋上の小祠」「高野山や比叡山の会社墓」「社葬」「社訓・社是・社歌」「会社経営・運営方法」などにも「西洋化は日本化を伴う」証左だとしたうえで、そして、ルイス・フロイスが初めて見てびっくりしたという奇妙な「日本の風習」の数々が紹介されているのですが、でも、フロイスが見て驚いたという風習は、会社経営に役立つ「先祖敬い」とか「結束をはかる仲間意識」とかの教訓めいたものからは相当に距離のある生活習慣の紹介にすぎず、明らかに本論から外れた「逸脱」と、拡大解釈の「無茶振り」です。

それを、こんな奇妙な風習を持っていた日本人だもの、アイツら西洋化をそのまんまあっさり受け入れるわけないよね、とかなんとか繋げようとするのには、無理やりのこじつけにすぎず、とても違和感を覚えました、というか、たまらない腹立たしさを感じました。

岩波文庫のルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」は、20年以上前に読みました。

その序文には「彼らの習慣は、我々の習慣と極めてかけ離れ、異様で、縁遠いもので、このような文化の開けた、創造力の旺盛な、天賦の知性を備える人々の間に、こんな極端な対照があるとは信じられないくらいである」と、文脈に若干のリスペクト感が窺われなくもありませんが、本文中で箇条書きに記された数々の日本人の奇妙な風習の侮蔑と嘲りのこもった紹介を読めば、それはまるで「東洋原人」という名札の付いた人間動物園の檻の中に閉じ込められた奇妙な風習に固執する日本人という小動物を観察するという見下す視点は明らかで、日本人をもともと同等の人間とは見ておらず、知的な猿とでもいう視点を持てば、そこに「リスペクト感」くらいは発芽しようというものだと理解できました。

その辺の「見下し感」を感じたナーバスな秀吉が、自分の権力の座を脅かしかねない異教を邪教として排斥したのも無理からぬことと感じました。

その内容の多くは、ごくたわいないものばかりなのですが、ときには文化論の根幹にかかわる重要なものもあります。

第2章「女性とその風貌、風習について」の最初の項には、こうあります。

「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉を失わなければ、結婚もできる。」

この一文を読みながら、思えば、この西洋の脆弱な思想の普及によって、失われた原日本人の逞しさを教えてくれたのは、今は亡き今村昌平だったのだな、という思いがふっと過りました。



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by sentence2307 | 2018-05-03 11:35 | 映画 | Comments(0)
ネットで拾いました、原題は、「絶対観るべき映画史に残る不朽の名作30選」なのですが、カシラに「GW」を載せるだけで、はやGW仕様になりました。

【戦艦ポチョムキン】(1925)
映像文法の基礎である「モンタージュ論」を確立させ、映像表現を飛躍的に向上させたと言われる、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による映画史に残るサイレント映画の傑作。1905年、劣悪な扱いに怒った黒海沖の巡洋艦、戦艦ポチョムキン号の水兵たちは反乱を起こし、その怒りの輪は民衆にも広がっていく。

【西部戦線異状なし】(1930)
ドイツのエーリヒ・マリア・レマルクの長編小説をルイス・マイルストン監督が映画化した戦争映画の名作。第1次世界大戦下のドイツを舞台に、愛国心から出征を志願した主人公ポールが戦線で経験する、想像を絶する過酷な実態を描く。アカデミー賞作品・監督賞受賞。

【我輩はカモである】(1933)
4人組のコメディアン、マルクス兄弟が贈る抱腹絶倒の痛快コメディ。架空の国を舞台として、国の財政難をきっかけに宰相となった男が引き起こす破滅劇を皮肉たっぷりなギャグを交えながら描く。レオ・マッケリー監督作品。

【モダン・タイムス】(1936)
喜劇王チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した代表作のひとつ。大工場で部品のネジをしめ続ける毎日を送る男を主人公に据え、お金と機械にがんじがらめの現代機械文明を風刺したブラックコメディ。

【オズの魔法使い】(1939年)
ライマン・フランク・ボームの児童文学を映画化。魔法使いの国に迷い込んで取り残されてしまった主人公の少女ドロシーは、愛犬のトトとともに家に帰るため、オズの魔法使いを探して冒険を開始する。ヒロインのドロシーはジュディ·ガーランドが演じた。

【風と共に去りぬ】(1939)
マーガレット・ミッチェルの原作を映画化、ビビアン・リー、クラーク・ゲーブル主演で贈る映画史上に残る永遠の傑作。南北戦争が勃発した激動のアメリカを舞台に富豪令嬢で絶世の美女、スカーレット・オハラが強く激しく生きていく半生をドラマチックに描く。作品賞、監督賞をはじめ10部門のアカデミー賞を独占。

