世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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<   2018年 09月 ( 13 )   > この月の画像一覧

第1部 日本映画の発芽(1920年代~) 2 7本

雄呂血(1925二川文太郎)
狂った一頁(1926衣笠貞之助)
忠次旅日記(1927伊藤大輔)
雷電(1928牧野省三)
斬人斬馬剣(1929伊藤大輔)
マダムと女房(1931五所平之助)
番場の忠太郎 瞼の母(1931稲垣浩)
瀧の白糸(1933溝口健二)
出来ごころ(1933小津安二郎)
警察官(1933内田吐夢)
戰国奇譚 氣まぐれ冠者(1935伊丹万作)
春琴抄 お琴と佐助(1935島津保次郎)
妻よ薔薇のやうに(1935成瀬巳喜男)
大菩薩峠 第一篇甲源一刀流の巻(1935稲垣浩)
有りがたうさん(1936清水宏)
赤西蠣太(1936伊丹万作)
人情紙風船(1937山中貞雄)
五人の斥候兵(1938田坂具隆)
チョコレートと兵隊(1938佐藤武)
忠臣蔵 前篇 天の巻 忠臣蔵 後篇 地の巻(1938マキノ正博)
暖流(1939吉村公三郎)
鴛鴦歌合戦(1939マキノ正博)
支那の夜(1940伏水修)
ハワイマレー沖海戰(1942山本嘉次郎)
翼の凱歌(1943山本薩夫)
陸軍(1944木下惠介)
煉瓦女工(1946千葉泰樹)


第2部 日本映画再発見(第2次世界大戦後) 55本

I 4K修復で見直すクラシック傑作選 うち23本

羅生門(1950黒澤明)
カルメン故郷に帰る(1951木下惠介)
お茶漬けの味(1952小津安二郎)
西鶴一代女(1952溝口健二)
雨月物語(1953溝口健二)
地獄門(1953衣笠貞之助)
東京物語(1953小津安二郎)
山椒大夫(1954溝口健二)
七人の侍(1954黒澤明)
ゴジラ(1954本多猪四郎)
近松物語(1954溝口健二)
浮雲(1955成瀬巳喜男)
早春(1956小津安二郎)
東京暮色(1957小津安二郎)
幕末太陽傳(1957川島雄三)
楢山節考(1958木下惠介)
炎上(1958市川崑)
浮草(1959小津安二郎)
青春残酷物語(1960大島渚)
おとうと(1960市川崑)
秋刀魚の味(1962小津安二郎)
しとやかな獣(1962川島雄三)川島雄三
楢山節考(1983今村昌平)

Ⅱ 知られざる映画特集 うち32本

蜂の巣の子供たち(清水宏1948)
お嬢さん乾杯(木下恵介1949)
壁あつき部屋(小林正樹1953)
女中ッ子(田坂具隆1955)
キクとイサム(今井正1959)
瞼の母(加藤泰1962)
その場所に女ありて(鈴木英夫1962)
女の一生(増村保造1962)
マタンゴ(本多猪四郎1963)
次郎長三国志(マキノ雅弘1963)
処女が見た(三隅研次1966)
八月の濡れた砂(藤田敏八1971)
軍旗はためく下に(深作欣二1972)
津軽じょんがら節(斎藤耕一1973)
田園に死す(寺山修司1974)
祭りの準備(黒木和雄1975)
はなれ瞽女おりん(篠田正浩1977)
天使のはらわた 赤い教室(曽根中生1979)
の・ようなもの(森田芳光1981)
遠雷 (根岸吉太郎1981)
ざ・鬼太鼓座(加藤泰1981)
タンポポ(伊丹十三1985)
海と毒薬(熊井啓1986)
1000年刻みの日時計 牧野村物語(小川紳介1987)
大誘拐RAINBOW KIDS(岡本喜八1991)
地獄の警備員(黒沢清1992)
棒の哀しみ(神代辰巳1994)
東京兄妹(市川準1995)
Shall we ダンス? (周防正行1996)
眠る男(小栗康平1996)
月光の囁き(塩田明彦1999)
ピストルオペラ(鈴木清順2001)


第3部 現代監督特集 37本

HOUSE(1977大林宣彦)
Love Letter(1995岩井俊二)
ユリイカ(2001青山真治)
たそがれ清兵衛(2002山田洋次)
接吻(2008万田邦敏)
ディア・ドクター(2009西川美和)
冷たい熱帯魚(2011園子温)
キツツキと雨(2012沖田修一)
わが母の記(2012原田眞人)
おおかみこどもの雨と雪(2012細田守)
親密さ(2013濱口竜介)
許されざる者(2013李相日)
小さいおうち(2014山田洋次)
0.5 ミリ(2014安藤桃子)
トイレのピエタ(2015松永大司)
海街diary(2015是枝裕和)
恋人たち(2015橋口亮輔)
リップヴァンウィンクルの花嫁(2016岩井俊二) 
団地(2016阪本順治)
シン・ゴジラ(2016樋口真嗣)
君の名は。(2016新海誠)
だれかの木琴(2016東陽一)
怒り(2016李相日)
湯を沸かすほどの熱い愛(2016中野量太)
愚行録(2017石川慶)
夜は短し歩けよ乙女(2017湯浅政明)
映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ(2017石井裕也)
美しい星(2017吉田大八)
幼な子われらに生まれ(2017三島有紀子)
三度目の殺人(2017是枝裕和)
エルネスト(2017阪本順治)
花筐(2017大林宣彦)
リバーズ・エッジ(2018行定勲)
孤狼の血(2018白石和彌)
モリのいる場所(2018沖田修一)
菊とギロチン(2018瀬々敬久)
ハナレイ・ベイ(2018松永大司)



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by sentence2307 | 2018-09-29 15:54 | 映画 | Comments(0)
中平康ばかりでなく、映画批評家に対する不信感というのは、映画監督には、とても根深いものがあります。

特に、晩年の黒澤監督などは日本国内では辛辣な批評にさらされ、マスコミからも無視されて、かろうじて海外の「遺産のような名声」で救われていたような感があって、なんだか憐れにさえ思ったこともありました。

もし、コッポラやジョージ・ルーカスがいなかったら、リスペクトなき日本におけるその晩年はきっとさらに惨憺たるものがあったと思います。当時、彼らコッポラやジョージ・ルーカスが霞むほど黒澤明を強力に援護した日本の映画批評家がいたかどうか、その印象はまったくありません。

そういえば、かの小津監督もひと言くらい、見当違いな作品批評に業を煮やして苦言を呈したことがあったはずと思い、「小津安二郎を読む」や「小津安二郎新発見」で探してみたのですが、残念ながら確認するまでには至りませんでした、でも、そりゃあ映画批評家やマスコミへの苦言のひとつやふたつくらいは「あった」と思います。

例えば、小津作品に対する典型的な批評として、こんなのがありました。

《ベテラン作家里見弴の小説を脚色した「秋日和」は、これよりも多くの点で優れている10年前の小津作品、すなわち「晩春」のほとんど歪めることのない「改作」にほかならない。・・・二つの作品のほぼすべての登場人物は、面白いほど交換できるものである。つまり、お決まりの笠智衆は「晩春」では父親だったが、「秋日和」では結婚する娘の伯父に扮し、原節子は結婚する娘から母親になる。また、「晩春」の叔母(杉村春子)は、笠智衆の演じる伯父に変形され、他方では司葉子が結婚する娘の役で原節子と入れ替わっている。こうした家族の些細な事柄は、外見的には他愛のないおどけたものであるが、実際にはもっと大切なことなのだ。というのも、少なくとも「晩春」から、小津(と野田高梧)は実際同じような作品を絶えず作り変えていて、囲碁のゲームの規則と同様な単純さと複雑さを持つ、家族の無限なヴァリエーションを繰り返しているに過ぎないからである。》(オリビエ・エケム「子供=王者の変身」)

褒めているのか貶しているのか、判断に苦しむこの評文ですが、小津ファンなら末尾の素っ気なく突き放したような部分「同じような作品を絶えず作り変えていて、囲碁のゲームの規則と同様な単純さと複雑さを持つ、家族の無限なヴァリエーションを繰り返しているに過ぎないからである」の舌足らずの感じはいかにも歯がゆく、もう一押し説明を求めたくなるような過剰反応を抱いてしまうのは当然です。

自分もまた、そう思ううちのひとりなのですが、しかし、ここでは、あれこれ言わず、小津監督の無常観を補足する意味で「小早川家の秋」のラストシーン、火葬場の煙突から出る煙を見上げながら交わす農夫・夫婦の言葉を挙げるだけで十分かなと思っています。


≪(河原)
女房「爺ィさまや婆ァさまやったら大事無いおもうけんども、若い人やったら可哀そうやなあ」
男「う~む、けんど、死んでも死んでも、あとからあとから、せんぐりせんぐり生まれてくるわな」
女房「そうやなあ、ようでけとるわ」≫


こういう事例から考えると、映画批評における見当違いの非難や貶しと受け取ってしまうなかにも、もしかしたら、表明する場所の字数制限が厳しいために(新聞の映画批評など「数百字の世界」です)説明不足もあって、読者がそれを読み誤るということも、あるいはあったかもしれないなと、一瞬ちらりと思ったのですが、しかし、かの「日本の夜と霧」に対する無節操な褒め倒しは「確信犯」そのもので、「映画」の評価のなかに、映画とは異質な評価基準が紛れ込んできた兆しなのではないかと思い直しました。

いまだ戦争の記憶が生々しく、政情不安定のなかで右傾化する政府に呼応するかのように左傾化に振れるメディアの「武器」として、映画は格好の標的になったことは、ちょうど米下院非米活動委員会が、まずは見せしめとしてハリウッドを生贄にしようとしたことと表裏をなしていると思います。いずれにしても、つねに無力な「映画」が、右と左とによって、思いのままに染め上げられてしまう「現実」というのが、そこにはあったと思います。

かつては体制におもねりへつらっていた同じ脆弱さで「進歩的知識人」にいち早く変貌を遂げたにすぎないヤカラが、その贖罪のような「民主主義コンプレックス」を駆使して褒め倒した大島渚の「日本の夜と霧」は、映画批評家(および知識人)にとって「試金石」になったのではないかという思いを自分は持ち続けてきました。

しかし、大島渚自身、この作品を一般的な映画作品(例えば成瀬巳喜男の「女が階段を上る時」)と同列に考えていたかどうかといえば、それはきわめて疑問です。たぶん、後年、この作品のことを話題に上らせることを嫌い、自分の作品として恥じてさえいたのではないかと推測しています。

前回、大島渚の「日本の夜と霧」について、≪内容はともかく、映画としてはどうなのという映画で、この作品を高ランクにつけた批評家を「批評家の定見なき無節操」といわざるをえません、「なんだか理解できないけれども、分からないからきっと凄いらしい、そうに違いない」という理由で票を投じたのではないかと想像します。≫と書きました。

大島渚の前作で金儲けの味を知った松竹が、さらに客の入るセンセーショナルな作品を大島渚に期待して「次回作」を求めたとき、資本の論理の逆を突いて大島渚が出した答えというのが、超映画「日本の夜と霧」なわけで、あきらかに、お前ら、これでもオレに映画を撮らせることができるのかと凄んだ松竹に対する挑発だったというのが、自分の考えでした。

そして、それは、(映画としては)それ以上のものではないという認識が大島渚の中にもあって、そんな作品を「映画」としてもっともらしく評価して、「ベスト10」の10位に選出した能天気な選者を、大島渚も含めて多くの映画監督たちが、その無定見を嘲り、失笑し、冷笑し、罵り、哄笑し、この程度の愚劣な者たち(映画に群がる業界の寄生虫)に自分の作品を評されることにやり場のない憤りを感じたに違いありません。

自分がそんな風に書いたときには、念頭には、「無知の映画批評家」しか想定してないというポーズをとって他の有象無象らに「逃げ場」を作ってあげたつもりでいたのですが、評価した連中をラインアップして驚きました。この映画をマジにとったとんでもない確信犯(大学教授や作家まで)が雁首を並べてゴロゴロいるじゃないですか、その幼稚な世間知らずぶりには、ちょっと驚いてしまいました。

そこで、選出当時、この「日本の夜と霧」に高評価を与えた選者というのを高得点順に調べてみることにしますね。

採点は、現在と同じ、「1位が10点、・・・10位が1点」方式です。選者総数は、42名。

いまから58年前に彼らがなんと言って「日本の夜と霧」に一票を投じ評価したか、実に楽しみです。



【「日本の夜と霧」に点数を投じた人々】

★10点 鶴見俊輔(評論家)
(評)映画が原作となって他の領域に働きかけるものを中心として選びました。「日本の夜と霧」はジャーナリズムの働きを映画によってよりよく果たした例と思います。「血は渇いてる」のなかでは、アメリカ産の社会心理学が、日本人の現在の関心によって見事に使いこなされています。マルクス主義をも近代主義をも見渡すことのできる視点を持つ人が映画製作の分野に現れたことがおもしろいです。
≪「よく果たした」とか「使い込まれた」とか、まるで映画をなにかの「手段」としてしか見てないこのようなイカガワシイ視点からは、映画史に張ったりをかました吉田喜重の虚像もついに見抜けなかったことが明かされているにすぎません。マルクス主義や近代主義どころか、なんの作品も生み出せず、小津監督に虚勢を見抜かれた痛々しい思い出を自慢げに繰り返し吹聴して余命をつないでいるぶざまな凋落ぶりをどう見るか、あなたは、なにを見損なったのだと鶴見俊輔に問いただしたいところです。≫

★10点 南博(一橋大学教授)
(評)1960年の日本映画の特徴は、ヌーヴェルバーグという名をつけることには不賛成だが、新しい監督によって新しい方向を見出そうとする努力がなされたということであろう。その頂点に立つものが、大島渚監督の「日本の夜と霧」、「太陽の墓場」であり、全体としてはいろいろな欠陥があって票を入れない新人監督の作品にも今後に期待できるものがあった。それに反して既成大家が振るわなかったが、これは映画作家が新旧交代に差し掛かったことを表していた。「日本の夜と霧」を第1位に圧した理由は、難点はあるがやはり全く新しい方向を切り開いたという点で歴史的な意義ある重要な作品であったためである。
≪すでに、ほぼ50年を経た現代からこの予測について言えることは、この時期には、まだまだ「映画作家の新旧交代」はなされなかったし、また南氏が期待したようには「この作品が歴史的な意義ある重要な作品」になるような革命も起こらなかった。むしろ、その後20年のうちで目を引く活躍を見せたのは、ヌーヴェルバーグの都会的なスマートさを備えた脆弱な彼ら(吉田、篠田、大島)ではなく、日本映画史を一身に担ったのは皮肉にも日本土俗にしっかりと足をつけ、粘っこいリアリズム(本当はもっと違う言い方をするのですが)で現実を捉えた、骨太のあきらかに内田吐夢の系統に位置する新人・今村昌平でした。≫

★8点 小倉真美(自然編集長)
(評)上半期の日本映画は不振を極めたが、秋以後ようやく立ち直ったようだ。アクション・ドラマ専売の日活で「豚と軍艦」を作った今村昌平の土性骨をまず認めたい。外国依存の政治で破綻を糊塗している日本の現実を痛烈に風刺した逸品である。市川崑がどんな原作と取り組んでも自己のペースで勝負する風格は立派である。作品の完成度から言えば、「おとうと」が第1位だが、彼に期待するものは、「プーサン」→「満員電車」の系列上での発展である。映画界の停滞を破った大島渚と吉田喜重の仕事は高く評価したい。「日本の夜と霧」は日本映画史上初めてのディスカッション・ドラマだ。この力作を公開禁止した松竹の不明朗な態度は追及されねばならない。独立プロの3作、新藤兼人、山本薩夫、亀井文夫の仕事は、今年も日本映画の良心であることを示した。「青春残酷物語」「血は渇いてる」「白い粉の恐怖」「砂漠を渡る太陽」「ぼんち」「大いなる旅路」「笛吹川」などは記憶に残る佳作である。
≪今村昌平を評価し、市川崑の行く末を「プーサン→満員電車の系列上の発展」と見抜いた慧眼には敬意を表するものの、しかし、「市川崑がどんな原作と取り組んでも自己のペースで勝負する風格は立派である」はどうだったかといえば、手を広げすぎて「系列上の発展」には失敗したというべきと思います。しかし、それにしても、ここに記されている「日本映画の良心」とは、いったいなにを意味しているのか、映画になにを強要しようとしているのか、ここで規定されている「新藤兼人、山本薩夫、亀井文夫」は、つまり思想の奴隷としか見做されておらず、あるいは、見くびられているにすぎず、その愚劣な括りに「裸の島」も入れてしまうのかと、その鑑識眼のなさには、すこしばかりショックを受けました。≫

★8点 岡田晋(キネ旬編集長)
(評)不作気味の1960年度日本映画の中で「おとうと」はやはりベスト・ワンとして恥ずかしくない作品である。死者の時からそう感じ、やはり結果としてそうせざるを得なかった。「黒い画集」「日本の夜と霧」は、日本が1960年に置かれている状況を、これほど見事に描いた作品は、今までの日本映画にはなかったように思う。「ぼんち」もあまり認められていないが、僕はその野心的構成を買う。「豚と軍艦」も「黒い画集」の系列に属する1960年らしい作品。「笛吹川」以下は、他に上げるものがなかったので―といった感じだ。


★8点 武田泰淳(作家)
(評)感想なし。1おとうと、2裸の島、3日本の夜と霧、4偽大学生、5黒い画集、6秘境ヒマラヤ、7女が階段を上がる時、8酒と女と槍、9花の吉原百人斬り、10流転の王妃
≪感想がないのでアゲ足取りができませんが、ベスト10に「流転の王妃」をいれますか? という違和感をどうしても持ってしまいますよね。「悪い奴ほどよく眠る」でもなく「笛吹川」でもなく「秋日和」でもなく、「流転の王妃」ですものね。たわむれに、もしかしてアンタ愛新覚羅溥儀の親戚か? と思った瞬間、「司馬遷は生き恥さらした男である。」の一節を思い出しました。ああ、そういうことかと≫

