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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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以前、この映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を見たあとで直感的に感じたことを、友人にそのまま話したことがありました。

「これって、大島渚の『愛のコリーダ』みたいじゃないか」と。

そのときの友人のあからさまな素っ気ないリアクションを待つまでもなく、すぐに、見当違いなことを話してしまったかもしれないなと反省し、よく考えもせずに思い付きを口にしてしまったことを後悔した覚えがあります。

しかし、いまにして思えば、この映画の随所に写し込まれている物々しい戦車の往来や武装した軍人の猛々しい行進など戒厳令下の緊迫した社会不安が、台湾で起きたこの少年殺人事件を独自の世界観で描いたこの作品を考えるうえで、ひとつの見方を与える重要なヒントとなるかもしれないと考え直すようになりました。

「愛のコリーダ」は、戦前日本の戦時体制にあった戒厳令下で、まるで追い立てられるように安宿の密室に追い詰められた吉蔵とお定が、ひたすら自傷的な性交にふけり、やがて相手の死によってしか終わらせられないような無残な「まぐわい」の果ての最期に、若干であっても「自由でありたい」と願う痛ましい疎外者たちの叫びを微かに聞いたように、台湾の社会にどうしても受け入れられず・馴染めもしなかった外省人たち、その息子や娘たちが突き付けられた「戒厳令」という台湾社会からの冷ややかな「拒絶」によって疎外感や動揺に見舞われ、しかし、それでもどうにかして生きていかなければならない外省人の貧しい娘・小明が、権力を持つ何人もの男たちに依存しなければならなかった彼女の、その「生き方(次から次に男たちを渡り歩く節操を欠いたふしだらさ)」を知った小四がその卑屈さに屈辱と怒りとに逆上し、衝動的に小明の腹部に刃を突き立て、さらに何度も何度も突き刺して殺害する場面、そのとき小四がなんと叫んでいたのかが知りたくて、同じシーンを何度も繰り返し見直しました。

小明の脇腹を突き刺しながら、小四は、こう叫んでいました。

「君は、ダメな奴だ! 恥知らず!」

怒りに任せて小明の脇腹に小刀を何度も突き通し、やがて、力尽きてぐったりと地に伏した小明に驚いて、小四は叫びます。

「小明、立てよ、早く立てよ。力を入れて。君は死なない、信じてくれ。急いで立つんだ。君にはできる。早く立ってくれ。立ってよ。どうして立てないんだ」

小四の言葉をこうして逐語的に写し取っていくと、「君にはできる。早く立ってくれ」という言葉は、随分と象徴的な言葉だったんだなと気が付きますが、逆に、突き殺す際に叫んだ「君は、ダメな奴だ! 恥知らず!」という言葉は、その少し前の場面で、母親が大切にしていた時計を長兄・老二が盗み出して売り払ったと思い込んだ小四の父親が、老二を厳しく執拗に折檻しながら罵っていたそのままの言葉「お前は、ダメな奴だ! 恥知らずめ!」でもあることに気づかされます。

しかし、実際に母親の時計を盗んだのは、兄ではなく小四で、兄は弟の罪をかぶり黙って折檻されていたことが分かります。

それに、小四の生活が荒れていたとき、つねに自分を信じてくれた唯一の理解者である父親の倫理観に従って、愛する小明の「ふしだら」を非難し、殺害に至ったのですが、その父親の倫理観もまたこの台湾社会においては踏みにじられていることを小四は徐々に知り始めています。

父親の兄・老二に対する歯止めのきかないような怒りの折檻は、その直前、警備総部から「ある嫌疑」(共産主義者か、あるいはそのシンパとしての嫌疑)を受けながら、頼みにしていた外省人同胞が頼りにならないことを思い知らされるという痛切な背景があって、厳しい尋問を受けたすえに精神の均衡を崩し、切羽詰まって膝を屈し本省人に支援を頼みにいくという屈辱と苛立ちとの鬱屈が、やがてあの長兄・老二への惨たらしい異常な折檻に直結したことは明らかだと思います。

「盗み」という卑屈さによって台湾社会に屈服する長兄・老二にぶつける父親の怒りの実体は、大陸の倫理観や友情をいまだに捨てきれない自身の不器用さと、台湾社会での生きづらさとを証してもいるのですが、その折檻をなにひとつ弁解することもなく黙って受けていた兄・老二についても、そこに同質の絶望感を見い出すことは、きわめて可能なことだと思います、そして、さらにいうなら、家族の厳しい状況を眼前で嫌というほど見聞きしている小四もまた台湾社会に対する不信感と絶望感を抱え込んでいることは、ラストにおいて小明と対峙する場面(殺害する直前)で明確に描かれています。

小四は、暗がりで、学校帰りの小馬を、ひとり待ち伏せしています。

小四には、日ごろから女性を蔑み、女など金の力でどうにでもなる性欲を満たすための道具くらいの価値しかないと嘯いている小馬が、家政婦の娘として家に住まわせた小明もまた、「どうにでもなる女」のひとりにすぎないと蔑み見下す小馬の尊大な態度と言動に腹を立てています。

彼には、貧しい外省人すべてが馬鹿にされているようで腹立たしく、当初は、ただ小馬を脅かすつもりの「殺すぞ」だったものが、小猫王の「小馬が刀を持ち出してきた」と聞くにおよび、危機感と対抗心から小刀を携帯し、「相手の出方次第では、場合によっては刺し殺すかもしれない」くらいは、思ったかもしれません。

待ち伏せしていたそのときの小四の小馬に対する「殺意」が存在として、わずかながら「あった」としても、その同じ瞬間の小四に、小明に対する殺意があったとは、どうしても思えません。

しかし、実際は、結果的に小四は小明を刺し殺しています。

なにが、小四を、怒りの極限まで煽り立て殺害にまで至らしめたのか、そのわけをどうしても知りたいと思いました。

小四は、セックスフレンド・小翠から聞き知った小明の不行跡(小明の本当の姿)を聞いて衝撃を受けています、小明をなじり、小明もまた抗弁し、その抗弁を聞いた小四はさらに怒り、立ち去ろうとする小明を押しとどめようとした彼女から、「あんたも皆と同じ俗物だ」となじられて、カッとして刺し殺すに至ったという感じですが、そのときの具体的にやり取りがどうしても具体的に思い出せません。

小四の怒りを煽り立てる、そして、彼女を突き殺してまで留めようとした小明の言葉とはどういうものだったのか、知りたいと思いました。

仕方なく、もう一度、小四と小明のやり取りの部分から見直しました。

学校を終えた小明は、自転車置き場に小四の自転車があるのを見つけて、小四の名を呼んで探します。

小明には会いたくない小四は、足早に立ち去りかけますが、つい小刀を落としてしまい、彼女に追いつかれてしまいます。

そして小明は言います。

「どうしたの、なぜ学校にいるの。それ何。何を持っているの。小馬を待っているのね。そうなんでしょ。それはだめ」

「君を馬鹿にさせない」

「なにを言うの。勉強に専念していないの」

「小明、ぼくは全部知っている。でも平気だよ。ぼくだけが君を救うことができる。ぼくは君の希望だよ。ハニーと同じだ。君はいまもハニーを忘れない。そして、今はぼくがハニーだ」

「助けるって? 私を変えたいっていうの。結局は、ほかの人と同じだわ。あなたは違うと思っていたのに。私の感情という見返りを求めて、安心したいわけ? 自分勝手だわ。私を変える?(薄ら笑い)この社会と同じ、なにも変わらないのよ。あんた、何様?」

小明の辛辣な言葉に逆上した小四は、彼女にこれ以上(薄汚れた現実を)喋らせまいとして、刺し殺したのだと思います。

しかし、それが「黙れ! 黙ってくれ」ではなく、より積極的な「君は、ダメな奴だ! 恥知らず!」であったことが、とても痛ましく衝撃的でした。

小明をなじるその絶叫には、小四が抱え持った「正義」や「倫理観」が、そのまま彼女に否定され裏切られた怒りの言葉として叫ばれています。

小明が言った「私の感情という見返りを求めて、安心したいわけ?」の意味が、「sexは付き合うけど、愛情なんて求めないでよ」(これが小明のリアルの実体です)でもあることを十分に知っていた、現実を直視したくない小四はなんとしてでも小明を黙らせないわけにはいかなかったのだと思います。

ここまで書いてきて、この作品の中で小四は、その前にも「あんたは自分勝手だ」となじられていたのではなかったか、と薄っすら気がつきました。

それは、小明が、「実は、男から男に渡り歩くふしだらな女」だと教えてくれたセックスフレンド・小翠との逢瀬の場面でした。

もう一度、さらにその場面まで立ち戻って見返してみました。

小四が言います。「昨夜、滑頭に会った、別人だったよ。人は変わるんだなと慰められた気分だ。」

「何が言いたいの?」

「小翠、ぼくら、長く一緒にいられるかな。ぼくは君に穏やかな安らぎを与えられるかもしれない」

「ずいぶん真剣なのね。あんた、私を軽蔑していたはずよね。私を変えたいのね。実験のつもり? 大そうな理屈だわ。私は毎日自由に生きている。私が変わらなければ? あなたの思い通りでなければ相手にしない? 自分勝手だわ。何様のつもり?」

(これって、小明の言ったのと、同じセリフじゃないですか。)

「悪気はなかったんだ」

「むしろ以前のことに私は感謝している」

「以前? なんのことだ?」

「とぼけてるの。滑頭が217に襲われたとき、一緒にいたのは小明よ、知らないの。滑頭は、ハニーの報復が怖くて私だったことにしたの。私がバカだった。説教は小明にしたら? 私どころじゃないわ」

息苦しい反共の厳しい監視下の台湾において、「自由でありたい」と願いながら満たされない鬱屈のはけ口のような不良グループとの抗争の明け暮れの荒れた日々を送っていたのは、なにも少年たちばかりでなく、少女たちもまた、彼女たちなりに厳しい現実から顔を背け、あるいは逃れるように、怠惰でなげやりな、刹那的な日々を自嘲的におくっていたことを、このふたりの少女の奇妙なリフレインは明確に示しているのだと感じました。

この少女殺害事件の裁判によって小四は死刑を宣告されますが、多くの深刻な議論の果てに最終的には懲役15年に処せられ、30歳になって釈放されたと字幕には記されています。

そしてラストのシーン、あれから二年後、小四の家族は引っ越しのために家財をまとめ、住んでいた日本家屋を掃除している場面が映し出されます。

兄が時計を盗んだことを母に告げ口し、この外省人一家を深刻な大騒動におとしいれた三女の張雲もまた、母親から指示されながら荷物の整理をしています。

張雲が棚の上の荷物をラジオを踏み台にして取ろうとしたとき、踏み外してラジオを床に落としてしまいます、それは長い間よく音が聞こえなかった故障したラジオでした。

しかし、その落とした衝撃によってラジオが突然直り、その年の大学合格者の名前が淡々と読み上げられるという場面です、背中を向けて荷物の整理をしていた母親の動きが一瞬止まり、そのラジオの声に緊張してじっと聞き入っている感じで映画は終わります。

母親のその異様な緊迫感に、思わず自分は、このとき、もしかしたら、合格者の名前の中に小四の名前も読み上げられたのではないかと、一瞬、邪推してしまったくらいでした。

それはこの作品の随所で小津監督の影響が感じ取れることもあったからかもしれません、すぐに、小津監督の「映画はドラマだ」という言葉を想起しました。

小四が残した「最後の気配」として、映画の最後で大学合格者として彼の名前が、奇跡的に直ったラジオから流れてきて、母親が慄然とする、これ以上の映画の終わり方はないのではないかと一瞬思ったのですが、いやいや、それではあまりにも「作り過ぎ」なものになってしまうかもしれないなと、慌てて思い直しました。

小四があのまま勉強に専念していたら、あるいは、こうして大学合格者のひとりとしてラジオで名前を読み上げられることもあったかもしれないという、背中で演じられる「母親の感慨」だけで十分に小津映画へのオマージュは果たせたと考え直しました。


(1991台湾)監督脚本:楊徳昌(エドワード・ヤン)、製作総指揮:詹宏志(チャン・ホンチー)、プロデューサー:余爲彦(ユー・ウェイエン)、脚本:閻鴻亞(ヤン・ホンヤー)、楊順清(ヤン・シュンチン)、頼銘堂(ライ・ミンタン)、撮影:張惠恭(チャン・ホイゴン)、編集:陳博文(チェン・ポーウェン)、美術:楊徳昌(エドワード・ヤン)、余爲彦(ユー・ウェイエン)、録音:杜篤之(ドゥー・ドゥージ)、音楽監修:詹宏達(チャン・ホンダ)、製作会社・中影股份有限公司、楊德昌有限公司
出演・チャン・チェン張震(シャオスー小四)、リサ・ヤン楊靜恰(シャオミン小明)、ワン・チーザン王啓讃(ワンマオ/リトル・プレスリー王茂/小猫王)、クー・ユールン柯宇綸(フェイジー飛機)、タン・チーガン譚至剛(シャオマー小馬)、ジョウ・ホェイクオ周彗國(シャオフー小虎)、リン・ホンミン林鴻銘(ハニー)、チャン・ホンユー陳宏宇(ホアトウ滑頭)、ワン・ゾンチェン王宗正(アーティアオ二條)、タン・シャオツイ唐暁翠(シャオツイ小翠)、ヤン・シュンチン楊順清(山東シャンドン)、ニー・シュウジュン倪淑君(神経クレージー)、ワン・ウェイミン王維明(カーウ卡五)、チャン・クォチュー張國柱(小四の父)、エレイン・チン金燕玲(小四の母)、ワン・ジュエン王娟(長女・張娟チャンジュエン)、チャン・ハン張翰(兄・老二ラオアー)、ジャン・シウチョン姜秀瓊(次女・張瓊チャンチョン)、ライ・ファンユン頼梵転(三女・張雲チャンユエン)、シュー・ミン徐明(汪國正ワン・グオチェン)、シュー・ミンヤン施明揚(医者)、
3時間56分

1991年東京国際映画祭 審査員特別賞・批評家連盟賞
1991年ナント三大陸映画祭 監督賞
1991年台湾金馬奨 最優秀作品賞・脚本賞
1991年アジア太平洋映画祭 グランプリ
1992年シンガポール国際映画祭 監督賞
1992年キネマ旬報ベスト・テン 第2位・外国映画監督賞
2015年釜山国際映画祭 「アジア映画ベスト100」第7位



【参考】
①台湾の歴史と日本の影(1895年の下関条約によって台湾が日本に割譲されて以降、半世紀に及ぶ日本の植民地支配。)
②外省人と本省人(1945年の日本敗戦によって中国大陸から台湾に移り住んだ台湾省以外の出身者が外省人。台湾省の出身者と接収以前から台湾に住んでいて、日本の植民地統治を経験したのが本省人。)
③国共内戦の敗北と眷村(けんそん)(1949年に国民党政府は共産党軍との国共内戦に敗れ台湾に撤退したため、外省人が急増した。台湾には階級の低い軍関係の外省人が集住する眷村と呼ばれる地区があった。)
④冷戦とアメリカの影(1949年10月の中華人民共和国の成立と1950年6月の朝鮮戦争勃発によって世界が「東西冷戦」の時代に入る中、台湾は「反共の防衛ライン」とされ、中華民国(国民党)政府は生き残った。そのため、本作に登場する小公園パーラーの天井を飾る旗は、中華民国、アメリカ、国連の3種類とされ、「反共復国」「反攻大陸」のスローガンとプレスリーの甘い歌声が同居する中、台湾は戦争と暴力の気配に包まれた。)
⑤戒厳令と白色テロ(反共の防波堤となった台湾では、『悲情城市』で描かれたように、中華民国(国民党)政府は台湾を「共産党」勢力が入り込まない浄土にするため、「白色テロ」と呼ばれる共産主義分子の摘発キャンペーンを繰り広げた。そのため、1949年から1987年まで、何と38年間にもわたって世界に類を見ない長期の戒厳令がしかれ、集会、結社、言論、報道、学問の自由が制限され、郵便や電報が検閲された。)

【眷村】
眷村(けんそん)は、台湾において外省人が居住する地区を示す名称。1949年から1960年代にかけ、国共内戦で大陸を失った国民政府により台湾への移住が行なわれた中華民国国軍とその家族60万名が建設した家屋が密集した地区が誕生し、既存の集落と区別されてこの名称が使用された。
1949年、国共内戦に敗北した中国国民党は多くの政府官僚、公務員、軍人と関連住民に対し台湾移住政策を実施した。統計によれば1946年時点の台湾の人口は610万人であったのが、1950年には745万人に急増しており、その大部分はこの時期台湾に移住した、いわゆる「外省人」であったと推測される。急増した150万人以上の住居問題を解決するため、国民政府は住宅建設を進めると同時に、それらの移民が集団で生活できる地区を設定し、この政策により大都市では小規模移民村としての眷村が誕生した。
眷村の多くは日本統治時代の建築物を利用したため、日本統治時代に日本人が多く居住していた台北市、嘉義市、台南市、高雄市などに集中して成立した。まだ、軍事基地付近の新北市と桃園市等でも多い。
面積がまちまちの家屋が立ち並び、外省籍の公務員、軍人及びその家族(眷属)が多く居住する地区を、「眷村」と称している。その種類は官僚、軍人、一般公務員、教師、地域の5種類に分類され、それぞれが属する政治的、経済的階級により無産権(不動産の権利が存在しない物件)による街並みが形成されている。日本統治時代の建築物を利用している場合もあるが、殆どの家屋は戦後急造されたものである。
眷村は通常広大な面積に建設されているが、それはまた閉鎖的な社会であり独自の文化を有していた。現在でも眷村黒話と称される独自の言語用例が使用されるなど、台湾のサブカルチャーの一つとしても注目されている。
また、中国国民党は眷村を管轄する支部として、「黄國樑党部」および「黄復興党部」を設けている。また、親民党も同様に「甘泉党部」を設け、外省人が多い眷村での支持獲得を図っている。



# by sentence2307 | 2018-07-09 07:51 | エドワード・ヤン | Comments(0)
2016年に英BBC放送が「21世紀の偉大な映画100位」というのを発表したことがありました。そのとき、そのリストをそのままcopyして、それ以後、映画を見るうえでは一応の参考にはしています。

そのランキングを選ぶにあたり、なんと世界中の映画評論家177人が参加して、2000年以降の映画から「新たな古典」と呼ぶにふさわしい作品を選んだというのですから、それはもう信用してもいい権威のあるものと信じ、自分も参考にしているのですが、どうも、もうひとつ実感が伴いません。

