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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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三尺左吾平

以前「時代劇専門チャンネル」で「三尺左吾平」という1944年の東宝作品に遭遇しました。

喜劇王エノケン生誕100年という2004年、しかもキャストには高峰秀子の名前もあったので、引き寄せられるように「当然、ひと笑い」という心積もりで見始めた作品だったのですが、まず、全編をおおう不気味な暗さには驚きました。

喜劇王エノケンが出演しているからといって、お気楽な喜劇とみくびって接すると大火傷をしてしまうかもしれません。

この映画の製作年度は1944年、太平洋戦争の末期、敗色の濃くなった絶望的な戦況のもとでヒステリックでナーバスになっている内務省の干渉によって映画の製作環境が極度に悪化し、それはちょうど三谷幸喜が「笑の大学」で描いてみせたあの最悪の環境の下で、強引に滅私奉公の精神を注入しようとする検閲官の手で「喜劇」が「喜劇」たり得ないまでにずたずたにされ、無残な残滓のようになってしまった深刻な実例が、この「三尺左吾平」なのではないかと思えるほどの「不気味な喜劇」に仕上がっていました。

物語は、あの有名な伊達藩のお家騒動、エノケンの役どころは、健脚でお人好しの足軽・左吾平、軽輩ながら忠義の気持ちは人一倍強く、江戸にいる敬愛する若君に「じきじきにお声を掛けていただく」ことを夢見ながらも、同時に、足軽の身分ではそんなことは思いよらないことも重々分かっている忠義者です。

江戸屋敷で原田甲斐に毒を盛られ暗殺の危機にあるその若き主君の命を救うというストーリーなのですが、最初、左吾平の「忠義の気持ちは人一倍」という一本気な気持ちが、逆に敵陣営の付け入るスキを作り、おだて挙げられ、うまく利用されて、結果、左吾平が深く敬愛していた主君擁立派の重要人物(黒川彌太郎)は、結局詰め腹を切らされてしまいます。

エノケン=左吾平は、自分の不注意から起きた失態を大いに悩み、仲間からも裏切り者と謗られるなどの紆余曲折のなかで、いつの間にか変質させられてしまった自分の「忠義」について思い悩み、どうすれば主を思う自分の真心=忠義の気持ちを主君にお伝えすることができるのか、そのためには自分は何をすればいいのか、などと真剣に考えます。

エノケン=左吾平が悩むその気持ちにぴったりと寄り添っていくことになる観客も、いつの間にか「どうすれば主を思う自分の真心=忠義の気持ちを主君にお伝えすることができるのか、そのためには自分は何をすればいいのか」と反芻しながらエノケンの気持ちの流れをそのまま受け入れていくことになるのかもしれません。

この映画を見ていた僕も、だいたい似たようなプロセスを経て、同じような心境に至りました。

観客がこの「主君」像をどう読み替えるか、この映画を「料理」した検閲官は、本当に優れていた人だったのだなあとつくづく感心します。

しかし、この映画を観ながら、なぜ自分が、これだけ容易に「主君につくす滅私奉公」の気持ちを受け入れることができたのか、そのマインド・コントロールの方程式を知りたくなりました。

きっと、この映画のどこかに庶民の気持ちを「主君」へと揺り動かすキイワードがあるはずだと思いました。

子供の頃、杉浦茂のシュールなギャグ漫画「猿飛佐助」などをこよなく愛読してきた者にとって、このエノケンの映画を見て真っ先に注目したのは、彼が持っている長い刀の先につけられた車輪です。

画面であの奇妙な車輪を見た瞬間、思いは瞬時にあの漫画に夢中になっていた子供の頃の思いに連れ去られてしまいました。

確かあの漫画にもその珍妙なアイデアが使われていた記憶があったからです。

エノケン演じるこの左吾平は足軽ながら居合い抜きの名人、手挟んでいる刀というのが身の丈にあまる長刀です。(それでなくとも、ごく単身のエノケンです。)