★8点 外村完二(映画評論家)
(評)毎年毎年言うことだが、今年の映画が示したでクラインの角度は、危機的である。実は白票を投じようと思ったが、考え直してとにかく10篇を選んだ。しかし、そのどれにも見逃せない欠陥がある。「笛吹川」は、無常観の強調と、発想としては面白いが、ときに乱用の感じがある特殊な色彩設計に抵抗を感じ、「日本の夜と霧」とは、政治的ポレミークを生のままに投げ出した観念性の裸出に飽き足らず、「おとうと」は、最後の部分の腰砕けが不満だ。「豚と軍艦」は、狂騒的な演出過重が気になり、「黒い画集」は、逆に単調な演出が難点、「狂熱の季節」は、これもラストが安定していなく、「青春残酷物語」は、やはり演出過重で、「花の吉原百人斬り」は、テーマが平凡でありすぎる。全体的に、今年の邦画は、技巧的変化を狙いすぎて、内容的に掘り下げた深さが足りなく、華美な包装紙だけの感じが深い。「人間みな兄弟」は、記録映画ではあるがその誠実さが光る唯一の作品だ。
≪こんなどうしょうもない批評を書かれたら映画監督もたいへんだわ。その作品の持つ本質的なものを一切検討しようとしていないで、言うに事欠いて亀井文夫の「人間みな兄弟」が、唯一評価できる作品だというに及んでは、自分でも言っているように、あなたはやはり「白票」を出すべきでしたね、だって、そもそもあなたには最初から選考する資格なんてなかったわけだからね。≫

★6点 押川義行(日刊スポーツ新聞文化部)
(評)芸術祭参加の条件を満たすために3日間公開されただけの「豚と軍艦」を、1960年度の作品と認めることはちょっと抵抗を感じたが、名前が挙げられている以上、選ばないわけにはいかない。最近見たせいか、印象が強すぎてかえって処置に困る有様だった。「おとうと」は、原作を斜めに見下ろしたような作品だが、そこに市川崑独自の立場がはっきりと出ていて、映画界の数少ない「作家」として敬服せざるを得なかった。木下恵介の「笛吹川」が不評だったのは、私には意外だ。「二十四の瞳」や、極端に言えば「楢山節考」さえ押しのけるほど、この作品には彼の広がりが感じられたからである。反対に黒澤明が「悪い奴ほどよく眠る」で空転したのも印象的だった。大島渚の作品に対しては、巧拙など度外視して、意欲の逞しいほとばしりに拍手する。



★6点 福田定良(法政大学教授)
(評)人間を大自然の一部としてとらえることは、容易なようで容易でない。そのためには人間の労働と真正面から取り組まなければならないからである。「裸の島」はこの意味で、日本では稀有な作品の一つである。「砂漠を渡る太陽」は、政治にだまされたなどと言わないで生き得た戦中の日本人の姿を満州という世界で描いた思想性の高い作品である。どちらも日本人の一般的なイメージとは言えないが、あえてこういう特殊な人間の生活を描いたところに、私たちが自分たちの姿を顧みざるを得ないような普遍性が生まれている。これに対して、「豚」「日本」「黒い」は、特殊な人間の存在感を作品に打ち出しているところが強みでもあれば弱みにもなっている。これらの作品について論じることはたくさんあるが、「おとうと」は、作品として鑑賞するほかはない。ぼくは市川崑の今年の作品の世界が彼自身によって打ち破られることを期待している。


★5点 井沢淳(朝日ソノラマ編集長)
(評)ほかの雑誌に出した僕自身のベストテンと違うところがある。それは、このベストテンでは、作品から受けた感動の順位を中心としたからだ。その点で「武器なき斗い」は、充実感と、訴求力で圧倒的にすぐれていた。山本薩夫監督が、苦しい条件で仕事をしたということは、この評かと全く関係がない。そういう美談からは超然としたところに、この作品の迫力がある。あたかも浅沼さんが殺されたということもあったが、それともかかわりがない。実際に日本は山宣時代と少しも変わらないという感じがこれを見ているとき、ひしひしとした。黒澤監督の「悪い奴ほどよく眠る」も、迫力があった。「おとうと」も市川監督としては最高のものだが、3位にした。結果としては1位になっても当然と思う。


★5点 岡本博(毎日グラフ編集長)
(評)「最後の日本兵」は緻密に計算された思想的な仕事です。われわれが十何年の戦後体験でなし崩しにたどり着いた時点へ、主人公二人はいきなりきって落とされます。その直前まで戦争する人間だった彼らの物凄い断絶感を通じてわれわれの戦後体験を集約して見せられるわけです。ラストの飛行機のなかに二人の会話の空しさは作者(飯塚増一)の深い読みからでたものでしょう。ジャングルの中で、三人の兵隊の戦争が日常化していること、「萬世一系の大日本帝国」「友軍の転進」というような軍隊用語が魔術的に人間の行動を縛ること、農民とインテリの心理と行動の違いが極限状況の中で人間の運命を決定すること、などもっとも近代的な問題に取り組んだ作品と言えるでしょう。「森の石松」の前半が時代劇を内面から崩していくようなアイデアにも驚かせられましたが、こういう思想的な作品が、ほかならぬ東映で作られ始めたことは注意していきたいと考えています。
≪いやあ、そもそも「最後の日本兵」なる映画を自分は知らないので、そこから知識を仕込んでいくしかないのですが、そんなに凄い作品なの? それとも、この岡本さんという方が、もしかしたら奇を衒うタイプの御仁なのかと、念のため選出したベストテンを拝見しました。1最後の日本兵、2おとうと、3森の石松鬼より恐い、4裸の島、5秘密、6日本の夜と霧、7狂熱の季節、8血は渇いてる、9黒い画集、10悪い奴ほどよく眠る、なるほど、なるほど、このランキングを見る限り、ごくフツーの方のようです、と思いつつ洋画のベストテンの方を見て、少し驚きました。1甘い生活、2ロペレ将軍、3若者のすべて、4勝手にしやがれ、5大人は判ってくれない、これはまさに「イタリアネオレアリズモ」とそれこそ「ヌーヴェルバーグ」じゃないですか。
「へえ~」ばかりでは仕方ないので、後学のために「最後の日本兵」を検索してみました。


【参考】

●生き抜いた16年 最後の日本兵
昭和19年7月、グァム島日本軍陣地は米軍の猛攻盤のため潰滅の寸前にあった。奥地へ逃げる敗残兵の中に、足を負傷した高野兵長、皆川がいた。2人は途中で西村上等水兵と一緒になり洞窟に逃げこんだ。中には伊藤兵長ら10名ほどの兵隊がいた。米軍の食糧置場襲撃に失敗し、激しい攻撃を受け、全員ちりぢりになり西村は戦死した。グァム島を制圧した米軍は士民兵を使ってジャングルの掃討を開始した。別れ別れになってジャングルを逃げまわる皆川、伊藤、高野は、ある日、偶然にも再会することが出来た。
昭和20年8月15日、日本は連合軍に無条件降服し、3人もジャングルに米軍のまいたビラで知った。しかし、これをアメリカの謀略と思い、捕虜になれば銃殺になると投降勧告を拒否した。本格的なジャングル生活が始まった。寝床は枯枝や草で作り、お互の合図は「チッ、チッ」と舌打ちでやることに決めた。米軍の廃品棄場から集めたもので、生活必需品を作り、海水から塩をとった。共同生活には諍いが絶えなかった。食糧集めの得意な伊藤はともすると勝手な行動をとり、元教師高野がこれに反感を感じ、皆川がいつも止め役になった。数年の歳月が流れた。望郷の念はつのり、脱出をはかったが失敗した。3人の生活に破綻が生じ、高野は1人ジャングルの中に消えた。数カ月後、衰弱しきった高野は戻って来たが死んだ。10年経った。伊藤が発熱して倒れ、皆川は島民に発見され米軍に捕まった。伊藤も観念した。が、2人は筒井通訳の説得にもかかわらず敗戦を信じなかった。昭和35年5月、2人は15年ぶりに故郷の土をふんだ。
(1960東映・東京撮影所)製作・大川博、企画・根津昇、大久保忠幸、監督・飯塚増一、脚本・甲斐久尊、撮影・高梨昇、音楽・小杉太一郎、美術・北川弘、録音・岩田広一、照明・川崎保之丞、編集・長沢嘉樹
出演・三國連太郎(伊藤兵長)、南廣(皆川兵長)、木村功(高野兵長)、水木襄(西村上等水兵)、神田隆(参謀長)、岡野耕作(伝令の兵)、岩上瑛(伝令の下士官)、南川直(自決する兵士)、大村文武(重傷の見習士官)、島崎淳一(重傷の兵士A)、久保一(重傷の兵士B)、打越正八(重傷の兵士C)、高田博(敗走する兵士A)、瀬川純(敗走する兵士B)、滝川潤(敗走する兵士C)、山本麟一(突撃する兵)、中山昭二(洞窟の将校)、織本順吉(洞窟の兵士)、バッカス・ウィリアム(ドライブの米兵)、バンテス・ロッキー(ドライブの米兵)、谷本小夜子(公子)、山本緑(ツル)、デーテル・スティーン(巡察の米兵A)、クリフォード・ハーリントン(巡察の米兵B)、ボナード・ジョセフ(巡察の米兵C)、三重街竜(猟師風の土民A)、今井俊二(筒井通訳)、

1960(昭和35)年5月、戦後15年たってグアム島で発見された元日本兵の皆川文蔵と伊藤正の16年間の生活体験をドラマ化したものだが、その12年後の1972(昭和47年)1月、グァム島で元日本兵の横井庄一が発見され、そして、さらにその2年後の1974(昭和49年)3月、フィリピン・ルバング島で発見された小野田寛郎が日本へ帰還を果たした。≫

★2点 滝沢一(映画評論家)
(評)「笛吹川」は、歴史の輪廻を描いて厳しい抒情詩になっている。ぎっちょん籠を飛び出して戦場に赴く若者の姿に作者の嘆きが込められ、心にしみるものがある。「武器なき斗い」も昭和初年の現代史として、日本を戦争に駆り立てた者への作者の怒りを肌で感じる。「裸の島」に描かれたものは一つの日本の素顔であり、「悪い奴ほどよく眠る」が、現代の汚職悪を復讐奇譚風に描いたことを私は面白く思った。「おとうと」は、日本の中流階級の、夫婦や父子や姉弟の関係とその愛情を分析し、鋭く、温かく、光沢があった。「日本の夜と霧」には、テーマに対して疑問があるが、尖鋭な実験的技法がめざましい。
≪この選者の選択基準というか、価値観とはなんだろうと考えたとき、自分的には、「武器なき斗い」がおおきな違和感で立ちふさがっている感じがします。だいたい、このもの欲しそうなタイトルはなにごとですか、「武器なき斗い」? 戦うんだったら、武器くらい持ちなさいよ、です。これじゃあ、まるで、幼稚園児の哀訴です「ボクがなにもしてないのに、〇〇ちゃんが、ぶったの」です。「反戦」「挫折」「転向」がつねに一線上にあるのは、それらが日本社会から既に許容され帰属を約束された「なあなあ社会」のシステムの一部だからだと思います。≫

★1点 山本恭子(映画評論家)
(評)「おとうと」はメロドラマ的素材と、このように鮮烈な新しい感覚を持った人間劇に作り上げられていること。「笛吹川」は、大胆な実験的試みが成功し、映画の芸術的価値を高めていること、「秋日和」は、頑固な名工気質の結実を、それぞれに感心し、順位をつけがたい感じです。4位から9位までの作品は、一応自分の好みに従って良いと思ったものをあれこれ拾って入れました。この級の佳作はまだほかにもいろいろあると思います。10位は日本映画のヌーヴェルバーグ作品の中で、はっきりそうと言える唯一の作品と思いますので「青春残酷物語」を選びました。大島渚監督の作品では「太陽の墓場」の方がむしろ好きなのですが。
≪自分は「キネマ旬報ベストテン全集1960▶1969」(キネマ旬報2000.12.15発行)を参照しながら、このコラムを書いてきました。まず、採点表の「10位 日本の夜と霧」の項目に点数を入れている選者を抜き出し、さらに高採点順に並び替えたうえで、各選評を筆写したのですが、この山本恭子の選評には、はっきりと「10位は日本映画のヌーヴェルバーグ作品の中で、はっきりそうと言える唯一の作品と思いますので『青春残酷物語』を選びました。」と書いてあるのに、採点表では「日本の夜と霧」に「1点」が計上されていて、選評にある「青春残酷物語」には点数は記されていません、ここのみに留まらない他に影響を及ぼす恥ずべき重大な誤植です。11位が同じ大島渚監督の「太陽の墓場」で、しかも15点も差があるのだから、どうでもいいじゃないかという、そういう問題ではありません。当然、1960年当時に筆者からクレームがあったはずですし、その訂正記事(あるいは「記録」が残されていて然るべきで)が出されていたならなおさら、こういう形で版下を流用しなければならないようなときには、そうした訂正をすべて反映して完全なものにするのが編集者の務めだと思っているので、とても残念な誤植でした。≫



実は最近、アスガー・ファルハディ監督の「彼女が消えた浜辺」2009を見たのですが、自分の責任を問われたとき、人間は自己正当化のために、対話しながら事実よりも少しだけ自分寄りに歪めて伝えたり、そうあってほしい方向に向けて言葉を少し盛ったりすることで、事態をさらに悪化させていくというこの物語、もしかしたら、こういう「対話劇」を撮りたかったのではないか、この手法を被せれば、もっと違った「日本の夜と霧」をぼくたちは見ることが出来たのではないかと妄想した次第です。



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by sentence2307 | 2018-09-26 22:13 | 大島渚 | Comments(0)
前回、大島渚の小評論「今井正 下手くそ説について」(1958)を読みながら、「中平・増村vs今井」論争の要約を試みたのですが、要約していくうちに大島渚の3人に対する位置取りが、だんだん分かってきました。

この小評文を読む限りにおいて、批判者の中平康と増村保造の批判(下手くそ・事大主義・低劣な倫理観)よりも、今井正の反論(大衆のウケ、大衆の身の丈に合った倫理観に寄り添う、観客動員数)の方に大島渚は、少なからず肩入れしているように感じられたからです。

今井正が主張する要点「映画に観客が入らなければ、なんの意味もない」は、確かにそのとおりだよな、と大島渚も、明らかにそこの部分で今井側に同調を示していると読めました。

そして、この同調には、撮りたいものを自由に撮れる大映の優等生・増村保造や、言いたい放題のわがままを許されている日活のやんちゃ坊主・中平康の、ともに大企業の中で優遇されて、ぬくぬくと甘やかされている2人の主張など、せいぜい世間を知らないわがままなお坊ちゃんの言い掛かりか、極端に言えば、(いつも100点をとっている)優等生へのみっともない「嫉妬」にすぎないと、暗に彼らが「劣等生」であることをみずから自認してしまっていると、大島渚は、増村・中平の批判を一蹴しています。

なにがなんでも、いつも100点(キネ旬ベスト10圏内)のシャシンを撮っていなければ、即仕事の機会を失う厳しくギリギリな環境に身を置いている独立プロの仕事を理解できない世間知らず(増村・中平)の愚挙でしかないと。

「映画監督・中平康伝」を拾い読みしていたとき、「自分たちは劇場にいる観客を面白がらせるのが仕事で、観客を劇場にまで来させるのは宣伝部や営業の仕事だ」みたいな文言をどこかで読んだ記憶があり、改めて読み返したのですが、掲載箇所の確認はできませんでしたが、そうした甘い認識に照らしても、大きな会社を後ろ盾にして安穏と仕事をする人間と、独立プロというギリギリの環境に身を置いて仕事をしている人間の違いだなと痛感しました。

しかし、「甘々な環境」に身を置く彼らとしても、ベストテン発表の時期に、「プログラムピクチャー」という見えない足枷に絡めとられていることを実感することになります、この中平康伝の随所で漏らされている苛立ちは、金のために身売りした映像作家の、撮りたいものをとれないという奴隷の嘆きにすぎません、その状況は、今井正のそれより、かなり深刻なものだったかもしれません。

この中平康の評伝を読むと、自分の作品を熱心に見に来ない観客への非難と、もうひとつは、自分の作品を一向に評価しない映画批評家たちへの呪詛があります。

そして、これらの非難や呪詛の根底には、もちろん、今井正が、キネマ旬報ベスト・ワンに、なんと5たびも輝いたという驚異的な快挙があることは、いうまでもありません。

そこで、ちょっとした「ひとり遊び」を考え付きました。

今井正がベスト・ワン作品を連発していた同じ時期に、ほかの映画作家たちがどういう作品を撮っていて、どういう評価をされたかを一覧表にしてみようという「ひとり遊び」です。

下記の一覧表を見て感じることは、映画の新しい形式(ヌーヴェルバーグの波)への過剰反応と猿真似の無力さ、そしてもうひとつは、批評家の定見なき無節操です。

ヌーヴェルバーグの波といっても、影響を与えたものといえば、せいぜい手持ちカメラで撮る絵の面白さくらいなもので、時代が経過するにつれ、クラシックなストーリーに回帰し、やがて吸収されてしまう程度のものですし、いま「突然炎のごとく」を見れば、いつも男からちやほやされていなければヒステリーを起こし、それでも自分に関心を示さない男とみると、復讐のために無理心中して強引に道連れにしてしまうという、なんとも身勝手なヒステリー女の話で、この映画を時代的に解釈するためには気の遠くなるような「映画史的説明」を要するかもしれません。

大島渚の「日本の夜と霧」は、内容はともかく、映画としてはどうなの、という映画です、この作品を高ランクにつけた批評家を「批評家の定見なき無節操」といわざるをえません、「なんだか理解できないけれども、分からないからきっと凄いらしい、そうに違いない」という理由で票を投じたのではないかと想像できます。よく分からないが、なんだかすごそうなヌーヴェルバーグを妄信することが「形式を革新する」ことだと見当違いの思い込みをして、今井正に突っかかっていったのと、なんだか共通しているようで苦笑を禁じ得ません。

フランスとかイタリアなんかのやることをそのまんま妄信しちゃあ、だめだったんじゃないかなあ、そんな気がします。個々の作家の卓越した仕事が、なにかのムーブメントの現れと錯覚し、集合体としたときに、皮肉にもたちまち勢いを失うということをみれば、あらゆる芸術活動は、あくまでも個の情動から発する以外のものでないことは、一目瞭然だとおもいます。


【1950】
また逢う日まで(1950東宝)監督・今井正、キネ旬1位

【1951】
どっこい生きてる(1951新星映画)監督・今井正、キネ旬5位

【1952】
山びこ学校(1952八木プロ)監督・今井正、キネ旬8位

【1953】
にごりえ(1953新世紀プロ=文学座)監督・今井正、キネ旬1位
ひめゆりの塔(1953東映東京)監督・今井正、キネ旬7位

【1955】
ここに泉あり(1955中央映画)監督・今井正、キネ旬5位
愛すればこそ・第二話とびこんだ花嫁(1955独立映画)監督・今井正、キネ旬35位
由紀子(1955中央映画)監督・今井正、

【1956】
真昼の暗黒(1956現代ぷろ)監督・今井正、キネ旬1位
狂った果実(1956日活)監督・中平康、
狙われた男(1956日活)監督・中平康、
夏の嵐(1956日活)監督・中平康、
牛乳屋フランキー(1956日活)監督・中平康、