それというのも、たとえば、ここに掲げられている11位~20位の作品を、1位~10位の作品と入れ替えたとしても(「ツリー・オブ・ライフ」と「ノーカントリー」は除外しますが)、自分としては、一向に異議はありません。

「ベスト10とか100」というのは、自分的には、単なる判断材料にすぎないので「優・良・可」の区分程度でOK、しかし「可」に区分された作品の中にも往々にして傑出した作品があることは十分に認識しているつもりです。

そんなふうに考えていたときに、2017年6月9日にニューヨーク・タイムズが21世紀に発表された映画の中から、将来古典として歴史に残り得る映画を25本選出したという記事に遭遇しました。

作品を評価するうえにおいて、アメリカとイギリスの考え方の違いが分かれば、それなりに面白いかなと考えて、先の英BBC放送選出「21世紀の偉大な映画100位」のランクのなかに、NY times選出の「歴史に残る21世紀の映画」を割り込ませてみました。

しかし、こうしてみると、時代の捉われから解放された後の作品の本質が固まってないというか、まだまだ未熟というか、そんな感想を持ちました。末尾に《付録》として、「黒澤明が選んだ百本の映画」を掲げてみました。

ある程度の時間の経過が評価を定着させるためには必要なんだなあ、とつくづく感じます。


1位 マルホランド・ドライブ(デヴィッド・リンチ、2001)
2位 花様年華(ウォン・カーウァイ、2000)
3位(NY1位) ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(ポール・トーマス・アンダーソン、2007)
4位(NY2位) 千と千尋の神隠し(宮崎駿、20001)
5位(NY8位) 6才のボクが、大人になるまで。 (リチャード・リンクレイター、2014)
6位(NY24位) エターナル・サンシャイン(ミシェル・ゴンドリー、2004)
7位 ツリー・オブ・ライフ(テレンス・マリック、2011)
8位(NY6位)ヤンヤン 夏の想い出 Yi Yi(エドワード・ヤン、2000)
9位 別離(アスガル・ファルハーディー、2009)
10位 ノーカントリー(コーエン兄弟、2007)
11位(NY11位)インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(コーエン兄弟、2013)
12位 ゾディアック(デヴィッド・フィンチャー、2007)
13位 トゥモロー・ワールド(アルフォンソ・キュアロン、2006)
14位 アクト・オブ・キリング(ジョシュア・オッペンハイマー、2012)
15位 4ヶ月、3週と2日(クリスチャン・ムンギウ、2007)
16位 ホーリー・モーターズ(レオス・カラックス、2012)
17位 パンズ・ラビリンス(ギレルモ・デル・トロ、2006)
18位 白いリボン(ミヒャエル・ハネケ、2009)
19位(NY19位) マッドマックス 怒りのデス・ロード(ジョージ・ミラー、2015)
20位 脳内ニューヨーク(チャーリー・カウフマン、2008)
21位 グランド・ブダペスト・ホテル(ウェス・アンダーソン、2014)
22位 ロスト・イン・トランスレーション(ソフィア・コッポラ、2003)
23位 隠された記憶(ミヒャエル・ハネケ、2005)
24位 ザ・マスター(ポール・トーマス・アンダーソン、2012)
25位 メメント(クリストファー・ノーラン、2000)
26位 25時(スパイク・リー、2002)
27位 ソーシャル・ネットワーク(デヴィッド・フィンチャー、2010)
28位 トーク・トゥ・ハー(ペドロ・アルモドバル、2002)
29位 ウォーリー(アンドリュー・スタントン、2008)
30位 オールド・ボーイ(パク・チャヌク、2003)
31位 マーガレット(ケネス・ローナガン、2011)
32位 善き人のためのソナタ(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク、2006)
33位 ダークナイト(クリストファー・ノーラン、2008)
34位 サウルの息子(ネメシュ・ラースロー、2015)
35位 グリーン・デスティニー(アン・リー、2000)
36位(NY12位) 禁じられた歌声 Timbuktu(アブデラマン・シサコ、2014)
37位 ブンミおじさんの森(アピチャートポン・ウィーラセータクン、2010)
38位 シティ・オブ・ゴッド(フェルナンド・メイレレス、2002)
39位 ニュー・ワールド(テレンス・マリック、2005)
40位 ブロークバック・マウンテン(アン・リー、2005)
41位(NY7位) インサイド・ヘッド Inside Out(ピーター・ドクター、2015)
42位 愛、アムール(ミヒャエル・ハネケ、2012)
43位 メランコリア(ラース・フォン・トリアー、2011)
44位 それでも夜は明ける(スティーヴ・マックイーン、2013)
45位 アデル、ブルーは熱い色(アブデラティフ・ケシシュ、2013)
46位 トスカーナの贋作(アッバス・キアロスタミ、2010)
47位 裁かれるは善人のみ(アンドレイ・ズビャギンツェフ、2014)
48位 ブルックリン(ジョン・クローリー、2015)
49位 さらば、愛の言葉よ(ジャン=リュック・ゴダール、2014)
50位 黒衣の刺客(ホウ・シャオシェン、2015)
51位 インセプション(クリストファー・ノーラン、2010)
52位 トロピカル・マラディ(アピチャートポン・ウィーラセータクン、2004)
53位 ムーラン・ルージュ(バズ・ラーマン、2001)
54位 昔々、アナトリアで(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、2011)
55位 イーダ(パヴェウ・パヴリコフスキ、2013)
56位 ヴェルクマイスター・ハーモニー(タル・ベーラ、2000)
57位 ゼロ・ダーク・サーティ(キャスリン・ビグロー、2012)
58位 母たちの村(センベーヌ・ウスマン、2004)
59位 ヒストリー・オブ・バイオレンス(デヴィッド・クローネンバーグ、2005)
60位 世紀の光(アピチャートポン・ウィーラセータクン、2006)
61位 アンダー・ザ・スキン 種の捕食(2013年/イギリス・アメリカ・スイス/ジョナサン・グレイザー監督)
スカーレット・ヨハンソン扮する人食いエイリアンを淡々と描いた、静謐なるSFスリラーにして明らかな怪作。B級ホラーとしか思えない邦題に騙された映画ファンが続出した。
62位 イングロリアス・バスターズ(2009年/アメリカ/クエンティン・タランティーノ監督)
第二次世界大戦中のフランスで、映画館主とユダヤ系アメリカ人部隊がそれぞれナチスへの復讐を企てる。タランティーノの映画愛と緻密な構成・演出が炸裂する。
63位 ニーチェの馬(2011年/ハンガリー/タル・ベーラ&アニエス・フラニツキ監督)
哲学者ニーチェが、疲れ果てた馬の首をかき抱き、そのまま発狂したというエピソードからインスパイアされた父娘の物語。とことんストイックな作劇と演出を堪能されたい。
64位 グレート・ビューティー/追憶のローマ(2013年/イタリア・フランス/パオロ・ソレンティーノ監督)
かつてベストセラーを一作だけ生み出した老作家が、初恋の人の死をきっかけに再び動き始める。美しいローマの喧騒と静寂を描いて絶賛を受けた。
65位 フィッシュ・タンク(2009年/イギリス/アンドレア・アーノルド監督)
15歳の少女ミアの苦く切ない青春を描き、第63回英国アカデミー賞で英国映画賞を受賞した。初めて演技に挑戦したというミア役ケイティ・ジャーヴィスの瑞々しさに注目!
66位 春夏秋冬そして春(2003年/韓国/キム・ギドク監督)
韓国から初のランクインは鬼才キム・ギドクの監督作品。幻想的で美しい映像ながら、人間の欲望や罪を観客に突きつける作風は本作にも一貫。日本ではソフト廃盤の模様。
67位(NY10位) ハート・ロッカー(2008/アメリカ/キャスリン・ビグロー監督)
2004年のバグダッドを舞台に米軍爆弾処理班の任務を描いた、おそるべき緊迫感で一気に見せる戦争ドラマ。ジェレミー・レナーとアンソニー・マッキーが共演しており、マーベル・ファンも要チェック。
68位 ザ・ロイヤル・テネンバウムズ(2001年/アメリカ/ウェス・アンダーソン監督)
崩壊してしまった「天才一家」が、父親の余命をきっかけに再集合する。豪華アンサンブル・キャストが絶妙な演技で紡ぐ、ウェス・アンダーソン監督流のシュールなヒューマンドラマ。
69位 キャロル(2015年/アメリカ/トッド・ヘインズ監督)
86位『エデンより彼方に』のトッド・ヘインズ監督が、やはり1950年代への執念とともに、当時タブーだった同性愛を描き切った一作。ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラのコンビは絶品だ。
70位 物語る私たち(2012年/カナダ/サラ・ポーリー監督)
サラ・ポーリー監督が、11歳の時に死別した母親について自身の出生の秘密を追うドキュメンタリーだが、タダでは終わらない仕掛けがある。ドキュメンタリーとはいったい?
71位 熱波(2012年/ポルトガル・ドイツ・ブラジル・フランス/ミゲル・ゴメス監督)
全編モノクロかつ凝りまくった映像が特徴の、2部構成からなる濃厚なメロドラマ。ミゲル・ゴメス監督はポルトガルで最も注目されている俊英。
72位 オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(2013年/アメリカ/ジム・ジャームッシュ監督)
巨匠ジム・ジャームッシュ監督による、映像・音楽とユーモアにこだわりの詰まったヴァンパイア・ラブストーリー。トム・ヒドルストン主演、先日急逝したアントン・イェルチンも出演。
73位 ビフォア・サンセット(2004年/アメリカ/リチャード・リンクレイター監督)
1995年の作品『恋人までの距離』の続編。9年ぶりに再会した男女がふたたび別れるまでの約80分間をリアルタイムで描いた、「あまりに長すぎて、そして短すぎる」ラブストーリー。
74位 スプリング・ブレイカーズ(2013年/アメリカ/ハーモニー・コリン監督)
強盗計画を発端に崩壊していく女子4人の青春悲喜劇を、どうしてもアッパーになりきれないビターなトーンで描いた異色の一品。ジェームズ・フランコが怪演。
75位 インヒアレント・ヴァイス(2014年/アメリカ/ポール・トーマス・アンダーソン監督)
ときに難解で思索的、しかし滅法面白い作家トマス・ピンチョンの原作を鮮やかに映画化。70年代ポップ・カルチャーが全編を彩る痛快な探偵物語となった。
76位 ドッグヴィル(2003年/デンマーク/ラース・フォン・トリアー監督)
床に白線を引き、簡易的なセットを立てただけの空間で物語が展開するという実験的趣向で、ある集団の正気と狂気を真正面から抉り出す。「機会の土地アメリカ三部作」の1作目。
77位 潜水服は蝶の夢を見る(2007年/フランス/ ジュリアン・シュナーベル監督)
突然の脳溢血のため、左目以外を動かせなくなってしまった男性は自伝をいかに執筆したのか。主人公の左目からの視点など、息苦しくも美しい映像が見どころ。
78位 ウルフ・オブ・ウォールストリート(2013年/アメリカ/マーティン・スコセッシ監督)
実話ドラマかと思いきや、約3時間の長尺で振り切ったブラックコメディぶりが魅力。主演のレオナルド・ディカプリオがヤバい。『スーサイド・スクワッド』のハーレイ・クイン役で大ブレイク、マーゴット・ロビーも出ている(脱いでる)。
79位 あの頃ペニー・レインと(2000年/アメリカ/キャメロン・クロウ監督)
かつて「ローリング・ストーン」誌の記者を務めていたキャメロン・クロウ監督が、自身の経験をもとに生み出した、青春音楽映画のマスターピース。サントラも必聴!
80位 父、帰る(2003年/ロシア/アンドレイ・ズビャギンツェフ監督)
家を出ていた父が12年ぶりに戻ってくるというシンプルな筋立てながら、非常にヘビーな味わいの一作。ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得した。
81位 SHAME -シェイム-(2011年/イギリス/スティーブ・マックィーン監督)
マイケル・ファスベンダーが体当たりの演技で挑んだ、セックス依存症との対峙の物語。その過激な描写以上にハードなのは作品の内容そのもの。
82位 シリアスマン(2009年/アメリカ/ジョエル&イーサン・コーエン監督)
コーエン兄弟ならではの映像感覚とユーモアが魅力の、善人がひたすら不幸な目に遭う不条理コメディ。日本では映像配信のみで未ソフト化。
83位 A.I.(2001年/アメリカ/スティーブン・スピルバーグ監督)
当時人気絶頂のハーレイ・ジョエル・オスメント扮する少年型ロボットが母親を探すSF作品。原案スタンリー・キューブリックの難解さとスピルバーグのエンタメ性が同居する。
84位 her/世界でひとつの彼女(2013年/アメリカ/スパイク・ジョーンズ監督)
代筆ライターのセオドアが人工知能型OSサマンサと恋に落ちるSFラブストーリー。劇中の近未来がじわじわと現実に迫っている感がある。サマンサの声はスカーレット・ヨハンソン。
85位 預言者(2009年/フランス/ジャック・オーディアール監督)
これぞ不遇、カンヌでパルム・ドールにノミネートされながら日本では3年公開されなかった秀作。アラブ系の青年が刑務所内でのし上がっていく乾いたフィルム・ノワール。
86位 エデンより彼方に(2002年/アメリカ/トッド・ヘインズ監督)
物語もさることながら、美術や映像の質感に至るまでとことん緻密に作り込まれた「1950年代以上に1950年代」のメロドラマ。ジュリアン・ムーア主演。
87位 アメリ(2001年/フランス/ジャン・ピエール=ジュネ監督)
日本でも大人気となった、オドレイ・トトゥ主演の「やりすぎラブストーリー」。空想好きの女性アメリの恋をポップで独創的な映像感覚で描く。
88位 スポットライト 世紀のスクープ(2015年/アメリカ/トーマス・マッカーシー監督)
第88回アカデミー賞で強豪をおさえ作品賞を受賞。実在のカトリック司祭による性的虐待事件と、それを追う新聞記者たちの物語。
89位 頭のない女(2008年/アルゼンチン/ルクエシア・マルテル監督)
歯科医ベロニカは車の運転中に何かを轢き逃げしてしまう。彼女は自分が人を轢いたのではないかという疑念に取りつかれて……。日本では未ソフト化。
90位 ピアニスト(2001年/フランス/ミヒャエル・ハネケ監督)
もはや「イヤな映画を撮る」イメージでお馴染みハネケ監督が、「抑圧された性と恋愛」をイメージ通りに撮った一作。2001年のカンヌ国際映画祭で主要部門を総ナメした怪作。
91位 瞳の奥の秘密(2009年/アルゼンチン/フアン・ホセ・カンパネラ監督)
第82回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞したサスペンス。25年前の未解決事件を題材に作品を執筆する小説家が、事件の真相とともに自らの内面を暴いていく。
92位 ジェシー・ジェームズの暗殺(2007年/アメリカ/アンドリュー・ドミニク監督)
アメリカ西部開拓時代のカリスマ犯罪人ジェシー・ジェームズとその手下を追う、2時間40分の超濃密な心理サスペンス。ブラッド・ピット製作・主演。
93位 レミーのおいしいレストラン(2007年/アメリカ/ブラッド・バード監督)
『Mr.インクレディブル』でピクサー初の「人間主役」を実現したバード監督が「人間×動物×料理」に挑戦。タイトルの印象とは裏腹にアクションも冴え渡るエンターテイメント。
94位 ぼくのエリ 200歳の少女(2003年/スウェーデン/トーマス・アルフレッド監督)
孤独な子どもたちによる禁断の恋と殺人を描いたヴァンパイア・ラブストーリー。日本では主題をめぐる表現で物議を醸した。鑑賞後に調べてみてほしい。
95位 ムーンライズ・キングダム(2012年/アメリカ/ウェス・アンダーソン監督)
少年少女の駆け落ちから始まる大騒動を、こだわりの画づくりとユーモアで見せる群像劇。ブルース・ウィリス、ビル・マーレイ、エドワード・ノートンらが出演。
96位 ファインディング・ニモ(2003年/アメリカ/アンドリュー・スタントン監督)
ご存知ディズニー・ピクサー作品、息子ニモを見失ってしまった父親マーリンが繰り広げる大冒険。続編『ファインディング・ドリー』の前には必ず観ておくべし!
97位 ホワイト・マテリアル(2008年/フランス/クレール・ドニ監督)
内戦の勃発するアフリカのある地域で、その土地を離れることを拒みつづける女性を描いた作品。これまた日本ではソフト化されていない……。
98位 10話(2002年/フランス・イラン/アッバス・キアロスタミ監督)
車を運転するひとりの女性と、助手席に乗り込んでくる人々の会話のみで構成された連作10話。公開当時絶賛されながら、なぜか日本ではソフト化されていない。
99位(NY18位) 落穂拾い(2000年/フランス/アニエス・ヴァルダ監督)
パリの市場で道路に落ちている物を拾う人々を見た監督が、ミレーの絵画『落穂拾い』を連想し、「現代の落穂拾い」を探して旅するドキュメンタリー。
100位 トニ・エルトマン(2016年/ドイツ/マーレン・アーデ監督)
「カンヌ国際映画祭2016」でパルム・ドール有力候補と目されながら受賞を逃した一作。日本未公開。
100位 レクイエム・フォー・ドリーム(2000年/アメリカ/ダーレン・アロノフスキー監督)
まさかの100位にランクイン、麻薬の力で人生をゴロゴロ転げ落ちる人々を描いた恐怖のドラッグ・ムービー。主演は若かりし頃のジャレッド・レト。
100位 カルロス(2010年/フランス・ドイツ/オリヴィエ・アサイヤス監督)
名匠オリヴィエ・アサイヤス監督が実在のテロリストの半生を撮りきった、5時間33分に及ぶ大長編。



【イギリス選出外作品】
NY3位 ミリオンダラー・ベイビー クリント・イーストウッド監督 2004
NY4位 罪の手ざわり ジャ・ジャンク―監督 2013
NY5位 ラザレスク氏の最期 クリスティ・プイウ監督 2006
NY9位 夏時間の庭 オリヴィエ・アサヤス監督 2009
NY13位 ジャクソン・ハイツ フレデリック・ワイズマン監督 2015
NY14位 ある子供 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟 2006
NY15位 ホワイト・マテリアル クレール・ドニ監督 2010
NY16位 ミュンヘン スティーヴン・スピルバーグ監督 2005
NY17位 百年恋歌 ホウ・シャオシェン監督 2006
NY20位 ムーンライト バリー・ジェンキンズ監督 2016
NY21位 ウェンディ&ルーシー ケリー・ライヒャルト監督 2008
NY22位 アイム・ノット・ゼア トッド・ヘインズ監督 2007
NY23位 静かな光 カルロス・レイガダス監督 2008
NY25位 40歳の童貞男 ジャド・アパトー監督 2005



《付録》
★黒澤明が選んだ百本の映画

(出典:黒澤和子編. “黒澤明が選んだ百本の映画”. 黒沢明:生誕100年総特集:永久保存版. 増補新版,東京:河出書房新社,2010,p. 262-287,(KAWADE夢ムック)(文藝別冊).)

