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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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ジョナス・メカス、逝く

今年に入ってから、すかあふえいすさんのブログ「映画に狂って・・・」におじゃますることが、なんだか頻繁になってしまいました。

なにしろ、昆虫採集ならぬ「映画採集」のプロみたいな方で、労作のいろいろな「収集箱」をのぞかせていただいて、そのきらびやかな映画のタイトルの羅列を眺めているだけで何時間でも楽しめてしまうという優れものです。しかし、このオタクっぽい淫靡な楽しみ方というのは、もしかすると、人を選ぶかもしれませんけれども。

まあ、それは置いといて、カテゴリーをコピペしておきます。

以下が、その見出しです。


犯罪アクション・ミステリー100
戦争映画ベスト100
西部劇ベスト100
コメディ映画ベスト100
メロドラマベスト50
邦画ベスト100
日本アニメベスト100
映画史を作った50本
その他ベスト色々
読んでおきたい映画本 この10冊
ホラー映画ベスト10に向けて
その他映画史いろいろ
映画人のオールタイムベスト:個別
映画人のオールタイムベスト:一覧
その他作家のオールタイムベスト
映画評論家のオールタイムベスト
映画(個別記事)
アニメリスト
漫画
その他映画の感想あれこれ
日記
映画人のオールタイムベスト(個別)
映画人のオールタイムベスト(日本勢)
スティーヴン・フリアーズのオールタイムベスト
映画人たちのオールタイム・ベスト(一覧)
映画監督たちのオールタイムベストPart72


いや~、こうして見ると、世界映画史のすべての魅力の重要な部分だけをチョイスして、とことん簡潔に要約した壮観さで、見飽きるということがありませんよね。

なんか、「この手があったか」という思いで、その素晴らしいアイデアには脱帽ですが、自分も同じようなタイプの「収集狂」を名乗っている手前、なんだか悔しいような思いもしないでもありません、まあ、はっきり言って嫉妬です。

と、まあこんな壮絶な感じなのですが、そのなかの「映画評論家のオールタイムベスト」を開いてみてさらに驚きました、なんとアンドレ・バザンとジョルジュ・サドゥールのオールタイム・ベストなんてのが、あるじゃないですか。

いまでこそ、映画史の本はいろいろと世間に出回っていますが、自分たちの世代にとって、バザンとサドゥールの本は、映画史を勉強するうえで、まさに教科書的な存在でした。ですので、「ジョルジュ・サドゥールのオールタイム・ベスト」とくれば、そりゃあとにかく見ないわけにはいきません。

あっ、そうそう、ここでひとこと申し上げておかなければなりませんが、自分には「加工癖」というのがあって、箇条書きの文字列をみると、それがたとえ時系列で整然と並んでいようと、50音順に並び替えたくなってしまうという性癖がありますので、この「ジョルジュ・サドゥールのオールタイム・ベスト」も、あえて「時系列」を無視して監督名を50音順に並び替えさせていただきました。


5時から7時までのクレオ アニエス・ヴァルダ
二十四時間の情事 アランレネ
囲い アルマン・ガッティ
成功の甘き香り アレクサンダー・マッケンドリック
女の一生 アレクサンドル・アストリュック
魅せられたデスナ河 アレクサンドル・ドヴジェンコ
大地 アレクサンドル・ドヴジェンコ
パサジェルカ アンジェイ・ムンク
地下水道 アンジェイ・ワイダ
世代 アンジェイ・ワイダ
髪を短くした男 アンドレ・デルボー
僕の村は戦場だった アンドレイ・タルコフスキ―
尼僧ヨアンナ イェジー・カワレロヴィッチ
チェコの古代伝説 イジー・トルンカ
野いちご イングマール・ベルイマン
第七の封印 イングマール・ベルイマン
鏡の中にある如く イングマール・ベルイマン
渇望 イングマール・ベルイマン
自転車泥棒 ヴィットリオ・デ・シーカ
グリード エリッヒ・フォン・シュトロハイム
審判 オーソン・ウェルズ
フォルスタッフ オーソン・ウェルズ
ガートルード カール・テオドア・ドライヤー
ジャゴ・フア・サベア A.J.カルダル
貧しい恋人たちのクロニクル カルロ・リッツァーニ
土曜の夜と日曜の朝 カレル・ライス
黒い神と白い悪魔 グラウベル・ローシャ
晴れた空 グリゴリー・チュフライ
誓いの休暇 グリゴリー・チュフライ
美しき五月 クリス・マルケル
女狙撃兵マリュートカ グレゴリー・チュフライ
肉体の悪魔 クロード・オータン=ララ
美しきセルジュ クロード・シャブロル
生きる 黒澤明
私はモスクワを歩く ゲオルギー・ダネリヤ
切腹 小林正樹
怪談 小林正樹
大樹のうた サタジット・レイ
大地のうた サタジット・レイ
大河のうた サタジット・レイ
白毛女 シェイ・ホワ
底抜け大学教授 ジェリー・ルイス
ぼくの伯父さん ジャック・タチ
新のんき大将 ジャック・タチ
幸福の設計 ジャック・ベッケル
穴 ジャック・ベッケル/ジャン=ピエール・メルヴィル
6月6日の夜明け ジャン・グレミヨン
妥協せざる人々 ジャン=マリー・ストローブ
カラビニエ ジャン=リュック・ゴダール
勝手にしやがれ ジャン=リュック・ゴダール
気狂いピエロ ジャン=リュック・ゴダール
女と男のいる舗道 ジャン=リュック・ゴダール
恋人のいる時間 ジャン=リュック・ゴダール
僕は黒人 ジャン・ルーシュ
トニ ジャン・ルノワール
宿命 ジュールス・ダッシン
呪われた者たち ジョセフ・ロージー
銃殺 ジョセフ・ロージー
★営倉 ジョナス・メカス
アメリカの影 ジョン・カサヴェテス
裸の島 新藤兼人
イワン雷帝 セルゲイ・エイゼンシュテイン
戦艦ポチョムキン セルゲイ・エイゼンシュテイン
モダン・タイムス チャールズ・チャップリン
ニューヨークの王様 チャールズ・チャップリン
砂の女 勅使河原宏
蜜の味 トニー・リチャードソン
乾いた人生  ネルソン・ペレイラ・ドス・サンテス
街と夢 ハージャー・アフマド・アッバース
カビリアの夜 フェデリコ・フェリーニ
母 フセヴォロド・プドフキン
大人は判ってくれない フランソワ・トリュフォー
ピアニストを撃て フランソワ・トリュフォー
あこがれ フランソワ・トリュフォー
シシリーの黒い霧 フランチェスコ・ロージ
第9女収容所 フランツェ・シュティグリッツ
華氏451 フランソワ・トリュフォー
エレクトラ マイケル・カコヤニス
電動車椅子 マルコ・フェレーリ
ポケットの中の握り拳 マルコ・ベロッキオ
濁流 マルセル・カミュ
危険な曲り角 マルセル・カルネ
天井桟敷の人々 マルセル・カルネ/ジャック・プレヴェール
さすらい ミケランジェロ・アントニオーニ
情事 ミケランジェロ・アントニオーニ
太陽はひとりぼっち ミケランジェロ・アントニオーニ
雨月物語 溝口健二
鶴は翔んでゆく(戦争と貞操) ミハイル・カラトーゾフ
黒いピーター ミロス・フォアマン
ブロンドの恋 ミロス・フォアマン
海の詩 ユリア・ソーンツェワ
アフリカよ帰れ ライオネル・ロゴーシン
地下鉄のザジ ルイ・マル
恋人たち ルイ・マル
死刑執行人 ルイス・ガルシア・ベルランガ
アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生 ルイス・ブニュエル
ナサリン ルイス・ブニュエル
ビリディアナ ルイス・ブニュエル
若い娘 ルイス・ブニュエル
皆殺しの天使 ルイス・ブニュエル
若者のすべて ルキノ・ヴィスコンティ
郵便配達は二度ベルを鳴らす ルキノ・ヴィスコンティ
熊座の淡き星影 ルキノ・ヴィスコンティ
リラの門 ルネ・クレール
ル・ミリオン ルネ・クレール
天使の家 レオポルド・トーレ・ニルソン
フィン・デ・フィエスタ レオポルド・トーレ・ニルソン
その窓の灯は消えない レフ・クリジャーノフ
プライマリー  ロバート・デュー
バルタザールどこへ行く ロベール・ブレッソン
抵抗 ロベール・ブレッソン
袋小路 ロマン・ポランスキー


あらためてその壮観さには、目を奪われました。

偶然なのですが、この作業を終えたあと、朝刊を広げて読んでいたら、社会面の最下段に、いまさっき、サドゥールのリストの中で見掛けたばかりのジョナス・メカスの訃報を見つけました。


≪ジョナス・メカスが96歳で死去、アメリカ前衛映画界の“ゴッドファーザー”
2019年1月24日 14:29

アメリカ前衛映画界の“ゴッドファーザー”とも称される映像作家で詩人のジョナス・メカスが、現地時間1月23日の早朝に米ニューヨークの自宅で死去。96歳だった。IndieWireなどが報じている。
1922年12月24日生まれ、リトアニアのビルジャイ出身のメカスは、ナチス・ドイツによって故郷を追われアメリカに亡命。1950年代にはニューヨークで実験映画のキュレーションを始め、1954年に弟とともに映画雑誌のフィルム・カルチャーを創刊する。1961年の「Guns of the Trees(原題)」で監督デビュー。1964年に発表した「The Brig(原題)」では、ヴェネツィア国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞を獲得している。撮影技師としては、アンディ・ウォーホルが8時間5分にわたりエンパイア・ステートビルを定点で収めた16mm作品「エンパイア」などに参加した。
1969年には3時間に及ぶ「ウォールデン」で日常を日記のようにカメラで収める“日記映画”というスタイルを確立。リトアニアへの27年ぶりの帰郷を捉えた「リトアニアへの旅の追憶」なども知られている。また実験映画の保存、保管、上映を目的としたアンソロジー・フィルム・アーカイブスを設立。ウォーホルのほかにも、ミュージシャンのジョン・レノン、作家のアレン・ギンズバーグ、画家のサルバドール・ダリらと交流があった。
近年までコンスタントに作品を生み出し、長編では2012年の「Out-Takes from the Life of a Happy Man(原題)」、短編では2013年の「Reminiszenzen aus Deutschland(原題)」が最後の映画となる。アンソロジー・フィルム・アーカイブスのSNSでは、メカスが家族に見守られながら静かに、そして安らかに亡くなったことが報告された。日本国内では2018年10月から11月にかけて特集上映「メカスとの旅 A Journey with MEKAS」が組まれたばかりだった。≫