【1957】
米(1957東映東京)監督・今井正、キネ旬1位
純愛物語(1957東映東京)監督・今井正、キネ旬2位
くちづけ(1957大映東京)監督・増村保造、キネ旬20位
殺したのは誰だ(1957日活)監督・中平康、キネ旬24位
暖流(1957大映東京)監督・増村保造、キネ旬31位
青空娘(1957大映東京)監督・増村保造、
恋と浮気の青春手帖 街燈(1957日活)監督・中平康、
誘惑(1957日活)監督・中平康、
美徳のよろめき(1957日活)監督・中平康、

【1958】
夜の鼓(1958現代ぷろ)監督・今井正、キネ旬6位
巨人と玩具(1958大映東京)監督・増村保造、キネ旬10位
四季の愛欲(1958日活)監督・中平康、キネ旬40位
紅の翼(1958日活)監督・中平康、キネ旬40位
氷壁(1958大映東京)監督・増村保造、
不敵な男(1958大映東京)監督・増村保造、
親不幸通り(1958大映東京)監督・増村保造、

【1959】
キクとイサム(1959大東映画)監督・今井正、キネ旬1位
愛と希望の街(1959松竹大船)監督・大島渚、キネ旬33位
その壁を砕け(1959日活)監督・中平康、キネ旬36位
才女気質(1959日活)監督・中平康、キネ旬42位
最高殊勲夫人(1959大映東京)監督・増村保造、
氾濫(1959大映東京)監督・増村保造、
美貌に罪あり(1959大映東京)監督・増村保造、
闇を横切れ(1959大映東京)監督・増村保造、
密会(1959日活)監督・中平康、
明日の太陽(1959松竹大船)監督・大島渚、

【1960】
日本の夜と霧(1960松竹大船)監督・大島渚、キネ旬10位
太陽の墓場(1960松竹大船)監督・大島渚、キネ旬11位
偽大学生(1960大映東京)監督・増村保造、キネ旬15位
青春残酷物語(1960松竹大船)監督・大島渚、キネ旬18位
女経 第一話耳を噛みたがる女(1960大映東京)監督・増村保造、キネ旬25位
あした晴れるか(1960日活)、監督中平康、キネ旬37位
白い崖(1960東映東京)監督・今井正、
からっ風野郎(1960大映東京)監督・増村保造、
足にさわった女(1960大映東京)監督・増村保造、
「キャンパス110番」より 学生野郎と娘たち(1960日活)、監督中平康、
地図のない町(1960日活)、監督中平康、



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by sentence2307 | 2018-09-23 21:32 | 中平康 | Comments(0)

増村保造の今井正批判

先月、旧友から映画関係の本を何冊もいただきました。

なかでもいちばん驚いたのは、1982年にフィルムアート社から出版された「小津安二郎を読む―古きものの美しい復権」です。

表紙を見ただけなら、「小津安二郎を読む」がメイン・タイトルのように見えますが、背表紙では「古きものの美しい復権」(きっとこちらがサブ・タイトルです)の方が大きな活字で印刷されていて、メインのはずの「小津安二郎を読む」は、むしろ添え物みたいにやや小さな活字になっています。

書店の棚で初めてこの本と邂逅する読者は、他の多くの本のなかから、背表紙のこの活字が訴えかけてくる「古きものの美しい復権」という書名をまず目にするわけで、あえて背表紙に採用したこのタイトルが、この本の刊行当時の小津監督に対する認識の「空気感」を伝えているような気がします。

内容も、惚れ惚れするくらい実にクールです。

まずは、どんな些細なものでも、それが事実なら、なにひとつ見過ごしになどしないぞとばかりの静かな決意さえ伺える「年譜」と、製作年の順に並んだ作品群(ストーリー、スタッフ・キャスト、その作品が製作された時代的雰囲気が詳細に解説されています)と、小津情報の金鉱のような「小津事典」と、そして、自分もいちど試みたことがある「小津関係文献」とか、つまり、字数稼ぎのような余計なものは一切掲載されてないという、実にクールで実用を考えた信頼に足る名著です。

この基本書(自分では、この本をそう位置づけています)は、小津監督のコラムを書くうえで、自分にとっては欠かせない本になっていました、どんなにすぐれた大先生(名前は、あえて挙げませんが)の評論集なんかより、書いてあることが明確で、よほど頼りになる本なのですが、残念ながら自分の蔵書のなかにはなく、必要なときは近くの図書館にいって、2週間の期限を、さらに1週間延期してもらいながら借りていました。

自分にとっては、そういう名著です、

小津監督の作品や人柄を敬愛し、そして、その孤高の生涯に強く魅せられている人間なら誰しも、この本の持つ重要さは十分に認識しているはずです。

そういう大切な本を、このたび旧友があっさり譲ってくれたことに対する驚きもありましたが、むしろ、その「手放す」という行為に対して驚いてしまいました。

そして、その手放す理由を聞いて2度びっくりしました、いま少しずつすすめている「終活」の、これはそのひとつの行為なのだそうです。

反射的に出そうになった「えっえ~、まだまだそんな歳じゃないよ」という言葉を思わず呑み込みました。

そういえば、自分のいとこが、今年、墓を買ったという話をしていました。10年ほど前に定年を迎えた彼は、すぐに体調を崩して病院通いが始まり、この10年で心身ともにずいぶん弱気になってしまったように見うけられます。

彼の場合は次男なので、たとえ体の不調を来さなかったとしても、墓を買ったとは思いますが。

そして、契約したその霊園のサービスとかがあって、後日「遺影写真」を撮ってもらったと言っていました、その3枚を前にして、どれがいいかなとお茶を飲みながら、仲睦まじく夫婦で話し込んでいました。

自分などは、なんだか業者の言いなりになって愚弄されているように思うのですが、しかし、本人たちはさほどでもなく、とても楽しそうに終活というトレンディなブームにのって、来るべきその日に飾られるであろう自分の遺影写真の品定めに夢中になっていました。

とてもではありませんが、気の弱い自分などは、死を弄ぶそのグロテスクさに居たたまれない気持ちになりました。すでに死を達観しているのか、あるいは、なにも考えていないからなのか、なんだか空恐ろしくなり、到底まねのできないことと、思わずどん引きしてしまいました。

ほら、よく言うじゃないですか、定年を迎えたら、行きたかった旅行やできなかった趣味を存分にやろうと随分前から楽しみにしていたのに、会社を辞めた途端に皮肉にも病院通いが始まってしまったとかいう話、あれは、今までの会社勤めの緊張から解かれた気の緩みの表れだとか、通勤が結構なエクササイズになっていて、会社を辞めたとたん体を動かさなくなったから運動不足で不調になったんだとか聞いたことがありますが、しかし、その実態は、そんなことじゃなくて(自分が見聞きした限りでは)会社に勤めていた時に既に健康を害していたのに、仕事のために病院に行く時間が十分に取れず、疾患を先延ばしにしていたために、やっと病院に行くことが出来るようになった定年時には、症状が相当進んでいたと見る方が事実に近いような気がします。

つい先日も、いとこに会ったとき、秋から市が主催する「老後の安心講座~終活のすすめ」というのに参加するつもりだと、そのパンフレットを見せてくれました。「なんていったって高齢化社会だからね」というわけです。

こんなとき、以前なら自分は、「高齢化社会だろうがなんだろうが生きることとなんら関係のないことだ。それがいかなる社会であろうと」と全否定して論争になったものですが、もう、そういうことは止めにしました。

自分で「なんの関係もない」と言っているくらいなのですから、他人が死を弄んで楽しんでいようと、べつに何やかや言う権利など自分にはないと気が付きました。

なので、その講座で話されるという「成年後見制、相続、遺言、認知症、終末期医療、介護保険」など、いとこが得意気に滔々と話していることも、すこし距離を取って静かに聞き流すことが出来るようになりました。

さて、旧友が、大切な名著「小津安二郎を読む」を自分に無償で譲ってくれた理由というのが「終活」の一環と知って驚き、思わず連想した身辺雑事についてあれこれと書いてしまい、随分本論からはずれてしまいましたが、その贈られた本というのが10冊以上あって、すぐには読み切れず、いまのところ本棚に並べて置いてあり、気が向いたときにあちこち摘まみ食い的に読んでいる状態です。

あるとき、無造作に並べたその本の背表紙に何気なく視線を遊ばせていたら、ふっとあることに気が付きました。

目についたその本というのは、

★「映画監督・増村保造の世界」(ワイズ出版)増村保造著、藤井浩明監修
★「映画監督・中平康伝」(ワイズ出版)中平まみ著
それから、わが蔵書
★「今井正 映画読本」(論創社)今井正監督を語り継ぐ会

の3冊ですが、これらの書名を見ているうちにこの3監督のあいだで、ちょっとした論争があったことを思い出しました。

そのことを知ったのは、たしか「今井正 映画読本」のなかに収録されていた大島渚の論文だったはずとアタリをつけて開いてみたところ、やはり、そうです。

これです、これ。大島渚著「今井正 下手くそ説について」です。それにしても鬱憤晴らしみたいな凄い題名です。

増村保造が「下手くそ」と名指しで今井正を批判したそのままの言葉を客観的に紹介するかたちで、あたかも引用しているように見せかけて(つまり、増村の今井正批判に乗っかるかたちで)、実は大島渚も今井正批判にちゃっかり加担して、まんまと本音を吐いたのではないかと勘繰りたくなるような物凄いタイトルの論文です。

しかし、だからといって大島渚が、全面的に増村・中平にべったりと同調しているかというと、そんなことはありません、返す刀でこの二人もバッサリと批判しているあたりは、いかにも大島渚らしくて面白いなと思いました。

まず、2頁にも足りない小文なので、読み直しながら要約してみますね。(この小文が書かれたのは、1958年です)

≪どだい今ほど今井正をケナしやすい時はない。「夜の鼓」は評判が悪かったし当たらなかった。共産党はオチ目だし世の中は平穏無事だ。「社会科監督」今井正には辛い時である。≫という書き出しで始まるこの小文、3者の論争の要点をこうまとめています。


1 中平康と増村保造の批判の要旨
「とにかく演出技術が下手」
「なにか大そうなことを言おうとしているように見えるが、せいぜいのところ常識程度のものにすぎず、大衆雑誌の倫理感レベル」
「この程度の内容なら、なにも映画でなくとも社会批評の論文を読めば十分」

2 今井正の反論
「細かい演出技術が拙劣でも観客の心に訴えかけるものはある」
「表現が常識的・大衆雑誌の倫理観程度であったとしても、2人の作品はそれすら表現できてない」
「2人のシャシンが大衆に支持されてないのは、観客動員数の低劣を見れば一目瞭然」


お互いに痛いところをこうしてチクチクつつき合っているわけですが、大島渚は、この論争じたいを一蹴します、「おやっさん、はっきり言わせてもらいますがの、坂井も悪いがあんたも悪い。どっちこっち言うてないですよ。わしゃホントにあいそが尽きた。もうあんたの手にはのらん。盃は返しますけん、今日以降はわしを山守組のもんと思わんでつかいや。じゃけん、わしを騙した坂井はわしがとったる。あんたら、手出しせんといてくれ」みたいな。

3 大島渚の見解
今井正は、中平・増村が批判しているように、現在(1958年当時)の日本映画界で問題とされている「形式の革新」や映画における社会性の切実な問題意識をまったく有していないと言えるが、しかし、今井正を論難し否定する中平・増村が、はたしてその「新しさ」を持っているかというと、そうではない。


そして、大島渚はこう続けます。
≪今井正の発言や映画製作の根本にあるものは、「映画対観客」という考えである。今井正はいつも「観客」に何かを訴えかけようとして映画を作り、どのようにすれば「映画」を分かってもらえるかと懸命に考えている。そのことが、彼の作品を貫くヒューマニズムと合理的精神に基づく演出手法となって表れている。したがって彼の作品には、人間の内部の非合理なものは捉えられていないし、人間の存在もそれ自体が非合理なのではなく、周囲の状況の不備としてしか考えられていない≫としたうえで、
≪このような今井正の態度が、戦後の日本映画を貫くひと筋の赤い糸として、観客の信頼を集めてきたのは当然である≫と結論づけ、返す刀で中平・増村に
≪いま、中平・増村が今井正を批判するためには、この今井正の方法がなぜ十分に革新的であり得なくなってきたかという点についての分析と、今もなお今井正の作品に寄せられている観客の支持の保守的な部分を打ち砕き、革新的な部分を自らの上に背負う態度を必要とする。しかし、それははたして可能であろうか≫

大島渚は、あからさまに中平・増村に「お前らに映画の革新など、できるものか」という幾分嘲りに似た懸念を示しています。
それを大島渚は、こう表現しています。

≪中平・増村の発言および製作態度において特徴的なのは、それがつねに映画内部に閉ざされていることである。彼らが新しさと自負するものは、今まで監督がやらなかったことをやってやろう、ということにすぎない。この地点で今井正を批判しても無駄である。彼らの映画対観客という考え方のうえに立たなくては≫

どのように言おうが、大衆に理解されず、(映画に客が入らず)そっぽを向かれてしまえば、いくら気負ったところで、ひとりよがりで空回りの大風呂敷でしかなく、結局は、開き直って「オレのシャシンを理解できない観客はバカだ」と言いながら、みずから隘路に迷い込み、墓穴を掘り、身を横たえて腐り果てるのを待つしかない。大衆から忘れ去られ、映画史からも消し去られる。



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by sentence2307 | 2018-09-21 10:58 | 増村保造 | Comments(0)

火花

先週の土曜日の夜、wowowで「火花」を放映していたので、見てみました。

なにせ、菅田将暉が、名だたる映画賞の主演男優賞を総なめにしたという話題の作品です、機会があれば一度は見てみたいなと思っていました。

まず、その映画賞なるものをネット検索しました。


【2017年度】
★第42回報知映画賞 主演男優賞
(『キセキ―あの日のソビト―』『帝一の國』『あゝ、荒野』『火花』)
★第30回日刊スポーツ映画大賞 主演男優賞
(『キセキ―あの日のソビト―』『帝一の國』『あゝ、荒野』『火花』)
★第91回キネマ旬報ベスト・テン 主演男優賞
(『キセキ -あの日のソビト-』『帝一の國』『あゝ、荒野』『火花』)
★第72回毎日映画コンクール 男優主演賞
(『あゝ、荒野』)
★第41回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
(『あゝ、荒野 前篇』)
★おおさかシネマフェスティバル2018 主演男優賞
(『あゝ、荒野』『火花』『帝一の國』)
★第22回日本インターネット映画大賞 主演男優賞
(「キセキ -あの日のソビト-」「帝一の國」「銀魂」「あゝ、荒野 前篇」「あゝ、荒野 後篇」「火花」)
★第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞
(『あゝ、荒野』)


以上掲げた8つの賞のうちの実に5つの賞の対象に挙げられていたわけですから、なるほど、なるほど、この「火花」、たいしたものです。まさに、順風満帆といった勢いを感じますね。

一方で、ただ、わめき散らしているだけで、「あれのどこが演技だ」という声もないではありません。

そりゃあ「勢い」は大事なことには違いありませんが、演技には、ただ「わめき散らす」だけでなく、ほかのこと(ごくフツーのセリフまわしとか、繊細な喜怒哀楽とか)も必要となる場合もあり、そりゃあ、できたことに越したことはないと思うので、日常生活者を演じる役が回ってきたときに備えて、「わめき散らす」以外の演技も、できたらいいかなと思っています、暇を見つけて練習しておくことが望ましいですね。

この作品「火花」でいえば、菅田将暉が主演男優賞の対象になったシーンというのは、おそらく、相方山下(川谷修士)から突然漫才を辞めたいと告げられた徳永(菅田将暉)が、最後のステージで「逆のことを言う」漫才を客席に向かって絶叫する場面でしょう。自分たちの漫才が売れてさえいれば解散なんてしなくてもよかったのだぞ、と恫喝される観客にとっては、大いにハタ迷惑な、勘違いの恨み節です。

この場面を、諧謔・揶揄・自嘲・自己卑下のどれでもなく、まともな心情として演出したのなら、演出家の頭の具合を心配しないわけには、いきません。

観客に向かって? 明らかに「敵」を見誤った浅知恵の「逆切れ」です。

あらすじには、このシーンをこんなふうに要約しています。


≪スパークスは解散ライブで『逆のことを言う』というネタで漫才をしますが、徳永が突然アドリブで山下や客への感謝、漫才への熱い想いを叫びます。徳永の絶叫に客席は笑いではなく涙に包まれ、山下もツッコミができません。その型破りなやり方はいつかの熱海で見た神谷の漫才のようで、最後に常識を覆す漫才が出来たと徳永は自分に言い聞かせ、10年間の芸人生活に終止符を打ちました。≫


このシーン、客が泣いていたかどうかまでは分かりませんでしたが、徳永の「恫喝」で客席が凍りつき、いやな緊張感が漂っていたことだけは分かりました。

むかし、中学とか高校などに、教室を凍りつかせるのが得意なこういう勘違い・熱血教師みたいなヤカラがどこにでもいて、薄っぺらな教訓を得意げに延々と開陳し、「お前らもな」みたいな愚にもつかない説教をたれ流し、心底辟易したことを思い出しました。

たかだかこんなしけた学校の教師ふぜいで天下とった気でいやがる。教室のドアを閉めたら、ここは俺がすべてを支配できる独裁者・権力者だってか? 言いたい放題ぬかしやがって、そのうえのやりたい放題で、自分では途轍もなく凄いことを話していると思っているつもりらしいが、せいぜいが賢人・偉人の断片的なみえみえの受け売りで、それもほとんどは誤解釈、自分で考えたらしいオリジナルなんて、生徒の失笑をかうくらいの薄っぺらな幼稚なもの、「自己満足もいい加減にしろ」、悲壮感に酔いしれているその間抜けな熱弁男の熱弁に水を差し、内申書にさんざんなことを書かれた自分です、こんな空々しい嘘八百のシチュエーションにそう易々と感心する振りをするわけにはいきません。

このシーン、観客に向かって言いたい放題の恫喝をして徳永(菅田将暉)は、「ああ、すっきりした」と満足していますが、本当にそうなのかという思いは残りました。言う相手が違うだろうと。

むしろ、なにを基準に漫才の優劣を審査しているのか(なにか、「漫才」に室町時代からつづく確立された審査の伝統があって確固としたスタンダードでもあるのか)、まったく分からない能書きを垂れている漫才コンクールの審査員とか、吉本から押し付けられた面白くもない無芸の漫才師を「これでもか・これでもか」と連日テレビで強引に流しつづけ、ついに「人気タレント」に無理やり仕立て上げてしまうテレビ局とか、面白くもない漫才をディレクターの振り回す手の合図に従って、顔を引きつらせてヒステリックに馬鹿笑いをしてみせる「仕込み」(「笑い」さえ操って、そんなん漫才といえるか、アホ)とか、誰が監督に指名したか知らないが(金か? ん、金なのか?)、もういい加減分かれよ、無能の板尾になんか映画を撮らせるなって。吉本よお、ん?