1 散り行く花 D.W.グリフィス 1919 米
2 カリガリ博士 ローベルト・ウィーネ 1919 独
3 ドクトル・マブゼ フリッツ・ラング 1922 独
4 チャップリンの黄金狂時代 チャールズ・チャップリン 1925 米
5 アッシャー家の末裔 ジャン・エプスタイン 1928 仏
6 アンダルシアの犬 ルイス・ブニュエル 1928 仏
7 モロッコ ジョセフ・フォン・スタンバーグ 1930 米
8 会議は踊る エリック・シャレル 1931 独
9 三文オペラ G.W.パプスト 1931 独
10 未完成交響楽 ウィリ・ホルスト 1933 独=オーストリア
11 影なき男 W.S.ヴァン・ダイク 1934 米
12 隣りの八重ちゃん 島津保次郎 1934 日
13 丹下左膳餘話 百萬両の壺 山中貞雄 1935 日
14 赤西蠣太 伊丹万作 1936 日
15 大いなる幻影 ジャン・ルノワール 1937 仏
16 ステラ・ダラス キング・ヴィドア 1937 米
17 綴方教室 山本嘉次郎 1938 日
18 土 内田吐夢 1939 日
19 ニノチカ エルンスト・ルビッチ 1939 米
20 イワン雷帝 一部、二部 セルゲイ・エイゼンシュテイン 1944, 1946 ソ連
21 荒野の決闘 ジョン・フォード 1946 米
22 素晴らしき哉、人生! フランク・キャプラ 1946 米
23 三つ数えろ ハワード・ホークス 1946 米
24 自転車泥棒 ヴィットリオ・デ・シーカ 1948 伊
25 青い山脈 今井正 1949 日
26 第三の男 キャロル・リード 1949 英
27 晩春 小津安二郎 1949 日
28 オルフェ ジャン・コクトー 1949 仏
29 カルメン故郷に帰る 木下恵介 1951 日
30 欲望という名の電車 エリア・カザン 1951 米
31 嘆きのテレーズ マルセル・カルネ 1952 仏
32 西鶴一代女 溝口健二 1952 日
33 イタリア旅行 ロベルト・ロッセリーニ 1953 伊
34 ゴジラ 本田猪四郎 1954 日
35 道 フェデリコ・フェリーニ 1954 伊
36 浮雲 成瀬巳喜男 1955 日
37 大地のうた サタジット・レイ 1955 印
38 足ながおじさん ジーン・ネグレスコ 1955 米
39 誇り高き男 ロバート・D.ウエッブ 1956 米
40 幕末太陽傳 川島雄三 1958 日
41 若き獅子たち エドワード・ドミトリク 1957 米
42 いとこ同志 クロード・シャブロル 1959 仏
43 大人は判ってくれない フランソワ・トリュフォー  1959仏
44 勝手にしやがれ ジャン=リュック・ゴダール 1959 仏
45 ベン・ハー ウィリアム・ワイラー 1959 米
46 おとうと 市川崑 1960 日
47 かくも長き不在 アンリ・コルビ 1960 仏
48 素晴らしい風船旅行 アルベール・ラモリス 1960 仏
49 太陽がいっぱい ルネ・クレマン 1960 仏・伊
50 地下鉄のザジ ルイ・マル 1960 仏
51 去年マリエンバートで アラン・レネ 1960 仏
52 何がジェーンに起ったか? ロバート・アルドリッチ 1962 米
53 アラビアのロレンス デヴィッド・リーン 1962 米
54 地下室のメロディ アンリ・ヴェルヌイユ 1963 仏
55 鳥 アルフレッド・ヒッチコック 1963 米
56 赤い砂漠 ミケランジェロ・アントニオーニ 1964 伊
57 バージニア・ウルフなんかこわくない マイク・ニコルズ 1966 米
58 俺たちに明日はない アーサー・ペン 1967 米
59 夜の大捜査線 ノーマン・ジュイソン 1967 米
60 遥かなる戦場 トニー・リチャードソン 1968 英
61 真夜中のカーボーイ ジョン・シュレシンジャー 1969 米
62 M★A★S★H ロバート・アルトマン 1970 米
63 ジョニーは戦場へ行った ダルトン・トランボ 1971 米
64 フレンチ・コネクション ウィリアム・フリードキン 1971 米
65 ミツバチのささやき ヴィクトル・エリセ 1972 スペイン
66 惑星ソラリス アンドレイ・タルコフスキー 1972 ソ連
67 ジャッカルの日 フレッド・ジンネマン 1973 米
68 家族の肖像 ルキノ・ヴィスコンティ 1974 伊・仏
69 ゴッドファーザーPARTⅡ フランシス・フォード・コッポラ 1974 米
70 サンダカン八番娼館 望郷 熊井啓 1974 日
71 カッコーの巣の上で ミロス・フォアマン 1975 米
72 旅芸人の記録 テオ・アンゲロプロス 1975 ギリシャ
73 バリー・リンドン スタンリー・キューブリック 1975 米
74 大地の子守歌 増村保造 1976 日
75 アニー・ホール ウッディ・アレン 1977 米
76 機械じかけのピアノのための未完成の戯曲 ニキータ・ミハルコフ 1977 ソ連
77 父/パードレ・パドローネ パオロ&ヴィットリオ・タビアーニ 1977 伊
78 グロリア ジョン・カサヴェテス 1980 米
79 遥かなる山の叫び声 山田洋次 1980 日
80 トラヴィアータ : 1985・椿姫 フランコ・ゼフィレッリ 1982 伊
81 ファニーとアレクサンデル イングマール・ベルイマン 1982 スウェーデン・西独
82 フィッツカラルド ヴェルナー・ヘルツォーク 1982 西独
83 キング・オブ・コメディ マーチン・スコセッシ 1983 米
84 戦場のメリークリスマス 大島渚 1983 日・英
85 キリング・フィールド ローランド・ジョフィー 1984 英・米
86 ストレンジャー・ザン・パラダイス ジム・ジャームッシュ 1984 米・西独
87 冬冬の夏休み ホウ・シャオシェン 1984 台湾
88 パリ、テキサス ヴィム・ヴェンダース 1984 仏・西独
89 刑事ジョン・ブック/目撃者 ピーター・ウィアー 1985 米
90 バウンティフルへの旅 ピーター・マスターソン 1985 米
91 パパは、出張中! エミール・クストリッツア 1985 ユーゴスラビア
92 ザ・デッド「ダブリン市民」より ジョン・ヒューストン 1987 米
93 友だちのうちはどこ? アッバス・キアロスタミ 1987 イラン
94 バグダッド・カフェ パーシー・アドロン 1987 西独
95 八月の鯨 リンゼイ・アンダーソン 1987 米
96 旅立ちの時 シドニー・ルメット 1988 米
97 となりのトトロ 宮崎駿 1988 日
98 あ・うん 降旗康男 1989 日
99 美しき諍い女 ジャック・リヴェット 1991 仏
100 HANA-BI 北野武 1997 日




# by sentence2307 | 2018-07-06 18:26 | ベスト100 | Comments(0)
勢いというか、成り行きというか、勤めていた会社に「退職願」を出すことになってしまい、突然、職を失って、晴れて自由を手にすることができました。

こう単純な言い方をしてしまえば、一方的な「やられっぱなし感」がニュアンス的にあるかもしれませんが、実感としては、そういう感じはまったくなくて、自分の方もそれなりのアクションを仕掛けた結果でもあるので、むしろ、爽やかな感じの方が大きいです。

つい先週のアタマまでは、今年の夏休みにはどこに行こうかなどとyou tubeで各地の観光案内を見まくっていたのですから、その「突然」には、自分でも驚いているくらいです。

そうそう、余計なことですが、その観光案内の動画検索をしているときに、すごい美人に遭遇しました。

「にいがたTV」というところが作った「佐渡のマニアックなインスタ映えスポット」というタイトルの動画なのですが、現地のインスタ映えスポットの案内役をしていた佐渡汽船の広報課の(違うかもしれませんが)髙野さんという女性が、それはもう美しくて、それが容貌だけにとどまらず、話し方や所作に至るまで、優雅の極みとはこういう人のことを言うのだなとつくづく感嘆した次第です。

「奇麗な人って、いるもんだなあ」と、しばらくはその動画を何度も再生し、ボーっとなって繰り返し美貌と優雅な所作にしばし見とれてしまいました。

それもこれも、いわば突然暇になってしまった結果のなせるわざということに尽きるのですが、例えば、勤めていたときには絶対に見られなかったNHKの7時のニュースなど、ここのところごく普通に見られるようになりました。

その在り得ない時間帯にビールジョッキ片手に枝豆をもぐもぐさせながら、テレビの前にどっかと陣取り、個々のニュースはともかく、まずは最初に大写しになる「ジャーン!! 7時のニュース」というメインタイトルに、まず感動してしまうという状況です、そんなたわいのない感慨なんてすぐに慣れてしまうとは思いますが。

さて、7月1日(日)の「7時のニュース」を見ていたら、15分くらいのところにきて、突然、原節子がこちらを向いて微笑している写真がテレビ画面いっぱいに大写しになったので、本当にびっくりしました。

息を呑むついでに枝豆を誤飲しそこなってホント危なかったんですから。ゲホゲホ

しかし、明らかにこれは「東京物語」の原節子です。

なんだ・なんだと、ビールのジョッキを跨ぎながら思わずテレビ画面の至近距離までにじり寄りってしまったくらいです。

そのニュースによると、松竹の女性社員が小津監督作品の資料(写真)を整理していたら、その中から、小津監督が演技指導しているスナップ写真を見つけ、その何枚かは共通して、役者たちの目の下あたりに監督がなにやら塗りつけている写真があって、それがスクリーンに映し出されると、涙の後のように見えるという小津監督独特の工夫だったと解説していました。

そして、それを裏付けるように、撮影の川又昂は監督の指示で常にワセリンと綿棒を携帯していたという回想が紹介されていました。

そういえば小津監督が役者の目のあたりに何かを一心に施している写真なら、自分も見た記憶があるので、比較的写真が豊富に掲載されている松竹編「小津安二郎新発見」(講談社+α文庫)を引っ張り出して、最初のページから一枚一枚めくって探してみました。

「小津監督の名優たち」の「中村鴈治郎」のページに「浮草のスナップ」として、小津監督が、親指と人差し指で何か(よく見えませんが綿棒だと思います)を摘まみながら、目は鴈次郎の目の下あたりを注視し、まさに「それをそこ」に近づけているような、このシチュエーションにピッタリの写真がありました。

しかし、鴈治郎が団扇を持って縁側に座っているこの「浮草」の一シーンが、はたして「泣いた痕跡」が必要なシーンだっただろうか、どうしても思い出せません。苛立っているような表情からすると、川口浩(息子)と若尾文子(一座の女優)とが密かに付き合っていることを知った時の憤りの表情だったとしても、それでも目の下にテカリが必要だっただろうか、などとアレコレぶつぶつ言いながらページを繰っていたところ、なんと、「小津監督の撮影現場」の章の「メイク」という項に、いやというほど「小津監督の目の下塗り」の写真があるじゃないですか。

114ページから117ページにかけて、7枚の写真が掲載されていました。

「早春」の岸恵子が2枚、「東京物語」の笠智衆、「浮草」の杉村春子、「彼岸花」の有馬稲子、「東京物語」の原節子、「風の中の牝鶏」の田中絹代がそれぞれ1枚という大漁振りです。

松竹が編集したこの「小津安二郎新発見」で、わざわざ特別に「メイク」の項まで設けてこんなに多くの写真を集めているくらいですから、この「小津監督の目の下塗り」は、当時から業界人のあいだでは承知の事実だったんじゃないんですかあ、NHKさん、とかなんとか突っかかりたくなりますが、早計はいけませんし早漏も、もちろんいけませんが、そのへんは自分ではどうすることもできません。

この「メイク」の項には、数行の解説が付されていて、こんなふうに書かれています。

「小津映画の登場人物たちは感情を抑制することが多く、悲しいときでも号泣することは稀である。せいぜい瞼が涙でうっすらと濡れる程度であり、そのときは、小津自ら俳優に涙のメイクをほどこした。」

NHK「ねっ、ほらほら。《小津自ら俳優に涙のメイクをほどこした》とは書いてあるけど、それが《ワセリン》とまでは書いてないじゃないですか。今回の新発見は《ワセリン》なんですから。変なところは、なにひとつありません。新発見新発見」



# by sentence2307 | 2018-07-02 18:55 | 小津安二郎 | Comments(0)
昨日、就寝前に突然思いついて国会図書館のサイトで「カーリング」検索を実行し、その結果として315件の情報を得たのですが、そのなかには純然たる「スポーツのカーリング」ばかりでなく、異業種用語の「カーリング」にも多々反応してしまい、異・情報がそれこそおびただしく紛れ込んできたというのに、ろくに精査もせずにアップしてしまいました、それはそれなりに面白いかな、とか思ったのですが。

しかし、「とか思った」というのは、まったくの言い訳にすぎず、実際は、最近じっくりと腰を落ち着けてなにも書けなくなってしまった現状というのがあって、この「アップのやりっぱなし」は単にその苦し紛れの時間稼ぎというか「逃げ口上」にすぎず、そこにはどうしても「負い目」というのがあります。

その辺が気にかかって仕方がないので、今朝起きぬけに昨日アップしたものをもう一度読み返してみました。

なるほど、なるほど。

多少は異業種用語の「カーリング」というのもあるにはありますが、気にかかるというほどのものではありません。結構イケてると思います。

でも、こうやって落ち着いて読み返すってことは大切なことですよね。自分は、こういう確認作業というのがどうしても苦手で、学生のときもテストなど書き終えればさっさと退室してしまいたい方だったので、そこで「もう一度じっくり確認する」ということができていたら、自分の人生もう少し違ったものになっていたかもしれません。残念です。

しかし、こうして通して読み返してみると、実に面白い資料が世間にはたくさん流布しているものなのだなとつくづく感心します。

まず、目立つのは、過疎化対策のひとつとして地方の自治体が(多くは北海道ということでしょうが)「カーリング」を取り上げており、そのモデルケースとして「常呂町」の例を上げているなんていうのもありました、施設の完備もそうですが、多くの市町村が(政府の支援を受けて)有効な「過疎化対策」のひとつとしてカーリングを組み入れようしているらしいことが分かります。

吉田知那美選手の「正直、この町、なんにもないよね」のフレーズで始まる例のアレですよね。

それから、カーリング協会が、紹介と普及のための「how to本」みたいにして刊行したものから、石の動きを科学的に分析した専門的なものまで(博士論文)、

★カーリングの実験的研究 : カーリング・ストーンのカール比の測定 入戸野 太郎, 門脇 仁隆, 駒込 敏弘 他 掲載誌 雪氷 75(3):2013.5 p.137-146
★カーリング・ストーンの曲がりの説明について 対馬 勝年 掲載誌 雪氷 73(3) 2011.5 p.165~172
★3Dセンサーを用いたカーリングのスウィープ技術の解析 (MEとバイオサイバネティックス) 廣瀬 明依, 早川 吉彦, 柳 等 掲載誌 電子情報通信学会技術研究報告 = IEICE technical report : 信学技報 114(79):2014.6.13 p.67-70

実に多様でタイトルを見ているだけでも全然飽きません。

自分的には、ただ書名が羅列している図書目録を眺めているだけで(ほら、「歴史図書総目録」とかあるじゃないですか)十分楽しめるヒトなので、その辺は大丈夫です。

ただ、そうやってアタマから通して読んでいくうちに、漠然とですが、マスコミのひとつの傾向というか、大きな潮流(報ずる姿勢です)みたいなものを感じてしまいました。

そして、その象徴のようなタイトルに遭遇しました。

★ビートたけしの21世紀毒談(第1020回)スッピンばかりの中であれだけ化粧が濃けりゃ、カーリングが目立つのは当たり前だっての! ビートたけし 掲載誌 週刊ポスト / 小学館 [編] 42(12) (通号 2069) 2010.3.19 p.123~125

毒舌をまるで体制に対する媚びのように駆使してずるがしこく生き延びてきた小悪党、その言葉にべつに深い意味もないのに、まるでなにか含意でもありそうな仄めかしが得意なだけ、その実、内容空疎でなにもない、いかにも無能な体制の太鼓持ち・たけしらしいもの欲しそうな愚劣なコメントです。

ただの一発屋のコメンターをここまで増長させてモンスターにしてしまったのは、日本のことなどなにも知らない「ジャポニカ好み」のフランス人の誤った評価のせいだと痛感します。

お前ら、世界の中心か、と。

以前、テレビで、フランス人に昔の「タケちゃんマン」の写真を見せてびっくりさせ、そのリアクションを楽しむという番組がありました、仕掛ける方も仕掛けられる方にも、つくづく「自虐」という言葉のもつ意味を考えさせられた実に貴重な番組だったなと鮮明に記憶に残っています。

「なにが、たけしブルーだ」という思いです。

それに、たけしがいままで撮ってきた作品のことごとくは、「日本映画史」の薄汚い剽窃でしかありません。

「オマージユ」などといったら口が汚れるくらいのもので、勝新や深作監督が生きていたら、怒るで、まったく、という感じです。

「おやっさん、はっきり言わしてもらいますがのう、たけしも悪いが、マスコミも悪い。どっちこっち言うてないですよ。わしはシンから奴らにはあいそがつきた。もう、あんたの手にゃのらん。杯は返しますけん、今日以降わしを山守組のもんと思わんでつかいや。じゃけん、わしを騙した坂井はわしがとったる。あんたら、手出しせんといてくれ。」

しかし、注意してみると、この手のタイトル「スッピンばかりの中であれだけ化粧が濃けりゃ、カーリングが目立つのは当たり前だっての!」が結構あるのに気が付きました。ちょっと時系列に整理してみますね。