「営倉」
1963年5月「リヴィング・シアター」で起きた事件で、メカスは、米国社会で大きな注目を集めた。
メカスはリヴィング・シアターで行われた「営倉」という演劇を観に行き、これをフィルム化することを突如思いつく。ここで上演されていた前衛的な演目を不満に思った劇場主が上演期間中に劇場を閉鎖、反発したダンサーが封鎖を破って上演を強行し逮捕されたという事件である。
最終日であったから、メカスとこのアイデアに同意した演劇の俳優たちが翌日夜の閉鎖された劇場に入り込み、セットを俳優たちが作りなおし、同時録音の16mmカメラでいつもの公演を撮る、という方法であった(後日、メカスは映画組合に大目玉をくらったという)。
メカスは封鎖された劇場での一部始終を撮影した映画『営倉 (The Brig) 』は、同年のヴェニス映画祭ドキュメンタリー部門で大賞を受賞した。
従って、劇映画とも違うし、ドキュメンタリーとも違う。メカスの異色作である。
営倉は懲罰房、米軍海兵隊で営倉に入れられている下っ端たちは、教官に熾烈な訓練とシゴキを受ける。教官たちは絶対的な存在であり、棍棒で気の向くまま囚人たちを殴る。囚人は逆らってはならず、「Yes, Sir!」と叫んではロボットのように起床し、着替え、掃除し、走り、腕立て伏せをし、何やら復唱する。何度観ても、何を言っているのかよくわからない。ただひたすらに、叫び声と、規則的に動かす足踏みのだっだっだっという音が耳に残る。
海兵隊のシゴキを描いた映画としては、スタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』(1987年)があったが、情けのかけらもない描写と裏腹の美しい映像とドラマはあくまで劇映画だった。1日で撮られ、既に演劇を観てしまっているという予定調和を避けるために弟のアドルファス・メカスに残酷に編集させたという『営倉』の生の存在感とは、根本的に異なっている。
「これがほんものの営倉だったらどうだろう。米軍海兵隊の許可をとってどこかの営倉に入り込み、そこで行われていることを映画に撮るとしたら。人の目に、どんな記録を見せられるというのか! その時演じられていた『営倉』のありさまは、私にとってはほんものの営倉だった。」
(『メカスの映画日記』フィルムアート社)


(1964アメリカ)監督: ジョナス・メカス、製作: ディヴィッド C. ストーン、脚本: ケネス・ブラウン、原作: ケネス・ブラウン、撮影: ジョナス・メカス、編集: アドルファス・メカス、68 min


そういえば、ロバート・クレイマーが亡くなってから、もうどれくらいの時間が経ってしまったのか、とその訃報を読みながら考えていました。



by sentence2307 | 2019-01-25 23:40 | ジョナス・メカス | Comments(1)
映画芸術科学アカデミーは1月21日、第91回アカデミー賞のノミネーションを発表しました。クメイル・ナンジアニとトレイシー・エリス・ロスのホストで発表イヴェントは進行しました。

是枝裕和監督の『万引き家族』が外国語映画部門で、また、細田守監督の『未来のミライ』がアニメ長編映画部門でノミネートされました。

『万引き家族は』アカデミー賞前哨戦として注目を集める第44回ロサンゼルス映画批評家協会賞で外国語映画賞に輝き、1月13日に発表となったパームスプリングス映画祭でも、外国語映画に贈られるFIPRECI賞(国際批評家連盟賞)を受賞しています。昨年12月に映画芸術科学アカデミーは、外国語映画賞の候補対象となる9作を選出しており、その中にはコロンビアの『Birds of Passage』、デンマークの『THE GUILTY/ギルティ』、ドイツの『Never Look Away』(原題)、カザフスタンの『Ayka』(原題)、レバノンの『Capernaum』、メキシコの『ROMA/ローマ』、ポーランドの『COLD WAR あの歌、2つの心』、韓国の『バーニング 劇場版』が対象作として挙げられていましたが、発表では『万引き家族は』のほかにレバノンの『Capernaum』、ポーランドの『COLD WAR あの歌、2つの心』、ドイツの『Never Look Away』(原題)、メキシコの『ROMA/ローマ』の5作品がノミネートされました。

また、長編アニメーション部門では細田守監督『未来のミライ』のほか『インクレディブル・ファミリー』、『犬ヶ島』『シュガー・ラッシュ:オンライン』『スパイダーマン:スパイダーバース』がノミネートを果たしました。

今年度作品賞候補は8本。アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』が作品、監督、主演女優、助演女優ほか最多10部門でノミネートされ、『女王陛下のお気に入り』が9部門10ノミネートを果たしました。

『ROMA/ローマ』は昨年9月にヴェネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞。モノクロ映像でキャストも無名ながら、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞ほか、前哨戦で健闘しています。

レディー・ガガの初主演作『アリー/スター誕生』は作品賞や主演女優賞、歌曲賞ほか8部門、ジョージ・W・ブッシュ政権のディック・チェイニー副大統領を描く『バイス』も作品、監督、主演男優、助演男優、助演女優ほか8部門でノミネートを獲得しました。

『ブラックパンサー』がアメコミ原作のヒーロー映画として初めて作品賞候補となったのをはじめ7部門でノミネートされ、スパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』が6部門ノミネートで続き、『ボヘミアン・ラプソディ』が作品賞、主演男優賞など5部門、『グリーンブック』も同じく5部門で候補になりましたが。

授賞式は2月25日(日本時間)、アメリカ・ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催されるそうです。

そうそう、このノミネートから授賞式のあいだにいつも思っていて、いざ授賞式になってしまうと、すっかり忘れてしまうことのひとつに、「アカデミー賞」と「ゴールデン・グローブ賞」との相関関係ってよく言われているじゃないですか。

今年こそ、絶対検証してやるぞと思っています。ですので、今年1月7日に発表されたゴールデン・グローブ賞受賞作とノミネート作品を下の方に添付しておきました。


◆作品賞
『ブラックパンサー』
『ブラック・クランズマン』
『ボヘミアン・ラプソディ』
『女王陛下のお気に入り』
『グリーンブック』
『ROMA/ローマ』
『アリー/スター誕生』
『バイス』

◆監督賞
ヨルゴス・ランティモス(『女王陛下のお気に入り』)
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
スパイク・リー(『ブラック・クランズマン』)
アダム・マッケイ(『バイス』)
パヴェウ・パヴリコフスキ(COLD WAR/あの歌、2つの心)

◆主演男優賞
クリスチャン・ベイル(『バイス』)
ブラッドリー・クーパー(『アリー/スター誕生』)
ウィレム・デフォー(永遠の門 ゴッホの見た未来)
ラミ・マレック(『ボヘミアン・ラプソディ』)
ヴィゴ・モーテンセン(『グリーンブック』)

◆主演女優賞
ヤリツァ・アパリシオ(『ROMA/ローマ』)
グレン・クローズ(『天才作家の妻 40年目の真実』)
オリヴィア・コールマン(『女王陛下のお気に入り』)
レディー・ガガ(『アリー/スター誕生』)
メリッサ・マッカーシー(『Can You Ever Forgive Me?』原題)

◆助演男優賞
マハーシャラ・アリ(『グリーンブック』)
アダム・ドライヴァー(『ブラック・クランズマン』)
サム・エリオット(『アリー/スター誕生』)
リチャード・E・グラント(『Can You Ever Forgive Me?』原題)
サム・ロックウェル(『バイス』)

◆助演女優賞
エイミー・アダムス(『バイス』)
マリーナ・デ・タビラ(『ROMA/ローマ』)
レジーナ・キング(『ビール・ストリートの恋人たち』)
エマ・ストーン(『女王陛下のお気に入り』)
レイチェル・ワイズ(『女王陛下のお気に入り』)

◆オリジナル脚本賞
デボラ・デイヴィス、トニー・マクナマラ(『女王陛下のお気に入り』)
ポール・シュレイダー(『魂のゆくえ』)
ブライアン・ヘイズ・カリー、ピーター・ファレリー、ニック・ヴァレロンガ(『グリーンブック』)
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
アダム・マッケイ(『バイス』)

◆脚色賞
ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン(『バスターのバラード』)
バリー・ジェンキンス(『ビール・ストリートの恋人たち』)
ブラッドリー・クーパー、ウィル・フェッターズ、エリック・ロス(『アリー/スター誕生』)
ニコール・ホロフスナー、ジェフ・ウィッティ(『Can You Ever Forgive Me?』原題)
スパイク・リー、デヴィッド・ラビノウィッツ、チャーリー・ウォッチェル、ケヴィン・ウィルモット(『ブラック・クランズマン』)

◆撮影賞
ルーカス・ザル(『COLD WAR あの歌、2つの心』)
ロビー・ライアン(『女王陛下のお気に入り』)
カレブ・デシャネル(『Never Look Away』原題)
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
マシュー・リバティーク(『アリー/スター誕生』)

◆編集賞
『ブラック・クランズマン』(バリー・アレクサンダー・ブラウン)
『ボヘミアン・ラプソディ』(ジョン・オットマン)
『女王陛下のお気に入り』(ヨルゴス・ランティモス)
『グリーンブック』(パトリック・J・ドン・ヴィト)
『バイス』(ハンク・コーウィン)

◆美術賞
『ブラックパンサー』
『女王陛下のお気に入り』
『ファースト・マン』
『メリー・ポピンズ リターンズ』
『ROMA/ローマ』

◆衣装デザイン賞
『バスターのバラード』
『ブラックパンサー』
『女王陛下のお気に入り』
『メリー・ポピンズ リターンズ』
『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』

◆メイクアップ&ヘアスタイリング賞
『Border』(原題)
『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』
『バイス』

◆視覚効果賞
『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』
『プーと大人になった僕』
『ファースト・マン』
『レディ・プレイヤー1』
『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』

◆録音賞
『ブラックパンサー』
『ボヘミアン・ラプソディ』
『ファースト・マン』
『ROMA/ローマ』
『アリー/スター誕生』

◆音響編集賞
『ブラックパンサー』
『ボヘミアン・ラプソディ』
『ファースト・マン』
『クワイエット・プレイス』
『ROMA/ローマ』

◆作曲賞
『ブラックパンサー』(ルドウィグ・ゴランソン)
『ブラック・クランズマン』(テレンス・ブランチャード)
『ビール・ストリートの恋人たち』(ニコラス・ブリテル)
『犬ヶ島』(アレクサンドル・デスプラ)
『メリー・ポピンズ リターンズ』(マーク・シャイマン)

◆歌曲賞
All the Stars(『ブラックパンサー』)
I’ll Fight(『RBG』原題)
The Place Where Lost Things Go(『メリー・ポピンズ』)
Shallow(『アリー/スター誕生』)
When a Cowboy Trades His Spurs for Wings(『バスターのバラード』)

◆長編アニメーション映画賞
『インクレディブル・ファミリー』
『犬ヶ島』
『未来のミライ』
『シュガー・ラッシュ:オンライン』
『スパイダーマン:スパイダーバース』

◆外国語映画賞
『Capernaum』(原題/レバノン)
『COLD WAR あの歌、2つの心』(ポーランド)
『Never Look Away』(英題/ドイツ)
『ROMA/ローマ』(メキシコ)
『万引き家族』(日本)

◆長編ドキュメンタリー賞
『Free Solo』(原題)
『Hale County This morning, This evening』(原題)
『Minding the Gap』(原題)
『Of fathers and sons』(原題)
『RBG』(原題)

◆短編ドキュメンタリー映画賞
Black Sheep
End Game
Lifeboat
A Night at the Garden
Period. End of Sentence.