さんざん、こき下ろしたので、久しぶりに胸がすっきりしました。

でも、別に悪気があって言ったわけではありません。(悪気がなくて、そこまで言えねえっての)

それもこれも、ラヴ・ディアス監督のせいなのです、なにせあの重厚な「立ち去った女」を見たあとに、へみたいな「火花」を見てしまったもので、作品の意識の低さ、その貧弱さ、そしてなんともみすぼらしく貧相な板尾創路演出、そしてあからさまな拝金主義が、同じ日本人としてとても恥ずかしくて、つい本音をもらしてしまいました。あんなやつに望むべくもない過重な期待を持ってしまった自分が悪いのです。どうぞお察しください。

ごめんなさいね、でも本心です。

まあ、なんですね、こんなつまらない、どうでもいいような映画見ているより、いとし・こいしの漫才の台本写したほうが、よっぽとマシやで。

ということで、名作漫才「ジンギスカン」のリライトです。

この漫才台本のダイナミズムが、この映画に少しでもあったなら、すこしは救いがあったのに、主よ、彼らをおゆるしください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです。



【わたしの好物】または、ジンギスカン

夢路いとし・喜味こいし


こいし「正月というたら、食べるもんが、だいたい決まっとるからね」
いとし「そうそう、おしめ、いや、おしめやない、お煮しめや。お煮しめと、それから餅」
こいし「それから数の子な」
いとし「雑煮」
こいし「そうそう」
いとし「なんぼ正月のものいうたかて、あんなもん毎日毎日食べてられへんがな」
こいし「まあ飽きるわな」
いとし「飽きてきますよ」
こいし「だから私は正月のものは食わん」
いとし「正月のもん食わんの」
こいし「食わん、食わん。自分の好きなものだけ食うてる」
いとし「好きなもん」
こいし「好きなもんやったら、なんぼでも食う」
いとし「なんぼ好きなもの言うたかて、一年中は食べてられへんやろ」
こいし「そんなことない、好きなもんやったら、一年中食べてても飽きへんねんで」
いとし「君、飽きへんの」
こいし「そう、わたし」
いとし「君、なに食べてんの」
こいし「わたしは鍋、鍋。わたしゃ鍋が好きでねえ。もう、一年中食べてます。あれはうまい」
いとし「あんた、鍋、食べんの」
こいし「そうや、食うてんのや」
いとし「丈夫な歯しとんねえ。ぼくは歯が弱いからいかんけど、鉄の鍋と土鍋とどっちが、うまいの、どっちが齧りやすい?」
こいし「鍋てな、鍋そのものは食わないの」
いとし「あんた、いま、鍋食べてる言うたやないの」
こいし「そりゃ、鍋は食うわいな」
いとし「ほら、食う言うとるやないの」
こいし「鍋を食う言うとるわけやなくて、鍋の中身、つまり実を食うとるわけや」
いとし「鍋の実ィ? あの鍋のどこを剥いたら実ィがでるの」
こいし「ちゃう、鍋の中に入れて炊いて食うやろ」
いとし「鍋を炊いて食うの」
こいし「鍋やない、ちゃう言うてるやろ、鍋はそっちに置いときなさい」
いとし「なんやねん、いったい」
こいし「つまり、う~ん、鍋料理や」
いとし「ああ、鍋料理なら鍋料理と最初から言うたらええやん」
こいし「分かってるやろ」
いとし「分かってるがな」
こいし「寒うなって食べておいしいのが、ぼたん鍋、これがうまい」
いとし「へえ~、こんなボタン、ちぎって食べるの」
こいし「ちがう、ちがう。ぼたん、いのしし」
いとし「へえ、いのししのこと、ぼたん、いうの」
こいし「生きてるあいだは、いのしし。死んだら戒名が、ぼたん」
いとし「君は葬式屋のまわし者か。ぼくは、そういう戒名鍋きらいやねん。焼いて食うのが好きやねん」
こいし「焼くのがええの」
いとし「あの牛の牛肉。牛の牛肉を焼いて食うのが好きや」
こいし「牛肉は、牛や」
いとし「生きている間は牛、死んだら戒名が牛肉」
こいし「なんや、それ。焼くもんがええなら、いい料理教えよ。ジンギスカン。これやってみ、ええよ」
いとし「君はぼくに好かんもの食えっちゅうのんか」
こいし「いや、ジンギスカンいう料理があんねん」
いとし「ちょと牛の牛肉を・・・」
こいし「これはちょとちゃうねん、これは羊でやるから美味し」
いとし「なんでやるて」
こいし「これは羊でやるから美味し。あっさりしてる」
いとし「羊いうたら」
こいし「羊や」
いとし「だから羊いうのんは」
こいし「だから。今年の干支や」
いとし「今年の干支の羊というたら」
こいし「あのなあ、ちょと田舎行け。田舎かどこかの地方へ行ったらな、畑とか田んぼの横でヒゲはやしたのんがメエメエ鳴いとるから、見たらわかる、それが羊や」
いとし「ヒゲはやしてメエメエ鳴いてるのは、あれはヤギや。メエメエ小ヤギいう歌があるやないか。羊がメエメエ鳴いたりするかい」
こいし「ほな、羊はどない鳴くねん」
いとし「ひ~つじ、ひ~つじ」
こいし「まて~や、おい」
いとし「羊の戒名が、ぼたん鍋」
こいし「羊の戒名いうのは、マトンとかラムいうのがあんねん」
いとし「マトンとかラム」
こいし「それを焼いて食うわけや」
いとし「そういう料理はお店屋さんにいかんと食べられへんの」
こいし「家でやれるよ、私なんか家でしょっちゅうやってる」
いとし「ぼくでもやれるか?」
こいし「ああ、どないなアホでもやれる」
いとし「アホてなんやねん、やり方教えて。料理やったことないから、いっぺんやったろか思うて」
こいし「ジンギスカン、やる? 教えてあげよう、簡単、簡単。シンギスカンやるねんな。やるとすれば、まず・・・、君のとこにジンギスカン鍋あるか?」
いとし「ジンギスカン料理知らんのに、なんでジンギスカン鍋がある?」
こいし「そりゃそうやな」
いとし「常識で判断せえ」
こいし「えらそうに言うな。鍋ないのんか」
いとし「鍋ないよ」
こいし「鍋なかったら、そやな、鉄板はないか、鉄の板、鉄の板」
いとし「鉄板いうたら、お好み焼きの鉄板がある」
こいし「鉄板あんの、それでええねん」
いとし「あれでええの」
こいし「その上に羊をのせたらジンギスカンやがな」
いとし「そらちょっと載らんと思うでえ。こんな小さな鉄板やから羊一匹はのらんと思うわ」
こいし「だれが羊一匹載せゆうた」
いとし「なにを」
こいし「羊の戒名の方を載せんねん」
いとし「戒名を載せんねんな」
こいし「せやがな、ほなやり方教えたげるわ、家でやる場合、油使うよって、油が飛んだらいかんから、まず準備として、畳の上に新聞紙を引くわけや」
いとし「朝刊と夕刊のどっちにしよ」
こいし「どっちゃでもええがな、とにかく、ひけゆうとんにや」
いとし「はあはあ、どっちゃでもいいのやから、朝刊と夕刊を重ねてひくわ」
こいし「そしたら今度は、ガスコンロを持ってきて新聞の上に置くわけ」
いとし「どこの家のガスコンロ」
こいし「自分の家で、やんのやろ」
いとし「はい」
こいし「なら、自分の家の台所からガス管引いてきて・・・」
いとし「うちに、ガスないねん、うちのおばあちゃんが、ガスは怖い言うて、ガスコンロ使わへん」
こいし「ガスないの」
いとし「うち、ガス抜き」
こいし「ガス抜きはええけども、コンロとかなんかは、ないの」
いとし「カンテキていうの、大阪で。七輪ちゅうヤツ」
こいし「ああ、土て作ったやつかい」
いとし「そうそう、真ん丸に作ってあって、こう小さい入り口があって、だれが出入りするのやろか」
こいし「せえへん、せえへん、それでええねん」
いとし「あれでええの」
こいし「それでええねん。それを持ってきて、新聞紙の上に置く。その七輪かカンテキの上に鉄板を置くわけや」
いとし「七輪の上に鉄板を載せる」
こいし「せやせや、やがてその鉄板が熱くなるから、熱くなった場合・・・」
いとし「ジンギスカン料理て不思議なものやね」
こいし「なんでや」
いとし「七輪の中に火もないのに鉄板が熱くなるかい」
こいし「火ィは、いるやろが」
いとし「いるなら、ちゃんと言うて」
こいし「新聞紙をひいて・・・」
いとし「邪魔くさそうに言わんと」
こいし「新聞紙をお引きになって」
いとし「お引きになって」
こいし「カンテキを持ってきてその上に置きまして」
いとし「置きまして」
こいし「その上に鉄板を置く前に・・・せや、火ィや。え~と、ガスないねんな。君とこは、火力はなんでやっとんねん」
いとし「豆タン」
こいし「なつかしいね、豆タンね」
いとし「こんな、ちっちゃいやちゃ」
こいし「あったなあ、いま時分あんなものあるか」
いとし「戦争中、買い溜めしとったのが、ぎょうさん残ってる」
こいし「古い豆タンやなあ」
いとし「豆タン、皺だらけです」
こいし「あほな、古い豆タンは、火が付きにくいから、こうしましょ。豆タンを入れる前に、このカラ消しを入れまして」
いとし「なに、なんや、そのカラ消しいうのんは」
こいし「だから、カラ消しや」
いとし「なんやねん、そのカラ消しいうのん」
こいし「カラ消しいうのは、炭がこうおこってきて、いらんようになったら消壺で消して」
いとし「なんや、その消壺いうのは。カラ消しの消壺ていうの、なんやねん」
こいし「あのな、ちょと火事の焼け跡行け」
いとし「火事の焼け跡」
こいし「あこに黒こげの木ィ、ぎょうさんあるやろ。燃え残りいうか、焦げ残ってる木は、火が付きやすいから、ああいうのをカラ消しいうねん」
いとし「あれが、カラ消しか」
こいし「カラ消し」
いとし「ジンギスカン料理やろ思うたら、よその家一軒焼かなあかんね」
こいし「あほなこと言うな、なんで人の家、焼かなあかんねん、もう新聞紙で行け」
いとし「新聞紙で」
こいし「新聞放り込んで、その上に豆タン放り込んで、新聞紙に火つけたら、豆タンに火がつくやろ」
いとし「火がつくわ」
こいし「それで鉄板を置いといたら熱うなるやろ」
いとし「そら、熱うなる」
こいし「鉄板が熱うなったなあと思うたら、食用油、てんぷら油、あの油を鉄板の上にじゅうじゅうじゅうと塗る」
いとし「ふにゃあ~」
こいし「な、なんや」
いとし「この料理でこれが、一番むずかしい」
こいし「むずかしことないやろ。焼けた鉄板の上に油をじゅうじゅうじゅうと塗るだけや」
いとし「君は、しょっちゅうやってるからええけどもな、考えてみいな、焼けた鉄板の上に指の先で油じゅうじゅうじゅうと塗ったら熱くてたまりませんよ」
こいし「誰が手で塗れ言うた」
いとし「君はいまそうやったやないか」
こいし「これは、格好だけや」
いとし「ちゃんと言うて、ちゃんと」
こいし「ぼんぼらさんに油をつけて」
いとし「なんや、そのぼんぼらさんいうのは」
こいし「綿まるめて、キレまるめて」
いとし「お好み焼きの油ひくやつや」
こいし「知ってたら早よ言え。油をつけて鉄板の上をじゅうじゅうじゅうと塗る」
いとし「じゅうじゅうじゅうと塗るの」
こいし「はい」
いとし「じゅじゅじゅうでは、いけないの」
こいし「好きなようにすればええねん」
いとし「じゅじゅじゅうと塗るわ、塗った」
こいし「やがてこの油が踊るわ」
いとし「なんですか」
こいし「油が踊る」
いとし「誰が歌うたうの」
こいし「違うがな、はねるのを踊るいうねん」
いとし「はねるのをね」
こいし「油が踊り出したら羊の戒名、マトンの肉を載せて、表を焼いたら裏を焼いて、裏を焼いたら表を焼いて」
いとし「あの、羊の肉の裏表はどこで分かるの」
こいし「しらんがな、ええ加減に焼いてタレ付けて食え」
いとし「ええ加減に焼いてタレ付けて食うの」
こいし「ジンギスカン」
いとし「ゆうべ食べた」



夢路いとし・喜味こいし漫才傑作選〜ゆめ、よろこび しゃべくり歳時記〜 

収録内容一覧

第1巻
1.交通巡査
2.こいしさん、こいしさん
3.二十五年目の新婚旅行
4.もしもし鈴木さん
5.ジンギスカン料理

第2巻
1.物売り・季節感
2.幽霊指南
3.女の一生
4.娘の縁談
5.花嫁の父

第3巻
1.ポンポン講談
2.私は役者よ
3.仲人さん
4.レストランにて
5.機械に弱くてこまります
6.我が家の湾岸戦争

第4巻
1.迷い犬探してます
2.あなたの代行引受けます
3.全国名物がいっぱい
4.ああ結婚記念日
5.親子どん
6.地球にやさしい男
7.ファーストフード初体験
貴重なインタビュー映像と喜味こいしが語る逸話を収録した特別盤。

第5巻
1.相方 芸人その世界
2.相方 弐 芸人その世界
3.いと・こいを科学する
4.いとしこいしよもやま噺




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by sentence2307 | 2018-09-18 22:47 | 映画 | Comments(0)

立ち去った女

「やっぱり映画は、劇場に行って大きなスクリーンで見なきゃだめだよ」と言われると、返す言葉もありません。

そりゃそうですよ、昔も今も、本来映画はスクリーンに投影して見ることを想定して作られてきたわけですから、反論の余地などあろうはずもありません。

自分もまったく同意見なのですが、しかし、このラヴ・ディアス監督の「立ち去った女」に限っては、あえて異を唱えさせて頂かなければならないかもしれません。

この「立ち去った女」を見終わったあと、久々に手ごたえのある作品を見たという満足感と快い疲労感を覚えました。

でも、これは凄い映画だという感銘は受けたのですが、「じゃあ、どこがどう凄かったのか説明しろ」と言われたら、具体的に言葉にして説明することができるかどうか自信がありません。

この3時間48分36秒の映画の中で語られる言葉はどれも重く、その量たるや夥しいものがあり、しかもそれが速射砲のように発せられるのですから、詰め込めるだけ詰め込んだ頭の中はすでにキャパ(許容量)を超えており、いまだ整理が追いつかないカオス状態で、ただトータルとして「凄いということは分かる」というくらいの感じでしょうか、残念ながら、今の状態では、自分のなかに滞った情報の仕分けがつかず、詳細な分析など思いもよりません、なので、いまは、まともなコメントひとつ発することができない状態です。

まだ、ビデオもDVDもないひとむかし前なら、劇場で映画を見て、その作品をトータルでどう感じたか、「見た印象」で自分なりの優劣を嗅ぎ分けたものでした、まさに「感性の一本勝負」みたいな感じです。

それはそれでよかったのかもしれませんが、それは単にどこまでも感情的な「好き嫌い」で作品を一面的に評価していたにすぎません。

逆に言えば、いままで見てきた映画が、そういう判断で十分に対応できた映画だったからだと思います。

しかし、この「立ち去った女」は、もっと深い理解を僕たちに求めてくるタイプの映画です。

もし、この映画が突き付けてくるものを受け止められず、自分なりの理解を持てなければ、あの理解放棄の捨てセリフ(つまらない・分からない・くだらない)を吐いて開き直るしかなく、結局は、それでオシマイの話で、3時間48分36秒という篩(ふるい)にかけられ、試されたすえに脱落していくしかありません。

「劇場鑑賞主義」の方には、まことに申し訳ありませんが、この「立ち去った女」に限っては、一過性の鑑賞だけでは、とうてい「理解」に至らず、不安で、繰り返しになりますが、ひとことも発することができないというのが、いまの自分の現状です。

録画したうえで、重要なシーンを何度も見直し、セリフやモノローグをメモし、時間差のある関連するシーンをつき合わせ、照合し、この東南アジアの映像作家の見た修羅を、冥府魔道を、自分も確かめてみたいと思いました。

まず一度通して見てから、大まかなストーリーを頭に入れたあと、主人公と接触する重要な登場人物との関係やそのセリフ・モノローグを詳細に記録し・検討しながら整理してみようと思います。そうでもしなければ、この難解な映画は、一度見ただけでは、見落とし・聞き逃し・錯覚さえ気づくことなくやり過し、とうてい真正な理解ができるとは思えません。

メモを取りながら2度目の鑑賞に入るまえに、ざっくりとしたアラスジをおさえておこうと思います。


≪30年服役した女性(元小学校教師のホラシア)に、彼女の罪が「冤罪だった、あなたは釈放だ」とある日、突然、刑務所長から告げられます。
同じ監獄に収容されているペトラ(これまで同じ監獄で過ごしてきた親友です)が、ホラシアの犯行とされていたものは、実は自分がやったものだと自供したからでした。
その自供によって、あくどいこの企みの黒幕も分かります。
ホラシアが別の男と結婚したことを逆恨みした元カレ・ロドリゴが、ペトラを使って彼女に罪をかぶせたのです。
そして、ホラシアが釈放されるところからこの物語、自分に罪を被せ陥れた男ロドリゴへの復讐と息子探しの旅が始まります。
自分を罪に陥れた男への憎悪と殺意を抱いて復讐の旅にでたホラシアは、ロドリゴ(いまではその土地の名士になっています)のいる町に棲みつき、拳銃まで用意して、ロドリゴを殺そうと日夜つけ狙い、復讐の機会をうかがっているとき、そうした暮らしの中で社会の底辺で生きる貧しく悲惨な人たちとの出会いがあって、貧しさに耐える彼ら悲惨な生活へ寄せる深い同情と慈悲を注ぎながら、ときにはその窮地を善意と金(貧乏人にとっては、「善意と金」は一体のものです)とによって助力してあげることで、皮肉にもこの「慈悲」が「復讐」(資力のない彼らにとってのせめてもの「感謝」の気持ちを実現できる行為でした)を呼応し遂げさせてしまうという不意の結末を迎えます、そして彼女の憎悪も殺意も突如終結し、この地に留まる理由を失い、消息を絶った自分の息子を探すために、別の地へ旅立ちます、最後に息子の姿を見かけたという噂話を頼りにマニラにむけて。
疲れ切り絶望にうちひしがれながらも、それでも自分に鞭打つように「尋ね人のチラシ」をまきつづけるホラシアの姿が、そこにはありました≫という物語です。


まず、最初に通して見て気が付いたことがあります、最初のシーンで語られ、また、最後のシーンでも語られる「漆黒の塔」という詩(?)の奇妙な符合です。作者は「南の虹」とあります。

もし、これが固有名詞(日本名でいうと「西川さん」が、さしずめ「ミスター・ウエストリバー」とでも訳されてしまうような感じでしょうか)、それなら、なにも訳さなくたってよさそうなものですが、もしかしたら本当に「南の虹」氏なのかもしれません。単なるハンドルネームみたいな?