★密着! カーリング5人娘のあっけらかん--後輩中学生に大金星献上もご愛嬌 掲載誌 サンデー毎日 85(13) (通号 4750) 2006.3.26 p.32~34
★「結婚引退」カーリング娘に市をあげて説得工作 (総力ワイド 純情きらり欲望ギラリの女たち) 掲載誌 週刊朝日 111(22) (通号 4748) 2006.5.5・12 p.159~160
★五輪を沸かせたカーリング娘がお互いを語る 小野寺歩×本橋麻里 内気なスキップと怖いもの知らずのマリリン 小野寺歩, 本橋麻里 掲載誌 婦人公論 91(10) (通号 1200) 2006.5.7 p.178~181
★カーリング娘 マリリン 追っかけはもういない (追跡ワイド あの人はいま--みんなが知りたい33人 読者2000人アンケート) 掲載誌 週刊文春 / 文芸春秋 [編] 48(32) (通号 2390) 2006.8.17・24 p.182~183
★カーリングガールズ : 2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩 (MG books) 高野祐太 文・写真. エムジー・コーポレーション, 2007.3
★SPECIAL INTERVIEW カーリング女子日本代表 チーム青森 (バンクーバーオリンピックに向けて) 目黒萌絵, 本橋麻里, 山浦麻葉 他 掲載誌 文部科学時報 / 文部科学省 編 (1609) 2010.2 p.25~27
★カーリング セクシーDVD「本橋麻里」の集中を削ぐ五輪後ビジネス (バンクーバー気象台非公認! 「チーム日本」メダル天気予報) 掲載誌 週刊新潮 / 新潮社 [編] 55(6) (通号 2730) 2010.2.11 p.132
★カーリング「本橋麻里」がこだわるシュシュとカチューシャ (金メダル遥かなり「バンクーバー五輪」冬物語) 掲載誌 週刊新潮 / 新潮社 [編] 55(8) (通号 2732) 2010.2.25 p.32
★KONICA MINOLTA Interview バンクーバー冬期オリンピック カーリング女子 日本代表 目黒萌絵 目黒萌絵 掲載誌 Konica Minolta medical network / 『Konica Minolta medical network』編集室 編 61(2) (通号 277) 2010 p.46~49

このタイトルの羅列から「マスコミの善意」を感じるなどという人は、そう滅多にはいないだろうと思います。あるのは、弱者(のスキャンダル)と見れば寄ってたかって痛み付けずにはおかない卑劣な「マスコミの悪意」です。

しかし「醜さ」を攻撃するのは一応気が咎めるらしく(チカラ関係からすれば当然攻撃側に非が)あるので、そりゃあ取っ掛かりやすい「美しさ」の方をクサして攻撃するっていう、ただそれだけのことにすぎません、彼らマスコミにとっては「美醜」など、なにほどの意味の違いもありませんし。

そして、この一連のタイトルから浮かび上がってくるターゲットといえば、当然、カーラー・本橋麻里であることは明らかです。

上記の追っかけ情報が途切れた「2010年」といえば、2月の「バンクーバー冬季オリンピック8位」という前回五輪よりも順位を落としたうえで、つづく3月「第32回世界女子カーリング選手権最終順位11位」と失速・低迷し、6月「所属のNTTラーニングシステムズと2年間の契約更新を発表して2014年のソチオリンピックを目指す意思があることを明らかにした」と表明した直後の8月に「チーム青森から脱退し、地元常呂で新チーム『ロコ・ソラーレ』を結成する」と表明しています。

「2010年」という年は本橋麻里の中で大きくなにかが動き始めた年で、それらは「悪意のマスコミ」と「成績低迷」とが複雑に絡み合った「圧」に動かされた結果もあると自分なりに推察して見ているのですが、このすべてを要約すれば、本橋自身が語っているあの「カーリングが嫌いになった時期」とぴったりと符合するに違いありません。

それ以後(ターゲットからはずれたとき)、悪意あるマスコミからの「追っ掛け情報」はぷっつりと途切れています。

そうそう、最近、you tubeで動画を見ていたら(日課です)、それまで自分が「当然」と考えていたことが、いわば「思い込み」に過ぎなくて、これはやっぱり改めなければいけないなと感じたことがありました。

その動画(幾本かあります)、いままでだって幾度も見ているのに、いまさらこんなことに気が付くなんて、迂闊と言えばずいぶん迂闊な話です。

それは「ロコ・ソラーレ北見 本橋麻里 涙の真実 カーリング女子」という3分30秒動画です。

その他に強い影響を受けた動画としては、「ロコ・ソラーレ 7年間の葛藤と成長の記録」「女子カーリングチーム ロコ・ソラーレが平昌五輪の代表をつかんだ本当の理由」とタイトルされた28分30秒の動画もありますが、これなどは一見してプロの手になる本格的な「TV番組」のために作られた内容的にもかなり高度にまとめられていて、大いに示唆を受けました。

実は、カーリングのことなど何も知らなかった自分が最初に興味を持ち始めたのは、これらの動画を見たからで、いまでも幾度も見直している自分にとっては「基本動画」ということができるかもしれません。

本橋麻里選手が、チーム青森を脱退して常呂町に戻りロコ・ソラーレを立ち上げると表明した記者会見から始まり、吉田知那美選手の北海道銀行フォルティウスから戦力外通告され、失意のなか、地元・常呂町に戻ったときに本橋選手からロコ・ソラーレに誘われ合流したこと、また、藤澤五月選手がソチ五輪代表の大本命といわれながら決定戦で北海道銀行フォルティウスに敗れ、そのショックを引きずり、立ち直れないまま北見市に戻ってきたところを本橋選手に誘われてコロ・ソラーレに加入した経緯が、実に要領よくまとめられていて、「こうして彼女たちはそれぞれの挫折を経験してロコ・ソラーレに結集し、やがて快進撃が始まった」と、まるで水滸伝のような実に鮮やかにまとめられていて、その人間関係の葛藤の面白さ(それぞれの深刻な「挫折」が描かれている彼女たちの葛藤を「面白い」などと言ってはいけないのかもしれませんが)に強く惹かれたことが、いま思えばずいぶん大きかったと思います。

動画の冒頭、本橋麻里選手の「記者会見」で語られているチーム青森からの脱退のその理由というのが、自分的には当然のように、「チーム内の内紛のため」と理解していました。

いまだって「チーム青森の内紛」と検索すれば、もっともらしい記事は幾つもヒットするくらいですから、ネット人間の自分が、そのような記事に幾度か接し、「そりゃあチームだもの、そういうことだってあるかもしれないよな」などという可能性として考えていたものが、徐々に確信に変化していって、いつの間にか自分の固定観念になってしまったなんてことは、大いに「あり得る話」だと思います。

だって、ロコ・ソラーレにおいて、チームカラーとして標榜した「チーム・コミュニケーション」というのは、そもそも根底には体育会特有の「上下関係の打破」を意味していて、たぶん力による拘束とか抑圧を極度に嫌う自由人・本橋麻里選手がもっとも嫌悪しそうなことで、そう判断すると、カーリングに対する根本的に考え方の違いからくる軋轢・「チーム青森の内紛」があったからではないかと憶測するのは当然なのだと思います。

で・そこから、小笠原歩選手や船山弓枝選手との不仲説というのが噂として囁かれ始めたのではないかと。

そうしたことを受けて、別のもう一本の3分30秒の動画「ロコ・ソラーレ北見 本橋麻里 涙の真実 カーリング女子」を見ていて初めて気が付いた「自分の思い込み」について書きますね。

この動画、冒頭で突然、本橋麻里選手の泣きながらの「すごい助けられて、あのう不安だったんですけど」という前後の脈絡を欠いたコメントがあって、なんのことやら分からず視聴者は、ただびっくりします。

しかし、見ていくうちに本橋選手がロコ・ソラーレを立ち上げ、出産したばかりの頃の「選手を続けられるのかという不安」を、誰かに(複数かもしれません)助けてもらったことを感謝しているらしい話であることが、だんだん分かってきます。

画面は、銀メダルを取った世界選手権のときのコーチボックス(十数年ぶりのコーチボックスに入ったと言っていました)が写し出されます。

そこで驚きました、本橋選手の左に座っているのは、明らかに(マスクをしていますが)船山弓枝選手です、えっ、不仲とかじゃなかったの。いやいや、その船山選手のさらに左隣には、例の吉田知那美選手に「戦力外」を通告したというミキ・フジ・ロイがいるではないですか。この野郎の排斥運動でもあれば、参加しようと思っていたくらいです。

「どうなってんだ、こりゃ」という感じです。

さらにこんなナレーションが流れます「母親として選手を続けていくことに不安を感じていたそんな本橋選手を救ったのは、小笠原歩選手や船山弓枝選手でした」

お、おい、そりゃないだろ、ミキ・フジ・ロイは日本と日本人を食い物にする悪辣な毛唐=悪党じゃなかったのか、このとき攘夷に燃える自分の「勧善懲悪」の思い込み(もともとそんなふうに考える方がおかしかったのですが)は脆くも崩れ去りました。なんだろうね、オレって。

少し長いのですが、そのとき流れたナレーションと本橋選手のコメントというのがあります。

ナレーション・母親の務めを全うしながら、カーリングを続けていくことに不安を感じていた本橋選手、そんな彼女を救ったのは、かつてカー娘として共に戦い、いまはライバルとして高め合う小笠原選手と船山選手でした。

「子供を去年生んで、今シーズン、歩ちゃんと弓枝ちゃんに助けられて(このタイミングで前述の「泣き」が入ります)、あの、不安だったんですけど、二人の言葉にやっぱり励まされて、まだまだ私はこの二人には敵わないんだなと思いました。」

ナレーション・子育てとの両立に悩む自分に温かい言葉をかけてくれたかつての仲間、銀メダルを獲得したチームにも新たな気持ちが。
「(世界選手権が銀メダルで終わったのは)経験値の差、人生経験、カー臨時経験の差が出たんだと思うんですけど、悔しく終わって良かったなってふうには思っています。チームのスタートからチームを見てきて、今までとは違う感情がでてきた。チームを勝たせたい、もっといい表彰台の上に立たせたい。」

母親として選手として「両立」させることをバネとして、カーラーとして新たな躍進を遂げたいという本橋麻里の決意が語られていました。

いかにも優等生っぽい答えですが、でも、この話、「ほんとかなー」という気持ちは残ります。

「チーム青森」に在籍していて、だんだん勝ちから見放され(五輪で期待に応えずに前回よりも成績を落としました)、自分でもカーリングが嫌いになってゆく自分が嫌で、引退も考えたとき、嫌いのまま辞めるくらいなら、もう一度「カーリングが好きでたまらなかった」原点に戻って、カーリングが好きになる状態になってからでも引退は遅くないと考えて、常呂に戻ってロコ・ソラーレを立ち上げたわけですから、「チーム青森」から抜けるということ自体に大きな意味(ある意味、やはり「挫折」といってもいいもの)があったのだと思います。

また、吉田知那美は、北海道銀行フォルティウスからチームの強化方針に基づいて戦力外通告され、失意のなか、しばらくは一人旅を続けながら、それでも挫折のショックは癒えず、地元・常呂町に戻った当時のことを前述の動画「ロコ・ソラーレ 7年間の葛藤と成長の記録」「女子カーリングチーム ロコ・ソラーレが平昌五輪の代表をつかんだ本当の理由」の中でこう語っています。

ナレーション・彼女は故郷の常呂町に戻ってふさぎ込んだ。だが、カーリング場には自然と足が向く。

「リンクにいるのも、カーリングをやっている姿を誰かに見られるのが恥ずかしい。絶対に誰もいないであろう時間を見計らってここで練習したりとかしていた。どのチームからの誘いも断っているのに、ひとりで練習していて、たまになんでひとりで練習してるんだろうって思ってた。」

そうして鬱々と日々を送っていた吉田知那美選手に声をかけたのが本橋麻里選手でした。

思えばこのふたり、チームなかの人間関係に行き詰まるという共通する姿をなんとなく感じさせるのですが、藤澤五月に「そういうもの」が、果たしてあっただろうかという疑問に捉われました。

同じ動画で、藤澤五月はこう言っています。

「(今回の移籍について)五輪に出たいというのも理由のひとつとしてあります。自分がやりたいカーリングをできる環境はどこなんだろうか、また自分自身でも変えなきゃいけない部分もあるし、環境もその切っ掛けになる部分もあると思うんですけれども、その場所がどこだからいいっていうのはないと思うんですよね。自分が変わるきっかけを与えてくれる場所がどこなのか、自分自身で探さなければいけないですし」と。

このコメントのなかから「挫折の影」を探すことは到底できません。

この動画でも、藤澤選手についてこんなふうに説明している箇所がありました。

「持ち味は創造力豊かな攻撃力。たとえばこのシュチエーション、敵チームの赤が中心近くに位置し、手前にストーンもあり、進路をふさがれている。並みの選手であれば1点しか取れない状況、ここで藤澤が見せたラストショットは、円の外にある自らのストーンを利用して、相手の赤を押し出し3点を獲得する、こうした攻撃力を武器に長野の強豪・中部電力を率いてバンクーバー後、日本選手権を3連覇、ソチオリンピック代表最有力候補と言われた。」

しかし、決定戦で北海道銀行フォルティウス(吉田知那美が在籍していました)に敗退し、代表の座を逃します。もともとメンタルが弱いのに誰にも頼れなかったのが敗因といわれました。

しかし、それってどうなのよと自分などは考えてしまいます。

確かに「メンタルが弱い」というのは、敗因の決定的な要因かもしれませんが、「誰にも頼れなかった」というのは、負の要素というよりも、逆にむしろ王者としての適格を示す資格のような気がします。

もしそのために「敗北」があったとしても、それは積極的に勝ちに行ったことの確率的な微かな属性にすぎないと思うからで、藤澤自身、他人とうまく同調できないことなど、いささかも負い目になんか感じていなかったに違いないという気がします。

むしろ、他人と一緒にプレーしなければならないことによって、「自分を他人に合わせることで削がれてしまうモチベーション」に対して苛立ちのようなものを感じていたのではないかとさえ思うくらいです。

改めて、冒頭のタイトル「カーラー・藤澤五月に『挫折』はあったか」と自問したとき、その答えは、カーラー・藤澤五月は、そうした次元では生きていないプロの勝負師(または、生き場を求めてさすらう漂泊のばくち打ち)のような存在であると考えているらしい自分に気づかされるばかりです。



# by sentence2307 | 2018-06-26 14:08 | カーリング | Comments(7)
(国立国会図書館のサイトで簡易検索をした結果、ヒットした項目は、以下の315件でしたが、たまたま表題に「カーリング」の文字を含んでいる異分野の文献も反応して拾ってしまっていますので、なにとぞお察しください。
例えば・「平編のカーリングを活用したスラッシュキルト・服飾文化学会誌. 作品編」なんてね。その意味合いはそれぞれ違っているにしても、実に多くの業種が「カーリング」という言葉を共有していることが分かります。)