◆短編実写賞
『Detainment』(原題)
『Fauve』(原題)
『Marguerite』(原題)
『Mother』(原題)
『Skin』(原題)

◆短編アニメーション映画賞
『Animal Behaviour』(原題)
『Bao』
『Late Afternoon』(原題)
『One Small Step』(原題)
『Weekends』(原題)







★ゴールデン・グローブ賞『ボヘミアン・ラプソディ』が作品賞&男優賞の2冠!
2019年1月7日 13時41分

ゴールデン・グローブ賞 The Golden Globe Awards
January 06, 2019 in Los Angeles

<ドラマ部門>

◆作品賞(☆は受賞、ほかノミネート、以下同)
☆ボヘミアン・ラプソディ(ブライアン・シンガー監督)
ブラック・パンサー(ライアン・クーグラー監督)
ブラック・クランズマン(スパイク・リー監督)
ビール・ストリートの恋人たち(バリー・ジェンキンス監督)
アリー スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)

◆主演男優賞
☆ラミ・マレック(ボヘミアン・ラプソディ)
ブラッドリー・クーパー(アリー スター誕生)
ウィレム・デフォー(永遠の門 ゴッホの見た未来)
ルーカス・ヘッジズ(ある少年の告白)
ジョン・デヴィッド・ワシントン(ブラック・クランズマン)

◆主演女優賞
☆グレン・クローズ(天才作家の妻 40年目の真実)
レディー・ガガ(アリー スター誕生)
ニコール・キッドマン(Destroyer)
メリッサ・マッカーシー(Can You Ever Forgive Me?)
ロザムンド・パイク(A Private War)


<ミュージカル/コメディ部門>

◆作品賞
☆グリーンブック(ピーター・ファレリー監督)
クレイジー・リッチ!(ジョン・M・チュウ監督)
女王陛下のお気に入り(ヨルゴス・ランティモス監督)
メリー・ポピンズ リターンズ(ロブ・マーシャル監督)
バイス(アダム・マッケイ監督)

◆主演男優賞
☆クリスチャン・ベール(バイス)
リン=マニュエル・ミランダ(メリー・ポピンズ リターンズ)
ヴィゴ・モーテンセン(グリーンブック)
ロバート・レッドフォード(The Old Man & the Gun)
ジョン・C・ライリー(Stan & Ollie)

◆主演女優賞
☆オリヴィア・コールマン(女王陛下のお気に入り)
エミリー・ブラント(メリー・ポピンズ リターンズ)
エルシー・フィッシャー(Eighth Grade)
シャーリズ・セロン(タリーと私の秘密の時間)
コンスタンス・ウー(クレイジー・リッチ!)

<共通部門>

◆監督賞
☆アルフォンソ・キュアロン(ROMA ローマ)
ブラッドリー・クーパー(アリー スター誕生)
ピーター・ファレリー(グリーンブック)
アダム・マッケイ(バイス)
スパイク・リー(ブラック・クランズマン)

◆助演男優賞
☆マハーシャラ・アリ(グリーンブック)
ティモシー・シャラメ(ビューティフル・ボーイ)
アダム・ドライヴァー(ブラック・クランズマン)
リチャード・E・グラント(Can You Ever Forgive Me?)
サム・ロックウェル(バイス)

◆助演女優賞
☆レジーナ・キング(ビール・ストリートの恋人たち)
エイミー・アダムス(バイス)
クレア・フォイ(ファースト・マン)
エマ・ストーン(女王陛下のお気に入り)
レイチェル・ワイズ(女王陛下のお気に入り)

◆脚本賞
☆グリーンブック
女王陛下のお気に入り
ビール・ストリートの恋人たち
ROMA ローマ
バイス

◆作曲賞
☆ファースト・マン
ブラックパンサー
犬ヶ島
メリー・ポピンズ リターンズ
クワイエット・プレイス

◆主題歌賞
☆「Shallow」(アリー スター誕生)
「All the Stars」(ブラック・パンサー)
「Girl in the Movies」(Dumplin')
「Requiem for a Private War」(A Private War)
「Revelation」(ある少年の告白)

◆アニメーション映画賞
☆スパイダーマン:スパイダーバース
インクレディブル・ファミリー
犬ヶ島
未来のミライ
シュガー・ラッシュ:オンライン

◆外国語映画賞
☆ROMA ローマ(メキシコ)
Capernaum(レバノン)
Girl(ベルギー)
Never Look Away(ドイツ)
万引き家族(日本)

◆セシル・B・デミル賞
☆ジェフ・ブリッジス




by sentence2307 | 2019-01-23 08:02 | アカデミー賞 | Comments(0)
GYAOからメールマガジンの配信を受けているのですが、今日だったか、昨日だったかに着信していたメールを読まずに放置していました。

しかし、そこには、いまGYAOで、かつてキネマ旬報ベスト・テンに入ったような名作を70本も立て続けに無料配信すると書いてあったらしいのです、たまたま回転寿司で会った近所の知り合いのオヤジが教えてくれました。

「70本はすごいよ。なにしろ、すべてタダなんだからさ」

タダという言葉の響きにめっぽう弱い自分などは、おもわず立ち眩みがして、うわずった大声をあげてしまいました。

「ほ、ほ、ほんとですか!!」と。

話をよく聞けば、この企画、ここ1月に始まったばかりらしいので、まあ、そんなに慌てなくてもよくて、まだまだ先は長いみたいだよ、というオヤジの言葉に一応は安心したものの、さっそくタブレットを取り出して検索してみました。

なるほど、これですね、ありました。

ありましたけれども、アナタ、このリストのなかで、もう既に期限が過ぎてしまっている作品てのが何本かあるじゃないですか、そのなかでもまず最初に目についたのが「セデック・バレ」、えっ、なんだよお、これだけは絶対見たかったのにい、アレマ~。

この映画を見る前は、「首狩り族」なんて、とても怖くて薄気味悪く、むかしの現地台湾において生首をいっぱい並べてニッコリなんて写真を見せられると、とてもじゃありませんがおぞましくって、見るのはおろか、ただ聞くのでさえも嫌だったのに、あの映画「セデック・バレ」を見たあとでは、すっかり慣れて平気になっていて、ああ、これがその国の文化を知るってことなのかなあと変な感心をしたのを覚えています、わけ分かりませんが。

まあ、とにかく、GYAOのホームページに載っていたリストを貼っときますね。でも、貼りながらざっと数えてみたら、54本しかないので、このあとまだまだ追加されるということですよね(全70本ということですから)、いまから楽しみですけれども、反面、意識しすぎて「期限切れ」に追いまくられる日々を考えると、見る暇がなくて返却期限がきてしまったレンタルビデオみたいで鬱陶しい強迫観念に待ち伏せされているような気がしないでもありませんが。
以上、こういう経緯があるので、締切日の早いものから見る必要があります、ホームページに載っていたものを、便宜上、締切日の順に組み替えました。ほとんど自分ためだけの必要に迫られた作業にすぎませんが。


≪以下が放映リストです≫

大鹿村騒動記【日本映画/2011年2位】配信期間:2019/1/7~2019/1/13
セデック・バレ【外国映画/2013年4位】配信期間:2018/12/15~2019/1/16
ペコロスの母に会いに行く【日本映画/2013年1位】配信期間:2019/1/8~2019/1/21
岸辺の旅【日本映画/2015年5位】配信期間:2019/1/9~2019/1/22
まほろ駅前多田便利軒【日本映画/2011年4位】配信期間:2019/1/8~2019/1/28
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「おいおい、そんなところでガッカリしてないでさ、こっちきて寿司でも一緒に食べようや」などとオヤジが手招きしています、寿司でも食おうやってアナタね、ここで寿司のほかになに食うつもり? えっ。ほかにったって、ほかなんてねえじゃねえかよ、ここは寿司屋だバカとか思いながら、仕方なく隣に座りました。

そうそう、よくいるじゃないですか、回転寿司の席に座るやいなや店のタブレットを独り占めして、自分の好みの握りをひととおり注文しておいて、あとはオモムロにゆっくりと食べ続けるだけみたいな人。何を隠そう、このオヤジというのが、まさにそのタイプなのです。

しかし、自分などは、あえて注文なんかせずに回ってくる寿司のなかから、自分の好みをチョイスするという(たとえ好みでなくたって、とりあえず目の前にあるもので空腹を満たすという現実容認主義の焼け跡闇市派です)堅実なタイプなので、このオヤジとはどうも波長が合いません。

あちらは、注文した握りがこないうちは手持無沙汰なので、コチラの迷惑も考えず、つまり、コチラは集中して食べたいというのに、そんなことは一切無視して、べらべらと一方的に喋りまくるわ、無理やり同意と返答を要求する無茶ぶりをするわで、落ち着いて食べているような状況じゃありませんし、やがて、オヤジの方に注文のブツが届いてコチラがやっと喋れる段になると、やっこさん、食うのに夢中で、最初のうちは気のない生返事をしていますが、そのうちついに「いま食べてるんだから、うるさいよ!」とぶち切れるという身勝手さです、とてもじゃありませんが、やってられません。

食べ疲れ、話し疲れてゲンナリして黙りこくっている自分の横で相手は活力に満ちて黙々と食べつづけているという実に惨憺たる図柄ですが、しかし、そんな状況でも、自分の話は自然にいつもの「黒澤明のデルス・ウザーラ論」になっていました。

やっと食べ終わったオヤジは、ティッシュで口を拭いながら、

「いままで話をきいているとさ、なんだかんだ言っても、結局オタクは黒澤監督のことが大好きだってことだわな」とバッサリ言われてしまいました。「でもさ、『デルス・ウザーラ』を、なんで『七人の侍』みたいに撮ってくれなかったんだと、いまさら嘆いてみても、そりゃ無理な話だよ」

この黒澤明論、自分が何度も蒸し返すので、もういい加減にしてくれよと言わんばかりのウンザリした顔です。

しかし、そのあとでコチラの気持ちをオモンパカッテか、こう付け加えてくれました。「でもね、その気持ち、大いに分かるよ」

それを契機に、それからのひととき≪あの監督にこそ、こういう作品を撮ってもらいたかった≫という無い物ねだりの空想ファンタジー・ゲームに花が咲きました。

そこで、自分は開口一番、「小津監督に『七人の侍』なんての、どうかね」と。

「おい、またかよ。あり得ねえだろ、もういい加減にしろよ」と、あからさまに嫌な顔をされてしまいました。あり得ないことを、あれこれ空想して楽しもうとしているんだから、いいじゃねえかと思ったりするのですが。

ともかく、それから次々と名匠・巨匠監督の名前をあげて、その監督に「こういうのを撮ってもらいたかったな」という小説とかノンフィクションを次々と挙げつらいながら楽しんだわけですが、そうこうしているうちに、今村昌平監督の名前になったとき、いままでテンション・マックスで声高にワアワア騒いでいたオヤジが、大げさにトーン・ダウンして声を潜め、秘密の重大事でも打ち明けるみたいにこう言いました。