【レベッカ】(1940)
アルフレッド・ヒッチコック監督によるゴシックスリラー。ジョーン・フォンティーン演じる美しきヒロインは旅行中に英国紳士マキシム(ローレンス・オリビエ)と出会い結婚するが、嫁いだ彼の屋敷では死んだ前妻のレベッカの見えない影がすべてを支配していた。英国で活躍していたヒッチコックの渡米第1作となった。

【市民ケーン】(1941)
名優オーソン・ウェルズが監督・脚本・主演を務め、映画史上最高傑作の呼び声も高い作品。「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死んだ新聞王ケーンの人生に迫る斬新な物語。主人公のモデルは20世紀前半にアメリカのメディアを支配し、新聞王と呼ばれたウィリアム・ランドルフ・ハースト氏。

【マルタの鷹】(1941)
ダシール・ハメットの同名探偵小説をハードボイルドタッチで映画化。私立探偵サム・スペードは、中世のマルタ島騎士団が製作したといわれる「マルタの鷹」にまつわる殺人事件に巻き込まれていく。巨匠ジョン・ヒューストンの監督デビュー作であり、主演のハンフリー・ボガートを一躍スターダムに押し上げた1作。

【カサブランカ】(1942年)
戦火近づく1940年代の仏領モロッコ、カサブランカを舞台に描いた、言わずと知れた恋愛映画の古典的作品。アカデミー賞の作品・監督・脚色賞を受賞。ダンディな主人公リックを演じたのはハンフリー・ボガート、かつてパリでリックと恋に落ちた美しい人妻・イルザ役をイングリッド・バーグマンが演じた。「君の瞳に乾杯」などの名セリフシーンで知られる。

【汚名】(1946)
アルフレッド・ヒッチコックが監督を務め、第2次世界大戦下でのアメリカ南部を舞台に、FBIとナチスとのスパイ合戦や恋愛模様などが描かれる。ナチの動向を探るスパイ役を銀幕の大スター、ケーリー・グラントが演じ、相手役として名女優イングリッド・バーグマンが共演。

【素晴らしき哉、人生】(1946)
名匠フランク・キャプラ監督がクリスマスを題材に人間賛歌を歌い上げる心温まる感動作。自殺しようと12月の冷たい川にやってきた人生に挫折した主人公は「天使見習い」と名乗る男に出会い、自分の人生を見つめなおすファンタジーの旅に出る。

【第三の男】(1949)
キャロル・リード監督がメガホンを取った第2次世界大戦直後のウィーンを舞台にしたフィルム・ノワール(サスペンススリラー)。 親友の死に際に3人の男が立ち会ったことを知った作家のマーチン(オーソン・ウェルズ)はその「第三の男」の正体を探って独自調査を開始する。

【サンセット大通り】(1950)
巨匠ビリー・ワイルダーが監督を務め、かつて一世を風靡した往年の大女優の悲哀と悲劇を描いたフィルム・ノワール。ロサンゼルス郊外の豪邸を舞台に、ハリウッドの光と影が巧みに描写される。出演はウィリアム・ホールデン、グロリアス・スワンソン、エリッヒ・フォン・シュトロハイムほか。

【羅生門】(1950)
芥川龍之介の小説「藪の中」を今は亡き黒澤明監督がモノクロの斬新な映像美で描写した時代劇で、海外で高い評価を受け「世界のクロサワ」の名を不動のものに。ある侍の死に立ち会った、男女4人のそれぞれの視点から見た事件の内幕を生々しく再現。三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬ら俳優たちの鬼気迫る熱演が見事。1951年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞。

【欲望という名の電車】(1951)
ピューリッツァー賞に輝いたテネシー・ウィリアムズによる最高傑作の呼び声高い同名戯曲を名匠エリア・カザン監督が映画化。映画史上に残る2大スター(マーロン・ブランド、ビビアン・リー)の名演が光り、鬼気迫る名演を見せたヴィヴィアン・リーは、この映画で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞。南部の没落した名門の娘、ブランチを通して女性の奔放な性や心の葛藤をあますところなく描きだす。

【雨に唄えば】(1952)
ジーン・ケリーが傘を持って雨の中で唄い踊るシーンが有名な傑作ミュージカル。サイレント映画からトーキーへと転換期を迎えたハリウッドを舞台に、楽屋裏を面白おかしく見せながら人気スターたちの恋を天真爛漫にコメディタッチで描く。

