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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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チャップリンの移民(1917)チャーリー・チャップリン監督
ロイドの要心無用(1923)フレッド・ニューメイヤー, サム・テイラー監督
戦艦ポチョムキン(1925)セルゲイ・エイゼンシュテイン監督
メトロポリス(1926)フリッツ・ラング監督
キートンの大列車強盗(1927)バスター・キートン監督
民衆の敵(1931)ウィリアム・A・ウェルマン監督
M(1931)フリッツ・ラング監督
或る夜の出来事(1934)フランク・キャプラ監督
モダン・タイムス(1936)チャールズ・チャップリン監督
大いなる幻影(1937)ジャン・ルノアール監督
素晴らしき休日(1938)ジョージ・キューカー監督
赤ちゃん教育(1938)ハワード・ホークス監督
スミス都へ行く(1939)フランク・キャプラ監督
駅馬車(1939)ジョン・フォード監督
風と共に去りぬ(1939)ビクター・フレミング監督
怒りの葡萄(1940)ジョン・フォード監督
ヒズ・ガール・フライデー(1940)ハワード・ホークス監督
フィラデルフィア物語(1940)ジョージ・キューカー監督
市民ケーン(1941)オーソン・ウェルズ監督
サリヴァンの旅(1941)プレストン・スタージェス監督
偽りの花園(1941)ウィリアム・ワイラー監督
偉大なるアンバーソン家の人々(1942)オーソン・ウェルズ監督
カサブランカ(1943)マイケル・カーティス監督
深夜の告白(1944)ビリー・ワイルダー監督
ガス燈(1944)ジョージ・キューカー監督
モーガン・クリークの奇跡(1944)プレストン・スタージェス監督
緑園の天使(1945)クラレンス・ブラウン監督
天井桟敷の人々(1945)マルセル・カルネ監督
逢びき(1945)デヴィッド・リーン監督
ブルックリン横丁(1945)エリア・カザン監督
失われた週末(1945)ビリー・ワイルダー監督
汚名(1946)アルフレッド・ヒッチコック監督
我等が生涯の最良の年(1946)ウィリアム・ワイラー監督
三つ数えろ(1946)ハワード・ホークス監督
素晴らしき哉、人生!(1946)フランク・キャプラ監督
紳士協定(1947)エリア・カザン監督
自転車泥棒(1948)ヴィットリオ・デ・シーカ監督
赤い河(1948)ハワード・ホークス監督
アダム氏とマダム(1949)ジョージ・キューカー監督
第三の男(1949)キャロル・リード監督
女相続人(1949)ウィリアム・ワイラー監督
孤独な場所で(1950)ニコラス・レイ監督
サンセット大通り(1950)ビリー・ワイルダー監督
イヴの総て(1950)ジョセフ・L・マンキーウィック監督
男たち(1950)フレッド・ジンネマン監督
革命児サパタ(1951)エリア・カザン監督
地球の静止する日(1951)ロバート・ワイズ監督
巴里のアメリカ人(1951)ビンセント・ミネリ監督
欲望という名の電車(1951)エイア・カザン監督
静かなる男(1952)ジョン・フォード監督
真昼の決闘(1952)フレッド・ジンネマン監督
雨に唄えば(1952)ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督
愛しのシバよ帰れ(1953)ダニエル・マン監督
地上より永遠に(1953)フレッド・ジンネマン監督
乱暴者(1953)ラズロ・ベネディク監督
私は告白する(1953)アルフレッド・ヒッチコック監督
終着駅(1953)ヴィットリオ・デ・シーカ監督
ジュリアス・シーザー(1953)ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督
裏窓(1954)アルフレッド・ヒッチコック監督
七人の侍(1954)黒澤明監督
波止場(1954)エリア・カザン監督
スタア誕生(1954)ジョージ・キューカー監督
ホワイト・クリスマス(1954)マイケル・カーティス監督
エデンの東(1955)エリア・カザン監督
夏の夜は三たび微笑む(1955)イングマール・ベルイマン監督
マーティ(1955)デルバート・マン監督
理由なき反抗(1955)ニコラス・レイ監督
捜索者(1956)ジョン・フォード監督
第七の封印(1956)イングマール・ベルイマン監督
八月十五夜の茶屋(1956)ダニエル・マン監督
ベビイドール(1956)エリア・カザン監督
ジャイアンツ(1956)ジョージ・スティーヴンス監督
戦場にかける橋(1957)デヴィッド・リーン監督
群集の中の一つの顔(1957)エリア・カザン監督
十二人の怒れる男(1957)シドニー・ルメット監督
愛情の花咲く樹(1957)エドワード・ドミトリク監督
サヨナラ(1957)ジョシュア・ローガン監督
めまい(1958)アルフレッド・ヒッチコック監督
孤独の旅路(1958)ヴィンセント・J・ドナヒュー監督
長く熱い夜(1958)マーティン・リット監督
若き獅子たち(1958)エドワード・ドミトリク監督
勝手にしやがれ(1959)ジャン=リュック・ゴダール監督
大人は判ってくれない(1959)フランソワ・トリュフォー監督
お熱いのがお好き(1959)ビリー・ワイルダー監督
暗黒の大統領カポネ(1959)リチャード・ウィルソン監督
去年の夏 突然に(1959)ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督
北北西に進路を取れ(1959)アルフレッド・ヒッチコック監督
アパートの鍵貸します(1960)ビリー・ワイルダー監督
荒れ狂う河(1960)エリア・カザン監督
蛇皮の服を着た男(1960)シドニー・ルメット監督
荒野の七人(1960)ジョン・スタージェス監督
片目のジャック(1960)マーロン・ブランド監督
サイコ(1960)アルフレッド・ヒッチコック監督
ハスラー(1961)ロバート・ロッセン監督
草原の輝き(1961)エリア・カザン監督
ナバロンの要塞(1961)J・リー・トンプソン監督
ニュールンベルグ裁判(1961)スタンリー・クレイマー監督
ティファニーで朝食を(1961)ブレイク・エドワーズ監督
荒馬と女(1961)ジョン・ヒューストン監督
ウエスト・サイド物語(1961)ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス監督
馬上の二人(1961)ジョン・フォード監督
アラビアのロレンス(1962)デビッド・リーン監督
アラバマ物語(1962)ロバート・マリガン監督
リバティ・バランスを射った男(1962)ジョン・フォード監督
影なき狙撃者(1962)ジョン・フランケンハイマー監督
夜への長い旅路(1962)シドニー・ルメット監督
酒とバラの日々(1962)ブレイク・エドワーズ監督
恐怖の岬(1962)J.リー・トンプソン監督
ロリータ(1962)スタンリー・キューブリック監督
Requiem for a Heavyweight(1962)ラルフ・ネルソン監督
戦艦バウンティ(1962)ルイス・マイルストン監督
渇いた太陽(1962)リチャード・ブルックス監督
ハッド(1963)マーティン・リット監督
大脱走(1963)ジョン・スタージェス監督
シャレード(1963)スタンリー・ドーネン監督
8 1/2(1963)フェデリコ・フェリーニ監督
鳥(1963)アルフレッド・ヒッチコック監督
雨の中の兵隊(1964)ラルフ・ネルソン監督
マイ・フェア・レディ(1964)ジョージ・キューカー監督
サウンド・オブ・ミュージック(1965)ロバート・ワイズ監督
質屋(1965)シドニー・ルメット監督
ドクトル・ジバゴ(1965)デヴィッド・リーン監督
バージニア・ウルフなんかこわくない(1966)マイク・ニコルズ監督
アルフィー (1966)ルイス・ギルバート監督
昼顔(1966)ルイス・ブニュエル監督
逃亡地帯(1966)アーサー・ペン監督
砲艦サンパブロ(1966)ロバート・ワイズ監督
禁じられた情事の森(1967)ジョン・ヒューストン監督
卒業(1967)マイク・ニコルズ監督
招かれざる客(1967)スタンリー・クレイマー監督
夜の大捜査線(1967)ノーマン・ジェーソン監督
裸足で散歩(1967)ジーン・サックス監督
暴力脱獄(1967)スチュアート・ローゼンバーグ監督
暗くなるまで待って(1967)テレンス・ヤング監督
俺たちに明日はない(1967)アーサー・ペン監督
おかしな二人(1968)ジーン・サックス監督
2001年宇宙の旅(1968)スタンリー・キューブリック監督
ブリット(1968)ピーター・イェーツ監督
ローズマリーの赤ちゃん(1968)ロマン・ポランスキー監督
パーティ(1968)ブレイク・エドワーズ監督
殺しの接吻(1969)ジャック・スマイト監督
真夜中のカーボーイ(1969)ジョン・シュレンジャー監督
雨のなかの女(1969)フランシス・フォード・コッポラ監督
明日に向かって撃て!(1969)ジョージ・ロイ・ヒル監督
ある愛の詩(1970)アーサー・ヒラー監督
ファイブ・イージー・ピーセス(1970)ボブ・ラフェルソン監督
パットン大戦車軍団(1970)フランクリン・J・シャフナー監督
ラスト・ショー(1971)ピーター・ボグダノビッチ監督
哀しみの街かど(1971)ジェリー・シャッツバーグ監督
時計じかけのオレンジ(1971)スタンリー・キューブリック監督
フレンチ・コネクション(1971)ウィリアム・フリードキン監督
ラストタンゴ・イン・パリ(1972)ベルナルド・ベルトルッチ監督
ゴッドファーザー(1972)フランシス・フォード・コッポラ監督
バング・ザ・ドラム(1973)ジョン・ハンコック監督
ミーン・ストリート(1973)マーティン・スコセッシ監督
パピヨン(1973)フランクリン・J・シャフナー監督
スケアクロウ(1973)ジェリー・シャッツバーグ監督
さらば冬のかもめ(1973)ハル・アシュビー監督
セルピコ(1973)シドニー・ルメット監督
エクソシスト(1973)ウィリアム・フリードキン監督
カンバセーション…盗聴…(1974)フランシス・F・コッポラ監督
パララックス・ビュー(1974)アラン・J・パクラ監督
チャイナタウン(1974)ロマン・ポランスキー監督
ゴッドファーザー Part II(1974)フランシス・フォード・コッポラ監督
狼たちの午後(1975)シドニー・ルメット監督
フレンチ・コネクション2(1975)ジョン・フランケンハイマー監督
コンドル(1975)シドニー・ポラック監督
ナッシュビル(1975)ロバート・アルトマン監督
カッコーの巣の上で(1975)ミロス・フォアマン監督
タクシードライバー(1976)マーティン・スコセッシ監督
ネットワーク(1976)シドニー・ルメット監督
マラソンマン(1976)ジョン・シュレシンジャー監督
ミズーリ・ブレイク(1976)アーサー・ペン監督
大統領の陰謀(1976)アラン・J.パクラ、ジョン・ブアマン監督
サタデー・ナイト・フィーバー(1977)ジョン・バダム監督
スター・ウォーズ(1977)ジョージ・ルーカス監督
未知との遭遇(1977)スティーブン・スピルバーグ監督
アニー・ホール(1977)ウディ・アレン監督
ディア・ハンター(1978)マイケル・チミノ監督
クレイマー、クレイマー(1979)ロバート・ベントン監督
リアル・ライフ(1979)アルバート・ブルックス監督
パパ(1979)ルイス・ジョン・カルリーノ監督
チャンプ(1979)フランコ・ゼフィレッリ監督
ジャスティス(1979)ノーマン・ジュイソン監督
地獄の黙示録(1979)フランシス・フォード・コッポラ監督
オール・ザット・ジャズ(1979)ボブ・フォッシー監督
ハンター(1980)バズ・キューリック監督
普通の人々(1980)ロバート・レッドフォード監督
レイジング・ブル(1980)マーティン・スコセッシ監督
モダン・ロマンス(1981)アルバート・ブルックス監督
白いドレスの女(1981)ローレンス・カスダン監督
評決(1982)シドニー・ルメット監督
テンダー・マーシー(1982)ブルース・ベレスフォード監督
トッツィー(1982)シドニ・ポラック監督
再会の時(1983)ローレンス・カスダン監督
スカーフェイス(1983)ブライアン・デ・パルマ監督
SIGNAL 7/真夜中の遭難信号(1985)ロブ・ニルソン監督
暴走機関車(1985)アンドレイ・コンチャロフスキー監督
ゴー!ゴー!アメリカ/我ら放浪族(1985)アルバート・ブルックス監督
バウンティフルへの旅(1985)ピーター・マスターソン監督
ザ・フライ(1986)デイヴィッド・クローネンバーグ監督
ミシシッピー・バーニング(1988)アラン・パーカー監督
ゴッドファーザー Part Ⅲ(1990)フランシス・フォード・コッポラ監督
ランブリング・ローズ(1991)マーサ・クーリッジ監督
セント・オブ・ウーマン/夢の香り(1992)マーティン・ブレスト監督
セレブレーション(1998)トマス・ヴィンターベア監督