★Happy curling ジャパン・カーリング・プロモーション [編]. ジャパン・カーリング・プロモーション, 1984-
★日本カーリング選手名鑑 2012 (特集:カーリング新時代へ) (毎日ムック) 日本カーリング協会 監修. 毎日企画サービス, 2012.1
★カーリング 益子 正文 掲載誌 トライボロジスト / 日本トライボロジー学会 編 43(1) 1998.01 p.38~42
★カーリングと氷物性 前野 紀一 掲載誌 雪氷 72(3) 2010.5 p.181~189
★カーリングの実験的研究 : カーリング・ストーンのカール比の測定 入戸野 太郎, 門脇 仁隆, 駒込 敏弘 他 掲載誌 雪氷 75(3):2013.5 p.137-146
★カーリング魂。 小野寺歩 著. 小学館, 2007.3
★新みんなのカーリング : 公益社団法人日本カーリング協会オフィシャルブック [小川豊和] [監修]. 学研教育出版, 2014.2
★カーリング・ストーンの曲がりの説明について 対馬 勝年 掲載誌 雪氷 73(3) 2011.5 p.165~172
★ゲーム木に基づくカーリングの戦略解析 (画像工学) 浦 正広, 山田 雅之, 遠藤 守 他 掲載誌 電子情報通信学会技術研究報告 : 信学技報 107(129) 2007.7.9・10 p.31~36
★カーリングを科学するプロジェクト (クラウドネットワークロボット) 伊藤 毅志, 桝井 文人, 宮越 勝美 他 掲載誌 電子情報通信学会技術研究報告 = IEICE technical report : 信学技報 115(118):2015.6.29 p.5-10
★車椅子カーリング 藤記 拓也 掲載誌 日本生活支援工学会誌 / 日本生活支援工学会 編 10(1) 2010.5 p.19~23
★最近のカーリング施設 (特集 スポーツ,レジャー関連冷凍施設・装置 ; スポーツ関連) 斎藤 徹夫 掲載誌 冷凍 78(903) 2003.1 p.16~18
★ザ・カーリングブック エド・ルクウィッチ [ほか]共著, 岩崎まさみ 訳. ぎょうせい, 1985.12
★ゲーム木に基づくカーリングの戦略解析 (マルチメディア・仮想環境基礎) 浦 正広, 山田 雅之, 遠藤 守 他 掲載誌 電子情報通信学会技術研究報告 : 信学技報 107(130) 2007.7.9・10 p.31~36
★みんなのカーリング : (社)日本カーリング協会オフィシャルブック 小川豊和 監修. 学習研究社, 2006.6
★平編のカーリングを活用したスラッシュキルト 角田 千枝, 田中 百子 掲載誌 服飾文化学会誌. 作品編 : costume and textile / 服飾文化学会 編 3(1) 2010 p.15~22
★常呂のカーリングのあゆみ 1 (ところ文庫 ; 28) 常呂町郷土研究同好会 著, 常呂町郷土研究同好会 編. 常呂町郷土研究同好会, 2012.3
★カーリングとスタッドレスタイヤ 風間 俊治 掲載誌 OHM bulletin / オーム社 [編] 43 (通号 177) 2008.冬 p.2~4
★カーリング研究の科学的アプローチと課題 (特集 知能メカトロニクス分野と連携する知覚情報技術) 河村 隆, 竹川 佳成, 山本 雅人 掲載誌 電気学会論文誌. C, 電子・情報・システム部門誌 = IEEJ transactions on electronics, information and systems 137(9):2017.9 p.1137-1140
★3Dセンサーを用いたカーリングのスウィープ技術の解析 (MEとバイオサイバネティックス) 廣瀬 明依, 早川 吉彦, 柳 等 掲載誌 電子情報通信学会技術研究報告 = IEICE technical report : 信学技報 114(79):2014.6.13 p.67-70
★円錐台殻のカーリング変形(カーリングの研究-3-) 北沢 君義, 小林 勝 掲載誌 塑性と加工 29(327) 1988.04 p.p362~367
★薄板のカーリングに関する研究 田中 英八郎 他 掲載誌 日本金属学会誌 / 日本金属学会 [編] 33(1) 1969.01 p.4~9
★気象のABC(No.12)変則カーリング 木村 龍治 掲載誌 天気 59(4):2012.4 p.227-229
★変則カーリング(気象のABC-No.12) 電子書籍・電子雑誌 木村,龍治. 2012-04-30 掲載誌 天気 59(4):2012-04-30 p.227-229
★冷間圧延ストリップのカーリング 田中 英八郎 他 掲載誌 日本金属学会誌 / 日本金属学会 [編] 26(2) 1962.02 p.????
★塩化ビニル管のカーリング現象 北沢 君義 掲載誌 塑性と加工 34(390) 1993.07 p.p812~816
★円管端末カーリング変形の防止法 北沢 君義 他 掲載誌 塑性と加工 31(349) 1990.02 p.p168~175
★カーリングストーンの運動解析 対馬 勝年, 森 克徳 掲載誌 寒地技術論文・報告集 寒地技術シンポジウム / 北海道開発技術センター 編 33:2017 p.282-287
★円管端末カーリング変形機構に関する実験的検討(カーリングの研究-2-) 北沢 君義, 小林 勝 掲載誌 塑性と加工 28(323) 1987.12 p.p1267~1274
★円錐工具による円管端末の内カーリング変形挙動(カーリングの研究-1-) 北沢 君義, 小林 勝 掲載誌 塑性と加工 28(316) 1987.05 p.p481~487
★ルールと見どころ!オリンピック・パラリンピック全競技 5 日本オリンピック・アカデミー 監修. ポプラ社, 2018.4 スキー スケート カーリングほか : 冬季競技
★カーリング・ストーンのカールの機構 対馬 勝年 掲載誌 寒地技術論文・報告集 寒地技術シンポジウム / 北海道開発技術センター 編 28:2012 p.337-342
★円管端末カーリング変形の初等的エネルギ解析(円管および円錐台殻のカーリング変形の理論解析-1-) 北沢 君義, 小林 勝, 山下 修市 掲載誌 塑性と加工 29(331) 1988.08 p.p845~850
★カーリング (スケート・スキー<特集> ; 話題のスケートリンク) 小林 宏 掲載誌 冷凍 61(710) 1986.12 p.p1269~1273
★カーリング女子日本代表チームのトレーナーサポート (特集 カーリングにおける競技力向上を考える) 高橋 小夜利 掲載誌 Journal of training science for exercise and sport / 日本トレーニング科学会 編 23(1) 2011 p.7~12
★大学カーリングチームにおけるトレーニングの科学 (特集 カーリングにおける競技力向上を考える) 柳 等, 宮越 勝美 掲載誌 Journal of training science for exercise and sport / 日本トレーニング科学会 編 23(1) 2011 p.13~19
★New Face登場 どうぎんカーリングスタジアム 北海道札幌市 掲載誌 SF : sports facilities / 体育施設出版 編 ; 日本体育施設協会 監修 41(13)=545:2012.11 p.44-49
★リアルタイム動体検出技術の開発とカーリング会場内観戦者向けストーン位置情報配信トライアル (特集 高臨場UXサービスを支える技術) 徳永 徹郎, 外村 喜秀, 島村 潤, 濱村 文久, 柿元 宏晃 掲載誌 NTT技術ジャーナル / 日本電信電話株式会社 編 29(10)=343:2017.10 p.38-41
★平編み地におけるカーリング現象のモデリング 若松 栄史, 井上 真理, 倉敷 哲生 他 掲載誌 繊維機械学会誌 : せんい 67(3)=787:2014.3 p.183-188
★車いすカーリング (特集 障害者スポーツのニューウエーブ) 藤記 拓也 掲載誌 ノーマライゼーション : 障害者の福祉 26(5) (通号 298) 2006.5 p.14~17
★特集 カーリングにおける競技力向上を考える 掲載誌 Journal of training science for exercise and sport / 日本トレーニング科学会 編 23(1) 2011 p.1~19
★根粒菌によるダイズ根毛カーリングの顕微鏡観察 赤尾 勝一郎, 河内 宏 掲載誌 日本土壌肥料学雑誌 60(1) 1989.02 p.p53~55
★心拍数からみたカーリングの運動強度について 明官 秀隆, 平 耕, 恐神 邦秀 掲載誌 釧路工業高等専門学校紀要 (通号 25) 1991.12 p.p173~177
★カーリング授業中の心拍数変動に関する研究 明官 秀隆 掲載誌 旭川工業高等専門学校研究報文 (通号 30) 1993.03 p.p117~126
★カーリングのストーンは回転が少ないほどよく曲がる? 成瀬 廉二 掲載誌 雪氷 78(4):2016.7 p.219-221
★我が金庫のCLUB活動 カーリング同好会(諏訪信用金庫) 掲載誌 信用金庫 55(5) 2001.5 p.54~56
★わがまちの国際交流 常呂町/カナダ・アルバータ州バーヘッド町 カーリングから芽生え カーリングにはぐくまれ 掲載誌 Hoppoken 125 2003.Aut p.44~47
★田代沙織のここが聞きたい! 富士急行カーリング部「チーム富士急」 西室淳子 カーリングへの尽きない情熱 田代 沙織, 西室 淳子 掲載誌 リベラルタイム = Liberal time 17(6)=193:2017.6 p.64-66
★カーリングと観光への期待 (観光情報学とスポーツ) 相川 康暁 掲載誌 観光と情報 : 観光情報学会誌 12(1)=12:2016 p.21-24
★カーリング・ストーンのカール機構をめぐる論争 対馬 勝年, 森 克徳 掲載誌 寒地技術論文・報告集 寒地技術シンポジウム / 北海道開発技術センター 編 32:2016 p.296-301
★常呂町 : カーリングを育てたホタテ王国 (北海道ふるさと新書) 常呂町 [著]. 北海道新聞社, 2006.2
★氷上のカーリング・ストーンのカールについて 対馬 勝年, 森 克徳 掲載誌 寒地技術論文・報告集 寒地技術シンポジウム / 北海道開発技術センター 編 31:2015 p.332-337
★円管端末カーリング変形の上限供給曲率半径に対する諸条件の影響(円管端末のカーリング変形の実用化研究-1-) 北沢 君義, 小林 勝, 山下 修市 掲載誌 塑性と加工 29(333) 1988.10 p.p1043~1048
★カーリングガールズ : 2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩 (MG books) 高野祐太 文・写真. エムジー・コーポレーション, 2007.3
★大正 昭和ヒトケタ世代の健康法(第18回)カーリングに燃える 小栗 祐治 掲載誌 現代農業 / 農山漁村文化協会 [編] 94(6)=824:2015.6 p.339-341
★長野五輪への道<カーリング> (鎖夏随想 さわやかスポーツ特集) 近藤 ゆかり 掲載誌 信用金庫 52(8) 1998.08 p.14~16
★投資のための教養サロン 編集長インタビュー 目黒萌絵--バンクーバー五輪 カーリング女子日本代表 すべてはカーリングが教えてくれた 目黒 萌絵, 鈴木 亮 日経マネー (通号 332) 2010.7 p.92~95
★人間訪問(7)カーリング界のプリンス 長野五輪日本代表 敦賀信人さん 敦賀 信人 掲載誌 道新today / 北海道新聞社 [編] 28(8) (通号 343) 2000.07 p.70~74
★摩擦によるストーンの動き (特集 カーリングにおける競技力向上を考える) 小川 豊和 掲載誌 Journal of training science for exercise and sport / 日本トレーニング科学会 編 23(1) 2011 p.3~5
★SPECIAL INTERVIEW カーリング女子日本代表 チーム青森 (バンクーバーオリンピックに向けて) 目黒 萌絵, 本橋 麻里, 山浦 麻葉 他 掲載誌 文部科学時報 / 文部科学省 編 (1609) 2010.2 p.25~27
★現代の肖像 カーリング選手 小笠原歩 より強く、母としてアスリートとして 吉井 妙子 文 掲載誌 Aera = アエラ 27(49)=1479:2014.11.10 p.56-60
★KONICA MINOLTA Interview バンクーバー冬期オリンピック カーリング女子 日本代表 目黒萌絵 目黒 萌絵 掲載誌 Konica Minolta medical network / 『Konica Minolta medical network』編集室 編 61(2) (通号 277) 2010 p.46~49
★スケート,スキー,カーリングのトライボロジー (特集 スポーツとトライボロジー(2)) 対馬 勝年 掲載誌 トライボロジスト / 日本トライボロジー学会 編 54(7) 2009 p.470~475
★カーリングゲーム中の心拍数変動に関する研究--中高年プレーヤーを対象として 明官 秀隆 掲載誌 旭川工業高等専門学校研究報文 (通号 31) 1994.03 p.p81~89
★トリノ2006オリンピック冬季競技大会カーリング 国際オリンピック委員会オフィシャルDVD (国際オリンピック委員会オフィシャルDVD) 映像資料 日本オリンピック委員会 監修. 日活, 2006.11
★カーリングに関するLR説とFB説の融合によるカールの検討 対馬 勝年, 森 克徳 掲載誌 寒地技術論文・報告集 寒地技術シンポジウム / 北海道開発技術センター 編 32:2016 p.85-90
★カナダのオリンピック代表カーリングチームの期分けトレーニングプログラム David G. Behm 掲載誌 Strength & conditioning journal : 日本ストレングス&コンディショニング協会機関誌 16(3) (通号 139) 2009.4 p.40~47
★歴史の中の総務部長(302)水野忠之(12)カーリングに学ぶ新総務部長像 童門 冬二 掲載誌 月刊総務 / ナナ・コーポレート・コミュニケーション 編 48(6) (通号 580) 2010.6 p.60~63
★密着! カーリング5人娘のあっけらかん--後輩中学生に大金星献上もご愛嬌 掲載誌 サンデー毎日 85(13) (通号 4750) 2006.3.26 p.32~34
★次回札幌冬季オリンピックにおけるカーリングリンクの活用提案 対馬 勝年 掲載誌 寒地技術論文・報告集 寒地技術シンポジウム / 北海道開発技術センター 編 33:2017 p.288-292
★復興十分条件手順とカーリング組織論 : 公共民の経営学・現場学(145) 長嶋 俊介 掲載誌 会計検査資料 (631):2018.4 p.64-72
★フィリピンの軍事化--軍隊は民衆を本当に守っているのだろうか? (特集 「死の商人」の実態を暴く ; 武器移転の影響・帰結・展開) ジョアン カーリング 掲載誌 季刊軍縮地球市民 / 明治大学軍縮平和研究所 編 (4) 2006.Spr p.56~61