「これはずっと考えていたことなんだけどもさ、今村監督にはぜひ撮って貰いたかった作品ってのがあったんだよ」

相手のペースにつられて、つい自分もひそひそ声になってしまいました、「なにそれ、なになに」

「宮本常一の『土佐源氏』」

「な~んだ、やめてよ、そういうの」

オヤジ、むっとして「なにがよ」と、幾分けわしい顔つきでにらんできました。

「だってさ、それって例の『忘れられた日本人』の宮本常一でしょ。しかもオレ読んだことあるし」

「オタクの読んだのは、高尚でご清潔な岩波文庫版。おれの言ってるのは全然ちがうの」

「えっ、なに、なんなの。早く言えよ、言えってば。言わないかこのタコ」

「まあまあ、そう興奮しないで」となだめるオヤジ。「オタク、相対会って知ってるだろ」

「うんまあ、キンゼイ報告みたいな?」

「あんたね、相対会報告に比べたらキンゼイ報告なんて、ごく「最近」の毛唐の無害な健康診断書みたいなママゴトにすぎないよ。こちとらはずっと歴史があって、もっともっと生々しいんだから。なにしろ1910年代の日本の話だからね。それにその社会的な影響を考えれば、いまでもそこらに出回っている地下出版の春本の原型と基盤(事実、「土佐乞食のいろざんげ」は、「地下発禁文庫シリーズ」(昭和57年)の一冊として刊行されたとのこと)になったという意味では格が違うんだ。オレなんかさ、若いときは『赤い帽子の女』や『田原安江』にはずいぶんとお世話になったもんよ」

「はあ」

「『赤い帽子の女』なんかさ、芥川龍之介が裏の名前で書いたんじゃないかって言われるくらいの名文なんだから。いまどきのガキに比べたら豪儀なもんだよ、なにしろこっちゃあ芥川龍之介センセイの名文でシコシコやってたわけだからヨ」

下品で大胆不敵なその大声に、恐怖と羞恥に縮み上がり、全身の毛という毛が総毛立って、思わず周囲に近所の知ってる人がいないかと、とっさに見回してしまったくらいでした。

「うっもう~、そんな大きな声で・・勘弁してくださいよ」ボケて声量の調節までおかしくなってしまったのかよお、まったく。

オヤジは、そんなリアクションなどお構いなしに、興に乗ってつづけます。

「でね、ちょっとさ、そのタブレット、貸してみなっての」

タブレットをひったくり、パッパッパツと、ある画面を出しました。

「これよ」とオヤジが画面を出したタブレットをもどしてきます。「それが宮本常一の土佐源氏の原型ってやつだよ」

「えっ? みやもとって・・・、さっきのあの話、まだ続いてたの」

「あったりまえだろ、アンタ、いままでなに聞いてたのよ。ちょっとこれ、読んでみ」

タブレットの画面に映し出されていたのは、読書感想文を日記風に綴ったある方のブログで、そこに≪名作・土佐源氏、幻のオリジナル?≫との見出しのページがあり、まず岩波文庫版「忘れられた日本人」の「土佐源氏」冒頭頁の複写が掲げられたあとに、「週刊新潮」(平成15年6月12日号)の数頁にわたる記事の切り抜きが貼ってありました。

記事の総見出しにあたる部分は大きく切り取られていて、判読もなにも手掛かりとなりそうなものなどまったくありませんが、最初の文字が「ポルノ」で始まり、最後が「土佐源氏」で終わっているらしいことくらいはどうにか分かりました。

「それが宮本常一の『土佐源氏』の原型といわれる『土佐乞食のいろざんげ』の一部分らしい」と、さっきのはしゃぎぶりをすっかり失ってしまったオヤジは、なんだか厳粛な低い声でそうつぶやきました。自分がやましくなると、逆に厳粛な顔になる人って世の中にはいますから。

「岩波文庫に収載するときに、差しさわりのある猥褻な個所を自主的に割愛したということだろうな」言下にその「いろざんげ」の書き手も宮本常一自身であることは間違いないと言っているのだなと感じました。

オヤジとの回転寿司店での話は、なんだか尻切れトンボの感じがしましたが、しかし、それでその話は終わりました。

自分は帰宅してすぐに、岩波文庫「忘れられた日本人」を開いて、ブログの「土佐乞食のいろざんげ(週刊新潮・平成15年6月12日号)」との逐語的な照合を試みました。

過激に色っぽい場面のほかは、完全に一致することを確認しました。

そういうことを考えれば、岩波文庫に収載するにあたって、直接的な猥褻な表現の個所を学術的な意味において不要だと判断し割愛したことは、そりゃあ確かにあったと思います。

しかし、そのことと表現の自由がどうのこうのというのとは、また別の次元の問題のような気がしました。

この週刊新潮に掲載された部分を読んで感じることは、読者受けする煽情的で淫らがましい箇所はたしかに積極的に採用・掲載されてはいるけれども、民俗的に貴重な学術的部分は、退屈さを理由に、あえて割愛しているようにも読めました、不自然なくらい話が飛んでいる箇所があり、それは双方がそれぞれに意味の通じない不全な個所を抱え持っているというのが、正直な印象につながっています。

これじゃあ、どこまでいっても同じことではないか、という気がします。

矛盾やリスクを分散して、おのおのがその分野にふさわしい部分だけをもっぱら引き受けて、その結果、お互いがお互いのテリトリーを犯さないようにして自己保身をはかっている、それが共棲するための契約とか取引みたいなご都合主義に見えて仕方ありません。

あらゆる戦時下において市民社会の健全な秩序を守るための口実として公営売春施設を考え出すいかがわしさに通じるような印象をどうしても禁じえないのです。

民俗学の本質は、人畜無害な「土佐源氏」のなかなどにはなくて、おそらく、「土佐乞食のいろざんげ」のなかにこそあるのだろうなということくらいは自分にもかろうじて分かります。



by sentence2307 | 2019-01-20 16:35 | 今村昌平 | Comments(0)

捜索者

全米撮影監督協会(ASC)が、20世紀における優れた撮影の映画作品100本を発表したことを、たまたまネットで知りました。

ただ、そのサイトではベスト10までの発表しかなかったので、あちこち検索して「11位~100位」までの記事を探したのですが、残念ながら、その他の90本については、結局記事を見つけることはできませんでした。

まあ、なければ仕方がないと諦めかけたのですが、反面、どうしても見られないとなると、なおさら見たくなるというのも人情です。

そこで、ASCのホームページにあるリストを引っ張ってきて自分のブログに掲載しました。どこにもアップされてないとなれば仕方ありません、非常手段です。

アップするに際して、英文リストのタイトルを邦題に置き換えなければならないのですが、原題をそのままカタカナ表記にしたものは別にして、イメージを膨らませ創造力を盛ってつけた邦題は、原題を特定するのに少々手間どりました。

製作年度と英語タイトルから邦題の見当をつけるわけですが、だいたいのところは判断できたものの、ほんのいくつかについては、ちょっとした「推理」を必要としたものもありました。

なにしろ邦題命名者が苦労して「意訳」したその分だけ、思考のプロセスを逆にたどる必要があるというやっかいな作業です。

このリストを見て、それにしても日本映画のアップがきわめて少ないじゃないかという非難もあるかもしれませんが、なにせ選んだのが全米撮影監督協会なのですから、そこはホラ仕方ないんじゃないかなと割り切って考えた方がいいと思います。

そして、このリストをざっと見ていくと、

≪捜索者(1956・撮影ウイントン・C・ホック)≫

があるのに気が付きました。

そのときは、意識のどこかでウイントン・C・ホックを「さすがアカデミー賞をとったカメラマンだけのことはある」(「全米撮影監督協会のリスト」→「卓越した『捜索者』の冒頭シーン」→「アカデミー賞受賞の名カメラマン」)と、こんなふうに自分は意識のどこかで考えたかもしれません。

この「捜索者」なら、いまでもyou tubeで断片的なシーンを見ることができますので、ぶつ切りされた一部分のシーンを適当にハシゴして楽しんでいます。そりゃあ、まるごと見るのに越したことはないのでしょうが、「一部分」を見て楽しむのも捨てたものではありません。

ほら、予告編ばかりを見て楽しむっていうのもあるじゃないですか、予告編鑑賞というのも、自分の日常生活のルーティンのひとつになっています。

かねがね思うのですが、本編より予告編の方がよほど魅力的に作られている作品がいかに多いかというのが、自分の偽らざる実感としてあります、考えてみれば、予告編が魅力的に作られていなければ「集客」にはつながらないわけですから、予告編が面白いのはしごく当然な話なのかもしれませんが。

さて、この「捜索者」、まずは冒頭のシーン、暗い室内の扉を開けた瞬間、目の前に西部の荒涼とした風景モニュメント・ヴァレーがまばゆい陽光とともにスクリーンいっぱいに広がって、観客は一気に西部の荒野のただなかに引きずり込まれます。

まばゆい逆光を一身に浴び、黒い影になっている人物の後ろ姿を部屋の内側からとらえたカメラは、ゆっくりと歩み出すその影を追って戸外に出、遥か地平線に目を凝らし、彼方から馬に乗ってやってくるイーサン(ジョン・ウェイン)を遠望し、そして少しずつ近付いてくる彼を家族総出でじっと待つというこのファーストシーンは、何度見ても集中して見入ってしまう静かで抑制のきいた実にすばらしい場面です。

実弟の妻マーサが、まぶしそうに義兄イーサンを見つめ、そして高まる思いを抑えて室内に招き入れる所作の優美と艶めかしさに、このふたりの間に秘めたタダならぬ思いが瞬時にかよい合うのが見て取れますし、義妹へのこの秘めた思いが、この映画のラストにおいて、強烈な人種偏見者イーサンが、一族の血統を守るためにインディアンによって汚された姪への殺意を和らげていく「理由」になっていることを、この映画「捜索者」を何度も見ていくうちに、やっと気が付いたことでもありました。

このわずかなシーンだけで、場所と人間関係の大方を一瞬にして観客に理解させてしまうというジョン・フォードの力量を感じさせずにはおきません。

ジョン・フォードの失われゆくものに対するこの郷愁と抒情性が、小津監督にも、黒澤監督にも多大な影響を与えたということも、なんだかうなずけますよね。

月末にwowowのプログラムが送付されてくると、その放送日に予定があろうとなかろうと、ともかく、一応、「見たい」作品に総チェックを入れるというのが自分の楽しみのひとつになっています。

この1月には、なんとジョン・フォード監督の3本の名作が予定されていて、つまり「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」「荒野の決闘」を放映するそうなのです。

なるほど、なるほど。そりゃ楽しみだわ。

28日~30日は、いまから予定を開けておいて、なんとしてでも絶対に見たい、と思った瞬間、ちょっと待てよと。
自分的にも、いままでジョン・フォードの名作の3作といえば、やはりこの「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」「荒野の決闘」の3作をあげていました。