それを腰に差そうというのですから、あまりの長さに刀の先が地面に届いてしまい、そのために、その先端には車輪が取り付けられていて、背の低い左吾平ことエノケンが歩くと、地面の上を刀の先の車輪がガラガラと回るという仕掛けで、きっとその「刀ガラガラ」の場面では、エノケンや製作者は、観客を「笑かす」ねらいだったのだろうと思います。

その奇妙な動作で歩く姿は、あきらかに滑稽に演じているはずなのに、その奇妙な格好にさえ笑えないような凄みというか重苦しさが、無残にもこの国策映画全体を支配していました。

喜劇が喜劇でなくなってしまっているという、これは象徴的な作品でした。

江戸屋敷にいる幼い主君が、伊達藩だけで獲れるという珍しい魚を所望し、それを江戸表に届ける役を仰せつかった左吾平(エノケン)は、その魚を途中で死なせてしまいます。

厳罰を覚悟して主君の前でかしこまっている左吾平に、殿は、彼のあやまちを一言もなじることなく、労をねぎらい休息を命じます。

この喜劇くずれの「滅私奉公を説く国策啓蒙映画」におけるこれは最も重要な場面です。

敬愛する殿に一目でもお会いしたい、恐れ多いとは知りながら一言でもお言葉を掛けていただきたい、命を捧げて忠義を尽くそうという左吾平に対して、殿は忠臣の辛い思いのなにもかもをすべて分かっているうえで、あやまちをなじるどころか優しい言葉で労をねぎらうという、ここに主君と足軽が一体となる封建武家社会の主従関係の基本的な精神的連繋を突き抜けて、本土決戦が迫った危機感のなかで軍部が国民になにを求めようとしていたのかが分かるような気がしました。

それは、この映画を見ている観客の気持ちの中では、きっと「臣民たるもの、ありがたくその一命をカシコキアタリに捧げよ」という明確なメッセージとして伝わっていったであろう、「見事な」国策映画だったのだと思います。

(44東宝)製作・氷室徹平、演出・石田民三、脚色・三村伸太郎、撮影・友成達雄、音楽・栗原重一、美術・島康平、録音・村山絢二、照明・横井総一、
出演・榎本健一、高峰秀子、黒川弥太郎、伊藤智子、横山運平、志村喬、清川荘司、尾上栄三郎
1944.07.06 白系 7巻 2,011m 74分 白黒
# by sentence2307 | 2007-02-04 10:10 | 榎本健一 | Comments(3)

ラクダの馬さん

日本の喜劇王・榎本健一の生誕百年にあたっていた2004年、TVで「エノケンの幻の映画発見」として「ラクダの馬さん」が、50年振りに浅草で上映されたというニュースを流していたことを思い出しました。

実は、落語ネタを結構気にしているほうなので、落語そのままの乗りを生かした映画化のハチャメチャなヤツが、結構好きなのですが、しかし、意外にも、「落語もの」が、全部が全部ハチャメチャにスカッと仕上がっているかといえば、そんな成功作に出会うことは滅多にありません。

三木助、志ん生、円生(しかし8代目文楽だけはこの噺をレパートリーにしていなかったのか、記録をどうしても探し出すことが出来ません)などの天才的な落語家たちの、その卓越した話術によって笑わされてしまうのは、それはただただ話者の優れたテクによるからで、その話術の支えがなくなれば、話そのものは随分とシンプルで、かつ陰惨なだけに、力量のないコメディアンや着想の乏しい演出家にかかると、それはもう陰々滅々たる物凄い映画に出来上がってしまうという場合の方がずっと多いのです。

だからでしょうか、開き直ってその逆を突いたような川島雄三の「幕末太陽傳」の斬新な毒には、衝撃を受けました。

さて、幻の映画「らくだの馬さん」がいかなる映画か、パソコンで検索してみて、同じ題名の作品が2本あることを発見しました。

50年の松竹作品と、57年の東映作品です。

それにしても、1950年度の松竹作品は既に消失してしまっており、今回公開された「幻の映画」は、東映作品とのことですが、1957年に撮られた映画が既に「幻の映画」になってしまうなんて、日本の映画の保管体制って、随分怖いことになっているんだなあなんて変な関心をしてしまいました。