# by sentence2307 | 2018-06-25 23:58 | カーリング | Comments(0)

★海外文献紹介 完全な氷への探求 カーリングのための製氷 Daniel J. Dettmers, 佐々木 賢知 訳, 橋本 幸博 訳, 柚本 玲 訳 掲載誌 空気調和・衛生工学 92(3):2018.3 p.225-230
★アルミニウム円管端末の球面状口広げ成形中に生じるカーリング現象 北沢 君義, 辻出 睦, 小林 勝 掲載誌 軽金属 39(9) 1989.09 p.p609~615
★上肢運動訓練を目的とした仮想カーリング作業における人間の感覚運動特性 田中 良幸, 松下 和寛, 辻 敏夫 掲載誌 計測自動制御学会論文集 42(12) 2006.12 p.1288~1294
★舷側厚板部に設置される座屈防止用カーリングの疲労強度に対する影響について 藤井 一申, 深沢 塔一, 萩森 保彦 他 掲載誌 日本造船学会論文集 (通号 185) 1999.06 p.233~240
★舷側厚板部に設置される座屈防止用カーリングの疲労強度に対する影響について 電子書籍・電子雑誌 藤井,一申, 深沢,塔一, 萩森,保彦, 内村,秀之. 日本造船学会, 1999-06-00 掲載誌 日本造船学会論文集 (185):1999-06-00 p.233-240
★スキー・スノボ・スケートクイズ : カーリング・アイスホッケー他 (熱血めざせ!スポーツクイズマスター) ワン・ステップ 編. 金の星社, 2014.12
★センジミヤ20段圧延機および4段圧延機におけるストリップのカーリングとボーイング 田中 英八郎 他 掲載誌 塑性と加工 4(27) 1963.04 p.????
★円錐台殻の円錐工具へのなじみ変形挙動(カーリングの研究-4-) 北沢 君義, 小林 勝 掲載誌 塑性と加工 30(345) 1989.10 p.p1434~1440
★どうぎんカーリングスタジアム : 札幌市豊平区 基本設計/山下設計 実施設計・監理/山下設計(建築) テクノクルー(設備) 施工/西松・国策 特定共同企業体 (山下設計 カーリング競技施設) 掲載誌 近代建築 68(1):2014.1 p.72-75
★アドヴィックス常呂カーリングホール : 北海道北見市常呂町 設計・監理/山下設計、清和設計事務所 施工/鐘ヶ江・五十嵐・岡村・野口 特定建設工事共同企業体 (山下設計 カーリング競技施設) 掲載誌 近代建築 68(1):2014.1 p.76-79
★4年でサナギから蝶に変わった「目黒萌絵(カーリング)」 (なごり雪の「バンクーバー」) 掲載誌 週刊新潮 / 新潮社 [編] 55(9) (通号 2733) 2010.3.4 p.28~29
★カーリング「本橋麻里」がこだわるシュシュとカチューシャ (金メダル遥かなり 「バンクーバー五輪」冬物語) 掲載誌 週刊新潮 / 新潮社 [編] 55(8) (通号 2732) 2010.2.25 p.32
★軽井沢アイスパーク : 通年型カーリングホール (進化するスポーツ施設 特集 ; 最新スポーツ施設事例) 大湯 満晴, 山本 英輔, 大山 有紀子 他 掲載誌 建築設備士 = Building mechanical and electrical engineer 46(10)=545:2014.10 p.39-42
★スノーレッツの観戦アドバイス--フィギュアスケート,アイスホッケー,カーリング,ボブスレー,リュージュ,バイアスロン 文部省体育局競技スポーツ課 掲載誌 スポーツと健康 / スポーツと健康・文部研究会 監修 29(12) 1997.12 p.47~51
★疑モンモン(第36回)陣野俊史は考えている。 男子のカーリングはどこへ行ったんだ? 陣野 俊史 掲載誌 金曜日 / 金曜日 [編] 18(11) (通号 806) 2010.3.26 p.2
★フォーラム・アイ Corporation 中部電力カーリング部 創部2年目で世界へ進出 「男らしく」がモットーの女子チーム 掲載誌 エネルギーフォーラム 58(686):2012.2 p.104-106
★特別寄稿 飛躍の糧に!カーリング女子チームの活躍--四半世紀以上前の普及活動を振り返る 太田 勇 掲載誌 Hoppoken 135 2006.Spr p.12~17
★「結婚引退」カーリング娘に市をあげて説得工作 (総力ワイド 純情きらり欲望ギラリの女たち) 掲載誌 週刊朝日 111(22) (通号 4748) 2006.5.5・12 p.159~160
★カーリング「チーム青森」をどう支えるか (スポーツビジネス徹底解明!--知られざる10兆円市場) 掲載誌 週刊東洋経済 (6260) 2010.5.15 p.73
★余暇活動における生涯スポーツの意義(2)カーリング愛好者の主観的価値観および生きがい感に関する調査 徳垣 智哉, 藤本 尊子, 山本 理人 他 掲載誌 家庭科教育 78(7) 2004.7 p.70~76
★オリンピックがもたらした地域の変容と遺産 : 「カーリングの町」御代田の誕生と可能性 (特集 「スポーツの力」を問い直す) 石坂 友司 掲載誌 現代スポーツ評論 (25):2011.11 p.41-51
★五輪を沸かせたカーリング娘がお互いを語る 小野寺歩×本橋麻里 内気なスキップと怖いもの知らずのマリリン 小野寺 歩, 本橋 麻里 掲載誌 婦人公論 91(10) (通号 1200) 2006.5.7 p.178~181
★カーリング セクシーDVD「本橋麻里」の集中を削ぐ五輪後ビジネス (バンクーバー気象台非公認! 「チーム日本」メダル天気予報) 掲載誌 週刊新潮 / 新潮社 [編] 55(6) (通号 2730) 2010.2.11 p.132
★工学的アプローチによるカーリング戦術支援 (特集 冬季オリンピック・パラリンピックを支える科学技術) 桝井 文人, 柳 等, 伊藤 毅志 掲載誌 化学工学 = Chemical engineering of Japan 82(2):2018.2 p.84-87
★カーリング娘 マリリン 追っかけはもういない (追跡ワイド あの人はいま--みんなが知りたい33人 読者2000人アンケート) 掲載誌 週刊文春 / 文芸春秋 [編] 48(32) (通号 2390) 2006.8.17・24 p.182~183
★カーリング (特集:長野冬季オリンピック(1)ホスト放送機関『ORTO′98』 ; ORTO′98国際信号制作とベニューでの運用) 中田 知義 掲載誌 放送技術 / 兼六館出版株式会社 [編] 51(6) 1998.06 p.590~593
★感動の舞台紹介 青森市スポーツ会館(カーリング) 各種武道場や多目的運動場備えた複合スポーツ施設--冬は国際大会可能なカーリング場にも (第5回アジア冬季競技大会青森2003) 掲載誌 月刊体育施設 : スポーツ施設&マネジメント情報誌 / 体育施設出版 編 ; 日本体育施設協会 監修 32(2) (通号 400) 2003.2 p.35~37
★1050および5052アルミニウム合金管端末の揺動回転フランジ成形におけるカーリングの抑止 北澤 君義 掲載誌 軽金属 65(1)=651:2015.1 p.2-6
★戦略の不確実性を考慮したカーリングAIの開発 (社会システムと情報技術研究ウィーク) 加藤 修, 飯塚 博幸, 山本 雅人 掲載誌 知識ベースシステム研究会 / 人工知能学会 [編] 104:2015.3.1-4 p.7-12
★ソチオリンピック放送の現場から : カーリングと女子ジャンプを引っ張る2人の女性 (ダンスの力を すべての人へ : 時代を読む) 村松 佐和子 掲載誌 女子体育 56(4・5):2014.4・5 p.12-15
★軽井沢アイスパーク : 長野県北佐久郡軽井沢町 設計・監理/山下設計 施工/守谷商会・丸山工務店 共同企業体 (山下設計 カーリング競技施設) 掲載誌 近代建築 68(1):2014.1 p.66-71
★研究開発情報 酸性で毛髪にカール形成が可能な髪に優しいカーリング剤原料(還元剤)--「スピエラ」SPIERAの開発 渋谷 彰, 蒲池 元昭 掲載誌 ファインケミカル : 調査・資料・報道・抄録 35(8) (通号 731) 2006.8 p.56~62
★オフセット工具を用いた1050および5052アルミニウム合金円管の回転口広げ成形時のカーリング変形と波打ち変形の抑止 北沢 君義 掲載誌 軽金属 46(5) 1996.05 p.225~230
★今月の一冊 国立国会図書館の蔵書から 文部省刊行『百科全書 体操及戸外遊戯』 : 明治12年のカーリング 旗手 優 掲載誌 国立国会図書館月報 (682):2018.2 p.1-3
★ビートたけしの21世紀毒談(第1020回)スッピンばかりの中であれだけ化粧が濃けりゃ、カーリングが目立つのは当たり前だっての! ビートたけし 掲載誌 週刊ポスト / 小学館 [編] 42(12) (通号 2069) 2010.3.19 p.123~125
★07年度地域資源全国展開事業を採択--経産省 「カーリングの街・青森体験」など233件--新たな観光資源や特産品開発を支援 掲載誌 地方行政 (9890) 2007.5.21 p.2~5
★解説・小林宏氏 カーリングおじさん 元スピードスケート選手が"ナイショッ!"にたどり着くまで (スクープ・ワイド 男と女の「宴のあと」) 掲載誌 週刊ポスト / 小学館 [編] 42(11) (通号 2068) 2010.3.12 p.130
★北海道常呂町 日本カーリングのメッカ--サロマンブルーの小さな町からオリンピック選手が続々誕生 (特集 スポーツは町を元気にする) 掲載誌 生涯フォーラム (1198) 2001.夏 p.10~12
★工具回転軸と円管回転軸に偏りを有する円管端末回転口絞り成形における口辺しわと内カーリング変形の抑止 (チューブフォーミングと造管技術<特集>) 北沢 君義, 小林 勝, 飯田 実 掲載誌 塑性と加工 30(339) 1989.04 p.p563~569
★カーリングプローブの小型化に対するプラズマ計測への影響 (プラズマ研究会・プラズマ一般) 小川 大輔, 堀田 将也, 菅井 秀郎, 中村 圭二 掲載誌 電気学会研究会資料. PST 2016(53-74):2016.8.9 p.81-85
★그냥, 컬링 : 최상희 장편소설 최상희 글. 비룡소, 2011.10
★水泳学習におけるスカーリング指導に関する基礎的研究 中井 聖 掲載誌 神戸医療福祉大学紀要 = Journal of the Kobe University of Welfare 14(1)=21:2013.12 p.85-93
★スカーリング動作による推力発揮に関する流体力学的考察 高木 英樹, 野村 照夫, 松井 敦典 他 掲載誌 三重大学教育学部研究紀要. 自然科学 / 三重大学教育学部 編 (通号 50) 1999 p.111~119
★水泳のスカーリングにおける数値流体解析 對馬 孝, 浅井 武, 井上 大介 ジョイント・シンポジウム : スポーツ工学シンポジウム・シンポジウム:ヒューマン・ダイナミクス講演論文集 98(31) 1998.10 p.268~271
★水泳スカーリング動作時の泳者手部周りの流れ場の可視化 三輪 飛寛, 市川 浩, 松内 一雄 他 掲載誌 ジョイント・シンポジウム : スポーツ工学シンポジウム・シンポジウム:ヒューマン・ダイナミクス講演論文集 2009 2009.12.3-5 p.208~213
★BUSINESS : FACTA REPORT グーグル、アマゾンを追う! 平井ソニーが勝負手! 「リカーリング」戦略 掲載誌 Facta 11(11)=127:2016.11 p.16-18
★第72回国民体育大会デモンストレーションスポーツカーリング 愛顔つなぐえひめ国体・えひめ大会松山市実行委員会, [2017]
★Fluid Force Acting on the Hand during Sculling of a World-Class Synchronized Swimmer HOMMA Miwako, KAWAI Yuma, TAKAGI Hideki 掲載誌 筑波大学体育系紀要 = The bulletin of Faculty of Health and Sport Sciences 37:2014 p.159-163
★織物形状変化の制御に関する研究--カーリングと糸トルクの関係解析 池口 達治, 村井 美保 掲載誌 愛知県尾張繊維技術センター研究年報 / 愛知県尾張繊維技術センター 編 (通号 20) 1999 p.49~68
★織物形状変化の制御に関する研究 : カーリングと糸トルクの関係解析 電子書籍・電子雑誌 池口達治, 村井美保. あいち産業科学技術総合センター, 1998 掲載誌 愛知県尾張繊維技術センター研究年報 1998年:1998
★Higher psychical development (Yoga philosophy) : an outline of the secret Hindu teachings / by Hereward Carrington Kegan Paul, French Trubner, 1920
★The coming science, by Hereward Carrington ... with an introduction by James H. Hyslop .. [T.W. Laurie, 19--?] <189-131>
★Psychical phenomena and the war, Dodd, Mead and company, 1918 <225-191>
★Your psychic powers and how to develop them, by Hereward Carrington Dodd, Mead, 1920 <231-308>
★The projection of the astral body [by] Sylvan J. Muldoon and Hereward Carrington [Reprint ed.] Rider, 1958
★おとなも子どももカーリング--北海道北見市常呂町を訪ねる (スポーツがつなぐ人の輪) 掲載誌 婦人之友 102(3) (通号 1254) 2008.2 p.70~73
★Death: its causes and phenomena, with special reference to immortality, by Hereward Carrington, and John R. Meader ("Graham Hood") W. Rider & son, limited, 1911 <192-254>
★現代心霊現象之研究 エッチ・カーリングトン 著, 関昌祐 訳. 日本心霊学会, 大正13 <525-196>
★Curl mechanism of a curling stone on ice pebbles 電子書籍・電子雑誌 Norikazu Maeno. 日本雪氷学会, 2010 掲載誌 Bulletin of glaciological research 28:2010
★非マルコフ決定過程における方策勾配法の一考察--カーリングの事例 (ニューロコンピューティング) 五十嵐 治一, 石原 聖司, 木村 昌臣 掲載誌 電子情報通信学会技術研究報告 : 信学技報 106(588) 2007.3.14 p.179~184
★背景には"カーリングペアレント"の出現と教育の変質 大手予備校・代ゼミが大規模合理化 野中 大樹 掲載誌 金曜日 / 金曜日 [編] 22(34)=1024:2014.9.5 p.46
★脂質-PEGを用いた細胞膜へのタンパク質アンカーリング法及び細胞固定化法の開発 博士論文 加藤耕一 [著]. [加藤耕一], [2004]
★シンクロナイズドスイミングにおけるスカーリングとエッグビーターキックの技術に関する文献研究 本間 三和子 掲載誌 筑波大学体育科学系紀要 29 2006.3 p.1~14
★共同学習を取り入れたプログラミング学習の課題の提案--カーリングゲームを取り入れたプログラミング指導 山本 利一, 田賀 秀子, 新屋 智絵 他 掲載誌 教育情報研究 / 日本教育情報学会「教育情報研究」編集委員会 編 22(3) 2006 p.11~18
★音楽、映画、そしてゲーム 平井社長が追求する「リカーリング」って何だ? (特集 ソニーとその時代) 掲載誌 経済界 51(25)=1080:2016.12.20 p.29-31
★Development of Advanced Curling Probe for Reactive Plasma Measurement 博士論文 Anil, Pandey||アニル, パンディ. 中部大学, 2016-03-23
★コラーゲン・アンカーリング機能を付与した新規ワクチンに関する基盤研究 : 合理的薬物設計法による新しいDDSを目指して 松下治, 香川大学, 香川医科大学 [著]. [松下治], 2002-2003
★現代心霊現象の研究 エッチ・カーリントン 著, 関昌祐 訳. 人文書院, 昭和8 <619-217>
★信頼性と公正--読者の反応 (第31回FIEJ〔国際新聞発行者協会〕ハーグ総会特集) エドワード ピッカーリング 掲載誌 新聞研究 / 日本新聞協会 [編] (通号 325) 1978.08 p.p68~71
★RI会議海外参加者に聞く (第16回リハビリテーション世界会議開催される(速報)) アレクシア ピッカーリング 他 掲載誌 月刊福祉 / 全国社会福祉協議会 [編] 71(13) 1988.11 p.p12~15
★生と死 カーリントン, ミーダー 共著, 立花士郎 訳. 橘書店, 昭和18 <60-1750>
★ITSELF 録音資料 マイカデリック. ビクターエンタテインメント, 2003.4 (1)ハイパーヘビー級(2)アンドウトワ(3)激空間プロラップ(4)52年度通信カーリング部同窓会(feat.アルファ)(5)マハラジャ(6)BBQ(feat.Q,人間太鼓箱,HEAVY-Q
★ザ・ムーン・セヴン・タイムズ/7=49 録音資料 バンダイ・ミュージックエンタテインメント, 1994.6 (8)ジョン・イントロ(9)ジョン(10)ザ・ペイヴメント・シャインズ(11)オン・ア・リム(12)カーリング・ウォール(13)エニウェイ(14)アイル・ギャザー・フラワーズ
★死の研究 (大日本文明協会刊行書 ; 第2期 第13編) エーチ・カーリントン, ジェー・アール・ミーダー 著, 松本赳 訳. 大日本文明協会事務所, 大正2 <343-5を>
★ASPHALT #02 録音資料 ビクターエンタテインメント, 2003.3 H(NAUGHTY BY NATURE FEAT.ROTTIN RAZKALS)(12)52年度通信カーリング部同窓会(マイカデリック feat.アルファ)(13)DOUBLE TROUBLE(tasha,gu
★土管くん 2本目 映像資料 FROGMAN 作・声の出演. ディー・エル・イー, [2009] 柔道(16)円盤なげ(1)7最新体操(18)100M自由形(19)ぜつ棒(20)借り物競争(21)カーリング(22)シンクロ前編(23)シンクロ後編(24)飛び込み(25)アーチェリー(26)さよなら土管くん
★トリノ2006オリンピック冬季競技大会ハイライト (国際オリンピック委員会オフィシャルDVD) 映像資料 日本オリンピック委員会 監修. 日活, 2006.9 ディック複合/スノーボード/フィギュアスケート/スピードスケート/ショートトラック/アイスホッケー/カーリング/ボブスレー/スケルトン/リュージュ 出演:荒川静香/湯浅直樹/上村愛子
★For trombone fans only 寺島靖国プレゼンツ v. 1 録音資料 寺島・レコード, [2012] ス・パラブラス(ウィズアウト・ユー)(松尾明トリオfeat.西田幹)(8)主のみもとに(ガンヒルド・カーリング)(9)ベサメ・ムーチョ(オキ・ペルソン)(10)クライ・ミー・ア・リヴァー(ラス・パック)(11)
★ブラックマヨネーズ吉田vs小杉意地のガチンコマッチ マヨブラジオpresents 映像資料 ブラックマヨネーズ [出演]. YOSHIMOTO R and C, 2010.12 第8対決〉大型トラック運転〈第9対決〉ゴルフ〈第10対決〉ポップコーン10ポーン〈第11対決〉家族でカーリング〈第12対決〉体操のお兄さん 出演:ブラックマヨネーズ(吉田敬,小杉竜一)