やっぱり、自分の意識の中でも「捜索者」(この作品に対する最近の高評価を知っていますが)という作品は、まだまだなんだなと思いながら、この作品がどんなふうにいままで扱われてきたのか、ちょっと調べてみたくなりました。

まずは、AFI(アメリカ映画協会)が、1997年に発表した「アメリカ映画100年ベスト100」というランク・リストがあって、その10年後(2007年)には改訂版というのが発表されています。

そのリストの中でジョン・フォード作品の評価がどう動いたか、見てみますね。

怒りの葡萄 1997年・21位→2007年・23位
駅馬車 1997年・63位 →2007年・消去
捜索者 1997年・96位 →2007年・12位 

アメリカ映画史において歴史的な金字塔をうち立てた名作「駅馬車」も、その記念碑的な役割を終えて姿を消し、そのかわりにアメリカ開拓史における特異で深刻なインディアンによる白人の拉致事件を描いた「捜索者」が、近年、評価が高まり、あるいは、歴史的な意味からも注目され始めた象徴的な「交代」ということを反映しているのかもしれません。

しかし、公開当時においては、この緊張感と迫力に満ちた作品も興行的には成功したとは言いがたく、また批評も芳しくなくて、ジョン・ウェイン主演のありきたりな西部劇の1本と認識されて軽く扱われ、ほどなく失敗作という評価が定着して忘れ去られたということでしょうか、もちろん同年のアカデミー賞の候補にも選出されていません。ジョン・フォードのキャリアもこの作品以降ゆるやかな下降線をたどったといわれています。

再評価の契機となったのは、1989年創立のアメリカ国立フィルム登録簿に登録された最初の映画のなかの1本となって、現在ではフォード監督の西部劇「駅馬車」「荒野の決闘」を凌ぐ代表作であり、西部劇映画を代表する傑作として高い評価を得ています。

2008年にはアメリカ映画協会によって「最も偉大な西部劇映画第1位」に選出されています。

自分が、「捜索者」でいい仕事をしてアカデミー賞を受賞したと思い込んでいたウイントン・C・ホックの実績も勘違いだったことに気が付きました。受賞したのは、以下の3本。

1948年 ジャンヌダーク
1949年 黄色いリボン
1952年 静かなる男

そもそも、それまで、インディアンによる白人女性の虜囚と奪還の物語「捜索者」という作品に対して、注意も敬意も払われなかった(単に見たくないものを遠ざけた)というのが、実態だったような気がします。いわば、すべてのアメリカ人の痛みと血の恐怖を描いた作品だったからこそ、あえて無視し「冷遇」したというのが本当のところだったのではないかと。

この作品を論難した代表的な見解というものがあります。

≪(先住アメリカ人の扱いについて)これまでに製作された最も悪意に満ちた反インディアン映画のひとつである。全編を通して、インディアンを殺すことが「インディアン問題」の唯一の解決策という論調に加担している。(ジョン・タスカ)≫
あるいは、
≪この映画は、憎悪と偏見の痛ましい結果を描いており、人間はそうした感情を克服したときにのみ生き続けることが出来ると言っているかのようだ。・・・インディアンはおしなべて残忍で強欲な強姦者か殺人者であるという「真実」と「公正さ」(やられたからやり返す)の追求という点で、この映画は当時の如何なる西部劇よりも先端的だったかもしれないが、もどかしいのは、この映画が本当の意味での公正さのかなり手前で立ち止まっていることだ。≫

たしかに、この物語を最後まで強力に牽引するものは、濃密で根深い「人種的偏見」であり、その思想が端的に描かれているのは、イーサンとマーティンが長い旅のあいまに久しぶりに故郷に戻ると、そこでは、恋人マーティンの帰還を待ちくたびれたローリーが別の男と結婚しようとしている場面、いままさに式がおこなわれようとしているところに行き会い、マーティンは激怒して花婿と殴り合って男を追い払ったあと、恋人ローリーが長い間自分をほったらかしにしていたマーティンの無責任さをなじり怒りをぶつける場面です。

ローリーは彼に、デビー探しなどイーサンにすべて任せてしまえばいいと迫ります。あなたは私のそばにいてと。

「コマンチからデビーを救い出したら、イーサンは異人種の血で汚されたデビーを殺すつもりなのよ。そのためにデビーを探しているの、そんなこと分かり切ったことじゃない。きっと、何度も売り物にされて、高値をつけた男たちにさんざん弄ばれたはずよ。もう、いまごろは野蛮人の子供だっているかもしれない。イーサンがデビーを殺したとしても、それは善いこと、正義にかなうことだと思うわ。天国にいるデビーのお母さんだって、きっとそれを望んでいる。家族の誰もが野蛮人の血で汚された恐ろしい汚点を断ち切って血統を守ることを望んでいるわ」と。

ローリーの美しい顔は、恐ろしい言葉を吐きながら険しくゆがみ、その目は、≪コマンチの頭皮を踏みつけて土中に埋めたときのイーサンの目のように、燃えるような憎悪で輝いていた≫

インディアンを餓死させるために、その食料であるバッファロウを殺しまくり、そして、冷笑を浮かべながらコマンチの死体の目を憎しみを込めて打ち抜いたジョンウェインのその怒りと憎悪に燃える険しい目つきは、まさに鬼気迫る迫真の演技でした。

しかし、マーティンは「自分がいる限り、そんなことはさせない」と激しく否定します、「だから自分も一緒に行かなければならないのだ」と。

実は、このマーティンは白人娘とインディアンの混血で、エドワーズ家に拾われて養育されたという生い立ちをもち、これもまたイーサンの偏見に晒されているひとりとして設定されています。「俺のことを伯父さんなんて呼ぶな、お前のおじさんなんかじゃない」とマーティンに吐き捨てるように言うシーンもありました。

このインディアンと交わりをもった白人(混血児のふくめて)についての強烈な偏見に満ちた所感なら、1961年に撮られた「馬上の二人」のなかでも再度語られています。

ジェームス・スチュアート扮する保安官が、コマンチに拉致されて10年も経った少年について語る場面、

「その子はいま、三つ編みにした髪を肩まで垂らして、髪はバッファロウの脂を塗りたくられ、もの凄い悪臭を放っている。そして、体中のあちこちに傷跡をつけている、自分が勇ましい男であることを証明するためにさ。英語はもうとっくに忘れている。ただコマンチの言葉を唸るように発するだけだ。当然、いままでにも何人もの白人を殺しているだろうさ。そして、頭皮をはぎ取っている、白人の頭皮をね。いわば勇者の誇りってやつだよ。しかも、チャンスさえあれば、相手がきみだろうと白人娘とみればレイプするだろう。それから、切れ味のいいナイフやおんぼろのライフルと交換に、きみを品物みたいに仲間に譲り渡す。そういう若者を、私に連れ戻してほしいと言うのかい?」

もはや、そういう彼を白人社会に同化させることは、いまさら無理なのだと。

しかし、一族の血統を守るためにインディアンへの憎悪と殺意にもえたイーサンが殺すことばかり考えていたインディアンに汚された姪を救出して抱きかかえたとき、気持ちに変化が訪れます。

ジョン・ウェインは、このシーンの演技を正確に理解して、こう語っています。

「最後にイーサンがデビーを抱き上げるとき、その顔を見つめるイーサンの胸中にはどんな思いが浮かんでいたのか、それを自分は考えたんだ。その時イーサンはデビーの瞳の中に彼が愛する女の面影を見ていたのだと思う。それは、イーサンの憎悪を流し去るのに十分だったのさ」

インディアンから姪を奪い返し、安住の家に届けたイーサンは、その家に入ることなく、きびすを返して荒野にむけて立ち去ります。
ファーストシーンで開けられた扉は、このラストシーンでは孤独な男イーサンの後ろ姿を断ち切るように静かに閉じられて物語は終わります。

ジョンフォードは、この映画を、「家族の一員になることの出来なかった一匹狼の悲劇」と述べています。

数日かけてこの小文を書いているあいだに、数本の映画を見たのですが、そのなかにSF西部劇映画「カウボーイ&エイリアン」(2011、ジョン・ファヴロー監督)があって、その解説で、こんな一文に出会いました。

≪スピルバーグがこの映画のエグゼクティヴ・プロデューサーをつとめたとき、監督のジョン・ファヴローや脚本家たちに「捜索者」のニュープリントをみせて、本物の西部劇のなんたるかを理解させた≫と。

この一文を読んだとき、スピルバーグが少年の時にジョン・フォードを訪ねたと、なにかの作品で話していたことを思い出しました、あて推量の「たぶん」という気持ちを手掛かりに、ピーター・ボグダノヴィッチのドキュメンタリーを検索してみました。

なるほど、なるほど。

「ヒッチコック/トリュフォー」 (2015)ってボグダノヴィッチの作品だったんですね。

そして著作としては、

"The Cinema of Orson Welles" (1961)
"The Cinema of Howard Hawks" (1962)
"The Cinema of Alfred Hitchcock" (1963)
"John Ford" (1967; expanded 1978)
"Fritz Lang in America" (1969)

などがありました。すごい、すごい。

これってもう立派な映画史家ですよね。

この分なら、ジョン・フォードのドキュメンタリーだって、あながち「ない」とはいえないのではないかという気持ちになってきました。

そこで、「John Ford」と打って動画検索をかけてみたところ、あるじゃないですか、ボグダノヴィッチが監督した1時間50分のドキュメンタリー映画「映画の巨人 ジョンフォード」(2006、ワーナーと記されています)、これです、これ、自分がむかし見たのと同じものです。

きっと、スピルバーグが少年のときにジョン・フォードを訪ねたというエピソードを語る場面もきっとこのなかに存在しているはずで、最初からとおして見てみることにしました。

イーストウッド、スピルバーグ、スコセッシ、ウォルター・ヒルのフォード賛辞のコメントのあとに映し出されたのは、なんとあの「捜索者」のファーストシーンでした、やっぱね。

そして次には、ボグダノヴィッチが、フォードにインタビューし、ぶっきらぼうな答えしか得ることができず、結局は適当にあしらわれたすえに、業を煮やした偏屈なフォードから「カット!」と叫ばれ突然インタビューが打ち切られてしまうという失笑の場面のすぐあとに、「それ」はありました、スピルバーグの「少年の時にフォードを訪ねた」というエピソードを語るインタビュー、もちろんこの場面のすべてを聞き書きタイプしました。