参考のために、この2本の映画の戸籍調べをしてみましたので、以下に記します。

★1950.3.25 製作=松竹(京都撮影所)=エノケンプロ 監督・大曽根辰夫、製作・小倉浩一郎、脚本・藤田潤一、撮影・太田眞一、音楽・栗原重一、美術・桑野春英、録音・森沢伍一、照明・寺田重雄、
出演・榎本健一、中村是好、黒川弥太郎、志織克子、進藤英太郎、折原啓子、森健二、清水金一、山路義人、飯田蝶子、田中謙三、玉島愛造、草島競子、国際劇場 10巻 2,311m 白黒

★1957.2.12 製作=東映(東京撮影所)企画・依田一郎、監督・石原均、監督補佐・梨岡元、脚本・舟橋和郎、撮影・藤井静、音楽・山田栄一、美術・森幹男、録音・小松忠之、照明・銀谷謙蔵、編集・祖田富美夫、進行主任・田島作也、スチール・鈴木敏雄・鈴木敏雄、
出演・榎本健一、於島鈴子、宮川玲子、原国雄、藤田淑子、岡田みどり、杉狂児、小峰千代子、月丘千秋、中村是好、花沢徳衛、益田キートン、日野明子、曽根秀介、山本いさむ、河童六十四、富士山竜、長谷川晴男、清見淳、滝島孝二、沢彰謙、丹羽一郎、潮健児、久保一、青山定司 6巻 1,647m 白黒 
# by sentence2307 | 2007-02-04 09:48 | 榎本健一 | Comments(1)
ある日、プログラムを見ていたら、なんとチャンネルNECOで亀井文夫の「信濃風土記より 小林一茶」41を放映するというので、あわてて録画予約をしたことがありました。

こんな感じで貴重な作品を自分の不注意から見逃してしまうことがたびたびあります。

わずか30分足らずの小品とはいえ、いまだ未見のこの作品、本による予備知識ばかりを詰め込むだけ詰め込んだ状態で、僕にとっては期待ばかりが過剰に肥大してしまった作品のひとつといえます。

なるほど、噂にたがわず、亀井文夫のあの独特の映像美を心ゆくまで堪能することができて満足でした。

僕の友人には亀井文夫のイデオロギーがらみの姿勢を辛辣に批判する(映画を政治の道具にしている、ということに対する嫌悪です)ものもいるのですが、僕としては、それは少し違うかなと思っています。

政治的な映画を、ただ政治的な価値観だけで解釈しようとすれば、どこまでいっても結局そこには意味あるものは何ひとつ見出せない不毛な世界しかないでしょう。

この「信濃風土記より 小林一茶」の中で、たとえば大凶作に苦しむ農民たちが、ことごとく立ち枯れた桑の葉を荒涼たる原野に立ち尽くして、じっと凝視し続ける絶望的なあの場面でさえも、友人ならきっと「あれは、ヤラセだ」くらいには言うかもしれません。

しかし、それがヤラセかどうかなど、荒廃した原野に辛うじて立っている病馬のような農民たちの強烈なあの映像の前にあって、なにほどの意味があるといえるでしょうか。

いかなる作為をほどこそうと、映画は時代を写してしまう鏡です。

キャメラは、しっかりと凶作に荒廃した田畑をとらえ、そして、困惑し落胆し絶望した農民のなにもかもをとらえてしまっています。

絶望の表情を撮影のためにキャメラの前で改めて演じ直させる作為が、もし亀井にあったのなら、真実の伝達を演技というカモフラージュに加工して伝えようとした、それこそ権力に対するあからさまでない異議申し立てを、一茶に託し語り出そうとしていたのかもしれませんね。

この亀井作品を見た後で、高原登監督の「俳人芭蕉の生涯」49を見ました。

ナレーションは同じ徳川無声、製作はともに東宝映画文化映画部となっているので、当時東宝の文化映画部で俳人を描く特集でもあって、その一環として作られたのかもしれません。