# by sentence2307 | 2018-06-25 23:56 | カーリング | Comments(0)

★904 動物細胞膜表面へのタンパク質のアンカーリング技術 : Biocompatible Anchor for Membrane (BAM) 電子書籍・電子雑誌 加藤,耕一, 鄭,恵英, 安河内,徹, 伊藤,智佳, 長棟,輝行. 日本生物工学会, 2001-08-24 掲載誌 日本生物工学会大会講演要旨集 平成13年度:2001-08-24 p.345
★PINGU〓ピングー シリーズ(2) 映像資料 ソニー・ミュージック/SME・ビジュアルワークス, 2000.11 カモメ〈第4話〉ピングーのアイスサーフィン〈第5話〉ピングーのファーストキス〈第6話〉ピングーのカーリング〈第7話〉ピングー一家のクリスマス〈第8話〉ピングーのつららで音楽〈第9話〉ピングーのポップコーンづ
★ベストマッチ! (Chelsea FC official DVD) 映像資料 クリエイティヴアクザ, [2005.10] カーリングカップ決勝チェルシーvsリヴァプール,UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦第2戦チェル
★テレビスポーツ教室・水泳 クロール (NHK DVD教材) 映像資料 柴田義晴, 北川幸夫 指導. NHKエンタープライズ, 2006.4 けのび/キック/ストローク/スカーリング/呼吸
★ポール・マッカートニー 録音資料 東芝EMI, 1993.1 (1)明日(あす)への誓い(2)ビッグ・ボーイズ・ビッカーリング ポール・マッカートニー
★Campfire 録音資料 MERENGUE. Sony Music Labels, 2014.10 (1)CAMPFIRE(2)クレーター(3)アンカーリング(4)エース(5)流れ星(6)"あのヒーローと"僕らについて(7)東京にいる理由(8)Ladybir
★めちゃモテ委員長めちゃヒット曲集 極上!!めちゃモテ委員長 : パーフェクト盤 2 録音資料 TNX, 2011.1 2)宣戦布告のアイライン(23)ウルトラスーパーセレブのメガネ(24)勘違いのスイーツ(25)緊張のカーリングアイロン(26)アイドルはフリフリピンク(27)グロスでHappy(28)ロイヤルリッチにエレガント
★ロジャー・ウォーターズ/ベスト~flickering flame 録音資料 ソニーレコード, 2002.5 ンジャーの瞳(7)誰がそんな情報を必要としてるんだい?(8)イーチ・スモール・キャンドル(9)フリッカーリング・フレイム(ニュー・デモ)(10)タワーズ・オブ・フェイス(11)ラジオ・ウェイヴ(12)ロスト・ボ
★2F16-3 腫瘍細胞に対する樹状細胞貧食能の抗体 : BAMアンカーリングによる活性化(動物細胞工学・動物組織培養・生体医用工学・人工臓器,一般講演) 電子書籍・電子雑誌 杉浦,俊彦, 加藤,耕一, 長棟,輝行. 日本生物工学会, 2004-08-25 掲載誌 日本生物工学会大会講演要旨集 平成16年度:2004-08-25 p.189
★2H10-5 抗体アンカーリング腫瘍細胞を用いた抗原提示樹状細胞の調製とその抗腫瘍効果(動物細胞工学・動物組織培養,分析化学・物理化学・生物工学一般,一般講演) 雑誌記事 / 電子書籍・電子雑誌 杉浦,俊彦, 加藤,耕一, 長棟,輝行. 日本生物工学会, 2005-09-25 掲載誌 日本生物工学会大会講演要旨集 平成17年度:2005-09-25 p.220
★Painted 録音資料 NARROWS. disk union, [2012.3] ランド(5)イッツ・ザ・ウォーター(6)フェイス・ペイント(7)ファイナル・マス(8)SST(9)リカーリング(10)フィール・ザ・サン(11)ザ・メイヨー・オブ・ブルックリン
★自分を勇気づける技法 (NLPコア・テクニック ; 第2巻) 映像資料 ジェイク・イーグル 監修, マイク・バンドラント 講師. チーム医療, [2008.12] (1)リソースとは(2)状態にアクセスする(3)アンカー/触運動覚のアンカーリング(4)アンカー潰し(5)分離と連合(6)Jakeの包括的モデル 監修:ジェイク・イーグル 講師:
★カム・クラリティ 録音資料 イン・フレイムス. トイズファクトリー, 2006.2 フィニット・ストラグル(12)ヴァニシング・ライト(13)ユアー・ベッドタイム・ストーリー・イズ・スカーリング・エヴリワン
★シカゴ・アンダーグラウンド・カルテット 録音資料 徳間ジャパンコミュニケーションズ, 2001.6 (1)トンネル・クローム(2)フォー・イン・ジ・イーヴニング(3)ア・リ・オカーリング・ドリーム(4)ウェルカム(5)スリー・イン・ザ・モーニング(6)トータル・リカヴァリー(7)シンク
★ハスカー・ドゥ/ゼン・アーケード 録音資料 キングインターナショナル, 1994.3 (3)ネヴァー・トーキング・トゥ・ユー・アゲイン(4)チャータード・トリップス(5)ドリームス・リアカーリング(6)インディシジョン・タイム(7)ハレ・クリシュナ(8)ビヨンド・ザ・スレショールド(9)プライド...21)ザ・トゥース・フェアリー・アンド・ザ・プリンセス(22)ターン・オン・ザ・ニュース(23)リアカーリング・ドリームス
★ホールド・ユー・トゥナイト!! 録音資料 キングレコード, 1992.6 9)SC,エレクトリックフィールド3(10)マジック・モーメント(11)フライング・タイム(12)スカーリング・ナイト~革命兵士の詩(13)SC,エレクトリックフィールド4(14)艶姿メカ・キャット!(15)ア
★数理モデル化と問題解決シンポジウム論文集 : 21世紀COE「計算科学フロンティア」 : 複雑系の科学とその応用 (情報処理学会シンポジウムシリーズ = IPSJ symposium series ; v.2006 no.10) 情報処理学会数理モデル化と問題解決研究会 [編]. 情報処理学会, 2006.10 ランダム性の活用 萩谷昌巳 著 行動ファイナンス 加藤英明 著 一般講演 ボリンジャバンドにアンカーリングするエージェントの市場取引の影響について 高橋憲司 ほか著 株価変動の因果性ネットワークについてのァイナンス—人間心理で市場や経営の歪みを探る—/加藤英明(名大)/17一般講演ボリンジャバンドにアンカーリングする
エージェントの市場取引の影響について/高橋憲司(名大) ; Zhai Fei(名大)
★〈オリンピックの遺産〉の社会学 : 長野オリンピックとその後の十年 石坂友司, 松林秀樹 編著. 青弓社, 2013.11 著 「遺産」としての「一校一国運動」 髙木啓 著 「遺産」をめぐる葛藤と活用 高尾将幸 著 カーリングネットワークの創出と展開 石坂友司 著 誰にとってのオリンピック・遺産なのか 松林秀樹, 石坂友司
★マジック・ウィズ・ラバーバンド 日本語字幕版 第1巻 映像資料 ダン・ハーラン [出演]. scriptmaneuver, 2011 ライド)/リビング・アダム(ギャリ―・ビュートラー)/バンド・ペアレンツフッド/2to1ジョイン/リカーリング・ナイトメア(レイ・コスビー)/1-2スプリット/マルチプル・プロダクション(ギャリ―・ビュートラー
★「テキーラ・サンライズ」オリジナル・サウンドトラック 録音資料 東芝EMI, 1995.11 ィルソン&ロビン・ザンダー)(2)ドゥ・ユー・ビリーヴ・イン・シェイム(デュラン・デュラン)(3)リカーリング・ドリーム(クラウデッド・ハウス)(4)ギヴ・ア・リトル・ラヴ(ジギー・マーリィ&ザ・メロディ・メー
★自律分散システム・シンポジウム資料 第22回 図書 計測自動制御学会システム・情報部門自律分散システム部会, 2010.1 隆也 著 会議中の意思決定過程の実測調査とシミュレーション・モデルの構築 草間亮一 ほか著 アンカーリング効果の株価変動への影響 進木寛人 ほか著 改良型文法進化法の株価予測問題への応用 左毅, 樋口祐輔
★ポリスチレンレジストーSi 表面間の界面アンカー効果によるパターン形成 鈴木 幹典, 森田 慎三 掲載誌 電子情報通信学会技術研究報告 : 信学技報 100(556) 2001.1.18 p.13~17
★7型コラーゲン遺伝子の発現調節機構に関する研究:栄養障害型表皮水疱症の病態解明及び治療への応用 今, 淳, 弘前大学. 1999-2000
★珠玉のルネサンス歌曲集 The King's Singers' Madrigal history tour : Italy・England・France ・Spain・Germany 録音資料 アントニー・ルーリー 指揮, キングズ・シンガーズ, コンソート・オブ・ミュージック [演奏]. ビクター音楽産業, [1984]
★寒冷気候と水を利用した「アイスシェルター」の導入 (特集 雪と氷を活用した環境保全への取組) 土谷 紀明 掲載誌 ゆき / 雪センター [編] (74) 2009.1 p.37~39
★わくわく・びっくりサイエンス教室 : 実験・観察・工作ブック 小学校チャレンジ編 山崎健一 著. 国土社, 2004.3 学年を超え,大人も子どももチャレンジ! 熱気球が飛んだ,人間カーリング,火おこしにちょうせん,太陽光での料理教室など。 (日本児童図書出版協会)
★精練技術誌 図書 京都織物精練協同組合, 1990.3
★スポーツなんでも事典スキー・スケート こどもくらぶ 編. ほるぷ出版, 2009.11 スキーやスケート,スノーボードなど,冬季競技に関する様々なことがらをテーマごとにまとめて解説。カーリングやボブスレーも。 (日本児童図書出版協会)
★水球競技のバイオメカニクス 高木 英樹 掲載誌 バイオメカニクス研究 : 日本バイオメカニクス学会機関誌 / 日本バイオメカニクス学会 編 11(2) (通号 41) 2007 p.68~82
★講座 液晶ディスプレイ入門(2)液晶分子の配向制御 関 秀廣 掲載誌 液晶 : 日本液晶学会誌 / 日本液晶学会編集委員会 編 3(4) 1999 p.304~311
★金属薄肉素材の塑性加工における型なじみ機構に関する研究 博士論文 北澤君義 [著] 論文の構成 / p6 (0008.jp2)(参考文献) / p8 (0009.jp2)第2章 円管のカーリング変形機構 / p10 (0010.jp2)2.1 緒言 / p10 (0010.jp2)2.2 カーリング変形機構の実験的検討 / p10 (0010.jp2)2.3 円管端末カーリング変形の解析 / p27 (0018.jp2)2.4 円管の
★デス・ゲーム処刑監獄 映像資料 ケニー・ヤッケル 脚本, アレックス・オーウェル 監督, ヴァレンタイン・ガネフ [ほか出演]. トランスフォーマー, [2012.7]
★風車基礎の基礎材定着力に関する評価 滝川 浩, 長谷 祐児 掲載誌 Electric power civil engineering / 電力土木技術協会 編 (343) 2009.9 p.92~96
★風車基礎の基礎材定着力に関する評価 一宮 利通, 平 陽兵, 金光 嘉久 他 掲載誌 鹿島技術研究所年報 / 鹿島技術研究所 [編] 58 2010.9 p.165~168
★シンクロナイズドスイミングにおける荷重負荷の違いによるフラットスカル動作の比較 本間 三和子, 本間 正信, 窪 康之 掲載誌 Journal of training science for exercise and sport / 日本トレーニング科学会 編 19(2) 2007 p.137~148
★映画芸術 編集プロダクション映芸, 1946-
★映画芸術 16(6)(249) 編集プロダクション映芸, 1968-05 p29~51 (0015.jp2)暗くなるまで待って / テレンス・ヤング ; ロバート・ハワード・カーリングトン ; ジェーン・ハワード・カーリングトン / p52~68 (0027.jp2)ヨーロッパ式クライマックス / ピエトロ・ジェルミ ;
★材料科学 : 日本材料科学会誌 日本材料科学会, 1964-2001
★材料科学 : 日本材料科学会誌 11(4) 日本材料科学会, 1974-08 出のきっかけ"によせて / 小岩昌宏 / p208~211 (0029.jp2)エッチピット法と修正カーリング液による腐食--法とによる結晶方位の判定 / 井上泰 / p212~213 (0031.jp2)伝導
★中央労働時報 雑誌 労委協会, 1946-
★中央労働時報 臨時増刊(742) 労委協会, 1986-03 55~55 (0029.jp2)永年勤続被表彰委員・職員 / / p54~54 (0029.jp2)カーリング / 河原亮三郎 / p53~53 (0028.jp2)
★岩手経済研究 岩手経済研究所, [1982]-
★岩手経済研究 1月(194) 岩手経済研究所, 1998-12 0019.jp2)「黄昏のパリ駐在奮戦記」 / 江井仁 / p38~39 (0021.jp2)「私とカーリング」 / 浪岡正行 / p40~41 (0022.jp2)「我が商工会青年部の担う役割」 / 松尾善治
★レクリエーション = Rec 日本レクリエーション協会, [1960]-2010
★レクリエーション = Rec (379) 雑誌 日本レクリエーション協会, 1992-03 クルポロ・高木義人――ヨーロッパ文化史・木間瀬精三――江戸文学・岡本光世――スピッツ協会・星合尚――カーリング・小林宏――ストリートバスケットボール・あんどうたかお / / p37~39 (0020.jp2)グラフィック・ニュースポーツ講座(10)カーリング / / p40~40 (0022.jp2)
★雑誌 日本レクリエーション協会, 1977-01 こなそう / 佐治康生 / p38~41 (0021.jp2)レク・スポス77――スノーグライダー/カーリング/シネ・レック / / p42~43 (0023.jp2)レク・リーダーのための司会学入門 / /
★最新スケーティング 青木末弘 著. 改造社, 昭11 <723-122> 2)五 競技法 / 232 (0131.jp2)附 記錄表 / 235 (0132.jp2)第五章 カーリング競技 / 238 (0134.jp2)一 カーリング競技に就て / 238 (0134.jp2)二 用具と競技場 / 239 (0134.jp2)三 競
★電磁成形法による金属角管の縮管及び拡管加工に関する研究 博士論文 張守彬 [著]. [張守彬], 2001 結言 / p159 (0173.jp2)参考文献 / p160 (0174.jp2)第7章 四角管カーリング加工 / p161 (0175.jp2)7.1 緒言 / p161 (0175.jp2)7.2 実験.../ p161 (0175.jp2)7.3 実験結果 / p163 (0177.jp2)7.4 均一なカーリング形状を得るための検討 / p166 (0180.jp2)7.5 四角管カーリング変形過程のシミュレーション / p173 (0187.jp2)7.6 結言 / p182 (0196
★現代スポーツ用語辞典 稲見英久 著. 中和書院, 1949 <780.33-I384s> / p237 (0136.jp2)クローケ(croquet) / p238 (0137.jp2)カーリング(Curling) / p238 (0137.jp2)スレーヂング(Sledging) / p239
★冷凍 = Refrigeration 日本冷凍空調学会, [1935]-
★冷凍 = Refrigeration 61(710) 雑誌 日本冷凍空調学会, 1986-12 トリンク / 渡辺幸次. 渡辺光男 / p1263~1268 (0024.jp2)<3116254>カーリング / 小林宏 / p1269~1273 (0027.jp2)<3116255>スケートリンクの運営
★信用金庫 全国信用金庫協会, [1951]-
★信用金庫 52(8) 全国信用金庫協会, 1998-08
★プレスブレーキ・ダイ・ハンドブック (マシナリー叢書. プレス ; 第6) 小峰工業出版, 1958 <566.5-Ko565p4> / p48 (0030.jp2)12 波形成形型 / p53 (0032.jp2)13 ビードおよびカーリング型 / p58 (0035.jp2)14 U曲げ型 / p64 (0038.jp2)15 チューブお
★工作実習教科書 板金工作・製缶編 井戸守, 中島基雄, 坂本雅之介 著. 日刊工業新聞社, 1964 <566.5-I135k>
★工作実習教科書 板金工作・製缶編 下 井戸守, 中島基雄, 坂本雅之介 著. 日刊工業新聞社, 1964 <566.5-I135k> 抜缶 / p271 (0089.jp2)6・9 巻締機 / p272 (0090.jp2)6・10 カーリングとビーデング / p275 (0091.jp2)6・11 スレッジング / p277 (0092.j
★オリンピックと日本スポーツ史 日本体育協会 編. 日本体育協会, 1952 <780.6-N689o> 55.jp2)スケルトン / p214 (0356.jp2)犬橇 / p214 (0356.jp2)カーリング / p214 (0356.jp2)極東選手権競技大会記錄 / p215 (0357.jp2)陸上競
★0.1.2歳児の簡単あそび歌トットコさんぽ : 普段のあそび、運動会、発表会に!ふれあいあそびから体操、わらべうたまで (Gakken保育Books) 学研教育みらい, 2016.3 おきゃくさん//26(16) クリがあったぞ//28(17) シャカシャカブギウギ//30(18) カーリング de すべりんぐ//32(19) ゆきのこぼうず だいけっせん!!//34(20) ひっぱりっこ
★トライボロジスト = Journal of Japanese Society of Tribologists 日本トライボロジー学会 編. 日本トライボロジー学会, 1989-