≪ジョン・フォードに会った、15歳の時分だ。
ある人に会いに行き、将来何になりたいか聞かれたので、監督ですと答えた。その人は、自分はテレビ畑の人間だから、向かいのオフィスの人に逢って話すといいと言われた。誰ですか、と聞くと、ジョン・フォードさと答えた。
そのオフィスに行くと、フォードは昼食に出て留守で、彼の秘書に紹介された。椅子に腰かけて彼女と45分くらい話をした。
突然男が入ってきた。まるで猛獣狩りの格好だ。サファリの服にへなへなの帽子をかぶっていた。アイパッチをしていてハンカチを噛んでいた。手には葉巻を持ち、顔中にニセモノのキスマークがついていた。完全な唇の形をしているやつが、額と頬と鼻にあった。彼はさっさと部屋に入り、秘書がティッシュを持ってあとに続いた。やがて出てきた秘書が1分だけ話せるわよって告げた。
私が部屋に入ると、ジョン・フォードが座っていた。彼の前の机にはブーツが載っていた。
「映画の作り手になりたいんだって?」
「はい、監督志望です」
「映画は、詳しいか?」
「故郷のアリゾナ州で8ミリ映画を撮っています」
「芸術について何を知ってる?」
私はしどろもどろで、なにか答えたと思う。
フォードは、「壁に絵が掛かっているだろう」と言った。
西部の絵だった。「あの絵に何が見えるか言ってみろ」
「馬に乗った先住民がいます」
「そうじゃない、地平線はどこだ。地平線が見えんか」
自分が地平線を指さすと、
「指さすな、どこにあると言ってるんだ。絵全体を見て地平線は?」
「絵の一番下です」
「よし、次の絵だ」次の絵の前に立つと、また「地平線はどこだ」
「絵の一番上にあります」
「こっちにこい」と言われ、彼の机のそばに行った。
フォードは言う。
「つまり地平線の位置を画面の一番下にするか、一番上にする方が、真ん中に置くよりずっといい、そうすれば、いつかいい監督になれるかもな。以上。おわり!」≫

なにしろ、ジョン・フォードとスピルバーグの組み合わせなんですから、とにかく想像力を掻き立てられるものすごい場面ですよね、う~ん、ヒッチコックとトリュフォーの取り合わせというのもすごいには違いありませんが。


捜索者
(1956アメリカ)監督・ジョン・フォード、脚本・フランク・S・ヌージェント、原作・アラン・ルメイ、製作・メリアン・C・クーパー音楽・マックス・スタイナー、撮影・ウィントン・C・ホック、編集・ジャック・ムーレイ、美術・フランク・ホタリング、ジェイムス・べイスヴィ、
出演・ジョン・ウェイン(イーサン・エドワーズ)、ジェフリー・ハンター(マーティン・ポーリー)、ナタリー・ウッド(デビー・エドワーズ)、ワード・ボンド(クレイトン牧師)、ヴェラ・マイルズ(ローリー・ジョージェンセン)、ヘンリー・ブランドン(コマンチ族酋長スカー)、ラナ・ウッド(デビーの少女期)、ハリー・ケリー・ジュニア(ブラッド・ジョーゲンセン)、オリーヴ・ケリー(ジョーゲンセン夫人)、ケン・カーティス(チャーリー・マッコリー)、パトリック・ウェイン(グリーヒル少尉)、メエ・マーシュ(砦の夫人)、ジョンクェイルン、



by sentence2307 | 2019-01-16 16:08 | ジョン・フォード | Comments(0)
全米撮影監督協会(ASC)は100周年を記念して、20世紀において優れた撮影を誇る映画作品100本を発表した。
トップ10以下は順位づけされていない。


ASC Unveils List of 100 Milestone Films in Cinematography of the 20th Century

1.アラビアのロレンス(1962・撮影フレディ・ヤング)
2.ブレードランナー(1982・撮影ジョーダン・クローネンウェス)
3.地獄の黙示録(1979・撮影ヴィットリオ・ストラーロ)
4.市民ケーン(1941・撮影グレッグ・トーランド)
5.ゴッドファーザー(1972・撮影ゴードン・ウィリス)
6.レイジング・ブル(1980・撮影マイケル・チャップマン)
7.暗殺の森(1970・撮影ヴィットリオ・ストラーロ)
8.天国の日々(1978撮影ネストール・アルメンドロス)
9.2001年宇宙の旅(1968・撮影ジェフリー・アンスワース/ジョン・オルコット)
10.フレンチ・コネクション(1971・撮影オーウェン・ロイズマン)


Titles 11–100 (in order of release):

メトロポリス(1926・撮影カール・フロイント)
ナポレオン(1927・撮影レオン・アンリ・ブュレル、ジュール・クルージェほか)
サンライズ(1927・撮影チャールス・ロシャー)
風と共に去りぬ(1939・撮影アーネスト・ホラー)
オズの魔法使い(1939・撮影ハロルド・ロッソン)
怒りの葡萄(1940・撮影グレッグ・トーランド)
我が谷は緑なりき(1941・撮影アーサー・C・ミラー)
カサブランカ(1942・撮影アーサー・エディスン)
偉大なアンバースン(1942・撮影スタンレイ・コルテズ)
黒水仙(1947・撮影ジャック・カーディフ)
自転車泥棒(1948・撮影カルロ・モンテゥオーリ)
赤い靴(1948・撮影ジャック・カーディフ)
第三の男(1949・撮影ロバート・クラスカー)
羅生門(1950・撮影・宮川一夫)
サンセット大通り(1950・撮影ジョン・サイツ)
波止場(1954・撮影・ボリス・カウフマン)
七人の侍(1954・撮影・中井朝一)
狩人の夜(1955・撮影スタンリー・コルテス)
捜索者(1956・撮影ウイントン・C・ホック)
戦場にかける橋(1957・撮影ジャック・ヒルドヤード)
黒い罠(1958・撮影ラッセル・メティ)
めまい(1958・撮影ロバート・バークス)
北北西に進路をとれ(1959・撮影ロバート・バークス)
勝手にしやがれ(1960・撮影ラウール・クタール)
去年マリエンバードで(1960・撮影サッシャ・ヴィエルニー)
8 ½(1963・撮影ジャンニ・ディ・ヴェナンツィオ)
ハッド(1963・撮影ジェームズ・ウォン・ハウ)
博士の異常な愛情(1964・撮影ギルバート・テイラー)
怒りのキューバ(1964・撮影セルゲイ・ウルセフスキー)
ドクトルジバゴ(1965・撮影フレディ・A・ヤング)
アルジェの戦い(1966・撮影マルチェロ・ガッティ)
バージニアウルフなんて怖くない(1966・撮影ハスケル・ウエクスラー)
暴力脱獄(1967・撮影コンラッド・ホール)
卒業(1967・撮影ロバート・サーティーズ)
冷血(1967・撮影コンラッド・ホール)
ウエスタン(1968・撮影トニーノ・デリ・コリ)
明日に向かって撃て!(1969・撮影コンラッド・ホール)
ワイルドバンチ(1969・撮影ルシアン・バラード)
時計仕掛けのオレンジ(1971・撮影ジョン・オルコット)
コールガール(1971・撮影ゴードン・ウィリス)
ラスト・ショー(1971・撮影ロバート・サーティーズ)
ギャンブラー(1971・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
キャバレー(1972・撮影ジェフリー・アンスワース)
ラストタンゴ・イン・パリ(1972・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
エクソシスト(1973・撮影オーエン・ロイズマン)
チャイナタウン(1974・撮影ジョン・アロンゾ)
ゴッドファーザーPart II(1974・撮影ゴードン・ウィリス)
バリーリンドン(1975・撮影ジョン・オルコット)
カッコーの巣の上で(1975・撮影ハスケル・ウエクスラー)
大統領の陰謀(1976・撮影ゴードン・ウィリス)
タクシードライバー(1976・撮影マイケル・チャップマン)
未知との遭遇(1977・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
デュエリスト/決闘者(1977・撮影フランク・タイディ)
ディアハンター(1978・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
エイリアン(1979・撮影デレク・ヴァンリット)
オール・ザット・ジャズ(1979・撮影ジョゼッペ・ロトゥンノ)
チャンス(1979・撮影キャベル・デシャネル)
ワイルド・ブラック/少年の黒い馬(1979・撮影キャベル・デシャネル)
マンハッタン(1979・撮影ゴードン・ウィリス)
シャイニング(1980・撮影ジョン・オルコット)
炎のランナー(1981・撮影デヴィット・ワトキン)
U・ボート(1981・撮影ヨリス・バカーノ)
レッズ(1981・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
ファニーとアレクサンダー(1982・撮影スヴェン・ニクヴィスト)
ライトスタッフ(1983・撮影キャベル・デシャネル)
アマデウス(1984・撮影ミロスラフ・オンドリチェク)
ナチュラル(1984・撮影キャベル・デシャネル)
パリ、テキサス(1984・撮影ロビー・ミューラー)
未来世紀ブラジル(1985・撮影ロジャー・プラット)
ミッション(1986・撮影クリス・メンゲス)
太陽の帝国(1987・撮影アレン・ダビュー)
ラストエンペラー(1987・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
ベルリン・天使の詩(1987・撮影アンリ・アルカン)
ミシシッピーバーニング(1988・撮影ピーター・ビジウ)
JFK(1991・撮影ロバート・リチャードソン)
紅夢(1991・撮影チャオ・フェイ)
許されざる者(1992・撮影ジャック・グリーン)
バラカ(1992・撮影ロン・フリック)
シンドラーのリスト(1993・撮影ヤヌス・カミンスキー)
ボビー・フィッシャーを探して(1993・撮影コンラッド・ホール)
トリコロール/青の愛(1993・撮影スラヴォミール・イジャック)
ショーシャンクの空に(1994・撮影ロジャー・ディーキンズ)
セブン(1995・撮影ダリウス・コンジ)
イングリッシユ・ペイシェント(1996・撮影ジョン・シール)
L. A.コンフィデンシャル(1997・撮影ダンテ・スピノッティ)
プライベート・ライアン(1998・撮影ヤヌス・カミンスキー)
シン・レッド・ライン(1998・撮影ジョン・トール)
アメリカンビューティ(1999・撮影コンラッド・ホール)
マトリックス(1999・撮影ビル・ポープ)
花様年華(2000・撮影クリストファー・ドイル)



by sentence2307 | 2019-01-14 14:36 | 映画 | Comments(0)

人はなんで生きるか

自分は、子どものころに、「ちょっと、おかしな子」と言われていました、どこがどうおかしいのかは、もちろん自分では分かりませんし、大人になったいまでは、お陰様で世間知に長けたごくフツーの常識人として人並な成長をとげ平穏な生活もできていますので、たぶん、あれは、誰もが子ども時代に持ったであろう一般的な特徴としての「おかしさ」の範囲内のものにすぎなかったのだなと思います。

しかし、「おかしな子」と言われていた当時でも、本人としては、これと思い当たることもありませんし、当然、その自覚もありませんでした。

しかし、あるとき、テレビを見ていたら、なにやらの専門家とかいう大学教授の先生が出てきて、この「おかしな子」の特徴として、特定な分野や事象に対して「異常なこだわり」を持つことがあげられ、それが芸術分野だったなら、偉大な芸術家となる素地になるというようなことを話していました。

なるほど、映画「gifted/ギフテッド」2017じゃありませんが、天才数学者だとか、天才物理学者だとかは、もしかするとギリこれだなと、だいたい、ああいう賢さはどこか異常なものがなければ在り得ないことだよな、などと妙に納得しながら、そのテレビを見ていました。

つまり、そのときはまだ、自分とはなんの関係もない、まったくの他人事として聞いていたわけですが、自分は少し前のブログで、黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」について、黒澤監督らしからぬ作品であると非難を込めて書いたことがあります。黒澤監督の作品として「あれはないだろう」という感じです。