by sentence2307 | 2018-11-30 23:41 | スピルバーグ | Comments(0)
以前、会話していた成り行きから、友人とアメリカのアカデミー賞について、お互いの雑学らしきものを披露し合ったことがありました。いわば他愛ない時間つぶしです。

そうそう、その話の切っ掛けというのは、自分が「ビリー・ワイルダーとウィリアム・ワイラーの区別がつかないよ」という問い掛けから始まりました。

しかし、それは、ただ単にふたりの名前のカタカナ表記がなんとなく似ているので混乱するというだけの発想からつい口にしたものだったのですが、友人はそれを言葉通りに真に受けて深読みして、「それぞれの作風の違い」という感じで、いろいろな作品を挙げつらいながら一生懸命この話に乗ってきてくれました。

しかしながら、このふたりの作風は、比べるまでもなく明らかに天と地ほども異なるものなので議論の余地などあろうはずもなく(「お熱いのがお好き」と「ローマの休日」では、あまりにも清濁が違いすぎます)、議論として成立することも発展することもなく、結局、お互いの選んだ個々の作品の好き嫌いというレベルにまで尻すぼみして話は落ち着きました。

自分がそのとき挙げた作品は、ワイラーの「コレクター」1965でした。テレンス・スタンプとサマンタ・エッガーの名演が忘れられません。たしかこのふたり、この演技でカンヌ映画祭の演技賞をそれぞれ受賞したと記憶しています。そうそう、最近でいえば、ティム・バートンの「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」でテレンス・スタンプの懐かしいご尊顔を拝したばかりでした、そうですか、もう79歳になるのですか。時の経つのは実に早いものですね。

さて、「コレクター」ですが。

主人公は真面目で小心な銀行員の青年、たまの休日には郊外に出かけて蝶を採集し、それを丹念に蒐集箱に整理することを唯一の趣味としています。野原でひとり楽し気に蝶を追う姿をカメラは執拗に捉えて、青年のその無心の懸命さのなかに、逆に孤独の痛ましさを巧みに捉えて伝えることに成功しています。

ある日、サッカーくじに当たった彼は、その大金で郊外に地下室付きの家を購入し、そして、その地下室にベッド、衣装ダンス、女性服、下着、化粧品と買い揃えていきます。というのも、通勤途中で見掛ける美術学校の清楚で美しい女子学生・ミラーダに長いあいだ思いを寄せていて、かねてからいつかは自分のものにしたいとねらっていたからでした。ほどなくその夢は実現します。

ある日、人気の絶えた街路でミラーダを誘拐し、地下室に閉じ込め、家畜を飼いならすように飼育しますが、そのような関係から愛情など芽生えるはずもなく(しかし、いままであまりにも孤独に生きてきた男には、「そのこと」がどうしても理解できません)、ミラーダは奇策を巡らせ偽りの好意をちらつかせ男を騙し、スキを見て逃げようとしますが、彼女のハカリゴトを見透かした男は、彼女の前に立ちふさがり、彼女の裏切りに対する失望と怒りによって警戒は厳重になり、その過酷な監禁によって、彼の異常な強制に屈服することなく、ついにミラーダは死んでしまいます。

男は、彼女からの「愛」を得ることなく死なせてしまったことに対して一時的には落胆しますが、すぐに気を取り直し「新たな獲物」を求めて(あたかも新たな蝶を物色するかのように)再び街をさまようという衝撃のラストが付け足されていました。

目の前にある美しいものを我がものにせずにいられないコレクター(収集狂)の異常心理と、手に入れてしまえば、たちまち野原を舞っていたときのあの生命力の美しさと生気を失い朽ち果てるしかない生命の定めを理解することも受け入れることもできないまま、新たな「美」をさらに追い求めずにはいられないという異常者の限りない心理を描いた名作でした。

実は、余談ですが、このブログのタイトルもそのコレクターの果てしのない収集欲と、その後の落胆という、追い求める行為の空しさも含めて(「蝶」を「映画」に引っ掛けました)「映画収集狂」と命名したわけですが、その発想のベースには、このウィリアム・ワイラー作品「コレクター」がありました。

さて、友人との雑談でアカデミー賞について雑学を披露し合っていたときに、なぜ自分がわざわざビリー・ワイルダーを持ち出したのかというと、以前、「深夜の告白」1943について関係資料を読み漁っていたとき、この完璧な仕上がりのワイルダー作品(アカデミーもそのことは認識していたと思います)に作品賞を与えられなかったツケを払うかのように、アカデミーは翌年、アルコール中毒者の底なしの酒への渇望と禁断症状の恐ろしさを描いた「失われた週末」に作品賞を与えたのだという評文を読み、アカデミー賞の「受賞するための傾向」みたいなものを知ったからでした。

そこには確かこんなふうに書かれていました。この作品の受賞によって「アル中、精神異常、身体障害者を演じること、そして描くことが、オスカーへの近道という伝説が生まれた」と。

個々の作品の質を無視して、このようにひとことで括られてしまうと、なんだか身も蓋もないような気もしますが、歴代の結果を比較的に見ていけば傾向として、たぶんそういうこともあるかもしれないなという気持ちになってきました。

その「受賞の傾向」のことを友人に話したところ、彼は逆に質問してきました「『エレファント・マン』のときは、どうだったっけ?」と。

さっそくタブレットを取り出して検索してみました。

なるほど、なるほど。

作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、美術監督賞、編集賞、作曲賞、衣装デザイン賞、いずれもノミネートどまりで、ことごとく受賞を逃していますね、そう伝えると友人は誇らしげに眉毛を挙げ下げして、まるで「ほら、な、ダメじゃん」と言っているようでした。

「あっ!」と、そのとき、はじめて気が付きました。「エレファント・マン」にかこつけながら、実は、かの無冠の帝王「グレイテスト・ショーマン」のことを彼はほのめかしているのだな、と。