映画の冒頭で、監獄で元小学校教師ホラシアが、女囚たちを集めて言葉の学習をしているシーンがあります。

過去形や未来形について皆に教えたあとで、ホラシアは一冊の本を取り出し、この本を読める者はいるかと問いかけ、手を挙げたペトラを指名します。

それが「漆黒の塔」という詩で、ペトラは静かに読み始めます。


≪私は鏡のない部屋に住んでいる。窓は小さく、入る風もほとんどない。部屋の窓はブラインド式の3枚ガラスだが、汚れた空気や蚊が入るから開けられない。網戸は破れている。部屋の隅々にネズミの通り道があって、壁の裂け目から、次々と放たれるのは、誇り高き無礼なゴキブリども。エアコンが取り付けてあった壁の小さな穴は、段ボールを粘着テープで貼り付けて塞いであった。この部屋の隅々で、思いをめぐらせてもがく苦しむ魂たちが、息もできずに汚れて湿った死にかけの大地から逃れようとする。≫


真に迫って読み続けるペトラの朗読に(あるいは、異様に緊張したそのペトラの姿に)周りの女囚たちが恐れて「何だか怖い」「おとぎ話は?」という囁き声を、ホラシアが「黙って」と制し、ペトラは再び朗読を続けます。


≪彼の意識にある焔は、鉛色をした夢の続きか、狂気の沙汰なのか、彼の意識は自由なる世界を捨てたのか。もし彼が正気でないなら、来るべき自由よりも、いまを永遠に望むだろう。だが、どうする。許しを請う日を待っていたのでは? 真実を暴かれるのを求め続けたのでは? 彼の魂を浄化するには、それしかない、それだけが・・・彼の・・・≫


ペトラは不意に絶句します、「続けて、ペトラ」とホラシアから促され、そして、女囚たちからも「聞きたい」との声にはげまされて、ふたたび


≪それが彼の魂を救う。それのみが・・・≫


どうにか読もうとするのですが、すぐにまた言葉を途切らせて、もうそれ以上は読むことが出来ません。異常な緊張感が支配するシーンです。

ホラシアの「どうしたの?」という問い掛けを振り切るように、ペトラは本を閉じ、苦しそうに表情を歪めながら、その場を立ち去ります。

最初にこのシーンを見たとき、この場面が何を意味しているのか、まったく分からず、考えることもなく見過ごしてしまいましたが、このシーンは、ペトラが自ら犯した犯行をホラシアになすりつけ、そして秘め続けながらホラシアの善意のまえでは、素知らぬ顔で平然と「親友」として振舞い通してきたことへの自責の念に苦しめられているという重要なシーンであることが、2度目に見たとき、やっと分かりました、ずいぶん迂闊な話ですが。

あの「漆黒の塔」を読み上げるペトラは、その言葉(例えば、この部分「もし彼が正気でないなら、来るべき自由よりも、いまを永遠に望むだろう。だが、どうする。許しを請う日を待っていたのでは? 真実を暴かれるのを求め続けたのでは? 彼の魂を浄化するには、それしかない、それだけが・・・」のクダリ)の一語一語を読み上げるとき、その一語一語がペトラの虚偽と欺瞞の心にぐさりぐさりと突き刺さり、贖罪の気持ちを高め、自供する心境に至らしめたのだと分かりました。

次のシーンは、農作業の手を止めて木陰で女囚たちが小休止している姿を遠景で捉えた場面に変わります。

監獄での生活を紹介風に描いた冒頭で、銃を構えた看守に見張られながら、女囚たちは畑を耕し、種をまいていました。

すぐ前のシーンで僕たちは、ペトラの動揺と贖罪の思いを既に知っているので、こちらを向いて座っているホラシアの姿と、ずっと離れた場所に背中を見せて座っているペトラの姿と動きを同時に観察することができます。実をいうと、1度目に見たとき、ホラシアの姿ばかりに気を取られて、奥にいるペトラの姿には気づかず、その落ち着きのない「挙動不審」ともいえる動きを、まったく見逃してしまいました。

ホラシアから離れて座っているペトラは、ホラシアの姿を気にしながら幾度もチラ見し、逡巡のすえに、ついに意を決してホラシアに近づいてきて、こう言うのです。

「あなたに贈り物がある」と。

「わたしに?」訝し気に、ペトラの思いつめたような悲痛な顔を見て、ホラシアは驚き「ペトラ、どうしたのよ」と語り掛けます。

「あなたは母のように優しいのね、私とは大違いだわ」と泣きながらペトラは走り去ります。


長い間、ペトラは、ホラシアを偽計を用いて欺き罪に陥れたことを悔いていて、彼女の善意溢れる思いと行いに接するたびに心を痛めていた負い目が、あの詩の朗読(言葉)によって彼女の気負いが一挙に崩され「自供」(この自供で、この事件の黒幕がロドリゴであることが判明します)にまで至ったことが、この一連のシーンでよく理解できました。

ペトラの「贈り物」とは、自分が真犯人だと告白する「自供」のことだったのです。

もし、この映画を改めて2度見なければ、こうした経緯や登場人物の心の在り様の詳細など到底理解できなかったと思います。

この調子で、さらに「3度目」の鑑賞を試みるとすれば、また新たな発見があるかもしれません、その可能性は大いにあります。


さて、ペトラの自供を直接的に促したこの「漆黒の塔」という詩が、この映画の最後に再び登場します。

ゲイのホランダが、まるでホラシアから受けた恩を返すようにロドリゴを殺して、この映画の主な部分、「復讐」が果たされ、ホラシアがこの地に留まる理由も消え、噂を頼りに行方不明の息子を探しにマニラへと旅立つ前夜、子だくさんのくず拾いの女のもとに別れを告げに行く場面です。かつて、このくず拾いの女が子供たちに暴力をふるって虐待している現場に遭遇したホラシアが怒りのあまり徹底的に殴りつけ足蹴にして、同行していたバロット売りに「それ以上やったら死んでしまうぞ」と制止されるくらい逆上して怒りをぶつけたあのくず拾いの女です。冤罪とはいえ30年服役していたあいだに子供を失い、家族をばらばらにされてしまった母親ホラシアの悲痛な怒りと悲しみの「逆上」であることを僕たちはすでに知っています。

そのホラシアが、別れのいま、今度は「漆黒の塔」を暗唱します。

ペトラが語ったあのときの「漆黒の塔」と、どこが違うのだろうか、と思いながらメモに写し取ったあのときの詩と照合しながら聞き入りました。


≪私は鏡のない部屋に住んでいる。窓は小さく、入る風も~≫

と、あのときのペトラと同じように詩は語り出され、ペトラが言葉を途切らせた同じ個所

≪それが彼の魂を救う。それのみが・・・≫

までホラシアは語り継ぎ、そして、さらに暗唱を続けます。


≪その瞬間、残された唯一の機会だと彼は気づいた。心を解き放ち、束縛を振りほどけ。自由になるときはいま。そして彼は、淵に沈む魂の力を残らず拾い集めた。疲れ切った手でドアを開けたとき、きらめいた光の音に驚き目を閉じた。彼を倒そうとして風が吹きはじめる。彼は力を振り絞り心に残された希望にしがみつく。そして、ふたたび彼は目を閉じた。≫


かつて、ペトラに「罪を告白して、許しを請え」と諭した同じ詩が、ホラシアには、「心を解き放ち束縛を振りほどいて自由になれ」と諭しています。しかし、その自由は「嵐のようにお前を打ちのめすぞ、お前が希望を抱く限り・・・」と告げています。ここで語られている「希望」とは、行方不明になっている息子との、おそらくはあり得ない邂逅→絶望を示唆しており、その「希望」にしがみつく限り、ホラシアにとっては、同時に「死の棘」でもあることを意味していると感じました。


この映画「立ち去った女」の始まりの部分と、くず拾いの女の一家に、ホラシアが「さようなら、もう会えない」と別れを告げて立ち去るこの復讐が遂げられた最後のシーンまで見てきて、この作品のふたつの重要なシーンが浮かび上がってきました。


ひとつは、ロドリゴが、自分をつけ狙うホラシアの姿を一瞬見かけて恐慌を来し、かつて犯した自分の罪を思い出して、どうにも制御できないみずからの根源的な邪悪さと向き合ったとき、教会で神父に「神はいると思うか」とその屈折した思いを問いかける場面、

もうひとつは、ゲイのホランダと酒を飲みながら深く酩酊して、心を許したホラシアが、つい30年も監獄に入っていたことを、前科者の証である腕の入れ墨を示しながら告白してしまう場面です。


ロドリゴは、ある日、教会で自分を密かに付け狙うホラシアの存在に気づき、驚愕します。かつて自分を裏切って別の男と結婚したことの復讐として、ロドリゴが罠にはめ、監獄に追いやったはずの元愛人、そのホラシアです。

そして、同時に、いまでは穏やかな街の名士として振舞っているロドリゴも、不意の彼女の出現によって動揺し、かつて自分が犯してきた悪行の数々を思い出し、そのみずからの邪悪さについて(後悔しているとか、思い悩んでいるとかではなく、ただ「思い出した」という程度の即物的な感じにみえます)教会の片隅で神父と話す場面です。

ロドリゴは語り出します。

「神父の知るロドリゴという男は、私ではない。それは作り物だ。表の顔だよ。多くの者を傷つけたし、多くの人生も壊した。いったい自分がなにをしたか、自分の行いくらいは分かっているつもりだ。だが、なぜ自分は善人にはなれないのかと、いつも思うよ。なぜ心に棲む悪魔と戦えないのかとね。なぜか魂は、いつも悪魔に負けてしまう。次々と憎悪と怒りが湧きあがり、怒りを鎮められない。邪悪な心と分かってはいても、どうしても勝てない。おれの心にはケダモノがいるんだ」

神父は問います。「懺悔の気持ちはあるのか?」

「ある、そして、ない。後悔するときもあるが、正しかったと思うときもある。恨む相手の人生を壊すと心底楽しかった。」

困惑した神父は口ごもり、躊躇し、逃げ腰になってこう言います。

「こうしよう・・・日を改めて懺悔室で話を聞こう。もっと詳しく、なにもかも、いつどこで、相手の名前と何が起きたのか、包み隠さずすべてを話してくれ。罪の赦しを」

ロドリゴは、神父のその言葉を聞いて、思わず哄笑の発作に捉われます。

〔こいつは、なにひと分かっちゃいない。こんなやつに話すんじゃなかった〕という自嘲に身を震わせながら、立ち去ろうとする神父に、ロドリゴは、さらに「神父」と語り掛けます。

身を固くしてロドリゴの次の言葉を待つ神父の表情は、緊張でひきつっています。

「神は、いると思うか」

「そう信じている。誰にでも神は存在する。赤ん坊にも。迷い人や犯罪者、そして貧者たちにも」

そんなことじゃない、というあからさまな侮蔑と微かな怒りのきざした険しい顔でロドリドは、さらに神父に畳みかけるように問い詰めます。

「その神は、どこにいる? 」

「探すのだ、君ならできる。私は導くだけだ」

〔だめな男だ、こいつは。なにも分かっちゃいない、なにひとつ分かってないただの俗物だ〕

ロドリゴは、失望と蔑みの微笑をたたえて、やがて、体を震わせて哄笑すると、神父は憮然として立ち去ります。

〔神を探せだと。馬鹿々々しい〕

しかし、ロドリゴの顔から蔑みの哄笑はすぐに消え、自己嫌悪の苦々しい影に覆われます。


シナリオに文字化すれば、せいぜい1頁弱にしかならないこのシーンをラヴ・ディアスは、固定カメラで6分強という時間をかけて、長回しでじっくりと濃密にとらえています。


教会におけるロドリゴと神父とのこの一連のやりとりを簡潔にまとめてみようと苦慮しながら、しばらく考えてみたのですが、どうもいいアイデアが浮かびません。

聖職にある男に、あえて「神はいると思うか」と問うのですから、無茶ぶりにはちがいありませんが、邪悪のなかで生きてきたロドリゴが、あえてそう「問う」というその行為自体が問題なのではないか、いままで悪の限りを尽くし好き勝手に生きてきたこの男にとって「神の存在と不在」などなにほどの問題でもないはずです、そんなことは心に留めたことすらなかった無価値のものだったはずです。

ポーズとして敬虔な信者の振りをして「日曜日のミサ」にせっせと通って、それらしくやりすごしてしまえば、彼はいつまでも町の名士でいられました。かげでは自分の利益のために、多くの人々を欺き、元恋人まで罠にかけ、他人を操って邪魔者は殺してきた悪事を我がものとして親しんできたはずの彼には、神父に、いまさら「神はいると思うか」と問う必要などまったくなかったはずです。

そんな彼にそのような問い掛けをさせた鬱屈や焦燥を呼び起こさせたもの、みずからの「邪悪」を完全に制御して弄んでいると思い込んでいたものが、逆に、「邪悪」に支配され、いまや持て余していることに気がついたのは、ホラシアの突然の出現が契機となったに違いありません。この映画において、この二人ロドリゴとホラシアが、かつてどのような恋愛関係を持ったのか、までは描かれていませんが、自分的には、そこに、ほんの微かでもロドリゴの失意があったに違いないと彼の側に身を置いて考えてみたいと思っていたので、「解釈するための苦慮の時間」を必要としたのだと思います。


しかし、結論から言えば、まとまった考えを得るまでには至りませんでした。

でも、ロドリゴの心境を代弁するに適当な引用なら、することはできます。

それは、アルベール・カミュの「異邦人」、ちょっと貼っておきますね、好きなので。


《そのとき、私の中で何かが裂けた。
私は大口を開けて怒鳴り、彼らを罵り、祈りなどするなといい、消えてなくならなければ焼き殺すぞと叫んだ。
私は法衣の襟首をつかみ、私のなかに沸き立つ喜びと怒りとにおののきながらも、彼に向かって、心の底をぶちまけた。
君はまさに自信満々じゃないか。そうだろう。
しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しないことが分からないのか。
君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ自信がない。
私はどうだ、このとおり両手は空っぽだが、しかし、私には自信がある。自分について、すべてについて、君なんかよりはよほどに強く。
また、私の人生について、来るべきあの死についても。
そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私をとらえているのと同じだけ、私はこの真理をしっかりと捉えている。
私はかつて正しかったし、いまもなお正しい。いつも私は正しかったのだ。
私はこのように生きたが、また別なふうにも生きられるだろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。そして、そのあとは? 
私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたように思う。なにものも、なにものといえども重要なものはなにひとつなかったといえる。そのわけを私は知っているし、君もまた知っているはずだ。
これまでのあの虚妄な人生の営みのあいだじゅう、私の未来の底から、まだやってこない年月を通じて、ひとつの暗い息吹が私のほうへ立ち上がってきた。
その暗い息吹がその道筋において、私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに、私に差し出されるすべてのものを、等しなみにしたのだ。
他人の死、母の愛-そんなものがいったいなんだろう。いわゆる神、人々の選び取る生活、人々の選ぶ宿命-そんなものに何の意味があるだろう。
ただひとつの宿命がこの私を選びとり、そして、君のように、私を兄弟とよぶ、その無数の特権ある人々を、私とともに、選ばなければならないのだから。
君は分かっているのか? いったい君は分かっているのか? 
誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、この世にいはしないのだ。他の人たちもまたいつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。
そのなかでたまたま人殺しとして告発されたその男が、母の埋葬に際してただ涙を流さなかったという理由のために処刑されたとしても、そんなことに何の意味がある? 
サラマノの犬には、その女房と同じ値打ちがあったのだ。機械人形みたいな小柄な女もマソンが結婚したパリ女と等しく、また、私が結婚したかったマリイと等しくすべて罪人だったのだ。セレストはレエモンよりすぐれてはいるが、そのセレストと等しく、レエモンが私の仲間であろうと、それがなんだ? マリイが今日、もう一人のムルソーに接吻を与えたとしても、それがなんだろう? 
この死刑囚め、君はいったい分かっているのか? 
私の未来の底から・・・

すべてをこのように叫びながら、私は息が詰まった。
すでに司祭は私の手から引き離され、看守たちは私を脅しつけていた。しかし、司祭は彼らをなだめ、そして一瞬黙って私を見た。不可解だったが、その目には、たしかに涙が溢れていた。彼はきびすを返して、消えていった。

彼が出て行くと、私は平静を取り戻した。
私は精根尽きて寝台に身を投げた。
私は眠ったらしい、顔の上に星々の光を感じて目を覚ましたのだから。
田園のざわめきが私のところまで届いた。夜と大地と塩の匂いが、こめかみをさわやかにした。この眠れる夏の素晴らしい平和が、潮のように、私を浸した。
このとき、夜のはずれで、サイレンが鳴った。
それは、いまや私とは永遠に無関係になったひとつの世界との決別を告げているかのようだった。
そして、ほんとうに久しぶりで、私はママンのことを思った。
ひとつの生涯のおわりに、なぜママンが「許婚者」を持ったのか、そして生涯をやり直す振りをしたのだろうか、それがいまなら分かるような気がする。
いくつもの命が消えていくあの養老院のまわりでも、夕暮れは憂愁にみちた休息のひとときをもたらす。死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、あらためて生きることを実感したに違いない。なんびとも、なんびとといえども、ママンのことを泣く権利などない。
そして私もまた、いまこそ生きていることを実感できる。
私をとらえたあの大きな憤怒が、私の罪を洗い浄め、愚劣な「希望」などすべてを空にしてしまったおかげで、星々にみちた静かな夜につつまれて、私ははじめて世界の優しい無関心に心を開くことができた。
自分を世界の一部と感じる安らぎのなかで、私は、いままで自分が幸福だったことと、いまもなお幸福であることをつよく悟った。
一切がはたされ、わたしがより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといえば、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えるであろうという思いにとらわれたとき、これほど世界を自分に近いものと感じたことはなかった。》



そして、もうひとつの重要なシーン、

ゲイのホランダと酒を飲みながら、いつしか深く酩酊して、つい心を許したホラシアが、30年も監獄に入っていたことを告白してしまいます、思い切って前科者の証である腕の入れ墨を示しながら。