録画する際、最近はテープを止めずにそのまま回しっぱなしにしています。

名作や著名な作品ばかりがターゲットの「予約」では決して見ることもない無名な作品を任意に録画して、時間が出来たときに見るようにしているのです。

そこで得た収穫として「姿なき108部隊」(56大映)という作品に出会いました。

笠智衆がキャストの一番になっていました。

監督は、高峰秀子の「チョコレートと兵隊」38がテビュー作だった佐藤隆で、佐藤監督が最後から2番目に監督した作品のようでした。

1940年に長野県の観光課の協力で「信濃風土記」3部作として企画され、1作目の「伊那節」(フィルム現存せず)に続く2作目の作品で、3作目になるはずだった「町と農村」は、ついに完成しませんでした。

信濃出身の19世紀の俳人・小林一茶の俳句をモチーフにして、県の8割以上が山岳地帯で占められた信濃の農民が厳しい自然と格闘する苦難に満ちた生活を、「関東大震災記録」23、「怒涛を蹴って」37などのカメラマン・白井茂が撮影した詩的なドキュメンタリーで、否定的にいう友人がいる一方で、この作品を亀井文夫のドキュメンタリー最高傑作だという友人もいます。

それは、ひとつには、この作品の中に映し出される、群れ遊ぶ多くの信濃の子供たちの表情に「ここにいる子供たちは、まさにオレたち自身なのだ」という土俗的な魅力を感じるからでしょう。

そこには冷害による大凶作を前にして呆然とする大人たちも含めて、それらはまさに「未開の原住民というニュアンスをこめた日本原人」とでもいってみたくなるようなナマの表情が映し出されています。

そして、彼らをさらに魅力的に見せているものは、多分「貧困」です。

亀井は、この作品を発表したあと、思いもよらず検挙され投獄されました。

検挙の理由は、「上海」以来、一般大衆の反戦的共産主義の啓蒙昂揚を図ったということでの投獄でしたが、この「戦中投獄された映画監督は亀井ただひとりだった」という勲章にも似た経歴が、あるいは亀井の戦後をある意味で困難にしてしまったのかもしれませんね。

そして、彼のメッセージにどうしても必要だった「貧困」が、日本から徐々に解消されてしまったことも、もうひとつの大きな原因だったかもしれません。

亀井に烙印されたこの「反戦」というものに対する戦後日本の微妙な空気を、丸谷才一は、その著「笹まくら」で見事に活写していました。

(41東宝映画文化映画部)監督・亀井文夫、製作村治夫、撮影・白井茂、録音・酒井栄三、音楽・大木正夫、解説・徳川夢声、35mm、3巻743m、28分・モノクロ、1941.2.18日本劇場
# by sentence2307 | 2007-02-03 23:56 | 亀井文夫 | Comments(44)

白蛇伝 

ひとくちに我が国初の長編漫画映画と言っても、洗練された現代からはとうてい想像できないような困難があったことは想像できます。

当時も、例えば「桃太郎・海の神兵」など、一部当事者たちは、長編漫画映画というものを経験的に既に持っていたとはいえ、しかし、そこには、それらをはるかに上回る研ぎ澄まされた天才的なひらめきとか、練達した技術とか、計り知れない個人的な犠牲など、いわば条件的にまったく異なったマニアックな「特殊事情」があって、初めて長編漫画映画という条件を満たしたことを見逃してはならないと思います。

動画から個人的な作家性という典型的なマニュファクチュアを後退させ、近代的な大工場システムという分担制を導入したという点では画期的な出来事だったにしても、それは同時に、ズブの素人を鍛えて7万枚以上の動画を描き挙げるというリスクを抱えながら、一定の水準以上の成果を示したのは、もちろん藪下泰司の偉業といっていいでしょう。