【真昼の決闘】 (1952)
名匠フレッド・ジンネマン監督による西部劇映画。ありきたりな勧善懲悪でなく、リアルな心理描写を取り入れた画期的な作品に仕上がった。ならず者の殺し屋たちにたった1人で立ち向かい、決闘を決意する保安官役をゲイリー・クーパーが熱演し、アカデミー主演男優賞を獲得。

【波止場】(1954)
名優マーロン・ブランドが迫真の演技を見せ、彼の代表作となった作品。ニューヨークの港を舞台に、マフィアのボスに立ち向かう港湾労働者の姿を骨太な演出で描く。アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞など8部門を受賞。

【泥棒成金】(1955)
巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督がケーリー・グラント主演で贈るラブ・サスペンス。風光明媚な南仏リビエラを舞台に、かつて有名な宝石泥棒で今は引退した男が、自分の名を語ったニセ者の正体を暴くために奮闘する姿を描く。

【禁断の惑星】(1956年)
今より60年も前に制作された宇宙開拓をテーマにした作品で、SF映画の金字塔とも呼ばれる。孤島に追放された老いた王の孤独とその復讐をテーマにした、ウィリアム・シェイクスピア晩年の作品『テンペスト』をモチーフにしたといわれる。

【捜索者】(1956)
巨匠ジョン・フォード監督が名コンビのジョン・ウェイン主演で描く名作西部劇。南北戦争終結後、主人公イーサンは兄一家をネイティブアメリカンに惨殺され、幼い姪も連れ去られてしまう。復讐と奪還を胸に誓った主人公は、仲間とともに荒野に捜索の旅に出る。出演は他にジェフリー・ハンター 、ナタリー・ウッドら。

【黒い罠】(1958)
異才オーソン・ウェルズが手掛けた傑作サスペンス。アメリカとメキシコ国境地帯を舞台に、不可解な爆殺事件に遭遇したメキシコの調査官ヴァルガスは、アメリカの刑事と共同捜査に乗り出すが、やがて国境の町に拡がるどす黒い陰謀が露わになる。出演はオーソン・ウェルズ、チャールトン・ヘストン、ジャネット・リーら。

【ベン・ハー】(1959)
巨匠ウィリアム・ワイラー監督が莫大な制作費と長い歳月をかけて完成させたスペクタクル史劇超大作。アカデミー賞作品賞など、11部門受賞の快挙を達成。紀元1世紀のローマ帝国を舞台に、エルサレムの豪族の息子、ベン・ハーがたどる数奇な運命を壮大なスケールで描く。

【北北西に進路を取れ】(1959年)
アルフレッド・ヒッチコックが監督した巻き込まれ型サスペンスの傑作。広告会社役員のロジャー(ケーリー・グラント)はひょんなことから別の男と勘違いされ、謎の組織から狙われるようになり逃走劇を展開する。

【アパートの鍵貸します】(1960)
アカデミー賞主要5部門受賞したビリー・ワイルダー監督の傑作コメディ。名優ジャック・レモン扮する悲哀あふれるサラリーマンとキュートな魅力あふれるシャーリー・マクレーンが織りなすコメディ。

【スパルタカス】(1960)
ハワード・ファストの原作小説を、スタンリー・キューブリックが映画化した歴史スペクタクル。 ローマ帝政時代、勇敢にも反乱軍を組織し立ち上がった1人の奴隷、スパルタカスの生涯を描く。主役のスパルタカスは名優カーク・ダグラスが演じた。

【アラビアのロレンス】(1962)
第1次世界大戦の時代、アラブの救世主と称えられ砂漠をこよなく愛したT.E.ロレンスの波乱に満ちた生涯を描いた壮大なドラマ。デヴィッド・リーン監督に見いだされ、主役のロレンス役を演じた俳優ピーター・オトゥールはアカデミー賞にノミネート。

【暴力脱獄】(1967)
フロリダの刑務所を舞台にした、社会のシステムに組み込まれることを拒否する囚人ルーク・ジャクソンの物語。不屈の反骨精神で脱獄を試みる囚人をポール・ニューマンが熱演したドラマ。スチュアート・ローゼンバーグ監督作品。

【2001年宇宙の旅】(1968)
SF映画史上に燦然と輝く名作として映画史にその名を残す、あまりにも有名なスタンリー・キューブリック監督の代表作。神秘的で難解なストーリー、当時の技術の粋を集めた特撮、圧倒的なビジュアル・イメージ、クラシック音楽の効果的な使用などが詰めこまれた、壮大な映像叙事詩に仕上がっている。アカデミー賞特殊効果賞受賞。



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by sentence2307 | 2018-05-03 11:32 | 映画 | Comments(0)