念のためにさっそく、各賞をひとつひとつ検索してみました。

作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイキャップ&ヘアスタイリング賞、視覚効果賞、録音賞、音響効果賞、作曲賞、アニメーション映画賞、外国語映画賞、ドキュメンタリー映画賞(長編)、ドキュメンタリー映画賞(短編)、短編映画賞(実写)、短編映画賞(アニメーション)

ふむふむ、なるほどね。

いや~、これを見ると、受賞どころかノミネートからさえ外されてしまっている壊滅状態です、これはもう「伝説」どころの騒ぎじゃない、もはや「忌避状態」じゃないですか(唯一のノミネートといえば主題歌賞の「This Is Me」くらいです。ちなみにこのとき受賞歌は「リメンバー・ミー」の主題歌「Remember Me」でした)。

いやはや、むしろ「メイキャップ賞」のノミネートも外したあたりは、「負けねえぞ」というアカデミーの強固な姿勢と見識さえ感じ取れます。逆に、これで受賞してしまったりしたら大変なことになっていたでしょうね。

あきらかにアカデミーは、この作品を「嫌がってんじゃん」という感じです。

自分は以前「エレファント・マン」のコラムを書いたことがありました。そのコラムの中で比較のために引用した1本の映画があります。

それは≪伝説の映画、トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」、1932≫です。

そこで自分は、こんなふうに書いています。

≪トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」は、実に驚くべき映画ですが、しかし、見ていくうちに、その「実に驚くべき」は、実は自分が「常識」から一歩も抜け出せなかった硬直した感性の持ち主であることに次第に気づかされたからにすぎません。
いわば、そこには「奇形」を普通に撮り続けたために、狡猾非情な健常者たちからの侮蔑と虐待に対する怒りの報復が描かれていく過程で、人間の正常な在り方が示されているラストの爽快感が余韻として残るのに比べたら、いじめ抜かれて死んでいく「エレファント・マン」の救いのない無力で陰惨なデビッド・リンチの描き方は、逆に実在のジョン・メリックを、その最後まで人間性を放棄した惨めな小動物に貶めたというしかありません。≫

「エレファント・マン」を見たときに感じたあの違和感が、「グレイテスト・ショーマン」にも確かにありました、そのことを書きますね。

興行師P・T・バーナムの存在をこの映画で初めて知りました。

彼がどういう人物だったのか、ひととおりネットで読んで知識としては得ることができましたが、ショーマンだかなんだか知りませんが、そこには受け入れがたい山師的な嫌悪感はやはり残りました、市民の無知と偏見の激しかった当時、「人間動物園」だか「人間博覧会」だか「地上最大のショー」だかを逆手にとり「見世物」として奇形の者たちの姿を晒すことによって、木戸銭を取り、彼らの生き場所を確保し、そういう者たちも生活の糧を得られて命を長らえることができたのだということは認めなければならないとしても、人間の「奇形」を見世物にするという、とんでもない愚劣な行為を強引に正当化しようというアクロバット的論法に最低限組みするしかないのかという諦念の部分で、奇形の子を持った親たちがはたして皆が皆自分の子供の将来の行く末を考えてサーカスに売り渡さねばならないのかという、そういうことをずるずると際限なく容認してしまいかねない恐ろしさは、たしかにあります。

自分が調べた限りでは、あの映画には実際に以下の人たちが出演していました。

ハリー・アールス(ハンス(小人症))、デイジー・アールス(フリーダ(小人症))、オルガ・バクラノヴァ(クレオパトラ)、ロスコー・エイテス(ロスコー(吃音症))、ヘンリー・ヴィクター(ヘラクレス)、ローズ・ディオン(マダム・テトラリニ(団長))、デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン(シャム双生児)、エドワード・ブロフィー(ロロ兄弟)、マット・マクヒュー(ロロ兄弟)、ピーター・ロビンソン(骨人間(るいそう))、オルガ・ロデリック(ひげの濃い女性)、ジョセフィーヌ・ジョセフ(半陰陽者)、クー・クー(クー・クー(ゼッケル症候群))、エルヴァイラ・スノー(ジップ(小頭症))、ジェニー・リー・スノー(ピップ(小頭症))、シュリッツ(シュリッツ(小頭症))、ジョニー・エック(ハーフボーイ(下半身欠損))、フランシス・オコナー(腕の無い女性)、プリンス・ランディアン(生けるトルソー(手足欠損))、アンジェロ・ロシェット(アンジェロ(小人症))、エリザベス・グリーン(鳥女)

そして自分は、あのコラムでこう書きました。

≪トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」は、実に驚くべき映画ですが、しかし、見ていくうちに、その「実に驚くべき」は、実は自分が「常識」から一歩も抜け出せないでいる硬直した感性の持ち主でしかないこと(自分の限界)に次第に気づかされたからにすぎません。≫

不運にもたまたま身体の一部が変形し、欠損し、肥大し、歪曲したにすぎない自分たちと同じ人間のその「部分」だけを見世物として興行するといういかがわしい行為と観念を乗り越えるには、普通の隣人として生活を共にして敬意をもって「見慣れてしまうこと」以外にはないのかもしれません。同じ人間としてね。

実際に、たまたま奇形に生まれついてしまった人々の姿形を、器用に真似たメイキャップによって健常者の俳優たちがそれっぽく演じたというそのいかがわしさ自体に「グレイテスト・ショーマン」が、同時代のどの作品、「君の名前で僕を呼んで」、「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」、「ダンケルク」、「ゲット・アウト」、「レディ・バード」、「ファントム・スレッド」、「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」、「シェイプ・オブ・ウォーター」、「スリー・ビルボード」などの作品よりもはるかに劣るどころか、トッド・ブラウニング監督作品「フリークス」にさえ及びもつかない愚劣な映画だという印象を観客に与えたのだと思います。

(2017アメリカ)監督・マイケル・グレイシー、脚本・ジェニー・ビックス、ビル・コンドン、原案・ジェニー・ビックス、製作・ローレンス・マーク、ピーター・チャーニン、ジェンノ・トッピング、製作総指揮・ジェームズ・マンゴールド、ドナルド・J・リー・Jr、トーニャ・デイヴィス、音楽・ジョン・デブニー、ジョセフ・トラパニーズ、ベンジ・パセック、ジャスティン・ポール、主題歌『ディス・イズ・ミー』キアラ・セトル、撮影・シェイマス・マクガーヴェイ、編集・トム・クロス、ロバート・ダフィ、ジョー・ハッシング、マイケル・マカスカー、、ジョン・ポル、スペンサー・サッサー、製作会社・チャーニン・エンターテインメント、シード・プロダクションズ、ローレンス・マーク・プロダクションズ、TSGエンターテインメント
出演・ヒュー・ジャックマン(P・T・バーナム)、ザック・エフロン(フィリップ・カーライル)、ミシェル・ウィリアムズ(チャリティ・バーナム)、レベッカ・ファーガソン(ジェニー・リンド)、ゼンデイヤ(アン・ウィーラー)




by sentence2307 | 2018-11-21 16:07 | 映画 | Comments(0)

果しなき情熱

「見てから処理する」というコンセプトで、溜まりに溜まったVHSの録画済みのビデオテープを片っ端から見始めています。

というのは、長い期間、それなりの労力を費やして、せっせと録画してきたものを、いくらご時世が代わってしまったからとはいえ、見ないで処理(破棄)するというのは、気持ち的にどうしても引っ掛かるものがあるからなのですが、なら画像の方はどうなのよと突っ込まれれば、そりゃあ多少劣っていることは否めませんけども、自分のようなモノクロの邦画が大好きな時代遅れの人間にとっては「画調」など、もともとがアレなのですから、なんら支障はありません、立派に見られればOKです。

家人などにいわせると、いまのご時世、300円とか400円とかだせば簡単にダビングできるのだから、片っ端からDVDにしてしまえばええやんかとか言われますが、うかうかそんな甘言にのせられるわけにはいきません、それこそ「それほどまでは、する気イはないねん」とか迂闊なことを口走ったりしたら、なにしろ敵はこんなもの、さっさとゴミとして捨ててしまいたい腹でいて、絶えずこちらのスキを狙っているので、そんな失言でもしようものなら聞き逃すことなく、すかさず柳眉を逆立て厳しく突いてくるに違いありません。なにしろ場所塞ぎの数百本のVHSテープ(すべて3倍速録画なので重複したものも含めて優に映画千本分はあるかもしれません)に対しての敵意と殺意を抱いているのですから、こちらが反応する言葉のひとつにも、入念な心配りが必要とされるというわけです。

それに当のVHSテープに入っている映画といっても、なにも手元に置いておきたいほどの「名作」などはなく、ただ、会社勤めをしていたときに、見るに見られない日中に放映されている未見の映画を見逃すのが口惜しくて片っ端から録画していただけにすぎず、いざ見てみると、だいたいは「な~んだこりゃ、がっかり」みたいな映画ばかりなので、「そんなもの、さっさと捨ててしまえ」という家人の苛立ちや断捨離にも一理あることはあるものの、しかし、そうはいっても「な~んだこりゃ、がっかり」も愉しみのうちのひとつには違いなくて、現在のところ「それ」を楽しんでいる最中というわけです。