そのシーン。

「あなたに伝えたいことがあるの、ホランダ。感謝の気持ちをね」

「感謝するのは、私の方よ」

「あなたは私を知らない、本当の私を知れば、きっと怖くなるわ。ほら、よく見て。刑務所にいたの、あそこよ、あの呪われた場所に30年入っていた。刑務所に30年よ」

目の前に突き出されたホラシアの腕の入れ墨に驚いて、そこから目が離せなくなったホランダは、それでもこう言います。

「知っていたわ」

「なんだって!?」驚いてホラシアは、ホランダの顔を見つめます。

「書類を読んだの」

「読んだって?」突如、激昂するホラシア「この野郎、よくも勝手に。読んだのか、言え! このバカが。余計なことを。読んだのか、なめてるのか!」

さらに酔っているホラシアの「泥酔」が、時間の経過を観客に教えています、そして、先ほどの激昂をホランダに詫びます。

「さっきはごめん。突然言われたから」

「いいの、知りたがりの私が悪い。ごめんなさい、恥ずべき行為だわ」

「もういい、私も気にしてないから。あの書類はペトラの供述書。刑務所にいたときの友人よ。まさか彼女が私の冤罪事件の犯人だったとはね。黒幕はロドリゴ・トリニダッド。私の元恋人よ。まだ子供たちは幼くて。知ってる? あなたが家に来なければ、あの夜、私は教会に行き、ロドリゴを殺すつもりだった。あなたが来なけりゃ、あいつは死んでいた。お礼を言うわ。よく来てくれた、ありがとう。殺人犯になっていたわ。殺さずに済んだ」

もうすっかり泥酔しているホラシアに、ホランダは訊きます。

「まだ、ロドリゴは、この島にいるの?」

しかし、ホラシアは、酔いつぶれて眠っています。


翌日、ゲイのホランダが、ロドリゴを殺したことが明らかになります。

思わぬ形で復讐が完結してしまったホラシアは、行方不明の息子を探すために、マニラへ旅立ちます。


そして、ラストのナレーションが、流れます。


≪遠い昔のこと、願いがあった。願いは、夢の中にすんでいて、夢は秘めた世界に住んでいた。その世界は砦にあって、砦はけっして崩れなかった。砦の扉を開けることは、永遠にできない。
遠い昔のこと、彼女は願いを創った。その願いは、夢となり、夢は天に奪い去られた。遠い昔のこと≫


(2016フィリピン)監督・原案・脚本・撮影・編集ラヴ・ディアス
出演・チャロ・サントス(ホラシア/レナータ/レティシア)、ジョン・ロイド・クルーズ(ホランダ)、マイケル・デ・メッサ(ロドリゴ)、 シャマイン・センテネラ=ブエンカミーノ(ペトラ)、ノニー・ブエンカミーノ(バロット売り)
ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞



【参考】 wiki

ラヴ・ディアス(Lav Diaz, 1958年12月30日 - )は、フィリピンの映画監督。フィリピン映画界の怪物的映画作家と呼ばれる。

来歴
1998年、長編『Serafin Geronimo: Kriminal ng Barrio Concepcion』で映画監督としてデビュー。2001年に発表した4作目の『Batang West Side』は上映時間が5時間15分に及ぶ大作であり、ガワッド・ウリアン賞で作品賞・監督賞を含む10部門で受賞を果たす。2005年にはフィリピンのある一家の1971年から87年までを描いた10時間43分に及ぶ『Ebolusyon ng Isang Pamilyang Pilipino』を発表。その後もともに上映時間が9時間に及ぶ『Heremias: Unang aklat - Ang alamat ng prinsesang bayawak』(2006年)や『Kagadanan sa banwaan ning mga Engkanto』(2007年)といった大作を矢継ぎ早に発表。2008年には上映時間が7時間30分に及ぶ『Melancholia』が第65回ヴェネツィア国際映画祭のオリゾンティ部門でグランプリを受賞。翌2009年にはオムニバスの一篇として製作した短編『蝶は記憶を持たない』が第22回東京国際映画祭で上映され、初めてディアスの作品が日本で紹介された。
2010年代に入り、2011年には3本の長編を、2012年には劇映画とドキュメンタリーを1本ずつ製作した。2013年、ドストエフスキーの『罪と罰』をモチーフにした『北(ノルテ) ― 歴史の終わり』を発表。第66回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映され、無冠に終わったものの概して高い評価を得た。2014年、1970年代のマルコス政権下のフィリピンの農村を舞台にした『昔のはじまり』を発表。第67回ロカルノ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、金豹賞を受賞した。

作品
Serafin Geronimo: Kriminal ng Barrio Concepcion (1998年)
Burger Boys (1999年)
Hubad sa Ilalim ng Buwan (1999年)
Batang West Side (2001年)
Hesus, rebolusyunaryo (2002年)
Ebolusyon ng Isang Pamilyang Pilipino (2005年)
Heremias: Unang aklat - Ang alamat ng prinsesang bayawak (2006年)
Kagadanan sa banwaan ning mga Engkanto (2007年)
Melancholia (2008年)
Purgatorio (2009年) 短編
蝶は記憶を持たない Walang alaala ang mga paru-paro (2009年) 短編
Elehiya sa dumalaw mula sa himagsikan (2011年)
Siglo ng pagluluwal (2011年)
Babae ng hangin (2011年)
Florentina Hubaldo, CTE (2012年)
Pagsisiyasat sa gabing ayaw lumimot (2012年) ドキュメンタリー
北 (ノルテ) ― 歴史の終わり Norte, hangganan ng kasaysayan (2013年)
Prologo sa ang dakilang desaparacido (2013年) 短編
Ang alitaptap (2013年) 短編
Alamat ni China Doll (2013年) 脚本のみ
昔のはじまり Mula sa kung ano ang noon (2014年)
Mga anak ng unos (2014年) ドキュメンタリー
痛ましき謎への子守唄 Hele sa Hiwagang Hapis (2016年)
立ち去った女 Ang Babaeng Humayo (2016年)



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by sentence2307 | 2018-09-15 13:03 | ラヴ・ディアス | Comments(0)
以前このブログで、「あったかもしれない渡辺邦男監督の『七人の侍』」というコラムを書いたことがありました。正確なタイトルは、すこし違うかもしれません、忘れてしまいました。

ときの流行を敏感に反映しなければ、「映画」という産業は成り立たず、すぐに大衆から見放されかねない危機を常にはらんでいることは、実際、過去に何度も経験してきたことだと思います。

しかし、大衆におもねってばかりいると、じきに飽きられてしまうという側面も、また見すごしにはできません。

「七人の侍」において黒澤明監督が、当初むすんだ契約を無視して、撮影にあまりにも時間をかけすぎることに業を煮やした会社の上層部は、黒澤監督への嫌がらせか、単なる脅しにすぎなかったとしても、後半部分は監督を交代して早々に撮り上げようという話まで飛び出した、というエピソードを紹介しました。候補に挙がった監督は、早撮りの巨匠の異名を持つ渡辺邦男監督です。

上層部から、やいのやいの言われて、イササカうんざりしていた黒澤監督が、気も弱っていたこともあって、その監督交代の話を「了承してもいい」の一歩手前までいったということを、そのときはじめて知りました。

しかし、渡辺邦男監督の「七人の侍」というのも、結構面白いものに仕上がったかもしれません。

前半では威厳があって重厚だった志村勘兵衛が、後半では一変して妙に軽々しくなり、踊りながら歌なんぞも歌ったりして(「鴛鴦歌合戦」1939の例があります、あのときも、既にお爺さんでした)、へらへらしながら、たまには志乃のお尻を撫ぜたりして、キャッキャッと飛び跳ねながら、ついにラストは、百姓も野武士も死んだ亡者たちも総出で、やけっぱちのヒステリー気味大団円、なんと後半部分はわずか1週間と半分で撮り上げたぞという撮影所長の賛辞のコメントが添えられたにこやかなツーショット写真が新聞に掲載され、さらに、「いやいや、1週間と半分の『半分』の方は余計だったな、馬さえオレのいうことを聞いてくれていれば、もっと早く撮れたはずだ、相手が動物じゃ仕方ないけどな、ワッハッハ」みたいなコメント付きの渡辺監督の写真も掲載されていて、これもまた違った伝説的な映画になっていたかもしれません。いまのような世界で1~2を争う名作とはいかないまでも、カルトムービーで生き残るという途もありますし。

そして、自分は、このいきさつを読んだとき、ずいぶん象徴的な話だなと思いました。

黒澤監督は、作品を作るうえにおいて、自分の信念とか構想を曲げてまで「時流」に乗ったり、取り入れたりするようなタイプの映画監督なんかではありません。

たとえ契約書に「撮影期間」という欄があって、そこに何かを記載しなければならないから、適当な日付を記入するだけのことで、最初からそんなものに従う気など毛頭なく、自分が取りたいものを納得できる時間をかけて撮るだけの話で、会社側も「少しくらいなら仕方ないか」と諦め半分のつもりでいて、それでもズルズルと引き延ばされ、とうとう資金繰りも尽きて、そろそろ「破産」の危機が現実的なものとなるにあたりで、とうとう切羽詰まって監督交代の話まで出てきたのだろうと思います。

たしかその頃だったと思います、この「あったかもしれない渡辺邦男監督の『七人の侍』」というフレーズが気に入って、しばらく、ひとり遊びに耽ったことがありました。

つまり、「あったかもしれない〇〇〇〇監督の『〇〇〇〇』」という○○の部分に適当な言葉を入れ、妄想を膨らませて楽しむのです。

例えば、小津安二郎の「仁義なき戦い」とかね。

小津監督は、松竹の監督ですから、メロドラマとか、軽い小市民映画(小津監督の小市民映画は、本当は「軽重たい」という本当は深刻な作品が多いのですが)などは、お手のものだと思うので、どうしても「東映」のやくざものとか、「日活」の社会派作品とかしか思い浮かびません。だけど、小津監督自身は、推測ですが「暴力描写」はあまり好きではないとお見受けしました、だって、「風の中の牝鶏」で、亭主が売春した妻を階段から突き落とす場面など、ずいぶん無理して撮ってるなあという痛々しい印象を受けましたから。野田高梧が、「風の中の牝鶏」を小津安二郎らしくないと言った意味が、なんとなく分かるような気がします。

それから、成瀬巳喜男の「四畳半襖の裏張り」なんていうのは、どうでしょうかね。あっ、これなら、なんとなく「あり」な気がしますね。あるある、きっと、ありそうだ。でも、成瀬監督は、濡れ場のシーンは、「そういうイヤらしいことは、やめましょう」とかなんとか言って、シーンやセリフをどんどん消してく人ですから、きっと濡れ場シーンのない「四畳半襖の裏張り」ができあがると思います。でも濡れ場シーンがない分だけ役者に複雑微妙な演技を求めるわけで、思えば、「山の音」なんて随分、隠微な夫婦の性生活が暗喩的に描かれていて、それを原節子は、夫から強いられる性技への嫌悪と、そういうことにどうしても応じられない、「女」に成り切れない自身の頑なさへの劣等感との葛藤が、微妙な表情と、身をすくませるようにして生理的に受け入れられない嫌悪をみごとな象徴的な演技で魅せてくれました。

考えてみれば、時代が進めば進むほど性行為の描写がどんどん許容されつづけ、それが直接的になればなるほど、印象度はますます薄まり、現在では「そのものズバリ」の性行為を(こうなると、もはや演技ではありませんが)行う女優も男優も、ほとんどの俳優が、真正な意味で、ついに「顔」そのものを失ってしまったということができると思います。

無限に続きそうな言葉遊びに飽きてきたころ、古い友人から「沢島忠全仕事」(ワイズ出版)をロハで譲り受けました。時間が空いたときなどに、思いついたところを適当に開いて拾い読みしているのですが、偶然読んでいたページにこんなことが書かれていました。


―― 右太衛門さんは、はじめてですか。

沢島 監督になってからも、私は若手ばかり撮っていましたから、市川先生には一本もご縁がなかった。今度はじめて監督することになった。所長も代わって。髙橋さんが所長でしたから。右太衛門さんがあんたとやりたがっているって。じゃあ、行きましょうと。
それで、「赤ひげ」が撮りたいって言ったんです。僕は前から山本先生の原作を読んでましたから。おお、ええやないかと。右太衛門先生もそれでいけと。喜んでホンを書いたんです。
そのころ、右太衛門先生は、南禅寺に物凄い大きな邸宅をお建てになった。北大路の家を売って。疎水の水が庭に引き込まれて、庭の池に鯉がピチピチしてて、門を入ってから玄関に行くまで、しばらく玉砂利を踏んでいかないとつかない。
大邸宅の応接間でホン読みしたんです。「赤ひげ」の。
「あかん、こんな地味なものはだめだ」即座におっしゃった。「小石川療養所なんて、そんな貧弱なものはだめだ。道場を持っていて、その横に診療所があって、剣と医術両方をやっている。街を歩くときは、〈悪鬼必殺道場〉と書いたのぼりをもって、それで庶民の治療に当たる。女にもてる。酒は強い。これをそのように書き直して」
もう封切りも決まっているしね。これを直すのは大変なんですよ。でも、右太衛門先生らしいでしょう。もっともこれは右太衛門先生らしい話です。それで急遽やり直しましたけれどもね。長崎から帰ってくる若い医学生の役が千代ちゃんだった。

――黒澤監督作品で加山雄三がやる役が千代之介さんに決まってたんですか。

沢島 私がそういうふうに配役していた。アタマから千代ちゃんを使うことになってるから。年のことは言わんでください。会社から与えられるものを私たちはやらなきゃならない。そういう監督ですから。黒澤さんみたいに自分が好きなものを全部呼んできてやるんじゃないんです。僕らのは、主役級を全部与えられる。右太衛門さん、千代之介さん、それから里見君。女は月丘夢路さん。これだけくらいは決まっている。その中で、こっちが料理していくんです。「赤ひげ」の原作に当たった役は皆あったんです。急遽変わりましたから、それを全部違う役にして、書き直しましたが、少し原形がのこるんです。これは山本周五郎先生の所へ許可を貰いにいかないかん。
先生は前の「暴れん坊兄弟」をすごく気に入ってもらってた。あれは先生の「思い違い物語」を脚色したんです。それで、僕のことをすごく信用してもらっていたから、企画部長の渡辺さんが、先生の所へお許しを貰いに行ってくださった。そしたら、山本先生は、「いいじゃないですか。時代劇の世界っていうのは、狭い世界だから、似た話もありますよ」って。許してくださった。




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by sentence2307 | 2018-09-12 22:34 | 黒澤明 | Comments(0)

風雲城史

長年、使い慣れてきたので、ついついフィルムセンターと言ってしまいますが、今年の4月から「国立映画アーカイブ」と言わなければいけないんでしたっけね。

なかなか慣れることができません。

その開館を記念する上映会のチラシというのを見かけました。

開催期間は、10月16日~10月21日とあり、これまたずいぶん先の話なんだなと、当初は思い、「そんな先の話を、いまから告知しているのか。やっと夏休みが終わったばかりじゃないか」という気さえしたのですが、すぐに考えを改めました。

この夏休みの終わり方の早さを思えば、1か月なんて、その調子でまたたく間に過ぎてしまうに違いありません。

ですので、「10月16日~10月21日・上映会」の告知というのは、決して時期尚早でもなんでもないのだなと考えを改めた次第です。

その上映会のタイトルは、「映画を残す、映画を活かす。―無声映画篇―」ということで、ほぼ100年前に作られた映画7本(6プログラム)を上映すると書かれています。

上映プログラムの作品の詳細については末尾に掲げましたので、ご参照ください。

その上映作品のうち、日本映画は、トーマス栗原監督の「成金」1918と、山崎藤江監督の「風雲城史」1928の2本です。

この2本の作品について調べてみようと思い、インターネットで関連情報を検索してみたのですが、情報らしい情報がまるっきりないのには驚きました。

とにかくこうしてフィルムセンター(国立映画アーカイブ)の上映の予告があったわけですから、もう少しなんらかの記事がアップされていてもよさそうなものと(なにせ、「あらすじ」さえロクなものがないのです)、未練がましく、しばらく「クリック・クリック」していたら、こんな一文に遭遇しました。


《風雲城史(無声)
昭和3年(1928)2月10日公開の松竹下加茂=衣笠映画聯盟映画。
全6巻構成で、父が殺害される場面が抜け落ちているらしい。
監督 山崎藤江は、衣笠映画聯盟に所属していたようで、6本しか監督作品はなく、活動期間は2年間だった。
原作脚色 星哲郎
撮影 円谷英一;円谷英二》

なるほど・なるほど、もし、この監督「山崎藤江」を「やまざき・ふじえ」と読むのだとしたら、当然女性監督でしょうし、それに、実質活動期間2年とは、これまた怪しいじゃないですか。なんか、あったな、という桃色の予感がします。あまりにも不自然に短すぎると、俄然ミステリアスな興味が湧いてきて、ちょっとその生涯を調べてみたくなりますよね。

そりゃそうですよ、女性がからんでくるとなると、情交がらみなんてことも大いにあり得るわけですから、こりゃ楽しみだわ、「ああっ、だめ」とか「いや~ん、いけませんわ」とか、考えているうちに、もうじっとしていられなくなりました。性分です。もちろん性向とか妄想好きというのもあります。これ、言い方が違うだけで、同じ意味かもしれません。

これから映画を生業としようかと考えている方々にひとこと申し上げておきますが、「変態」と「映画好き」とは、同義です。情熱のミナモトです。これなくしては、そのうちに、なにひとつ生み出せなくなり、一歩も前に進めなくなりますよ。


まずは、インターネットとjmdbでフィルモグラフィを確認しました。

★山崎藤江
(「やまざき・とうこう」と読みます。れっきとした男性です、な~んだ、がっかり。1903年生まれなので「風雲城史」を撮った時は25歳です)

監督
1.1927.09.30 紅涙  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
2.1927.10.28 蝙蝠草紙  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
3.1927.12.23 天保悲剣録  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
4.1928.02.10 風雲城史  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
5.1928.03.31 白井権八  衣笠映画聯盟=松竹下加茂
6.1928.08.20 おんぼろ草紙  中根プロ

脚本
1.1927.09.30 紅涙  衣笠映画聯盟=松竹下加茂

原作
1.1927.09.30 紅涙  衣笠映画聯盟=松竹下加茂

なるほど、なるほど、確かに2年間で6本監督していますね。「情交がらみ」というのは、さすがに期待薄でしょうけれども、でも調べてみるだけの価値はありそうです。

さっそく、キネマ旬報の「日本映画監督全集」を取り出して「山崎藤江」の項を読んでみました。しかし、読んでみて、びっくりしました。「なんですか、これは」という感じです。