この作品は、日本アニメーション映画史にとって、まさに歴史的な事件といっていいかもしれません。

ただ、これも、当時にあって、藪下アニメを修身的だとか名作路線だとか非難する論評も一部にあったと後の資料で知りました。

僕の個人的な感想の表明を許してもらえるならば、「修身的だとか名作路線」だったからこそ心底安らいだ子供がいたことを記しておきたいと思います。

少し時間が経ちすぎてやや記憶が薄れてしまったのですが、あれは確か去年の夏ごろ読売新聞の夕刊に、佐久間良子が大写しになっている写真が掲載されていました。

最近では、それだけでも珍しいのに、彼女の背後には、東映動画「白蛇伝」の白蛇の化身した美少女パイニャンの衣装をつけた若き日の彼女自身が写り込んでいました。

単に、知らなかったのは僕だけだったのかも知れませんが、この取り合わせは、本当に意外でした。

改めて検索をして知ったことですが、この「白蛇伝」は、東洋のディズニーを自認する東映動画が、本編の一部をディズニー作品の製作方法を真似て、俳優の演技を実際に撮影し、その実写の動きを参考にアニメーションを作画したということを初めて知ったのですが、さらに、その俳優というのが、デビュー当時の佐久間良子とだったとは。

まあ、そういう演技を「ライブ・アクション」と呼ぶのだということを今回初めて知っただけでも大きな収穫ですが。

当時、高校3年生だった宮崎駿が、このパイニャンに恋してしまったという有名な話の方は、かろうじて知っていましたが、その話を又聞きした佐久間良子が照れたというオマケつきの方は、残念ながら・・・。

(1958東映動画)(製作)大川博(監督・脚本)薮下泰司(企画) 高橋秀行、赤川孝一、山本早苗(原案)上原信(台詞構成)矢代静一(撮影)塚原孝吉、石川光明(録音)森武、小松忠之(音響効果) 吉武富士夫(編集) 宮本信太郎(背景) 草野和郎、前場孝一(原画)大工原章、森康二(動画) 大塚康生、坂本雄作、喜多真佐武、紺野修司、中村和子、寺千賀雄、楠部大吉郎、長沼寿美子、藤井武、加藤洋子、松隅玉江、赤坂進、中谷恭子、永沢詢、奥山玲子、小田克也、石井元明、野沢和夫、杉山卓、桜井百合緒、大田朱美、生野徹太、堰合昇、市村純子、島村達雄、烏丸軍雪、山室正雄、勝田稔男、元藤郁子、笠井晴子、高松新八郎、相磯嘉雄、石野佳子、福島信行、渡辺保三郎、関口正子、高尾研三、市堀千恵子、太宰真知子、杉井儀三郎、吉田迪彦、堀川豊平、江藤昌治(トレース・彩色) 進藤みつ子、山田みよ、伊藤澄子、宮崎正子、本橋文枝(風俗考証) 杉野勇造(進行) 稲田伸生(構成美術)岡部一彦、橋本潔(音楽)木下忠司、池田正義、鏑木創(現像)東映化学工業株式会社
(声の出演)森繁久弥、宮城まり子
(79分・35mm・カラー)
# by sentence2307 | 2007-02-03 23:44 | 映画 | Comments(0)
「エロ」という言葉が持っていたしたたかな反社会性が、いまではもうすっかり失われてしまっているとしても、なにも驚くほどのことではないのかもしれません。

かつては裏の社会で使われていたはずのスラングの多くが、いまではすっかり市民権を獲得し、日常の場でごく普通に使い廻されていることを思えば、いかなる「言葉」も、その運命付けられているイメージの寿命みたいなものから逃れることが出来ないのかもしれません。

どんなに過激な言葉も、人々の間で使われていくうちに商品として「エロ可愛い」的に流通し、生活のなかにどんどん取り込まれることで衝撃性が薄まり、結局単なる「記号」に貶められる運命にあるからでしょうか。

しかし、たとえかつてはタイトルを口にするのさえ憚られたこの作品「エロ事師」という言葉自体の衝撃性が、そのように薄められたとしても、この映画が描いている「淫」の世界にひたすらに下降し続けようとする反社会的な姿勢、「スブやん」という人物が有している社会への同化を頑なに拒んでひたすら下降し続けようとする生き様の方は、いかに包容力に富むしたたかで寛容な「市民社会」といえども取り込み不能であることは、この作品がいまだ社会に対して一線を画しながら、その衝撃性を保ち続けていることでもよく理解できます。