そういうことで、暇になったとき、適当に選んだ1本のテープ(ラベルには「東北の神武たち」1957と「果しなき情熱」1949というメモがあります)を見始めました。

特段、録画した年月日の記載がないので、いつ頃録画したものかは見当もつきませんが、たぶん市川崑監督が亡くなられたときに特集で放送されたものだったと思います。

かつては貧農の家に生まれた次男坊以下は、無駄飯食らいの単なる厄介者にすぎず、蔑まれて虐げられ無視された、そういう悲哀と絶望的な状況を描いた「東北の神武たち」は、まるで極限にまで研ぎ澄まされた寓話のような深沢七郎の原作です、思えば、あの「楢山節考」だって、見ようによってはとことん現実離れの抽象化された寓話(というか昔話)じゃないですか。木下恵介監督が、あの陰惨なストーリーを描くに際して、極力リアリズムを避けて「母親と息子の情愛」の奇麗な部分だけに焦点を絞り、貧しさから口減らしのために生きたまま生母を捨てるというこの物語の持つ陰惨さを薄めるため劇中劇みたいな舞台劇風な歌舞伎的にデフォルメした気持ちがなんだか分かるような気がします。

しかし、木下監督が目をそらした「陰惨さ」と「リアリズム」のそぎ落とした部分こそが、まさに「楢山節考」の欠かせない核心ではないかと見定めた今村昌平の描き方にも、やはり納得できるものがありました。

もちろん今村作品は見ることができなかったでしょうが原作者深沢七郎にとって、どちらが納得できる映画だったかといえば、これはあくまでも予想にすぎませんが、やはり今村作品の方だったのではないかという気がします。

当時、木下恵介の「楢山節考」を深沢七郎がどう反応したのか、知りたいような気がしますので、その辺の当時の社会状況など機会があれば後日調査してみたいと思います。

さて、市川崑の描いた「東北の神武たち」のリアリズムも、第一印象的には「すごいな」と感じましたが、今村昌平の「くそリアリズム」と比べると、それらは明らかにタイプの異なるものであることは明確です。

この映画に登場する人物たちの「汚さ」をつきつめた市川崑の姿勢は、「細雪」でみせた晴れやかできらびやかな衣装を凝らすための「つきつめの姿勢」のタイプに通ずるものがあって、やはり同じようなスマートさを感じてしまいました。

その姿勢を「リアリズムにとっては贋物」とまでは言いませんが、今村昌平が目指して捉えようとした「汚さ」とは明らかに異質なものであることは歴然です。

さて、VHSテープの収録されていたもう1本の作品「果しなき情熱」は、この「贋物感」という観点からいえば、このひたすら陰々滅々の厄介なストーリー(なにしろ主人公の歌謡曲の作曲家は自殺することばかり考えているような御仁です)に食らい付いていく初期の市川崑の必死感とか格闘感(ストーリーはともかく素晴らしい映像美です)に自分的には大変好感が持てて、これは小手先で処理したような器用でスマートさからは完全に免れているという印象を持ちました。

そこでこの市川崑監督作「果しなき情熱」にアプローチする手がかりにするために、どこかのサイトでざっくりした「あらすじ」をチョイスしようと検索してみたのですが、やはり超マイナーな作品だけあって、ヒットしたのは、ほんのわずかでしたが、いつもお世話になっている「昔の映画を見ています」さんのブログに素晴らしいコメントがあったので拝借してエッセンスだけちゃっかり要約しちゃいますね。

ここまで書き込んでいただいたなら、「ほかになにも言うことなんてあるわけない」というくらい素晴らしいコメントです。(部分的修正はご容赦ください)

≪(1)作曲家・堀の妄想の一端は、信州の湖畔で出会った麗人(にしては、オバン臭い顔の折原啓子)への一方的な片思いにあるということになっていて、この逢う事さえままならない女性(何しろ名前も住所も知らない)への堀の想いが、次々曲を作る動機になっており、その彼女への妄執が曲として「湖畔の宿」「夜のプラットフォーム」に結実して、これがまた次々とヒットしてしまい、「自分だけの想い」だったものが、「大衆の愛唱歌」になっていくことで汚されてしまうというその怒りが、彼をさらに破滅的な行動に駆り立てていく。
(2)和田夏十・市川崑の「流行歌」という存在の「読み替え」が、そもそも無茶があるのだ。「流行歌」というのが、すでにもう、ずぶずぶの「俗情との結託」なのだから、そこには作家個人の「私情」などあるわけがない。おまけに、この夏崑コンビは、おそらく意図的に、作曲家が作詞(私情の吐露)も担当しているという誤解を貫き通している。
(3)もうどうしようもない超根暗野郎として描写されている堀雄二=服部良一のドラマに、たぶん苦笑しつつ、音楽監督として付き合う服部良一の度量! しかし、こんな映画でも、すばらしいのは「モダンな職人さん」市川崑の、モダンな映像。キャメラ移動、ミニチュア適時使用、光と影の演出の素晴らしさ。ドラマ部分はダメだが、映像のしゃれた展開には、ニヤニヤするばかり。快だなあ。撮影は小原譲治、やはりか。≫

もうこれだけ要約してしまえば、自分の書きたいことなどすべて語り尽くされていて、さらに語ることなどさらさらないのですが、ただひとつだけ補足してみたい「視点」があるのです。

作曲家・堀に、あたかもお情けで拾われ、もうちょっとで結婚までいきそうになった忍従の女性・月丘千秋の存在です。あれじゃあまるで、DVを受けることと、そこに愛情を感じることとが等価で、暴力を振るわれるたびに(自分以外のことでですよ)、そのこと自体に愛も感じるという、なんとも絶望的な被虐の再生産というか、完全なる負のスパイラルとしか言いようのないものだと思うのですが、作曲家・堀は、彼女のそういう卑屈なところに苛立って、彼女に異常ともいえる執拗さでつらく当たっていたのではないかと、ふと考えてみました。

堀には心に秘めた意中の人があり、その思いが曲となって結実し、流行歌として世間に流布されると形骸化した曲の流布に苛立って憤懣を不幸な許婚者・月丘千秋にぶつける、あるいはこれみよがしのようなあてつけの自殺未遂をしでかすという、これじゃあなんとも許婚者・月丘さんの立場というものがまるっきりないじゃないかと思えたからでした。たとえ無茶苦茶をされるにしても、せめてその理由なりとも本人が自覚していれば本人もまた納得して虐められることに耐えられるという構図は、一応は成り立つのではないかと考えた次第です。

実は、この作品を見ながら、むかし読んだ志賀直哉の「孤児」という小説を思い出していました。従妹にあたる「敏(とし)」という女性のことを書いたこの作品、幼くして父を失い、まだ若かった母親は幼な子を志賀直哉の実家にのこして嫁いでしまいます。その実家で彼女は志賀直哉の妹として育てられますが、適齢期になり縁談がおこり(彼女はあまり乗り気でない様子も少し描かれています)神戸に嫁いでいきます。

しかし、姑との折り合いが悪いという便りを聞くうちに妊娠し、子供でもできればうまくいくかもしれないと話しているうちに出産しますが、しかし事態は好転せず、ほどなく子供を置いて実家に戻されてくるという小説です。

二親の愛情を知らずに育った敏は、無条件に注がれる愛情の前で他人と接することも、他人にあまえかかることも知らずに、心を閉ざして育ってきました。

この小説の中に2箇所、敏の性格についての記載があります。

「敏は冷ややかなところのある女です。欠点だけれど、これあるがゆえに忍べるのだと思ったら、なお可哀そうになりました」

「あの大きな欠点を認めてもなお愛さずにはいられない美しい性質があるのではないかと思う。冷ややかかもしれないが親切な女だ。強いかもしれないが優しいところのある女だ。誰にもこういう矛盾はあることだ。ただ敏のは、避けられない境遇のために、それが著しくなったばかりではないだろうか、そして敏からこの冷ややかさと強さとをまず認めたのがあの鋭い姑ではなかったろうかなど思う。」

度重なる不幸の中に育った敏の性格が、その過酷な環境に耐えるために、いつの間にか異常な強さで歪んでしまったとしても、それは悲しいことではありますが、たぶん無理ならぬことだったかもしれない、と志賀直哉は書いています。

そう考えると、この役はとても困難な役だったのだなあと、つくづく思います。こうしたしっかりとした役の性格付けが欠けていれば、たぶんこの映画で石狩しんを演じた月丘千秋のような、ちょっとつかみどころのない訳の分からない女性像になってしまったのだと思います。
そして、もしこの役を高峰秀子が演じたなら、結構うまく演じられたかもしれないなと、ちらっと思ったりもしました。

(1949新世紀プロ・新東宝)監督・市川崑、脚本・和田夏十、製作・井内久、音楽・服部良一、撮影・小原譲治、助監督・山崎徳次郎、美術・小川一男、録音・根岸寿夫、照明・藤林甲、挿入歌「雨のブルース」「夜のプラットホーム」「蘇州夜曲」「私のトランペット」「湖畔の宿」「セコハン娘」「ブギブギ娘」
出演・堀雄二(三木竜太郎)、月丘千秋(石狩しん)、笠置シヅ子(雨宮福子)、折原啓子(小田切優子)、清川虹子(石狩すて)、江見渉(千光)、斎藤達雄(砂堂)、鮎川浩(野々宮元)、服部富子(夏目千鳥)、若月輝夫(阪東梅吉)、伊藤雄之助(料理人・塙)、山田長正(肥満したコック)、山室耕(暴漢)、山口淑子(美しき歌手)、淡谷のり子(ブルースを唄う女)、
配給=東宝 1949.09.27 10巻 2,503m  91分 白黒
 


by sentence2307 | 2018-11-09 21:25 | 市川崑 | Comments(0)