この「日本映画監督全集」のどの記事も、その映画作家がどこで生まれ、どういう生い立ちで、何年にどういう作品を監督して、とくに何々という作品が高く評価されて代表作となり、何年に没したということが書かれていればOKで、読者もそれ以上のことは望んでいないという本だと思います。ここに書いている多くのライターたちも、そのことは十分に承知していて、事実のみを簡潔に書こうとしている印象は受けます。

少なくとも、評伝執筆者は、本人の気配を極力「殺して」客観的に書くというのが、一般的ルールなのだろうなと自分でも信じていました。例えば「黒澤明」の項目を見るのは、黒澤明の作家活動と生涯を知りたいと思うからで、この評伝・記事を書いているライターの意見が知りたいと思って読むわけではありません。極端に言えば、黒澤明本人が一人称で語っていると思わせるくらいが相応しいと思っています。

この「山崎藤江」の項目を書いたのは、映画評論家の岸松雄という人、自分も以前、記事から引用をさせてもらったことがあるので、ある程度の知識はあったのですが、並み居る巨匠監督(清水宏、成瀬巳喜男、山中貞雄ら)に対して上から目線のため口で見当違いな作品評や内輪話でお茶を濁しているというだけの、およそ映画評論家などというには、おこがましい、ただ業界の噂話や裏話にやけに詳しいだけの、陰では皆から嫌がられているタチの悪い業界誌のドンみたいな印象でした。

しかし、今回、この「山崎藤江」の項目の評伝記事を読んで意を改めたのかというと、そうではありません、さらに「意を強くした」と書きたいのです。

例えば、こんな箇所

《出生地も学歴もわからない。松竹蒲田撮影所に入社、野村芳亭監督の宅に身を寄せ、助監督として大いに働いた。その後、下加茂に移り、助監督を務めた。食満南北の原作を三村伸太郎が脚色した28年の「海国記」は衣笠貞之助監督の自信作であるとともに三村も処女作として情熱を打ち込んだものであった。チーフ助監督はたしか古野英治ではなかったかと思う。脚本料もたくさん貰うし、撮影所での評判も良かったので、だれかが脚本家より監督になったらとすすめた。三村も少しその気になったが、助監督時代の山崎が、タッツケ袴、草鞋ばき、腰にトンカチを差し込んでいる姿がどうしても気に食わない。あんな格好をしなければ監督に成れないのならごめんだと思った。三村は翌29年下加茂を出て河合映画に入った。》

自分が編集者で、執筆者からこの原稿を持ち込まれたら、まずは受け取りを拒否するかもしれません、ここには「山崎藤江」のことなんか、まるで書かれてないじゃないですか、とね。

あるいは、2行目の「食満南北の原作を三村伸太郎が~」の部分以下すべての削除を求めると思います。

怒った岸先生が怒気荒く「どうしてだ!!」と詰め寄ってきたら、こう言おうと思っています。

「ここには、山崎藤江についてのことなど、なにひとつ書かれてないじゃないですか。書いてあるのは、三村伸太郎がどうしただとか、下加茂を出て河合映画に入っただとか、山崎とはまるで関係のないことでしょ、そして、そのすべてをひっくるめて、おれはこいつらのことは何でも知ってるんだぞという岸先生のくさいエリート臭がぷんぷんと匂ってくるんですよ、先生がどんだけ偉いか知りませんがね、こんな愚にもつかないものを読まされたら大枚を払って本を買った読者はたまらんですわ」なんてね。

「それにですよ、山崎は衣笠映画聯盟にいたときは毎月のように切れ目なく映画を撮っていたのに、5本を最後にぴったり撮らなくなって、それから6か月おいて中根プロというところで『おんぼろ草紙』(中根竜太郎主演)という作品を撮ってますよね。ふつうなら、この間のブランクになにかあったと思うのが普通ですよ、何かあって移ったのか、移ったこと自体がトラブル(背信とか)の原因だったのか、しかもこの作品が、山崎藤江の最後の作品になっているんですよ。そして山崎にとって、この作品の不評ないし失敗が致命的だったんでしょう? そこは情報通の先生だ、本当はなにもかもすべて知ってるんでしょう、知ってて書かないっていうなら、そりゃあずいぶんお人が悪いな。

さらに、評伝のラストの方には、こんなふうに書いてますね。

《以後、山崎は、翌28年まで5本の作品を作ったが、同年5月、日本映画プロダクションの創立とともに、中根プロで中根竜太郎主演の「おんぼろ草紙」を発表する。その当時、山崎は下加茂の永田雅一の別邸に留守番代わりに住んでいたが、ある夜、学生時代からの友人の箕浦甚吾がやってきて、なにごとを企んだか、2人して夜具布団をかついで東京へ行ってしまった。衣笠貞之助が心配して探したが分からない。しかし、夜具布団まで持ち出したのだから、よほどの決心に違いない。東京に来た2人はプロダクションを起こそうとして奔走したが、うまくいかなかった。と同時に「白井権八」などで林長次郎の相手役として抜擢し、恋愛関係にあった糸浦柳子(のちの日活スター櫻井京子)とも別れることになった。それからの山崎の消息はヨウとしてわからない。》

「それからの山崎の消息はヨウとしてわからない。」

これですよ、これ。

いかにも昔気質のやくざな活動屋らしくて、いいじゃないですか、この消息不明。

活動屋は、こうでなくっちゃいけませんよ、天才ばかりじゃ息が詰まる。

撮った作品は凡庸なものばかり、べつに人の評価を待たなくたって、そんなことは自分が一番よく分かってます。くさって、やる気も失せていくうちに、だんだん仕事だって来なくなる。

ついに映画が撮れなくなって、仕方なく東京にでも行ってプロダクションを立ち上げて一旗揚げようと、義理ある人に不義理して内緒で東京に出てきたものの、思うように金が集まらず、ついに夢破れて失意と落胆の日々を下町のスラム街に身を隠して酒浸りの日々を送っている。

そのうち不義理をした永田雅一の追手に見つけられ、追い詰められて、ついに消されてしまったなんていうの、どうでしょう。結構いけるかもしれませんよ、岸先生。

「馬鹿野郎!!」



【風雲城史のあらすじ】
若武者相沢新八は、文武の修行を終えて、3年ぶりに江戸から懐かしい故郷に戻ってきた。丘の上から城下を見下ろす新八は、恋人の千草との思い出を胸に秘めて懐かしんでいた。しかし、兄英之進らの話によると、城内には陰謀の嵐が吹きまくっており、多くの忠臣が反逆の徒の手に掛かっていた。新八の父も暗殺の魔手に倒れ、兄英之進は不治の病でお家の一大事に手をこまねいていなければならなかった。それよりも新八を落胆させたものは、恋人千草が、城主の輝秋の目に叶い、いまでは愛妾お蘭の方として大奥の人となっていたことだった。輝秋の従兄で謀反の張本人である左門之助は、傷心の新八に近づいて煽動し、自分の一派に引き入れようと計ったが、恋人を奪われた恨みはあっても、主君に対する臣下としての道を踏み外す新八ではなかった。陰謀を漏らした新八を左門之助は亡き者にしようと幾度か襲ったが果たさなかった。一方、恋人千草は、3年前に楽しく語り合った丘の上の思い出を懐かしみながら、城内で毎日淋しく新八の幻を思い描いていた。そうしたある夜、新八は一目千草に会いたさに大奥に忍び込んだ。そのことは城主の反感を買ったばかりでなく、友人たちにも反逆者の一味であると誤解された。兄英之進は弟の冤罪をそそぐために切腹した。かくして新八は天誅の刃を振って左馬之助を倒し、反逆の徒を一掃するにおよんだ。彼の名声は国中に広まったが、悲しい恋の痛手はいやせなかった。主君輝秋公は、自分の命が救われたのを喜びながらも、千草をはさんでの恋敵新八をこころよく思わなかった。新八が国を旅立とうとした日、彼のもとに届けられたのは千草の黒髪であった。

(1928衣笠映画聯盟=松竹キネマ・下加茂撮影所)監督・山崎藤江、脚色・星哲六、原作・星哲六、撮影・円谷英一(英二)、
出演・林長二郎(相沢新八)、風間草六(相沢英之進)、中川芳江(母節女)、千早晶子(千草・お蘭の方)、小沢茗一郎(城主峰谷輝秋)、相馬一平;高勢実乗(従兄左門之助)、小川雪子(愛妾お京の方)、正宗新九郎(二階堂十平太)、阪東寿之助(輝秋の側近)
1928.02.10 浅草電気館 6巻 白黒 無声



長谷川一夫は、1908年(明治41年)12月27日、京都府紀伊部堀内村字六地蔵に生まれた。のちにこの土地は、京都市伏見区桃山六地蔵となる。1913年(大正2年)、5歳の時に初舞台を踏み、1914年(大正3年)関西歌舞伎の琴高屋中村福円に弟子入りして中村一夫を名乗り、1917年には嵐佳寿夫と改名、翌18年に関西歌舞伎の大御所初代成駒屋中村鴈治郎の門に入り、鴈治郎の長男林長三郎のもとで林長丸と名乗って修行を積むことになった。
日本における最初の映画スターと目される「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助は、日本映画の父マキノ省三によって発見され、育てられた俳優であった。それ以来、映画俳優を歌舞伎の世界に求める気運が強く、初期日本映画の時代劇スターは、ほとんど歌舞伎出身者であった。歌舞伎の世界では、親子代々の世襲制度が厳然としてあったから、名門に生まれた子でなければ大名跡(だいみょうせき)は継げず、その他の者は実力のいかんを問わず下積みに甘んじなければならなかった。松之助以降の時代劇スターとして名をはせた嵐寛寿郎、阪東妻三郎、大河内伝次郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、市川百々之助等々、彼らに共通しているのは、歌舞伎の世界で傍流を歩まざるを得ない人々であった。一時代前まで「河原乞食」と蔑まれていた歌舞伎の人々が、新興勢力たる「活動俳優」を逆に見下すという現象が生じた。日本の演劇界の主流をなす歌舞伎界に一大勢力を持つ松竹は、映画界に進出したものの、先発のマキノ、日活、帝キネなどに比べて時代劇部門で遅れをとり、歌舞伎の世界から新人を引き抜かれて大スターに育っていくのを指をくわえて見ていなければならなかった。そこで松竹でも時代劇用の下賀茂撮影所の人気スターを育成しようとして、弱冠18歳の林長丸に白羽の矢を立て、1926年12月25日入社して林長二郎と改名した。ここに日本映画界に「永遠の美男スター」として足跡を残すことになった。映画俳優長谷川一夫の誕生を迎えたのであった。
翌1927年3月19日、入社第1回作品「稚児の剣法」が封切られた。監督は犬塚稔(1901年生まれ)で、下加茂の脚本部員からこの作品で監督としてデビュー、撮影の円谷英一(英二)もこの作品で一本立ちになるという新人トリオの作品となった。林長二郎は注目の的となり、この年1927年中だけでも14本の作品に出演しています。

稚児の剣法(1927.03.19衣笠映画聯盟=松竹下加茂)須田市次郎
お嬢吉三(1927.04.01衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
乱軍(1927.04.15衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
鬼あざみ(1927.04.29衣笠映画聯盟=松竹下加茂)並木麗三郎
勤王時代(1927.05.29衣笠映画聯盟=松竹下加茂)小柳吉之助
板割浅太郎(1927.06.15衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
女夫星(1927.06.30衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
御用船(1927.07.22衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
破れ編笠(1927.08.12衣笠映画聯盟=松竹下加茂)梁瀬籐十郎
暁の勇士(1927.09.01衣笠映画聯盟=松竹下加茂)草間柳太郎
紅涙(1927.09.30衣笠映画聯盟=松竹下加茂)冬木佑之助
蝙蝠草紙(1927.10.28衣笠映画聯盟=松竹下加茂)手代新助
月下の狂刃(1927.12.01衣笠映画聯盟=松竹下加茂)
天保悲剣録(1927.12.23衣笠映画聯盟=松竹下加茂)南條神之助

この作品の監督山崎藤江は、巨匠衣笠貞之助が主宰する衣笠映画聯盟に属し、犬塚稔、円谷英一らも衣笠のもとにあり、この当時下加茂の時代劇作品は聯盟との提携によっていた。
この作品「風雲城史」は、長二郎デビュー以後18本目の作品である。




国立映画アーカイブ開館記念
≪映画を残す、映画を活かす。-無声映画篇―≫ プログラム

★囁きの合唱 The Whispering Chorus
会社の金を使い込み、その発覚を恐れて死を偽装するも、やがて自らの「殺人」の犯人として窮地に立たされる男。暗闇にぼんやり現れる「顔」たちの“囁き”が、男を追い詰めてゆく。デミルが自伝で経歴上の転換点になったと語る心理ドラマ。ジョージ・イーストマン・ハウス(現ミュージアム)復元による染色版を上映。
(1918フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー)監督・セシル・B・デミル、原作・パーレイ・プーア・シーハン、脚本・ジェニー・マクファースン、撮影・アルヴィン・ワイコフ、美術・ウィルフレッド・バックランド
出演・エリオット・デクスター、レイモンド・ハットン、エディス・チャップマン、キャスリン・ウィリアムズ
(93分・18fps・35mm・無声・染色)

★ぶどう月 Vendémiaire
第1次世界大戦中のフランス。一人の傷痍軍人が自分のぶどう農園に避難民を受け入れるが、そこへベルギー人に偽装した2人のドイツ軍人が紛れてくる…。連続活劇の王ルイ・フイヤードが、故郷の南仏ラングドック地方を舞台に、祖国愛を訴えた大作。題名は、ぶどうの収穫期を示すフランス革命暦の月の名前。
(1918ゴーモン)監督脚本・ルイ・フイヤード、撮影・レオン・クロース、モーリス・シャンプルー
出演・ルネ・クレステ、エドゥアール・マテ、ルイ・ルーバス、ガストン・ミシェル、ジョルジュ・ビスコ
(148分・18fps・35mm・無声・白黒)

★成金
トーマス栗原の数少ない現存作品で、輸出映画”SANJI GOTO”として製作されたスラップスティック喜劇。前半部のみ現存。
(1918東洋フィルム)監督・ハリー・ウィリアムズ、トーマス栗原、撮影・R・D・アームストロング
出演・中島岩次郎、木野五郎、鈴木美代子、鈴木千里、ナダ・リントン
(34分・15fps・35mm・無声・白黒・部分・英語インタータイトル/日本語字幕付)

俳優名(誤)中島岩次郎→(正)中島岩五郎

●参照  JMDBで映画「成金」を検索した結果

☆成金
(1921大活)監督・栗原喜三郎
出演・中島岩五郎、木野五郎、鈴木美代子、鈴木千里、ナダリントン
製作=大活 1921.09.02 水天館 5巻 白黒 無声


●wikiで映画「成金」を検索した結果

☆成金 Sanji Goto - The Story of Japanese Enoch Arden
1918年(大正7年)ごろ、横浜の東洋汽船の子会社・東洋フィルム会社が製作し、まずアメリカ合衆国で上映されるべく、Sanji Goto - The Story of Japanese Enoch Arden (「ゴトウサンジ - 和製イノック・アーデン物語」の意)のタイトルで輸出された。同社は、1920年(大正9年)4月に大正活映と改称され、1921年(大正10年)9月2日に東京・日本橋人形町の水天館で公開された。トーマス・栗原監督による日本のサイレント映画である。
1990年代にアメリカで、英語字幕のみの輸出版プリントが発見され、東京国立近代美術館フィルムセンターに収蔵された。同センターは現在、29分、16ミリフィルムの部分プリントを所蔵している。
(1918製作・東洋フィルム会社、1921配給・大正活映)
監督・トーマス・栗原、製作総指揮・ベンジャミン・ブロツキー、撮影・アームストロング、稲見興美、
出演・中島岩五郎・中島洋好(ゴトウサンジ)、木野五郎(金子)、鈴木美代子、鈴木千里(花子)、ナダ・リントン
初回興行 : 日本橋人形町・水天館 1921年9月2日 5巻 モノクロフィルム スタンダードサイズ(1.33:1) - サイレント

★風雲城史
若々しくキレのある殺陣が魅力的な、林長二郎(長谷川一夫)デビュー翌年の作品。帰藩した相沢新八は、許嫁の千草が藩主の側室となっていることを知り愕然とする。1977年にベルギー王立シネマテークで発見された1本。
(1928衣笠映画聯盟=松竹下加茂)監督・山崎藤江、原作脚本・星哲六、撮影・円谷英一、
出演・林長二郎、小沢茗一郎、相馬一平、小川雪子、千早晶子、正宗新九郎
(68分・20fps・35mm・無声・白黒・英語字幕付)

★のらくら兵 Tire au flanc
軍隊に入れられた詩人と召使が巻き起こすドタバタ騒動を描き、若きトリュフォーに「フランスでつくられた最も愉快な映画の一本」と言わしめた傑作喜劇。怪優ミシェル・シモンが、いやいや兵役につく召使いを熱演。
(1928ネオ・フィルム〔ピエール・ブロンベルジェ〕)監督脚本・ジャン・ルノワール、脚本・クロード・エイマン、アンドレ・セール、アルベルト・カヴァルカンティ、撮影・ジャン・バシュレ、美術・エーリク・オース
出演・ジョルジュ・ポミエス、ミシェル・シモン
(130分・16fps・35mm・無声・白黒)

★東洋の秘密 Geheimnisse des Orients/ Secrets of the East
アラビアン・ナイトの物語を下敷きに、聴けば踊りだす笛を手にした靴職人の、笑いありロマンスありの冒険譚。大胆なアール・デコ様式の美術、バスビー・バークレーに先立つ幾何学的振付けのダンスシーン、要所で使用されるステンシル・カラー技術も見所。
(1928ウーファ/シネ・アリアンス)監督脚本・アレクサンドル・ヴォルコフ、脚本・ノルベルト・ファルク、ロベルト・リープマン、撮影・クルト・クーラン、ニコライ・トポルコフ、フョードル・ブルガソフ、美術・アレクサンドル・ロシャコフ、ヴラディーミル・マインガルト
出演・ニコライ・コリン、イヴァン・ペトロヴィッチ
(103分・20fps・35mm・無声・染色/彩色)

★エリソー Элисо
1864年、帝政ロシアはグルジア(ジョージア)山岳地帯の少数民族たちを強制移住させようとしていた。チェチェン人は、ヘフスル人と宗教の違いを超えて友好関係にあったが、ロシアの策謀で移住承諾書にサインさせられ、チェチェンの娘エリソーは恋人とも引き裂かれてしまう。
(1928ゴスキノプロム・グルジー)監督脚本・ニコライ・シェンゲラーヤ、原作・アレクサンドル・カズベギ、脚本・セルゲイ・トレチャコフ、撮影・ヴラディーミル・ケレセリジェ、美術・ディミトリ・シュワルナゼ
出演・キーラ・アンドロニカシヴィリ、コフタ・カララシヴィリ
(110分・16fps・35mm・無声・白黒)