それがつまり、「『エロ事師たち』より 人類学入門」が、あらゆる時代にたいして、いまだ、そして常に時限爆弾であり得ている理由だと思います。

初期の今村作品を川島雄三作品の影響下で作られたものという解釈で論じている小文を幾つか読んだことがありますが、川島雄三と今村作品との決定的に違いは、破滅性の欠如だと思います。

今村作品のなかから「さよならだけが人生だ」という突き放すような虚無感を探し出すことは、とても困難な作業です。

また一方、あるサイトでこの「『エロ事師たち』より 人類学入門」の感想を読んでいたら、ブルーフィルムの撮影方法を一生懸命論じている感想にぶつかりました。

《8ミリは基本的に複製が出来ないので、販売用のフィルムを作るときは最初から複数台のカメラを連結して撮影する。小型の8ミリカメラを横に8台連結させたものを2組用意し、撮影現場では二人の人間が同時にカメラを回すのだ。》とかなんとか、

これって、そういう映画だったのかとちょっと驚きました。

そのほか、「エロ事師とは、」から始まって「エロ本、エロ写真、エロテープ、エロ8ミリの製作販売から、売春の斡旋、乱交パーティーの主催に至る、ありとあらゆるセックスビジネス」の内容を微に入り細に亘り滔々と並び立てている批評もありました。

この作品が「そういう」ことを描いている作品なのか首を傾げてしまいました。

「スブやん」が手掛けている仕事は、男たちが抱く妄想の、つまりエロ本、エロ写真、エロテープ、エロ8ミリに託した「性欲」を煽り立てるための具現化=つまり道具づくりです。

言い換えれば、多くの人々が晴れがましい市民社会で「常識的」に生きていく自己欺瞞のために抑圧しなければならない「性欲」の補填物として求められているモロモロの小物です。

「スブやん」は、数々のエロい小物の製作を極めていく過程で人間の補填物としての「そのこと」に気づき始めます。

エロ事をどこまでも誠実に極めていこうとする「スブやん」の姿勢を支えているものは、性欲に対して誠実であるに違いない人間たちが、常に自分とその仕事を求めているに違いないという思いです。

そこには、人間に対する無防備で手放しの、頼りない一方的な信頼があるだけです。

だから、そこには性欲の抑圧を認めないまま不誠実に生きている人間たちへの想定外の欺瞞の裏切りにあって孤立するしかない「スブやん」の追い詰められた孤独な姿が描かれてもいるのだと思います。

しかし、このような絶望的な状況に追い込まれていく「スブやん」は、破滅するわけでも自殺するわけでもありません。

ひたすら下降し続けながらも、しかし、川島作品で見られる破滅や自殺を結論付けないという部分が、今村作品と川島作品の決定的な違いだと考えています。

(66今村プロ・日活)企画・友田二郎、監督脚本・今村昌平、脚本・沼田幸二、原作・野坂昭如、撮影・姫田真佐久、音楽・黛敏郎、美術・高田一郎、編集・丹治睦夫、録音・紅谷愃一、スクリプター・荻野昇、照明・岩木保夫、
出演・小沢昭一、坂本スミ子、近藤正臣、佐川啓子、田中春男、中野伸逸、菅井一郎、園佳也子、木下サヨ子、菅井きん、北村和夫、浜村純、中村鴈治郎、榎木兵衛、西村貞子、桜井詢子、殿山泰司、ミヤコ蝶々、甲田啓子、西岡慶子、小倉徳七、玉村駿太郎、福山博寿、福地登茂、西村晃、島米八、佐藤蛾次郎、加藤武、須藤圭子
1966.03.12 11巻 3,503m 白黒 ワイド
キネマ旬報主演男優賞(小沢昭一)、毎日映画コンクール男優主演賞(小沢昭一)、毎日映画コンクール女優主演賞(坂本スミ子)
# by sentence2307 | 2007-02-03 09:29 | 今村昌平 | Comments(0)