ポーランド映画祭2018

ポーランド映画史に残る名作や傑作を特集する「ポーランド映画祭2018」が、11月10日~11月23日に東京都写真美術館ホールで開催される。
名匠ロマン・ポランスキー監督の85歳を記念し、ポーランド時代の「水の中のナイフ」(62)とドキュメンタリー「ロマン・ポランスキー 初めての告白」(2012)などの上映をはじめ、ポーランド独立回復100周年を記念し、名作映画から見るポーランド史の企画で、
「灰とダイヤモンド」(1958/アンジェイ・ワイダ監督)、
「夜と昼」(75/イエジー・アントチャック監督)、
「戦場のピアニスト」(2002/ロマン・ポランスキー監督)、
「大理石の男」(76/アンジェイ・ワイダ監督)、
「リベリオン ワルシャワ大攻防戦」(2014/ヤン・コマサ監督)、
「約束の土地」(74/アンジェイ・ワイダ監督)、
「ヴォウィン」(2016/ヴォイチェフ・スマジョフスキ監督)
の7作品を紹介する。
そのほか、本映画祭監修を務めるイエジー・スコリモフスキ監督の「ムーンライティング」(82)、「イレブン・ミニッツ」(2015)も上映される。

★ムーンライティングFucha監督:イエジー・スコリモフスキ
1982年/英語・ポーランド語/97分/カラー/デジタル・リマスター版
イギリスに不法滞在する4人のポーランド人。彼らは別荘の改修作業に励むが、ひとり英語を解するノヴァクだけは祖国に戒厳令が敷かれたことを知る。しかし作業の遅れを恐れた彼は、その事実を仲間にひた隠しにした。独立自主管理労組“連帯"を弾圧するため戒厳令が敷かれた事件を背景に、同時代の緊迫感が伝わる快作。第35回カンヌ国際映画祭で最優秀脚本賞受賞。

★イレブン・ミニッツ 11 Minutes監督:イエジー・スコリモフスキ
2015年/ポーランド語/81分/カラー/デジタル
午後5時から5時11分までの間にワルシャワ都心部で、互いを知らぬ人々の間に起こる11分間のドラマをモザイク状に構成した、リアルタイム・サスペンスの傑作。クライマックスまで緊張感溢れる映像。「11という数字は美しくて好きなんだ!」と語るスコリモフスキ監督の最新作を、今年は11月11日(日)11:00から上映する。

★水の中のナイフNóż w wodzie監督:ロマン・ポランスキー
1962年/ポーランド語/94分/モノクロ/デジタル・リマスター版
裕福な中年夫婦と貧しい青年が偶然に湖でバカンスを過ごすことになる。ボートの上で繰り広げられる人間模様から見える世代間の断絶や階層のギャップ。ポランスキーの名前を世界に広めた長編処女作。脚本はスコリモフスキとの初めての共同執筆、そこにクシシュトフ・コメダのモダン・ジャズがスパークする、今日でも全く色褪せない傑作。ヴェネチア国際映画祭批評家連盟賞受賞。

★ロマン・ポランスキー 初めての告白Roman Polański: moje życie監督:ローラン・ブーズロー
2012年/英語/94分/カラー/デジタル/提供:KADOKAWA
ポランスキー自身が、生い立ちから今に至るまでを自らの言葉で赤裸々に語ったドキュメンタリー。2009年から2010年にかけてスイスの自宅に軟禁中の彼に、長年のビジネス・パートナーである監督がロングインタビューを決行。親しい友人相手に自分の全てをさらけ出し、時には涙すら浮かべる彼の姿に心を奪われる。同時に、その偉大さが伝わる。

★メモリーズ・オブ・サマーWspomnienie lata監督:アダム・グジンスキ
2016年/ポーランド語/90分/カラー/デジタル/配給:マグネタイズ
1970年代の後半、小さな地方の町で暮らす12歳の少年ピョトレックは、母親と強い絆で結ばれていた。だが母親は、父親が去ってから毎晩のように外出し始め・・・。大人への階段を昇る過程の一瞬の季節を瑞々しいタッチで描き出し、青春の光と影をとらえた傑作。第32回ワルシャワ国際映画祭コンペティション部門入選。2019年日本公開予定。

★マリア・スクウォドフスカ=キュリーMaria Skłodowska-Curie監督:マリー・ノエレ
2016年/ポーランド語・フランス語/96分/カラー/デジタル(英語字幕付)
女性初のノーベル賞に輝いた“キュリー夫人”の波瀾万丈の人生を映画化。男性優位の風潮が根強い20世紀初頭のフランスを舞台に、最愛の夫を事故で失い2人の幼い娘を育てながら、再び栄冠をつかむ一人の科学者に迫る。キュリー役を演じたカロリナ・グルシュカは第20回ポーランド映画賞の主演女優賞にノミネートされた。

★ゴッホ~最期の手紙~Twój Vincent監督:ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン
2017年/英語/96分/カラー/デジタル/提供:パルコ
オランダ人画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。この不世出の天才を死に追いやったものは何だったのか? 全編、125名のアーティストが再現した動く“ゴッホの絵”によって表現された斬新なアニメーション作品。2017年のアヌシー国際アニメーション映画祭で観客賞を受賞した他、アカデミー賞やゴールデングローブ賞にもノミネートされた。

★クリスマスの夜にCicha noc監督:ピオトル・ドマレフスキ
2017年/ポーランド語/97分/カラー/デジタル
海外で働くアダムは、クリスマス・イヴに突然ポーランドへ帰ってくる。出迎える家族たちは、アダムが彼らの人生を変えてしまうほどの、ある計画を企んでいることなど知る由もなかった。主演は『幸せのありか』(13)『イーダ』(13)『イレブン・ミニッツ』(15)のダヴィド・オグロドニク。第20回ポーランド映画賞の作品賞、主演男優賞をはじめ多数受賞。

★ピウスツキ・ブロニスワフ~流刑囚、民族学者、英雄~Piłsudski Bronisław: zesłaniec, etnograf, bohater監督:ヴァルデマル・チェホフスキ
2016年/ポーランド語・日本語/53分/カラー/デジタル
弱者の側に立ち続けたポーランド人民族学者についてのドキュメンタリー。アレクサンドル3世の暗殺計画に巻き込まれサハリンへ流刑された後、アイヌをはじめとした少数民族の研究で偉大な功績を残し、日露戦争や第一次世界大戦を経て、最期はセーヌ川で水死したピウスツキ。彼に縁のあった人物や研究者の証言からその数奇な運命を紐解く。

★夜と昼Noce i dnie監督:イエジー・アントチャック
1975年/ポーランド語/170分/カラー/デジタル・リマスター版
全4巻からなるマリア・ドンブロフスカの長編小説の映画化。1863年から第一次世界大戦が勃発した1914年にかけての50年間を、歴史に翻弄されたある家族を通して壮大なスケールで描く。第49回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、ドラマシリーズ化もされた。監督は『ショパン 愛と哀しみの旋律』(02)のイエジー・アントチャック。

★灰とダイヤモンドPopiół i diament監督:アンジェイ・ワイダ
1958年/ポーランド語/103分/カラー/デジタル・リマスター版
ポーランド映画を代表する傑作として、映画史にその名を刻む金字塔的作品。第二次世界大戦末期のポーランド。誤ってターゲットとは別の人物を殺害してしまった若きテロリスト、マチェクが、翌朝、虫けらのごとく空しく死んでいく様を鮮烈に映し出す。『世代』『地下水道』と並ぶ、アンジェイ・ワイダの“抵抗三部作”の一本。

★戦場のピアニストPianista監督:ロマン・ポランスキー
2002年/英語・ドイツ語・ロシア語/149分/カラー/デジタル・リマスター版/提供:ブロードメディア・スタジオ
戦火を生き抜いたユダヤ系ポーランド人ピアニスト、ヴワディスワフ・シュピルマンの感動の実話。シュピルマンの実体験を記した『ある都市の死』が原作。自身もユダヤ人ゲットーで過酷な生活を送ったポランスキー監督の集大成として絶賛を浴び、カンヌ国際映画祭パルムドール、米アカデミー賞の主演男優賞、監督賞、脚色賞などを受賞した。

★大理石の男Człowiek z marmuru監督:アンジェイ・ワイダ
1976年/ポーランド語/161分/カラー/デジタル・リマスター版
スターリン時代に英雄として祭り上げられたある労働者の人生と、彼の真実を追う映画大学の女子学生。ポーランドの“過去”と“現在”を重層的に描き出す、ワイダ監督渾身の大作。ポーランド国内で大ヒットを記録、海外上映禁止処分を受けながらも第31回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を獲得するなど、世界中で高く評価された。

約束の土地Ziemia obiecana監督:アンジェイ・ワイダ
1974年/ポーランド語/169分/カラー/デジタル・リマスター版
19世紀末、ポーランドの工業都市ウッチ。民族・宗教の異なる3人の若者が大いなる野望を抱いて織物工場を建設するものの、事態は思わぬ方向へ・・・。旧世代に代わって街を支配しようとした男たちが辿る皮肉な運命がドラマチックに描かれる。ワイダの冷徹な洞察力が冴え渡る理想と挫折の物語。第48回アカデミー賞で外国語映画賞にノミネート。