実は、そのことがずっと気になっていました、いえいえ、非難しすぎて後悔しているとか、疚しいとか罪悪感ということではありません、むしろ、当初これだけは言ってしまおうと考え用意していたものを、書き進む勢いに酔っているうちに、肝心な「これ」の部分をすっかり失念して、コラムを完結させてしまった、その「言い足りなさ」がいまでも気持ちのどこかに引っかかっていて、モヤモヤがずっと晴れなかったのです。

口論をしているうちに、次第に激してしまい、当初考えていた「これだけはどうしても言わなければ」と用意していた重要で決定的なキモの部分を失念し提示できなかったという不完全燃焼のモヤモヤ感です。

そんなふうにウダウダ考えているときに、テレビのあの「おかしな子の異常なこだわり」の解説に遭遇し、そして、かつて自分が「おかしな子」といわれていたことも同時に思い出しました。

しかし、いま自分が囚われているウダウダのこだわりが、もし「それ」なら、それはそれで仕方ないじゃないか、むしろそういうのは優れた資質ではないかという気分になり、なんだかだんだん安らかな気持ちになっていくのが実感できました。「こだわり? あった方がいいでしよう、そりゃあ」という感じでしょうか。

なので、あのとき、失念してしまって「言い足りなかった」ものをストレス解消の意味を込めて書いてみますね。

あのとき、自分は、ロシア文学には、黒澤監督が映画化するのにもっとふさわしい土俗的・土民的な粗野で野蛮で残忍な題材が山ほどあることを具体例(ドイツや満州での暴虐もそのひとつでした)をあげて証明するつもりでした。

横暴な地主は農奴を徹底的に酷使し、彼らが命令に従わなければ足腰が立たなくなるまで殴りつけ、駈りあげ、皮膚が破れ、血が噴き出し、肉が裂けて、骨が見えるまで鞭打ちます。もとより同じ人間などとはハナから考えておらず、2本足で歩く薄汚いただの家畜としか思っていない地主は、強情な家畜のなまけ癖は骨身にしみてぶちのめして分からせなければ示しがつかないと、死ぬほど打擲します、そのためにたとえ死んでも、こんな食い詰めた農奴など代わりならそこらに幾らでもいると嘯きます。

農奴は農奴で、ただ従順に鞭打たれているわけではなく、ひそかに寄り集まっては、自分たちが殺されるよりも先に、横暴で残忍な地主をなぶり殺すことばかりを憎悪と憤怒のなかで謀議しています。

これじゃあ、そのうち革命だって起こるわな、という感じです。

それにこの憎悪の深さは、革命後の反革命勢力にたいする執拗で残忍な徹底弾圧を納得させるものがあるかもしれません、そんな例ならソヴィエトでも中国でもゴマンとあります。

自分が、ロシア文学のなかでこれらの残忍な描写を具体的に意識しだしたのは、実はトルストイ後期の民話集「人はなんで生きるか」(岩波文庫)でした。

トルストイの後期というのは、その特徴として、宗教性・道徳性・社会教化性が顕著になり、宗教家・道徳家の側面が高まり強調されていく時期です、とくにその時期に書かれた「人はなんで生きるか」は、虐げられている下層社会であえぐ民衆の、その救いを描いた作品として夙に知られています。

しかし、その高貴な宗教性にもかかわらず、小説においては、結局最後には否定され、救済されはするものの、核になるその悲惨で無残な「エピソード」というのが、実にリアリティがあるのです。

どういうことかというと、「バカまぬけオタンチン、お前の母さんデベソ、デブ、ブス、インポ、つるっぱげのゲジゲジ野郎」と罵ったあとで、「というのは全部うそ」と否定して澄ましているようもので、つまり、最後には全否定するものの、「全部、言っちゃったじゃん!!」という感じを持ったのです、あとで否定するからといって、そこまで言っちゃっていいのか、という感じです。

とにかく、その「悲惨すぎてむごたらしい」箇所に付箋を付けまくりました。

その前にコラムを書くときに自分がよくやることなのですが、amazonで一般的な「感想文=世評」というのを幾つかチラ見してみることにしています。いわば書く前の「世評」のカンニングというやつですね。

つまり、「世評」に従って添い寝するなり、受けねらいで意表をつくなり、無視するなりと、そこはいろいろ作戦というものがありますから。

ひととおり読んでみて、はは~ん、という気持ちになりました。

やっぱ公式的な「神の愛」とか「隣人愛」とか「心を洗うような作品」ですかね。

こうして大方の感想を読んでみて、なんか予想したままなので、いささか失望してしまいました。

Aと書かれていたら、そのままAとしか読むことも理解することもできないとしたら、そういう人は読書の面白さなんて永遠に味わえないと思いますよ、きっとね。

そりゃあ、「愛」は「愛」でいいですよ、よく分かりましたから。

しかし、トルストイの説く神の愛が、結局は貴族で地主の上から目線の角度で説かれている限界と「姿勢」とを、うまい具合にシンクロさせているだけということも見逃すわけにはいきません、偽善者とまでは言いませんが、農奴の扮装で仮装してひとり悦にいっている貴族地主の変態野郎という思いからどうしても自由になれません、少なくとも本当の農奴ではなかったわけですから。

「人はなんで生きるか」に収録されている作品は5作品、その中で地主・管理人と農奴の確執を描いた「ろうそく」という小説を紹介しますね。

まず、地主に管理人として雇われた男の描写

≪地主がほかの領地で使っていた屋敷つき農奴を抜擢して、その土地の管理人になおした。・・・金もだいぶこしらえていたので、罪なことをしないでも暮らしに心配はなかったのであるが、人を羨む心の強い男だったので、いつでも罪からはなれることが出来なかった。手はじめに、彼はまず百姓たちを、きまりの日数以上の賦役労働に追い立てはじめた。煉瓦工場をはじめて、男女の百姓を酷使し、作った煉瓦を売りに出した。百姓たちは、モスクワにいる地主のところに嘆願に出かけたが、それはなんにもならなかった。地主は百姓たちをただ追い返して、管理人の頭を抑えようとはしなかった。管理人は、百姓たちが嘆願に行ったことを知ると、それを根にもって彼らに仕返しをはじめた。百姓たちの生活はますます悪くなった。百姓たちのなかにも不信なものが出てきて、管理人に自分の仲間を密告したり、互いに告げ口をしたりしはじめた。それで、百姓たちはみんな混乱するし、管理人はいっそう我意をふるうようになった。
こうして進んでいくうちに、管理人はついに人々から、まるで、狂暴な野獣かなんぞのように恐れはばかられるようになった。彼が馬で村を通ると、百姓たちはみな、まるで狼でも来たように彼を避けて、彼に見られないように、ところきらわずどこへでも隠れるのだった。管理人はそれに気がつくと、みんながそんなに自分を恐れることに対して、いっそうひどく腹を立てた。そして打擲と仕事とで、いよいよますます百姓たちを苦しめたので、この男のために百姓たちは、日増しに多くの苦しみを受けなければならなかった。≫

そして、

≪世には、こうした悪者をそっと殺してしまったことがよくあった。そして、この百姓たちのあいだでも、よりよりこんな話が出るようになった。どこかわきのほうでこっそり寄り合うと、その中の血気な者がこう言いだす。「わしらはいつまであの悪党を我慢しなきゃなんねえだ。どうせ破れかぶれじゃねえか。あんな奴はいくらぶち殺したって罪にもなんにもなるもんじゃねえ」
一度、百姓たちが、復活祭の前に森へ集まったことがあった。管理人から主人の森の下生えを刈るように言いつけられたので、昼弁当に集まった時に彼らは相談をはじめた。
「こんなことでわしらはどうして生きていけよう? あいつはわしらの骨までしゃぶっちまうだろう。仕事ばかりむやみに押しつけくさって、昼も夜も、おれたちだって女どもだって、ちっとも休む暇なんてありゃしねえ。ちょっとでもあいつの言い分にさからったが最後、難癖つけてぶちのめしゃがる。セミョーンはあいつにぶん殴られたおかげで死んだし、アニーシムは手枷足枷でへとへとにされちまった。このうえわしらに何を待つことがあるだ。今日だって、夕方ここへやってきて、またひでえことをやりだしたら、かまうこたあねえ、奴を馬から引きずりおろして、斧でたたき切っちまや、それで事はおしまい。そして犬のようにどこかへ埋めて、証拠を水に流してしまうまでのこんだ。ただ申し合わせが大切だ。みんなが心をひとつに合わせて、裏切りなんかしちゃならねえ」≫


激烈な言葉群を一字ずつタイプしているうちに、これって「七人の侍」の利吉のセリフではないかと錯覚してしまうほどでした。

この小説群が書かれたのは1885年ですが、やがて1910年に家庭不和からトルストイが家出を決行して地方の小駅で、野垂れ死に同然で死亡します。

しかし、トルストイの描き夢見た階級融和も神の奇跡も一向に示されることなく、階級対立はますます悪化し、激化し、深刻化して、死の数年後には、ついに同じ民族が凄惨に殺し合うロシア革命が勃発しました。

これらの小説に書かれている「隣人愛」や「神の愛」を多くの善良な読者と同じように額面通り受け取っていいものかどうか、かすかな戸惑いを感じているところです。


by sentence2307 | 2019-01-05 17:28 | 映画 | Comments(0)
去年の暮れに国立映画アーカイブでスウェーデン映画特集上映があって、そのことをブログに書いて以来、なんだか最近、自分的には北欧映画づいているのかもしれないなと思い始めています。

たまたまかもしれませんが、前回ブログに書いた「365日のシンプルライフ」2013という作品もフィンランド映画でしたし、「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」2017や「女神の見えざる手」2016に主演したジェシカ・チャスティン(どちらの作品も同一人物が演じたとは思えない素晴らしい演技でした)などは明らかに北欧系の美女ですよね。

また、自分が大好きな「gifted/ギフテッド」2017に主演した天才子役マッケナ・グレイスにも北欧系美女の雰囲気を感じましたし。作品自体も自分のタイプとしてこうした「天才もの」映画が大好きなので、この「gifted/ギフテッド」も1週のうちに2度も立て続けに見てしまった映画でした。同じ映画を週に2度見るなんて異例なことで、実に久しぶりの出来事でした。

そうそう、つい一昨日見たばかりのアレキサンダー・ペイン監督の「ダウンサイズ」2017にも、後半に出てくるコロニーのシーンにはノルウェーの美しいフィヨルドの風景が映し出されていて、その美しさには思わず目を見張りました。

「北欧か、実にいいよなあ」って感じです。

でもこれは、夢みたいな憧れにすぎず、たぶん北欧旅行なんか自分には到底実現不可能な話だと思うので、せめて旅行会社の案内チラシを眺めるくらいで気を紛らわしている始末です、その観光チラシには、代表的な5つのフィヨルドとして、ガイランゲルフィヨルド、ノールフィヨルド、ソグネフィヨルド、ハダンゲルフィヨルド、そしてリーセフィヨルドが紹介されています。