≪参考≫
まだ見てないテンギズ・アブラゼ監督の「祈り 三部作」
ジョージア(やっぱ「グルジア」の方が、イメージつかめますね)・・・
ジョージア映画の不朽の名作であり、巨匠テンギズ・アブラゼ監督が 21 年の歳月をかけて完成させた「祈り 三部作」<『祈り』(67)、『希望の樹』(76)、『懺悔』(84)>を日本で初めて一挙上映することが決定、8 月 4 日(土)より岩波ホールほか順次全国にて 3 作品同時公開される。あわせてポスタービジュアルと本予告編が完成した。
コーカサスの国、ジョージア(グルジア)に、映画が誕生して今年で 110 年。一世紀を超える雄大な時の流れを感じる節目の年に、世界映画史の金字塔とよばれるジョージア映画の不朽の名作が日本で初公開される。その映画とは、実に 51 年の歳月を経て日本初公開を迎えることとなり、ジョージア映画史の戦後の発展を担ってきた巨匠テンギズ・アブラゼ監督が 20 年の歳月をかけて完結させたトリロジーの一作目である『祈り』。
この『祈り』日本初公開を受けて、アブラゼ監督渾身のトリロジーであり、世界的にも伝説と化していた「祈り 三部作」の一挙上映が今夏、日本で実現。宗教間の対立を描き、人間の尊厳と寛容を謳った『祈り』(67)に加え、1979 年のダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞した『希望の樹』(76)、そして 1987 年のカンヌ国際映画祭の審査員特別賞を受賞した『懺悔』(84)の三作品が同時公開。いずれも異なる視点から、一貫して社会の不条理を告発した作品だ。
このたび解禁されたポスタービジュアルは、『祈り』に登場する少女が右手に蝋燭をかかげながら暗闇に佇む静粛さを感じさせる場面写真が挿入され、『祈り』の作品そのもののような白と黒のコントラストが印象的なビジュアルとなっている。また解禁された予告編は 3 作品の特徴を印象付けるものとなっており、『希望の樹』の若者2人の瑞々しいやり取りが映し出された次には、スターリン時代の粛清を描いた『懺悔』の象徴的なシーンが挟み込まれ、最後に『祈り』の白と黒のコントラストに圧倒される、まさに三者三様の描き方でアブラゼのメッセージを受け取ることのできる予告編となっている。

【「祈り 三部作」 上映作品】
★『祈り』<日本初公開>
日本初公開。19 世紀ジョージアの国民的作家 V・プシャヴェラの叙事詩をもとに、モノクロームの荘厳な映像で描いた作品。ジョージア北東部の山岳地帯に住むキリスト教徒とイスラム教徒の因縁の対立を描き、敵味方を超えた人間の尊厳と寛容を謳う。
<受賞歴>
1973 年サンレモ国際映画祭グランプリ
1967 年/ジョージア映画/ジョージア語/白黒/78 分/シネマスコープ
★『希望の樹』
20 世紀初頭、革命前のジョージア東部カヘティ地方に美しい農村。時代の大きな変化を予感して村人たちはそれぞれに動揺していた。そのなか美しい娘と青年の純愛は古い掟と因習のために打ち砕かれてゆく。20 世紀を代表する G・レオニゼの短編集が原作。
<受賞歴>
1977 年全ソヴィエト映画祭大賞、テヘラン国際映画祭金牛賞、1978 年カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭特別賞、1979 年ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞
1976 年/ジョージア映画/ジョージア語/カラー/107 分/スタンダード

★『懺悔』
架空の地方都市で、元市長の墓が何者かに暴かれ、犯人の女性が捕らえられる。彼女の証言によって、元市長の独裁により、多くの市民が粛清されたことが明らかになってゆく。スターリン時代を描いたといわれ、ソ連邦のペレストロイカの象徴となった。
<受賞歴>
1987 年カンヌ国際映画祭審査員特別賞・国際批評家連盟賞・キリスト教審査員賞、シカゴ国際映画祭審査員特別賞、1988 年ソ連アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞、撮影賞、脚本賞、美術賞
1984 年/ジョージア映画/ジョージア語/カラー/153 分/スタンダード © Georgia Film ,1984



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by sentence2307 | 2018-09-10 15:49 | 衣笠貞之助 | Comments(0)

鏡獅子

先日、神田の古本屋街をぶらぶら歩いていたら、映画・演劇関係の書籍や資料を扱っている店で、めずらしいものを見つけました。

むかし(1970年前後だったと思います)、フィルムセンターが出していた30頁~40頁くらいのカタログですが、同センターで特集上映(フランス映画特集とかアメリカ映画特集とか)する際に、作品の詳細な解説をしたカタログを同時に発行・販売していました、いまにして思えばとても貴重で、なかなか有益な資料でした。

当時、リアルタイムでそのカタログを買った号もありますし、買いたくても買えなかったものもあります。

たぶん、そのときの価格は200円とか300円くらいのものだったと思いますが、それでも毎回買うというのは、自分には、ちょっと経済的にしんどくて躊躇せざるを得なかった価格だったかもしれません。

いまでも、ときおり古書を扱っているサイトを検索し、安いものがあれば買おうと思って狙っているのですが、当時200円・300円くらいのものが、いまでは2000円とか3000円の高値がついて取引されているのをみると、やはり積極的に買おうという気持ちにはどうしてもなれません、つねに手元不如意の状態にある自分には、いつまでたっても買えないものだなと半分は諦めています。

そんなとき、神田の古本屋でそのカタログが数冊まとめて売りに出されているのを見つけたのでした、瞬間「やったぜ!」という気持ちにはなりましたが、やはりそこは価格次第の話です、糠喜びはできません。

さっそく表紙裏に貼られている価格をみたら、どのカタログも1000円と記されていました。

う~ん、「安い!」というまでの値段とは思えませんが、現在2000円とか3000円で取引されていることを考えれば、思わず身を委ねたくなるような魅惑的な価格であることは間違いありません。

ここは、少し冷静になって考えてみる必要があります。

まず、この価格が「売りに出ている物をすべて買えるような安さか」といえば、そうではありません。

では何冊買える? 例えば、3冊買って3000円払い、あとで後悔しないかと。

いや、それは、きっと「後悔する」と思います。その3冊に収録されている「50年前の情報」の対価として3000円というのは、価格的に決して相応なものとは思えません。

単なるノスタルジーだけで、その物が本来もっている価値の判断を曇らせてはならないということに気が付きました。

まずは、目の前にあるカタログの中から1冊だけ厳選して買うということに決めました。

それでは、なにを買うか、という問題ですが、正直、いまの時代、インターネットで大抵の情報なら(正確・不正確を問わず)溢れかえるほど出回っていますので、ここは「現在ではなかなか入手できない情報」を買うべきなのではないかと考えました。

そう考えると、選択はきわめて容易です。

巨匠の作品なら、出回っている情報量も入手のしやすさも現代の方が格段に優っていて、その量も多く充実していることは確かです。比較的無名な監督のレア作品も、ストーリーを持つ劇映画ならマニアの発信者も多く、たどり方さえ誤らなければ、ある程度、「時代的に更新された」情報を入手できる環境は整っていると思います。

そうした日の当たらないマイナーな作品にしても、いまの時代、いつナンドキ、どのような弾みで「カルト」の栄えある評価を与えられないとも限りません。
そう考えれば、これらの条件で淘汰した後に残るもの、つまり「劇映画でなく」「時代に更新されなかったもの(時代に取り残されたもの)」ということになれば、戦前の軍国主義の時代に「官」の息のかかった記録映画の資料(戦後民主主義によって封殺されて、その存在すら禍々しいものとして黙殺されました)ということになり、その情報の希少さに金を払うというのであれば一応は納得できます、その価値は十分にあると思います。

神田の古書店に出ていたフィルムセンターのカタログでは、「日本の記録映画特集 戦前編」の(1)と(2)という2冊が、この条件に該当します。

「戦前編(1)」は、戦争の暗雲がまだ及んでいないおおらかな時代の記録映画なので(もちろん、「古さ」という魅力はありますが)、切迫感とか逼迫感には乏しく、その分だけ購買意欲を掻き立てる牽引力というものには欠ける感じはしますが、ただし、巻末に「日本記録映画史年表」という素晴らしい記事が付録として付いているので、やはり捨て難いものがあります。

しかし、なにせ「戦前編(2)」には、小津監督の「鏡獅子」が掲載されているので「年表」の方は諦めました、躊躇なく(2)に即決しました。

一般的には、小津安二郎の初めてのトーキー作品は、「一人息子」とされていますが、正確には、この「鏡獅子」が最初ということになります、この「鏡獅子」の前後に作られた「東京の宿」と「大学よいとこ」は、いわゆるサウンド版といわれるもので、トーキー作品ではありません。

その間の経緯について、小津日記の「一人息子」から「鏡獅子」に至るまでの記述が詳しいので紹介しますね。


《「一人息子」2/5大船撮影所での第1回作品準備中、
3/15第1回オール・トーキー作品着手の予定、
4/5・4・5月から撮影開始、
4/15信州田舎家セットから撮影開始、
4/25小学校教室セット撮影中、
5/5信州田舎家セットから再撮影中
5/15トンカツ屋場面のセット撮影中、
5/25「一人息子」撮影の傍ら(菊五郎の)「鏡獅子」を完成、
・・・8/25「一人息子」撮影終了、編集中
9/5完成》


トーキー映画「一人息子」を撮影しているあいまに「鏡獅子」を撮ったというこの経過を読めば、やはり小津監督のトーキー映画第1作は「一人息子」とした方がいいかなと自分でも思います。

さて、小津監督の最初にして最後の記録映画「鏡獅子」の製作された時代背景をざっとオサライしておきますね。

戦前から半官半民の機関である国際文化振興会(現在の国際交流基金の前身です)では、日本文化を海外に紹介するための映画製作を映画会社に委嘱するという活動を行っていました。

そのなかでも日本の伝統芸能としての白眉、世界に誇る歌舞伎の神髄を宣伝するために、六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」の記録映画を松竹に委嘱して製作したもので、タイトルもアナウンスもすべて英語の海外向けのトーキー作品です。

一般公開はせず(そもそも、稀代の名優六代目尾上菊五郎がこの映画の出演を承諾したのは、国内では公開しないということが条件だったと伝えられています)、プリントは海外の日本大使館に送られて外国人向けの上映会に用いられたそうです。

狂言は新歌舞伎十八番の舞踊劇で、舞台は東京歌舞伎座、長唄も三味線も太鼓も当代一流をそろえ、監督は小津安二郎に依頼しました。小津安二郎がこの監督に起用されたのは、六代目を高く評価していたためであると同時に、小津ほどの監督でなければ、六代目が撮影を承諾しなかったからだともいわれています。小津監督は、「鏡獅子」の映画的構成だけを引き受けて撮影に立ち会いました。

「キネマ旬報」昭和10年(1935)4/1号の「小津安二郎座談会」では、小津監督の六代目に対する並々ならぬ思い入れと傾倒ぶり、手放しの絶賛が以下のように熱く掲載されています。

「僕は名人だと思っている」
「僕は音羽屋の踊りを見て、娘よりは娘らしいと思っている。例えば、踊りのときのあの色気です」
「音羽屋は、動かなくとも女らしく見える。客席に背を向けて、足を開いてお尻が落ちているだけでも、娘らしく感じる」
「音羽屋の芝居を見ていると、音羽屋がやっていることが分かるような気がするのです。こんな場合はこういうことをするのじゃないかということを漠然と感じるのです」
「音羽屋の芸談は、理屈なしで人情の機微に触れているのです」
「それは行って話をきいたのです。ああいうことを知っている人から聴かないで置くというのは実に惜しい」


小津日記を見ると、撮影は昭和10年6月25日で、一般興行の終わった深夜から明け方まで舞台をそのまま使い、徹夜で撮影して、1日おいた27日に、これまた徹夜でフィルムの整理と編輯をおわり、28日に試写、その夜、菊五郎の家で関係者一同シャンペンを抜いて祝杯を挙げたと書かれています。

さて、神田の古書店から帰宅後、購入してきたフィルムセンター刊「日本の記録映画特集 戦前編(2)」の25頁掲載の「鏡獅子」の項を読んでびっくりしました。

前半の記述「国際文化振興会が歌舞伎の映画製作を企画した」~「菊五郎宅でシャンペンで祝杯を挙げた」までは、だいたいその通りですが、後半には物凄いことが書いてありました。

《ところが、それから約1年後の昭和11年6月29日に国際文化振興会の主催で帝国ホテル演芸場にて披露試写をしてみると、これがさんざんの不評だった。この狂言は大奥の腰元が正月の鏡開きに踊り、飾ってある手獅子を持つと腰元に獅子の精がうつるという節で、前半はたおやかな娘姿の踊り、後半は豪放な獅子の舞いとなっており、和事と荒事を一人二役の早替わりで、しかも巧妙に踊り分けるところが見どころになっているのだが、後半はともかく、前半の娘姿の踊りが、太り気味の菊五郎では、どのような仕草でカバーしても、カメラのリアリティに捉えられると、グロテスクな女形のアラが見えて、お世辞にも美しいとは言えない、というのだった。そのうえ、撮影が平板で、カットが少なく、映画作品としての立体的構成が欠けているから、遠くから舞台を長々と見ている退屈さがそのまま伝わるような欠点があった。小津監督はこの時32歳、すでに多くの名作映画を撮っていて鏡獅子の場合も、楽屋や客席、大写し、移動などを取り入れたかったらしいが、協会側と歌舞伎関係者の反対で不本意な作り方に終わったらしい。せめてカラーで撮れたら別な魅力が出せただろう。》

小津監督が「僕は音羽屋の踊りを見て、娘よりは娘らしいと思っている。例えば、踊りのときのあの色気です。音羽屋は、動かなくとも女らしく見える。客席に背を向けて、足を開いてお尻が落ちているだけでも、娘らしく感じる」と語っていたことを思い出してください。

小津安二郎が絶賛した名優六代目菊五郎をグロテスクと言い放ち、映画の出来も「撮影が平板で、カットが少なく、映画作品としての立体的構成が欠けているから、遠くから舞台を長々と見ている退屈さがそのまま伝わるような欠点があった」とまでこき下ろしているのです、まるで何か意趣遺恨でもあるのかのような悪口雑言と思ってしまうくらいの悪意を感じました。

いやいや、ちょっと待ってくださいよ。ここには、「カットが少ない」と書いてありますが、佐藤忠男の「日本映画史」には、そんなふうには書かれていなかったと薄れた記憶をたよりに、索引で見当をつけて本文を探しました。

ありました、ありました。

ここには、このように記されています。

《「舞踊劇だから、一気に踊り抜くしかないのに、映画として形を整えるために小津はいちいちカット割りをし、そのたびに演技を中断させたからである。踊りの気勢をそがれて六代目はおおむくれだった。」(「日本映画史」2巻91頁)》

映画鑑賞者の立場からは「カットが少ない」と感じ、演出者としては平板になりがちな舞台撮影にできるだけメリハリをつけるために踊りを中断させてまで「カット割り」に努め、名優は踊りを中断されて、おおむくれだった、ということですよね。

これじゃあまるで「藪の中」だ、「羅生門」だ、わからん・わからん、です。

まあ、ここで、こんなふうに言っても仕方ないので、実際にyou tubeで「鏡獅子」(20分に少し欠ける作品です)を見てみることにしました。

しかし、すぐ踊りが始まるその冒頭に、少し違和感がありました。

フィルムアート社の「小津安二郎を読む」(1982.6.20.1刷)には、この「鏡獅子」の冒頭について、こんなふうに書かれています。

《この作品は、上演の舞台である歌舞伎座のスケッチから始められる。外観から正面入り口そして舞台内部へと、紹介が続き、更にカメラは楽屋に入り、6代目の額や風景が紹介される。ここまで、すべて固定ショットで撮影され、例によってスチール写真が積み重ねられたような小津調は健在で、楽屋スケッチは、劇映画における室内描写と全く変わりがない。ここまでの映像に、歌舞伎座の構造、鏡獅子の梗概、六代目についての簡単なナレーションが重ねられる。》

現在アップされているyou tubeで見られる「鏡獅子」では、この導入部分が完全に欠落しているのか、それとも、二種類つくられたという内のひとつが「そう」なのかは分かりませんが、you tubeで見た感じ、少なくとも4台のカメラで捉えた演技は不自然な切れ目などなく、整然とつながっていると感じました。「編集」の秀逸さを感じました。

踊りながら六代目が、両手で持った開いた扇子を小さく投げて回転させるところ、そのタイミングで画面が切り替わるのですが、取り損ないそうになって一瞬身を固くしたそのままの緊張が、次の場面にスムーズにつながっています、決して平板なんかではありませんでした。

そして《前半部と後半部を仕分ける圧巻となる場面は、獅子頭を手にした六代目が、乗り移った獅子の勢いに引き摺られて花道から揚幕に一気に駆け入るところであるが、この場面は、カメラを花道の前の客席に据え、大胆ともいうべきパンニングで一気に撮影し、六代目の入神の演技を余すところなく捉えている。このパンニングは、小津のこれまでのスタイルから言えば破調ともいうべきもので、小津の自己のスタイルを破壊する気迫と六代目の演技とが相俟って、異様な迫力を生んでいる。》

同感です。1000円損した。こんなもの買うんじゃなかったと、やはり後悔してしまいました。

(1935松竹蒲田)監督・小津安二郎、撮影・茂原英雄、
出演・六代目尾上菊五郎、長唄・松永和楓、三味線・柏伊三郎、太鼓・望月太左衛門
2巻(530m) 19分


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by sentence2307 | 2018-09-08 17:40 | 小津安二郎 | Comments(0)
アジア大会、女子100メートル背泳ぎ
決勝 

1 酒井夏海(日本)59.27
2 小西杏奈(日本)59.67
3 チンケツ(中国)1:00.28


日本、勝ったわよ、女子100メートル背泳ぎ

へ~え、すごいじゃん

1.2着とも日本よ、メダル独占

へ~え、すごい、すごい

3位は?

チンケツっていう中国の選手、残念だったけど

えっと、種目、なんてったっけ

女子100メートル背泳ぎよ

あっそか、「またフライ」かと思った、チンケツだから

ばか、あんたねえ、そういう下らないこと言ってるから出世できなかったのよ

そのことだけは言うなっていってるだろ、この野郎、カー!!
しかも過去形だ、それ




(注)いままで書かずに辛抱してきたのですが、ついに書いてしまいました、限界です。



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by sentence2307 | 2018-09-06 00:30 | 徒然草 | Comments(0)