★リベリオン ワルシャワ大攻防戦Miasto 44監督:ヤン・コマサ
2014年/ポーランド語/128分/カラー/デジタル/提供:ニューセレクト
第二次世界大戦の末期、ポーランドに侵攻したソ連軍は首都ワルシャワに迫っていた。ナチスドイツ占領からの解放を信じたポーランド地下抵抗組織(国内軍)は大規模な武装蜂起を決行。しかし突如進撃を止めたソ連の裏切りにより、彼らの戦いは絶望の地獄に突き落とされることになる。1944年8月のワルシャワ蜂起の全貌を描く大スペクタクル映画。

★ヴォウィンWołyń監督:ヴォイチェフ・スマジョフスキ
2016年/ポーランド語・ウクライナ語/150分/カラー/デジタル
ウクライナ人、ポーランド人、ロシア人、ユダヤ人らがモザイク状に共生していた地域ヴォウィン。現在はウクライナに位置するこの地で起こった民族相互の大虐殺は、第二次世界大戦最大の悲劇と言われた。エスカレートする民族主義に疑問を投げかける問題作。スマジョフスキ作品はポーランド国内で人気があり、日本でも過去作品が上映されている。

★ポコット 動物たちの復讐Pokot監督:アグニェシュカ・ホランド、カシャ・アダミック
2017年/ポーランド語・英語/128分/カラー/デジタル
第67回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した、アグニェシュカ・ホランドと娘のカシャ・アダミックの共同監督作。原作はポーランドの女流作家オルガ・トカルチュクの小説。山で連続殺人事件が起こる。大の動物好きで、今は教師として慎ましやかに暮らしている老女が事件の真相に迫るが、住民は誰も彼女を信じようとはしなかった…。

★顔Twarz監督:マウゴジャタ・シュモフスカ
2017年/ポーランド語/92分/カラー/デジタル
ドイツ国境に近い村の建設現場で働いていた男が事故に遭った。顔に大怪我を負った彼は、移植手術を受けて故郷に戻るが、誰も彼のことが分からず…。アイデンティティの喪失を激しい音楽とともに描いた意欲作。第68回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作。監督は前作『君はひとりじゃない』が日本でも公開されたマウゴジャタ・シュモフスカ。

★ゆれる人魚Córki dancingu監督:アグニェシュカ・スモチンスカ
2015年/ポーランド語/92分/カラー/デジタル/提供:ハピネット
1980年代、共産主義時代のポーランドを舞台に、肉食人魚姉妹の少女から大人への成長を野生的に描いたホラーファンタジー映画。海から陸へ上がって来た人魚の姉妹がたどり着いたのはワルシャワのナイトクラブだった。一夜にしてスターとなる姉妹だが、次第にお互いの関係が壊れていく。

★お願い、静かにProszę o ciszę監督:水谷江里
2017年/ポーランド語/26分/カラー/デジタル
多摩美術大学卒業後ポーランドに渡り、ウッチ映画大学で現地のスタッフとともに映画を撮り続ける、京都出身の水谷江里監督作。とある寄宿制の聾唖学校で、音のない世界に生きる子供たちの日常を、1年間かけて丹念に追ったドキュメンタリー。子供たちの何気ない表情や仕草を通し、観る者をファンタジックな異世界へと誘い出す。

★こんな風景Taki pejzaż監督:ヤゴダ・シェルツ
2013年/ポーランド語/23分/カラー/デジタル
既成概念から飛び出し、実際の出来事を元に、死に対する恐怖から救ってくれる奇跡や贖罪、悔恨、祈り、赦しなどのテーマを詩的な映像で紡いだ渾身の一作。女性監督の中でもどこか力強さを感じるヤゴダ・シェルツの短編作品。ヤゴダは既に長編作品を2本発表し、ポーランドで最も注目される監督の一人。

★チプカCipka監督:レナータ・ゴンショロフスカ
2016年/ポーランド/9分/カラー/デジタル
若い女性が家で一人で過ごしている。彼女は一人で素敵なお風呂タイムを楽しもうとするが、思い通りには進まない。自慰についての新しいタイプの可愛らしいアニメーションの誕生。本作は2017年新千歳空港国際アニメーション映画祭でインターナショナルコンペティションにノミネートされた。

★サルトSalto監督:タデウシュ・コンヴィツキ
1965年/ポーランド語/106分/モノクロ/デジタル・リマスター版
昨年のポーランド映画祭で上映した『ズビシェク』でポーランドの名優ズビグニェフ・ツィブルスキが登場し、異様なダンスシーンを披露していたのが本作。戦争の暗い影から逃れられない民族の宿命を描いている。クラブでのダンスシーンは、ポーランド映画史に残る名シーンなので必見。

★イーダIda監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
2013年/ポーランド語/82分/モノクロ/デジタル
2018年のカンヌ国際映画祭で最新作『Cold War』を発表し、見事、最優秀監督賞を受賞したパヴェウ・パヴリコフスキ。本作はポーランド映画初の米アカデミー賞外国語映画賞を受賞。1960年代初頭のポーランドを舞台に、孤児として育てられた少女が自身の出生の秘密を知るために叔母と旅に出るというロードムービー。

★ラブ・エクスプレス ヴァレリアン・ボロフチクについてLove Express. Przypadek Waleriana Borowczyka監督:クバ・ミクルダ
2018年/ポーランド語・英語・フランス語・イタリア語/79分/カラー/デジタル
比類のない感度を持つポーランド映画監督の一人ヴァレリアン・ボロフチク。1960年代には短篇映画が世界中の賞賛を集め、その後、エロティック映画を制作し続けたボロフチクを、テリー・ギリアム、ニール・ジョーダン、アンジェイ・ワイダ、パトリス・ルコントなど、彼に近い映画制作者、知人などのインタビューも含めて掘り下げて紹介する。

★罪物語Dzieje grzechu監督:ヴァレリアン・ボロフチク
1975年/ポーランド語/120分/カラー/デジタル・リマスター版
19世紀末のワルシャワ。誰もが息を呑むほど美しい娘エヴァは、実家が営む下宿に部屋を借りたウカシュに惹かれる。しかし彼は既婚者である上に離婚訴訟中、しかもとんでもなく破天荒な男だった。ひとりの純朴な女性が盲目の愛に溺れ、やがて転落していく様を濃密に描いたコスチューム史劇。原作はステファン・ジェロムスキ。



by sentence2307 | 2018-11-09 21:22 | 映画 | Comments(0)

【コンペティション】

東京グランプリ/東京都知事賞
★「アマンダ(Amanda)」監督・ミカエル・アース

審査委員特別賞
★「氷の季節」監督・マイケル・ノアー

最優秀監督賞
★エドアルド・デ・アンジェリス「堕ちた希望」

最優秀女優賞
★ピーナ・トゥルコ「堕ちた希望」

最優秀男優賞
★イェスパー・クリステンセン「氷の季節」

最優秀芸術貢献賞
★「ホワイト・クロウ(原題)」監督・レイフ・ファインズ

最優秀脚本賞
★ミカエル・アース、モード・アメリーヌ「アマンダ(原題)」

観客賞
★「半世界」監督・阪本順治

アジアの未来
作品賞
★「はじめての別れ」監督・リナ・ワン

国際交流基金アジアセンター特別賞
★ホアン・ホアン「武術の孤児」

日本映画スプラッシュ
作品賞
★「鈴木家の嘘」監督・野尻克己

監督賞
★「銃」監督・武 正晴一
★「メランコリック」監督・田中征爾

東京ジェムストーン賞
★木竜 麻生
★リエン・ビン・ファット
★カレル・トレンブレイ
★村上 虹郎



by sentence2307 | 2018-11-09 21:21 | 映画 | Comments(0)
自分は、よく人から「おまえは、なんでも小津監督にこじつけるよな」とからかわれます。

そう言われることについて、だいたいは「満更でもない」という気持なのですが、その本当の意味するところが誉め言葉でもなんでもなく、単なる「揶揄」であることくらいは十分に承知していながら、内心では、結構嬉しがっています。

そういう経緯もあり、「おい、またかよ」と言われるのを敬遠し、臆する気持もあるので人前ではずっと公言を避けていたのですが、「ビリー・ワイルダーと小津監督って、どこか似てるよね」という思いを長いあいだ抱きつづけてきました。

なんとなく感じていたこのふたりの相似の印象というのは、正直最初は、単なる直感にすぎませんでしたが、しかし、最近になってその「直感」に共通するものを見つけました、つまり、そもそもの「出だし」(エルンスト・ルビッチからの影響)もそうなのですが、このふたりの巨匠のその後の「変化の仕方」みたいなものが、なんだか似通っているのではないかと思い、自分の直感がそれほど誤っていなかったのだと思い至ったのです。

ざっくり言って、戦前の小津監督の諸作品の延長線上に、誰が「東京物語」のような抒情性にみちた静謐な作品を予想できたでしょうか。特に、ここでいう「戦前の諸作品」というのは、「非常線の女」のような乾いた荒涼とした犯罪映画を想定しています。

「そりゃあ、あんた、それが作家の『成長過程』というものだよ、どの作家にもあることだろうよ。あれこれといろんな分野を試しながら自分の行くべき途を手探りで模索していくってやつさ。そんなふうに試しながら作家性を深化させていって、徐々に『自分の本質(たとえば東京物語)』ってやつを掴み取る、そこに至るまでの模索というか、過程の習作みたいなものなんだよ、『非常線の女』とかはね」