さらに解説には、2005年にガイランゲルフィヨルドと、ソグネフィヨルドの支流、ネーロイフィヨルドが世界遺産に登録されたと記されていました。

手元にある「世界遺産事典」の「西ノルウェーのフィヨルド ガイランゲルフィヨルドとネーロイフィヨルド」の項に、こんな説明がありました。

≪西ノルウェーのフィヨルド、ガイランゲルフィヨルドとネーロイフィヨルドは、ノルウェーの西部、海岸線が複雑に入り組んだ美しいフィヨルド地帯。フィヨルドとは、陸地の奥深く入り込み、両岸が急傾斜し、横断面が一般にU字形をなす入江で、氷河谷が沈水したものである。ガイランゲルフィヨルドは、オーレスンの東にあるS字形をしたフィヨルドで、ノルウェーの文学者ビョーンスティヤーネ・ビョーンソンが「ガイランゲルに牧師はいらない。フィヨルドが神の言葉を語るから」と言ったことで有名なフィヨルドでノルウェー四大フィヨルド(ソグネフィヨルド、ガイランゲルフィヨルド、リーセフィヨルド、ハダンゲルフィヨルド)のひとつである。ネーロイフィヨルドは、ベルゲンの北にある全長205km、世界最長・最深のフィヨルドであるソグネフィヨルドの最深部アウランフィヨルドとともに枝分かれした細い先端部分にあるヨーロッパでもっとも狭いフィヨルドである≫

なるほどね、このまま読みふけっていると、ますます「北欧行きたい」が募って遣り切れなくなるので、ここでちょっと話を映画「gifted/ギフテッド」に戻しますね。

自分が「天才もの」映画にたまらない魅力を感じるのは、例えば「gifted/ギフテッド」でいえば、こんな場面です。

孫メアリー(マッケナ・グレイス)が数学にずば抜けた能力を持っていることを知った祖母(リンゼイ・ダンカン)は彼女を大学に連れていき、旧知の教授の前でその能力を証明しようという場面、メアリーは黒板に書かれた膨大な数式の問題を前にして、ずっと考えていますが、ついに「解けない」と大人たちに伝えます。

帰り道で、祖母は「いくらなんでも子供にあんな難しい問題を出すなんてね」と、がっかりしているに違いないメアリーを思いやって慰めます。

しかし、メアリーは、こう言います「問題が間違っているんだもの、答えられないよ」と。

その言葉を聞いて驚いた祖母は、取って返して、もう一度、メアリーを黒板の前に立たせます。メアリーは、問題の誤記をひとつひとつ修正してから、その問題をなんなく解いてしまいます。

その天才ぶりを目の当たりにした教授は、メアリーに問います、「なんでさっき、問題に誤記があることを言わなかったのか」と。

メアリーは答えます、「目上の者の誤りを正して不快な思いをさせるな、そんな生意気なことをしたら、世間に受け入れてもらえないぞ、と同居している叔父のフランクからいつも言われている」と。

思えば、映画「アマデウス」も、俗世間のなかでは天才が天才として生きていくことの困難を描いた映画でしたよね。モーツァルトは、天性の無邪気さで俗世のなかで生きていこうとしますが、その「無邪気さ」は徹底的に世間から利用され、その「才能」までも食いつぶされて破滅に追い込まれる。しかも、それは、モーツァルトの天才(努力しないでも、出来てしまえること)を見抜き理解したただひとりの人物、凡庸なる同業者サリエリの嫉妬と怯えによって仕掛けられた罠にはめられたという皮肉な映画でした。

映画「gifted/ギフテッド」においては、「世間知」を欠落させた天才ゆえの不幸(自殺したメアリーの母親)が、このストーリーの前提となっていて、そういうイキサツで姉を失った弟フランクは、姪のメアリーにだけはそんな人生を送らせたくないと考えています。

しかし、この映画を見ていると、俗世に晒して傑出した才能をむざむざ埋もれさせたくないと歯噛みする祖母の気持ちも、なんだか理解できるような気がします、メアリー自身、年相応の幼稚な学校の授業に無理やり押し込められ、うんざりして机に突っ伏している場面だってありましたし。自分にもこの「机に突っ伏す」という記憶なら、あるにはあります、まあ自分の場合は、授業についていけなかったので、なんかこの・・・。

天才が俗世に埋もれてしまう悲惨を描いたのが「アマデウス」だとしたら、「gifted/ギフテッド」は、凡人とした俗世に生きる気楽さを奪われて「特別な人間」として常に結果を求められる極限状態に身を晒すことを強要され、心身ともにボロボロになることが、「それって人間としてどうなのよ」と疑問を投げかけた作品なのだなと理解したのですが、そうそう、「天才もの」映画といえば自分の好きな作品がもう1本ありました。

ガス・ヴァン・サント監督、マット・デイモン主演の「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」です。この作品は、逆に、世俗にまみれ悪環境に埋もれている「天才」をすくい上げるという作品でした、こう考えていくと、天才といってもいろいろだなあと思います。とにかく、いずれにしても自分にとっては、はるか遠い無縁の世界(なにしろ当方は、何十年も机に突っ伏しつづけていて、いまだに顔をあげるタイミングさえつかめていません)のことなので、夢物語を楽しむ以上の実感は湧いてきません(結論って、それだけかい!)。

ここまできて自分が何について書いているのか、だんだん分からなくなってきましたので、最初に立ちかえって読み返してみました、なるほどね、「北欧、実にいいよなあ」あたりから、どんどんズレまくっているじゃないですか、そうだ、そうだ、この小文のタイトルは≪「卵の番人」の謎は「キッチン・ストーリー」で解け!≫なんでしたよね、ちょっと修正させてください。

ベント・ハーメル監督「卵の番人」1995は、年老いた兄弟の物語で、ストーリーはひとことで言えてしまうシンプルなもの(老いた兄弟のもとに兄の隠し子がやってきて平穏な生活が乱され、弟がひっそりと家を出ていく)なのに、いかにも北欧の監督作品らしい、幾分悲し気な、ゆったりとした時間の流れる映像に身を任せ浸り溶け込んで、時間などすっかり忘れてじっくり見入ってしまう魅力的な映画です。

途中から老兄弟の生活に加わる兄の隠し子というのが、ベルイマンの「第七の封印」で悪魔を演じていたあの俳優ではないかと錯覚してしまうくらいの険しい表情のつるっぱげの不気味な巨人、それでなくとも夜中に目をギラギラ見開いて奇声を発するというこの薄気味悪いキャラクターが、この映画の理解を一層困難なものにしていて、さらに加えて、ベント・ハーメル監督の一切説明的な説明をしないという撮り方もあり、映画を見たあとでも、実際には各人の中ではまだ「映画」は完結しておらず、尾を引いていて、その後もあれこれと考えることを強いる奇妙な作品ということができるかもしれません。

その最大の不可解さは、ラストシーンで弟・モーが夜中にひっそりと家を出ていくその理由というのが「なぜなんだ」「分からない」といったネット上での感想の氾濫とさまざまな憶測がアップされていることから見ても分かります。

あえて言えば、兄のファーが隠し子コンラードの入浴の世話をしているスキを狙って、コンラードの部屋に忍び入り、卵の蒐集箱の卵をいじりまわしたり、メモを読み漁ったり(その気配をコンラードもリアルタイムで察知しているかのような微妙な目つきを捉えた不気味な描写もあります)、そのあとで兄ファーから「コンラードの物を触ったろう! コンラードが動揺しているぞ」と弟モーが厳しく非難されるという場面が、あるいはこのラストの謎を解く唯一ヒントなりうるシーンかもしれません。

つまり、弟としてみれば、いままで兄から曲がりなりにも払われていた「敬意」が、この瞬間に崩れ消滅したと感じ、弟は家を出ることになったのだという見解です。家を出ていく弟モーを窓からじっとうかがうコンラードの気配も、その線でドラマに奥行きを持たせたものと解釈することもできます。

などと考えていたとき、引き続いて同じベント・ハーメル監督の「キッチン・ストーリー」2002を見ました。

この作品の解説にはこうありました。

≪1950年代にスウェーデンで実際に行われたという「独身男性の台所での行動パターン調査」をヒントに、調査員と調査対象者となった2人の中年男性の交流をユーモラスに綴ったコメディ≫なのだそうです。

つまり、独身老人の家におのおの調査員が配属され、台所における調査対象者の一日の動線を調査しようという奇妙なものなのですが、部屋の隅に頭が天井に届くくらいの背の高い椅子に腰かけて一日中無言で被験者をじっと見続けるというのも、設定からしてとにかく笑わせます。

最初は、気難しい被検者の老人は心を開かず無視無言の態度をとっていますが、調査員が無断で塩を借りたことから徐々に打ち解けあって親交を深めるというストーリーで、あまりに近づきすぎて、誕生祝の飲酒が規則違反だと上司から咎められ、調査員が失職してしまうというストーリーです。上司に密告したのが、それまで被検者の老人と親交のあった友人グランドで、酒盛りの翌朝早く上司を同乗させ、上司に現場を急襲させています。

このシーンを見ながら、あの設題≪「卵の番人」の謎は「キッチン・ストーリー」で解け!≫の回答もまた、やっぱ「嫉妬だ」という気がしました。

そう思いながらも、しかし、この映画でやはり見逃してはならないのは、ノルウェーにとっての、スウェーデンという国の位置づけなのではないのかな、という思いがありました。

極東の島国でのんきに暮らす日本人には、ノルウェーにとっての、スウェーデンという国の位置づけ(歴史的にも)というのが、いまひとつ分からないのですが、この映画からは、ノルウェーにとってのスウェーデンは、なんだか偉そうにしているような煙たい違和感のある国という印象がありますよね、右側通行とか左側通行とか。もしかしたら、国境を接する近しい国だけにそれなりのイザコザもあったでしょうから、そこには微妙な違和感もあって、その分、鬱陶しく感じる部分もあるのかもしれませんね。そんな気がしました。


★卵の番人
(1995ノルウェー)監督・ベント・ハーメル、脚本・ベント・ハーメル、製作・フィン・イェンドルム、撮影・エリック・ポッペ、美術・ジャック・ヴァン・ドンバーグ、編集・スタッフィ・グドマンソン、衣装デザイン・ライラ・ホルム、
出演・スベレ・ハンセン、ヒエル・ストルモーン、レーフ・アンドレ、トロンド・ホヴィック、レイフ・マルンバーグ、アルフ・コンラッド・オルセン、ウルフ・ベンガール

★キッチン・ストーリー
(2002ノルウェー・スウェーデン)監督・ベント・ハーメル、脚本・ベント・ハーメル、ヨルゲン・ベリマルク、製作・ベント・ハーメル、ヨルゲン・ベリマルク、撮影・フィリップ・オガールド、音楽・ハンス・マティーセン
出演・ヨアキム・カルメイヤー、トーマス・ノールシュトローム、ビョルン・フロベリー、リーネ・ブリュノルフソン、スブレエ・アンケル・オウズダル、レーフ・アンドレ



by sentence2307 | 2019-01-04 12:15 | ベント・ハーメル | Comments(0)