いままでの自分なら、反論の論拠を見いだせないまま、「いや~、そうかなあ」と頼りない生返事で疑問を呈するくらいがせいぜいで、あとに続く言葉など思いつきもしなかったのですが、もし、あのとき、この「深夜の告白」を見ていたら、「それを言うなら、ビリー・ワイルダーはどうなんだよ」と言い返すことができたかもしれません。

小津監督が、「非常線の女」を撮ったずっとあとに、きわめて静謐な「東京物語」を撮ったように、ビリー・ワイルダーもフィルムノワールの古典的名作「深夜の告白」を撮ったずっとあとに天才的な艶笑コメディ「お熱いのがお好き」を撮っているじゃないですか。

しかしそれにしても「Some Like It Hot」を「お熱いのがお好き」と訳すとは、なんという快訳! 2度繰り返して使われる「お」の字が十分に生きていて淫猥の「みだらな熱」をいかんなく発していて、その「あえぎ振り」には、いつもながら感心させられます。ここだけの話ですが、はっきり言って「お」の字は、おしなべて猥褻です、思春期にこのタイトルに出会い、妄想を掻き立てられ・煽られて欲情し、「お」の字の意味をはっきりと悟りました。まさにこれはギリギリのヰタ・セクスアリスです。実際のところ、あのモンローに馬乗りされて腰のあたりなぞをモゾモゾまさぐられ、キスなどを迫られた日にゃあ、そりゃあ堪りませんぞ。

「なにそれ? あなたの言わんとしていることが、よくわからんのよ」

「いや、ですからね、ヒッチコックがね」

「えっ、ヒッチコック? 飛びますか、ヒッチコックに。この話の決着がまだついていないというのに?」

「かのヒッチコックがですよ、デビュー映画第1作「快楽の園The Pleasure Garden」1925をドイツの撮影所で撮っているのを、あなたご存知ですかてんだ」

「はいはい」

歴史的な説明を始めると少し長くなるので、末尾に「参考」として掲げますが、当時のイギリスにあっては映画館で上映する作品といえば、金をかけた華やかなアメリカ映画にことごとく席巻にされ、映画館にかかる映画といえば、ほぼアメリカ映画、あるいは「その他の国の映画」に占められていたという状況でした。

その間にも僅かながら製作されていた自国の作品もあるにはあるものの、それらの作品を上映する場も機会もなく(占領されたアメリカ映画を押しのけるだけの魅力も活力もありません)、貧相なイギリス映画(英国民自身がそう認識していました)は完全に駆逐されてお蔵入りになり、だからその作品がさらにまた「古びてしまう」という悪循環に陥っていました、そうした危機的状況を憂慮したイギリス政府は、強制的に自国の映画を無理やりにでも上映させようと法令で定めて、国の力で映画を守る(強引に見せる)という強硬策に打って出るという凋落ぶりを示しました。

後年、日本やドイツの軍事ファシスト政権下での「政府の介入」とは別次元ながら、また、思想の根本も大きく異なってはいるものの、これもやはり「政府の介入」には違いなく、しかし、軍部の指導のもと、国民の戦意高揚のために金に飽かせて作られた景気のいい国策映画が、皮肉にも日本やドイツの映画技術の向上に多大な貢献をはたしたことを考えれば、その国の映画にとって「自由」とはいったいなんなのかと考えさせられてしまう、これは深刻な問題をはらんでいますよね。

そうした状況下で、ヒッチコックは、そのデビュー作をドイツで撮ることになるわけですが、ヒッチコックを魅了した当時のドイツ映画界の隆盛ぶり(むしろ、ナチスが登場するまでの「爛熟ぶり」といった方がいいかもしれませんが)をどう表現すればいいか、しばらく考えてみたのですが、恐怖と幻想と犯罪の三位一体の世界を描いた「ドイツ表現主義」(カール・ハインツ・マルティンの「朝から夜中まで」1920、ロベルト・ヴィーネの「カリガリ博士」1919、パウル・ヴェゲナーの「巨人ゴーレム」1920、フリッツ・ラング「死滅の谷」1920など)を真正面から論じ立てるよりも、むしろ、その後にアメリカに移植されるこれらの異才たちが、ハリウッドにどのような重大な影響をおよぼしたか、その快挙と壮観さを例証した方が、よほど効果的に実感できると思い当たりました。

つねに世界の才能を注入することで、量的にも質的にも規模を広げていったハリウッドが、これらドイツの傑出した才能を放っておくわけもなく、彼らに食指を延ばしたとしても、しごく当然のことだったと思います。

もともとハリウッドの創設者たちが東ヨーロッパから移民してきたユダヤ人だったということも考えれば、ハリウッドがヨーロッパの映画人を受け入れることについて、なんらの抵抗もなかったと思います。

それに、そこには、まず先達エルンスト・ルビッチの成功がありました。

1923年にハリウッドに招かれたルビッチは、ウィットに富んだ「結婚哲学」や「禁断の楽園」など、多くのアメリカ人の憧れのマトだったヨーロッパの香りをもった艶笑喜劇で圧倒的な支持を受けています。

そうしたルビッチの成功もあり、ハリウッド各社は、ドイツを中心に多くの監督、カメラマン、ライター、俳優をハリウッドに招き入れます。

ドイツからは、パプスト、ムルナウ、デュポン、パウル・レニといった監督をはじめエリッヒ・ポマーやアレクサンダー・コルトなどの俳優が大挙してハリウッド入りしてきます、つまり、これは「ドイツ表現主義」そのものが同時にハリウッドに上陸してきたことを意味していました。

そして、この一群には、すでにドイツ映画界で圧倒的な人気を得ていたグレタ・ガルボがいたことも忘れるわけにはいきません。

ガルボ自身はスウェーデン人で、ほぼ同時期に同国からは、ヴィクトル・シェストレームと、モーリス・ステイルレルもハリウッドにやってきています。

ヴィクトル・シェストレームの残した諸作品、とくに「波高き日」1917の抒情詩的な線の太さ、「生恋死恋」1918の雄大な自然描写、「主人」1920の重厚なリアリズム、「霊魂の秘密」1921の二重露出を駆使した神秘主義などは高く評価され、エイゼンシュテイン以前の世界最高の映画芸術作品といわれました、彼は1923年にハリウッドに入りしています(残念ながらトーキーのハードルを越えることはできませんでしたが)。

なお、余談になりますが、「世界映画人名事典・監督(外国)編」(キネマ旬報 昭和50.12.21)のシェストレームの項に、当時の「北欧派映画の特徴」というのが箇条書きで書かれており、大変面白く読んだので筆写しておきますね。

1.「人生は何か?」という純真な問い掛けとそれに伴う神秘主義
2.カメラを屋外へ持ち出して映画に動きと空間的な広がりを与えそれによって風景描写をテーマの象徴の地位まで高めたこと、並びに新鮮な構図美
3.大胆なエロティシズムと愛欲描写

なるほど、なるほど、さすが、かのベルイマンを生んだスウェーデンだけありますね、むかしからそういう生真面目なお国柄だったんだなあと感心をしてしまいました。

ほかには、オーストリアからは、エリッヒ・フォン・シュトロハイムとジョセフ・フォン・スタンバーグがハリウッドにやってきたことも忘れるわけにはいきませんが、なんといっても、ハリウッドに多大な影響を与えたもっとも重要な人物といえば、やはり、チャップリンをおいてほかにはいないかもしれません。

サイレント映画全盛期の1920年代後半、東ヨーロッパの映画界から多くの逸材が流れ込み、「ハリウッドは、もはやアメリカではない」という言い方をされたことがありました。たぶん、その半分は本当で、あとの半分は誇張だったと思います。

この当時、ハリウッドを支えていたアメリカ生え抜きの監督と言えば、グリフィス、デミルといった大御所から、キング・ヴィダー、クラレンス・ブラウン、ヘンリー・キング、ジェームス・クルーズ、ジョン・フォード、ラウォール・ウオルシュといった監督を挙げることができると思いますが、やはり、ヨーロッパからきた映画人の果たした功績なくしては、1920年代後半のハリウッド映画の隆盛を語ることは到底できないことは明らかです。

やがてトーキーの時代が到来すると、ヨーロッパからやってきた映画人の多くが、故国に帰っていきました。

その理由はといえば、外国人としての言葉の障碍があったことがひとつにはありますが、映像を存分に駆使してストーリーを語るという、映画本来の作り方が通用しなくなったという、音を得た新たな映画形式に適応できなかったというのが本当の理由だったかもしれません。

しかし、そうしたなかでもトーキーの到来などにひるむことなく、果敢に映画作りに邁進した映画人もいました。

ルビッチやスタンバーグなどもそうですが、1920年代後半にハリウッドへやってきたウィリアム・ワイラー(フランス)、マイケル・カーティス(ハンガリー)、ルイス・マイルストン(ウクライナ)らは第一線にとどまり、映画作りに健闘した映画人でしたし、彼らの洗練されたスマートな東ヨーロッパの雰囲気が、豊かな「ハリウッド」とうまく融合して、のちに(とはいっても「すぐに」ですが)アカデミー賞を総なめにするほどの実力をつける偉大な監督に成長していきます。

一説では、この「サイレント映画の終焉とトーキー映画の始まり」の境をもって、「ドイツ表現主義とハリウッドの蜜月は終了する」とした見解を以前読んだことがあるのですが、自分としては、すこし納得できないものがありました。

そう考えた契機となったのが、このビリー・ワイルダーの「深夜の告白」です。

前述したとおり、「ドイツ表現主義」の象徴的な雰囲気を、「恐怖と幻想と犯罪の三位一体の世界」だとすれば、このフィルムノワールの古典といわれる「深夜の告白」は、まさに「ドイツ表現主義」の尻尾をはっきりと残している正統的な作品なのではないかと感じた次第です。

この作品「深夜の告白」は、当時の世評も高く、第17回(1944)アカデミー賞作品賞にノミネートされたほどの評価を得ましたが、なによりも脚本賞(レイモンド・チャンドラー、ビリー・ワイルダー)にノミネートされたことが、ビリー・ワイルダーにとって手応えを感じた大きな収穫だったに違いありません。その他のノミネートとしては、主演女優賞(バーバラスタン・ウィック)、撮影賞・白黒(ジョン・F・サイツ)、録音賞(ローレン・L・ライダー)、作曲賞(ミクロス・ローザ)がありました。

このとき、主演女優賞にノミネートされたバーバラ・スタンウィック、結局は受賞とはならず、主演女優賞を獲得したのは、「ガス燈」に主演したイングリッド・バーグマンでした。しかし、当のスタンウィックは、自身がイングリッド・バーグマンのファンクラブに入っているほどのバーグマン・ファンだったので、自分が賞を逃したことなどそっちのけで、バーグマンの受賞を我がことのように心から喜んだと伝えられています。

ちなみに、このとき特殊効果賞を受けたのは、「東京上空30秒」(撮影A・アーノルド・ギレスピー、ドナルド・ジャーラス、ウォーレン・ニューカム、音響ダグラス・シアラー)という作品でした。

このアカデミー賞授賞式が行われたのは、1945年3月15日、ハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ劇場でしたが、アカデミー賞授賞式に先立つ3月9日夜には東京が大空襲され江東区が全滅、実に23万戸が焼失して12万人の死傷者が出るという大惨事がおこっています。さらに、アカデミー賞が行われた前日の3月14日には大阪が空襲され13万戸が焼失するという無残な背景がありました。日本人にとっては、なかなか複雑なものがありますよね。

さて、ビリー・ワイルダーは、「深夜の告白」の翌年に「失われた週末」を撮ります。ときあたかもヒトラーが自殺し、広島と長崎に原爆が投下され、ドイツと日本が降伏して長い戦争が終結したという年でした。

そしてこの、売れない作家がアルコール中毒で幻覚と妄想に苛まれる姿を描いた「失われた週末」によって、ビリー・ワイルダーは、アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞(チャールズ・ブランケットとともに)を同時に受賞して、いよいよハリウッドの一流監督の仲間入りを果たします。主演したレイ・ミランドも主演男優賞を受賞しました。

この第18回(1945)アカデミー賞の授賞式において、いまだに語り草になっている3つの話題があります。

1つは、前回の17回アカデミー賞では、「我が道を往く」が、作品賞・監督賞・脚本賞、主演男優賞、助演男優賞を受賞し、圧倒的な強さを見せつけたレオ・マッケリー監督でしたが、18回のアカデミー賞では、まったく逆の結果になってビリー・ワイルダーが圧勝したこと。

2つ目は、主演女優賞にノミネートされたベテラン・ジョーン・クロフォードが、式直前、おびえのあまり仮病をつかって授賞式を欠席したところ、ふたを開けてみれば受賞となって大騒ぎとなったこと。(まるで映画みたいだ、といわれました)

3つ目は、「緑園の天使」で、幼いエリザベス・テイラーの母親を演じ助演女優賞を得たベテラン・アン・リヴェアは、やがて「赤狩り」が始まると「ハリウッド・テン」を支持したためにワシントンの聴聞会に呼ばれ、仕事の場を奪われ、俳優生命を断たれます。

いずれにしても、公式に実力を認められたビリー・ワイルダーは、さらに高みを目指して撮った作品が、いわゆる内幕ものの「サンセット大通り」でした。そういえば、あの「失われた週末」だって内幕ものといえなくはありません。

いまでこそ撮影所からは相手にされていないとはいえ往年の大女優がカンバックを夢見て、売れない脚本家を抱え込み自分好みの脚本を書かせるという「サンセット大通り」が売れない脚本家の話なら、「失われた週末」は、売れない作家の話ですものね。華やかなハリウッドの世界にも、日の当たらない場所で燻っている人たちをビリー・ワイルダーは、実感を込めて描いたのだと思います。

しかし、結果はさんざんでした、第23回アカデミー賞において、オリジナル脚本賞のほかは、ノミネートどまりで主要な賞をことごとく逃します。

そして、1951年、ワイルダーは、プロダクションを立ち上げて起死回生の、まさにフィルムノワールの色濃い「地獄の英雄」を撮りました。

アル中のために大新聞社をしくじり、地方新聞社に流れてきたチャールズ(カーク・ダグラス)は、インディアン洞窟に生き埋めになった男の事故に遭遇し、これを大々的な事件として仕組み、救出をわざと遅らせ、全米にセンセーションを起そうと企てます。そして、その捏造したスクープをうまく利用して一流新聞への返り咲きを図ります。思惑通り、メディアに踊らされた群衆が集まってお祭り騒ぎとなります。上へ上へと這い上がることしか考えていないチャールズは、つねに「不幸なニュースが一番売れる。良いニュースなんてニュースじゃない(Bad news sells best. Cause good news is no news.)」というのが信条でした。

しかし、この企ても内部から崩壊し、すべてが破綻します。

この作品は、ジャーナリストと大衆を痛烈に描きすぎて、アメリカン・ドリームの暗黒部分を突いたために、公開当時、観客にもアカデミーにも忌避されました。クリント・イーストウッド監督の『ジャージー・ボーイズ』で、カーク・ダグラスが女性の頬を張り倒す強烈なシーンが引用されていたのが、この映画でした。

そして、ワイルダーは、この「地獄の英雄」の決定的な不評によって、もはや従来の「フィルムノワール」のストレートな手法では、アメリカ社会に通用しなくなっていることを痛感します。

それに、「サンセット大通り」製作までのワイルダーの関心事が人間そのものだったのに対して、「地獄の英雄」では、初めて矛先を社会に向け、アメリカ社会のマスヒステリーを容赦なく弾劾しました。

しかし、人間に対する辛辣は許されても、アメリカ社会に対する辛辣は決して許されないことをこの「地獄の英雄」の失敗で悟ったのだと思います。

言い方を変えるならば、ワイルダーは、もうすこしで地雷(アメリカ社会のタブー)を踏みそうになったのだ、ということができるかもしれません。「深夜の告白」「失われた週末」「サンセット大通り」を許容したアメリカも、「地獄の英雄」を許しはしませんでした。

これらの作品に共通していえることは、サイレント映画の迫力を秘めた鬼気迫るおどろおどろしい描写の根底にあるのは、怪奇幻想映画(ドイツ表現主義のなごり)に通ずるものがあったといえますが、しかし、これ以後、ワイルダーは、その作風を大きく転換することとなります。

もちろん、これらの方針転換は、下院非米活動委員会の「赤狩り」が大きく影を落としていることはいうまでもありません。

いずれにしても、自分としては、ビリー・ワイルダーの「地獄の英雄」をもって「ドイツ表現主義とハリウッドの蜜月は終了」したといいたかったのです。

こう見てくると、世界が「東京物語」を発見したあのとき、欧米人がこの黄色い肌をした極東の、奇妙なこだわりを持って風変わりな相似に貫かれた作品を残した東洋の映画監督・小津安二郎に、ドイツ表現主義の系譜を受け継ぐ者として小津監督を認識したのではないかと、チラッと妄想してみたくなりました。



【参考】
1925年当時、サイレント末期のイギリス映画界は、世界から大きく後れを取っていました。イギリスのこの惨憺たる状況について、サドゥールは「世界映画史」のなかで、このように記述しています。
≪アメリカ映画が上映番組の90%を占有し、幾本かのイギリス映画は、外国映画によって独占されたスクリーンに割り込むために非常に長い間待たなければならなかったので、観客は、その女優の衣装がすでに流行遅れになっているのを嘲笑していた。映画製作は捗らなくなり、やがて中止され、外国(仏、伊、大英帝国自治領)におけるその位置を失ってしまった。・・・1924年には、イギリスは34本の映画しか製作しなかった。1925年には、その数は23本に減少し製作費もタレントもなくて製作されたこれらの映画は、外国のヒット作品をどうにかこうにか模倣したものに過ぎなかった。イギリス映画の製作は非常に低落したので、その保護者たちは、映画館に対して、1年間のうちにイギリス映画による番組を1回だけ上映するのを法的に義務づけることを要求しなければならなくなった。≫
製作はおろか、上映さえままならない惨状を呈していたイギリス映画界で最初の作品を撮ることを諦めたヒッチコックは、当時絶頂期にあったドイツ映画界においてデビュー作を撮ることになります。この経験は、後年のヒッチコックの映画(フィルムノワール)に多大な影響を与えたことを、ヒッチコック自身が認めています。



by sentence2307 | 2018-11-02 23:48 | ビリー・ワイルダー | Comments(0)