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★トライボロジスト = Journal of Japanese Society of Tribologists 43(1) 日本トライボロジー学会 編. 日本トライボロジー学会, 1998-01
★金属の塑性変形と薄板加工 E.V.クレーン 著, 渡辺英世 訳. 資料社, 1952 <566.5-cC89k-W> p2)打典作業 / p100 (0058.jp2)第6章 エクスパンディング,コントラクティング及びカーリング / p113 (0064.jp2)脹出作業 / p113 (0064.jp2)ビーディング / p...0.jp2)剪斷面 / p127 (0071.jp2)バーリング / p128 (0072.jp2)カーリング及び針金捲込作業 / p131 (0073.jp2)第7章 可塑性的な金屬の常溫加工 / p137
★金属の塑性変形と薄板加工 E.V.クレーン 著, 渡辺英世 訳. 資料社, 1948 jp2)打曲作業 / 100 (0058.jp2)第6章 エクスパンディング,コントラクティング及びカーリング / 113 (0064.jp2)脹出作業 / 113 (0064.jp2)ビーディング / 119...070.jp2)剪斷面 / 127 (0071.jp2)バーリング / 128 (0072.jp2)カーリング及び針金捲込作業 / 131 (0073.jp2)第7章 可塑性的な金屬の常温加工 / 137 (0
★プレス技術の実際 佐藤隆弥 著. 小峰工業出版, 1949 (0109.jp2)3.8.ビージングおよびフランヂング / 208p (0110.jp2)3.9.カーリング / 212p (0112.jp2)3.10.ロールねぢ立て / 214p (0113.jp2)第4
★月刊金融ジャーナル 金融ジャーナル社, 1960-
★月刊金融ジャーナル 27(7)(337) 金融ジャーナル社, 1986-07 浅草橋支店(藤沢敦之支店長) / 藤田勇次 / p103~107 (0052.jp2)冬のスポーツ、カーリング / 森鼻武芳 / p108~109 (0055.jp2)レーダー / / p110~111 (00
★Hoppoken = 季刊北方圏 北海道国際交流・協力総合センター, 1972-
★Hoppoken = 季刊北方圏 秋(105) 北海道国際交流・協力総合センター, 1998-10 <4581624>ビジネスとボランティア / 大久保徹夫 / p48 (0025.jp2)宴の後のカーリング / 武田文也 / p49 (0025.jp2)光と遊ぶ彫刻 / 安田侃 ; 綿引幸造 / p55
★Hoppoken = 季刊北方圏 春(103) 北海道国際交流・協力総合センター, 1998-04 ら実際的交流に / / p50~53 (0026.jp2)<4442558>最高のショットを決める カーリング・対アメリカ戦 / 敦賀信人 / p60~61 (0031.jp2)世界はひとつ民俗学の周縁から く
★Hoppoken = 季刊北方圏 夏(92) 北海道国際交流・協力総合センター, 1995-07 たか / 梶晃一 / p48~51 (0020.jp2)北海道・アルバータ州・黒竜江省――三地域間のカーリング競技の交流について / 土居博昭 / p52~54 (0022.jp2)奈井江町――地域社会に根ざし
★Hoppoken = 季刊北方圏 秋(85)  北海道国際交流・協力総合センター, 1993-10 北方圏環境・野生動物シンポジウム / 吉野理佳 / p38~39 (0020.jp2)世界ジュニアカーリング選手権大会に参加して / 長瀬文敬 / p40~41 (0021.jp2)道内研究所めぐり(29)
★Hoppoken = 季刊北方圏 夏創刊20周年記念特別(80) 北海道国際交流・協力総合センター, 1992-07 p88 (0045.jp2)フィンランドとの友好親善 / 中野正彦 / p64 (0033.jp2)カーリング今昔 / 森鼻武芳 / p65 (0033.jp2)北方圏ニュース――道内版 / / p34~38
★石垣 : 日本商工会議所のビジネス情報誌 日本商工会議所広報部 企画・編集. 日本商工会議所, 1980-
★石垣 : 日本商工会議所のビジネス情報誌 13(10)(164) 日本商工会議所広報部 企画・編集. 日本商工会議所, 1994-01 / p55 (0028.jp2)素人集団から県代表目標は五輪選手養成――内山千春さん (株)中三カーリング部 / / p40~41 (0021.jp2)とーくぼっくす / 野中ともよ / p53 (0027
★メンズ・ファッション・ガイド エスクヮイア 編, 小林秀夫 訳. 鎌倉書房, 1965 <593.3-E85m-K> (0076.jp2)ボーティング / (0078.jp2)スイミング / (0078.jp2)カーリング / (0080.jp2)スポーツ・カー・ウエア / (0080.jp2)第6章 トラベルとリゾ
★スポーツの資格オールガイド 2000年度版 資格試験研究会 著. 実務教育出版, 1998.12 プロボクシング審判員//188アマチュアボクシング公認審判員//189クレー射撃公認審判員//190カーリング審判員//191プロ野球審判員//192軟式野球審判員//193ソフトボール審判員//194ラグビー
★Aigo : 知的障害福祉研究 日本知的障害者福祉協会, 1992-2002
★Aigo : 知的障害福祉研究 44(11)(490) 日本知的障害者福祉協会, 1997-11 フトを作る / 横澤彪 / p42~43 (0023.jp2)TRY&トライ エンジョイ! グランドカーリング / 田村文樹他 / p44~47 (0024.jp2)今,考えること--施設実習を体験して 施設実
★スポーツと健康 スポーツと健康・文部研究会 監修. 第一法規出版, 1992-2000
★スポーツと健康 29(12)(365) スポーツと健康・文部研究会 監修. 第一法規出版, 1997-12
★新しい木船の造り方 村松省吾 著. 成山堂書店, 1959 <552.3-M949m> フビーム / p85 (0049.jp2)37. 端ビーム / p86 (0050.jp2)38. カーリング / p88 (0051.jp2)39. ピラー / p89 (0051.jp2)40. ビームニー
★ボート漕法の新研究 (運動叢書 ; 第3篇) 盛山智利 著. 運動叢書刊行会, 大正11 <500-55> スカール / 100 (0057.jp2)スカールとは何か / (0057.jp2)スカール及スカーリングボートの寸法 / (0057.jp2)スカーリングボートの速力 / (0057.jp2)初めてスカーリングを試みる人 / (0058.jp2)漕作 / (0059.jp2)バックの動作 / (0066
★海外市場 日本貿易振興会, 1956-1984
★海外市場 28(319) 日本貿易振興会, 1978-05 ーク・ジャパン・トレードセンター / p97~101 (0052.jp2)<雑記帳>氷上ボーリング:カーリング / p102~103 (0055.jp2)東マレーシア・サバ州の経済開発 / アジア大洋州課 /
★最新の毛髪科学と正しい毛髪診断 : サロンワーク必携 八木原陽一 著. ビービー・コム, 2009.7 ャンプー//38リンス//39トリートメント//40育毛剤//41パーマネント・ウェーブ用剤//42カーリング料//44整髪料(スタイリング料)//451. ポマード//452. チック//453. ヘア・リキ
★Fumin 富民協会, 1990-1998
★Fumin 62(10) 富民協会. 富民協会, 1990-10 ト・キ・メ・キ盛り / 小野富美子 ; 根岸基弘 / 12~12 (0007.jp2)ホタテとカーリングで町おこし 北海道常呂町 / 荒牧万佐行 / 13~15 (0007.jp2)安曇野農業実習レポート
★月刊体育施設 : スポーツ施設&マネジメント情報誌 体育施設出版 編, 日本体育施設協会 監修. 体育施設出版, [1971]-2009
★月刊体育施設 : スポーツ施設&マネジメント情報誌 28(7)(352) 体育施設出版 編, 日本体育施設協会 監修. 体育施設出版, 1999-05 いま元気がいいユニーク施設 常呂町カーリングホール / 近江谷好幸 / 4~5 (0008.jp2)いま元気がいいユニーク施設 たきかわスカイパ
★月刊体育施設 : スポーツ施設&マネジメント情報誌 20(11)(249) 体育施設出版 編, 日本体育施設協会 監修. 体育施設出版, 1991-10 ガイド クリケット / 山田誠 / 69~72 (0052.jp2)ニュースポーツ施設づくりガイド カーリング / 小林宏 / 73~76 (0054.jp2)ニュースポーツ施設づくりガイド ブルームボール /
★月刊体育施設 : スポーツ施設&マネジメント情報誌 17(6)(208) 体育施設出版 編, 日本体育施設協会 監修. 体育施設出版, 1988-05 / 12~12 (0016.jp2)ボウリング / 赤木恭平 / 13~13 (0016.jp2)カーリング / 田中鉄雄 / 14~14 (0017.jp2)ラケットボール / 平坂祥和 / 15~15 (
★月刊体育施設 : スポーツ施設&マネジメント情報誌 17(5)(207) 体育施設出版 編, 日本体育施設協会 監修. 体育施設出版, 1988-04 / 96~107 (0062.jp2)スイートスポット <いま女たちの時代> “漬物石”にひかれてカーリング“詣り” / / 91~91 (0059.jp2)いい汗してますか <ご自慢の施設拝見> ギャルは馬
★レジャー産業資料 綜合ユニコム, 1968-
★レジャー産業資料 5(8)(55) 雑誌 綜合ユニコム, 1972-08 ゲル / / p68~71 (0036.jp2)音楽噴水 / / p72~74 (0038.jp2)カーリング / / p79~81 (0042.jp2)マリーナ / 森繁泉 / p82~86 (0044.jp
★科学技術ジャーナル 科学技術広報財団 編. 科学技術広報財団, 1992-2001
★科学技術ジャーナル 8(1)(82) 雑誌 科学技術広報財団 編. 科学技術広報財団, 1999-01 野和男 / 62~63 (0032.jp2)スポーツを科学する 長野オリンピック以来、静かなブームのカーリング(10) / 株式会社スポーティングカナダ代表取締役 小林宏 / 64~65 (0033.jp2)わ
★薄板の曲げ加工 (工業技術全書 ; 機械工作編) 益田森治 監修. 誠文堂新光社, 1958 <566.5-M224u> 9 (0110.jp2)8.6 ゲーリン法 / p204 (0113.jp2)8.7 フランジング,カーリング / p205 (0113.jp2)8.8 形材の曲げ / p210 (0116.jp2)第9章 板
★磁気記録材料の生成と物性 博士論文 田川公照 [著] 6.2.2‶CHAIN-0F-SPHERES"モデル / p153 (0087.jp2)6.2.3 カーリングモデルとバックリングモデル / p160 (0091.jp2)6.2.4 針状粒子の集合状態による保
日本史小百科 26 近藤出版社, 1990.3 //18665 重量あげ(ウェイトリフティング)//18866 ローラースケート//19067 カーリング//19268 オリエンテーリング//19469 登山//19670 ワンダーフォーゲルとホステリン
★世界の現代建築 第10 (フランス篇) 猪野勇一, 小池新二 共編. 彰国社, 1955 2版 <525.1-I397s> .jp2)ルノール工場 フラン B.H.ゼールフス / p76 (0082.jp2)セメント貯藏槽 カーリング エミールアイヨー / p78 (0084.jp2)15 家畜小舍 / (0085.jp2)家畜小
★小説宝石 光文社
★小説宝石 31(2) 光文社, 1998-02 おんなたちの秘湯 / p11~13 (0008.jp2)祝冬季五輪 カラー グラビア 東野圭吾氏カーリングに挑戦す! / p15~17 (0010.jp2)<旬の作家にインタビュー> 創作のおしゃべり(第3
★JOAオリンピック小事典 = The Comprehensive Guide to the Olympic Movement 日本オリンピック・アカデミー 編著. メディアパル, 2016.6 ショートトラック//208アイスホッケー//209ボブスレー/スケルトン//210リュージュ//211カーリング//212バイアスロン//213コラム/実施されなくなった競技//214第4章 パラリンピックパラリ...アルペンスキー//233クロスカントリースキー/バイアスロン//234アイススレッジホッケー/車いすカーリング//235パラリンピックで使用される用具夏季競技//236冬季競技//238コラム/そのほかの障害者
★スポーツ大図鑑 = THE SPORTS BOOK レイ・スタッブズ 編, 岩井木綿子, 大野千鶴, 内田真弓 訳. ゆまに書房, 2014.5 ギュアスケート//314アイスダンス//31708 標的スポーツゴルフ//320クロッケー//326カーリング//328ローンボウルズ//330ペタンク//331ボウリング//332ファイブピンボウリング//3
★西洋歴史 (帝国百科全書 ; 第41編) 吉国藤吉 著. 博文館, 明32.12 <78-3> 4.jp2)第四章 回々教の耶蘇教に於ける影響フランク王国 / 73p (0045.jp2)第五章 カーリング王朝の瓦解と独、仏、伊、三王国の形成ノルマン及回々教徒の侵入 / 77p (0047.jp2)第六章
★小型ヨットの作り方 西川広 著. 海文堂出版, 1967 <556.79-N764k> 船側外板の玄側(シャー)個所の仕上げ / p73 (0048.jp2)4.7.2 甲板ビームの固着とカーリング(コクピットコーミング)の固着 / p73 (0048.jp2)4.7.3 ライナー・立て支柱および
★運搬 第2(第2次運搬管理専門視察団報告書) (Productivity report ; 第61) 日本生産性本部第2次運搬管理専門視察団 編. 日本生産性本部, 1959 <509.6-N688u> 19. グリーン製靴会社(Green Shoe Co.) / p272 (0141.jp2)20. カーリング・ビール会社(Carling Brewing Co.) / p274 (0142.jp2)21. モ
★日本体育協会・日本オリンピック委員会100年史 : 1911→2011 part 2 (加盟団体のあゆみ) 日本体育協会, 2012.3 01●社団法人 日本武術太極拳連盟//204●財団法人 日本ゴルフ協会//207●公益社団法人 日本カーリング協会//210●社団法人 日本パワーリフティング協会//213●社団法人 日本オリエンテーリング協会
★木製漁船構造基準 漁船協会, 1961 <665-G98m> 19.jp2)第5節 船側縦通材(612~613) / p23 (0019.jp2)第7章 ビーム・カーリングおよびビームニー / (0020.jp2)第1節 ビーム(701~708) / p24 (0020
★機能性ハードコート材料技術 サイエンス&テクノロジー, 2013.6 1 ナノ粒子配合による硬度付与//1972.2 帯電防止//1992.3 反射防止//2022.4 カーリング抑制型ハードコート//2042.5 アンチブロッキング型ハードコート//2073. 今後の展開//2...アクリレート//3【え】エポキシ基//114延伸//262【お】オルガノポリシロキサン//12【か】カーリング//204カーリング問題//192
★はこだて財界 函館財界問題研究所, [1969]-2008
★はこだて財界 25(8)(319) 函館財界問題研究所, 1993-08 Yはこだてでサマーパーティー / / p194~195 (0098.jp2)話題集めるスペリオーレのカーリング / / p198~199 (0100.jp2)函館食品衛生協会通常総会開く / / p134~13
★プレス加工大全 (技術大全シリーズ) 吉田弘美 著. 日刊工業新聞社, 2015.9 エリクセン試験//241円筒絞り//75送りさん//44押出し//122押出し加工//122●か行●カーリング//111外形抜き//28角筒絞り//75かす浮き//49かす詰まり//49硬さ試験//241金型/
★名簿集 2009・2010 日本体育協会 編. 日本体育協会, 2009.9 日本ゲートボール連合//51(社)日本武術太極拳連盟//51(財)日本ゴルフ協会//52(社)日本カーリング協会//52(社)日本パワーリフティング協会//53(社)日本オリエンテーリング協会//53(社)日
★胃と腸用語事典 八尾恒良 監修, 牛尾恭輔 [ほか]責任編集, 「胃と腸」編集委員会 編. 医学書院, 2002.11 IPCL)//66Mallory-Weiss裂創//67Schatzki(シャツキー)輪//68食道カーリング//69食道の小白斑//70畳目模様//71不染帯//72〔胃〕Hampton's line//73
★基督教会史 若月麻須美 著. 聖公会出版社, 昭和3 <536-403> 王の主張 / 133 (0070.jp2)五三 大グレゴリー / 136 (0072.jp2)五四 カーリング王朝と法王 / 141 (0074.jp2)五五 法王ニコラス一世 / 144 (0076.jp2)
★名簿集 2013・2014 日本体育協会 編. 日本体育協会, 2013.10 連合//51公益社団法人日本武術太極拳連盟//51公益財団法人日本ゴルフ協会//52公益社団法人日本カーリング協会//52公益社団法人日本パワーリフティング協会//53公益社団法人日本オリエンテーリング協会//
★西洋スポーツ事始め : 横浜外国人居留地での誕生から150年の歩み 柳下芳史 著. 文芸社, 2016.2 //127(4) バイアスロン//128(5) ボブスレー、リュージュ、スケルトン//128(6) カーリング//1305 オリンピック大会未実施競技団体の略沿革//130I 1924~1945年設立の競技団体
★神経型一酸化窒素合成酵素mRNAの構造多様性 博士論文 横山武志 [著] 11.jp2)12.S1ヌクレアーゼプロテクションアッセイ / p8 (0012.jp2)13.アンカーリングPCR / p8 (0012.jp2)14.マウスn-NOS構造遺伝子の単離II / p9 (001.../ p14 (0018.jp2)8.5'側非翻訳領域の解析 / p15 (0019.jp2)9.アンカーリングPCRによる上流の検索 / p15 (0019.jp2)10.異なる構造を持つmRNA発現のメカニズ
★プレス加工のツボとコツQ&A 吉田弘美 著. 日刊工業新聞社, 2008.9 グの高さを高くしたい//78Q3-5 材料の一部を凸状に張出すと、製品全体がゆがむ//80Q3-6 カーリングの形状がきれいな丸にならない//82Q3-7 絞り加工後の成形(リストライク)で製品がパンチに密着し
★郷土史ふれない 振内郷土史編集委員会 編. 振内自治会, 2010.3 青少年会館//205円形体育館//206町民運動大会//206八幡神社祭//207相撲大会//207カーリング協会//210税の作文//210共同アンテナ//211振内文化協会//211美術団体ホロシリ会//2
★世界スポーツ人名事典 日外アソシエーツ株式会社 編. 日外アソシエーツ, 2004.12 ー,ハーシェル(プロフットボール)//41ウォーカー,ラリー(大リーグ)//41ヴォーグベル,L.(カーリング)//41ウォザースプーン,ジェレミー(スピードスケート)//41ウォッシュバーン,ジャーロッド(大...アイスホッケー)//80カリヤ,ポール(アイスホッケー)//81カリュー,ジョン(サッカー)//81カーリング,ウィル(ラグビー)//81カル,ダビド(カヌー)//81カルカベッキア,マーク(プロゴルフ)//8...ット,トーマス(カヌー)//163シュミット,マルティン(スキー)//163シュミーラー,サンドラ(カーリング)//163シュルト,セーム(格闘技)//163シュルト,ユルゲン(円盤投げ)//164シュロピー,
★工業塗装大全 (技術大全シリーズ) 坂井秀也 著. 日刊工業新聞社, 2016.2 失//234活性酸素//25カーテン型電子線照射装置//130ガラス転移点//52ガラス領域//52カーリング効果//26換気損失//178環境軸//241環境ラベル//202感性価値//164管理型処分場//
★Sp-family(sp1/sp3)によるVII型コラーゲン遺伝子の転写調節機構について 電子書籍・電子雑誌 今,淳, 佐々木,秀之, 武田,仁志, 花田,勝美. 日本結合組織学会, 2002-04-00 掲載誌 Connective tissue 34(1):2002-04-00 p.57 VII型コラーゲンは表皮角化細胞と真皮線維芽細胞で生合成され,基底膜領域のアンカーリングフィブリルを形成し,基底膜と真皮の結合を強固にして皮膚の構築を維持している。VII型コラーゲン遺伝子
★実践アパレルハンドブック : 縫製品の企画から流通まで : アパレル品質ソリューション : 日-英-中アパレル用語集付 ユニチカガーメンテック株式会社 著. 繊維社企画出版, 2003.4 5K-5) 縫い代倒し不良(プレス時)//136L 特に縫製で問題となる生地欠点//137L-1) カーリング//137L-2) ラン(伝線)//138L-3) 斜行//139L-4) 弯曲//139L-5)
★雪氷関連用語集 雪センター 編. 雪センター, 1999.3 /2御神渡り//12温水循環式融雪施設//12温水融雪//13温度計//13温度差発電//13〔か〕カーリング//13階段工//14解凍沈下//14街路事業//14カウンターウェイト//14拡幅除雪//14風下
★消化器学用語辞典 : 食道・胃・腸 新改訂版 佐藤信紘 監修, 川野淳, 三輪洋人 編. メディカルレビュー社, 1999.6 //250消化性潰瘍//252胃潰瘍//252帯状潰瘍//254線状潰瘍//254高位潰瘍//254カーリング潰瘍//255クッシング潰瘍//256ストレス潰瘍//256デュラホイ潰瘍//257ステロイド潰瘍/
★19世紀における高圧蒸気原動機の発展に関する研究 : 水蒸気と鋼の時代 小林学 著. 北海道大学出版会, 2013.2 enne Calla,1760-1835)//35カラオ号(Callao)//113ガリレオ//60カーリング・ヤング社(Curling,Young & Co.)//185カルノー・サイクル//83カル
★粘着ハンドブック 第3版 日本粘着テープ工業会粘着ハンドブック編集委員会 編. 日本粘着テープ工業会, 2005.10 //2654.8.5 ピンホールテスト//2664.8.6 昇温貫通抵抗力//2664.8.7 カーリング及びねじれ//2664.8.8 不透明度//2664.8.9 水浸漬後の粘着力//2664.8.10
★粘着ハンドブック 第2版 日本粘着テープ工業会粘着ハンドブック編集委員会 編. 日本粘着テープ工業会, 1995.10 //3445.8.5 ピンホールテスト//3445.8.6 昇温貫通抵抗力//3445.8.7 カーリングおよびねじれ//3445.8.8 不透明度//3455.8.9 水浸漬後の粘着力//3455.8.1
★野球界 野球界社, [1911]-1942 <雑35-83>
★野球界 9(9) 野球界社, 1919-07 <雑35-83> 7.jp2)靑年投手諸君へ / ジヨンソン述 ; 宮永進譯 / p15~21 (0018.jp2)スカーリングを勸む / 盛山智利 / p22~24 (0022.jp2)神戶DBC野球團 / 野球狂生 / p2
★日本病院会雑誌 = Journal of Japan Hospital Association 日本病院会, 1975-
★日本病院会雑誌 = Journal of Japan Hospital Association 第41回日本病院学会特集38 雑誌 日本病院会, 1991-10 0063.jp2)1989年~1990年度事務局年次報告――国際病院連盟(IHF) / エロル・ピッカーリング / p131~134 (0066.jp2)週休2日制――病院における実態と展望――(石山稔)――7
★アスファルト 日本アスファルト協会, [1958]-
★アスファルト 34(170) 日本アスファルト協会, 1992-01 54677><用語の解説>--鉄鋼スラグ / 小島逸平 / p79~79 (0042.jp2)マッドカーリング現象 / 高橋正明 / p80~81 (0043.jp2)<資料> 平成2年市販アスファルトの性状調
★最新塑性加工要覧 第2版 図書 日本塑性加工学会 編. 日本塑性加工学会, 2000.6 工精度//1947.5.6 型設計//1947.5.7 各種口広げ加工法とその特徴//1957.6 カーリングおよび反転加工//1957.6.1 加工法//1957.6.2 加工力//1957.6.3 加工限界...ランジング)//2178.7.13 回転多ロールヘッドによる1パスネッキング//2178.7.14 カーリング//2178.7.15 ヘミング形式のシーミング//2188.7.16 カーリング形式のシーミング//2188.7.17 リッジング(ビーディング,ひも出し)//2188.8 スピニ
★粘着技術ハンドブック 図書 Donatas Satas 編著, 井上雅雄 [ほか]共訳. 日刊工業新聞社, 1997.3 イヤー//95436.7.3 赤外線乾燥//95736.7.4 ドライヤーの構成//95936.8 カーリング//96136.9 溶剤の回収と燃焼//963第37章 スリッティング37.1 シェアカット//97
★機能性化粧品 4 図書 正木仁 監修. シーエムシー出版, 2006.6 975 おわりに//198第3章 パーマ剤に関連する最新応用技術/中谷靖章1 はじめに//2002 カーリング剤//2003 熱を利用するパーマ剤//2024 おわりに//204第4章 育毛剤〜新育毛有効成分・
★磁性体ハンドブック 近角聡信 [等]編集. 朝倉書店, 1975 ス模型//116424.2.2 粒子の充てん度の影響//116524.2.3 単磁区粒子の限界寸法とカーリング,バックリングおよびファンニング//116524.2.4 回転ヒステリシス//116624.2.5
★新プレス加工データブック 新プレス加工データブック編集委員会 編. 日刊工業新聞社, 1993.5 //149● ロール曲げ//150● ゴムダイによる曲げ//151● 展開寸法の求め方//152● カーリング,ヘミングの展開寸法//153● 箱曲げにおける展開寸法,板取り//154● 最小曲げ高さ,圧延方向
★文部時報 = The monthly journal of Monbusho 文部省 編. ぎょうせい, 1920-2000
★文部時報 = The monthly journal of Monbusho (1382) 文部省 編. ぎょうせい, 1992-02 私の選ぶ一冊 / 梶野愼一 / p69~69 (0036.jp2)ニュースポーツ・レクリエーションカーリング / / p70~71 (0037.jp2)ふるさとのうたふるさとの / / p72~73 (003
★繊維科学 日本繊維センター, [19--]-
★繊維科学 5(2)(44) 日本繊維センター, 1963-02 ャージィ/2 / 京都工芸繊維大岡本研究室 / p55~59 (0044.jp2)原毛のソルベントスカーリング / 奥正巳 / p60~63 (0048.jp2)ズパンデックスヤーンの展望 / 川崎健太郎 /
★コンセンサス = Consensus コンセンサス編集部, [1974]-
★コンセンサス = Consensus 1990(8) コンセンサス編集部, 1990-08 時代の先読みで発展―創業期の往友家 / 童門冬二 / p6~7 (0004.jp2)「私の趣味」--カーリングに魅せられて / 佐々木昭則 / p8~9 (0005.jp2)「現代のたくみ」(金沢市)--加賀象
★キリスト教文化研究所紀要 上智大学キリスト教文化研究所 [編]. 上智大学キリスト教文化研究所, 1982-1997
★キリスト教文化研究所紀要 (9) 上智大学キリスト教文化研究所 [編]. 上智大学キリスト教文化研究所, 1990-10 ングリカニズム研究』D・W・ベッビングトン著『近代英国におけるエヴァンジェリカリズム』W・S・F・ピカーリング著『アングロ-カトリシズム、宗教的曖昧性』 / p102~107 (0054.jp2)(一一)A・カ
★新小清水町史 小清水町史編さん委員会 編. 小清水町, 2000.3 水町ソフトボール協会オホーツク小清水勤労者山岳会小清水町ゴルフ同好会小清水町ゲートボール協会小清水町カーリング協会小清水町硬式テニス協会小清水町婦人健康体操サークルスポーツ少年団ミニバレーボール同好会小清水町サ
★寒地技術論文・報告概要集 = Abstracts 2015 Cold Region Technology Conference : 第31回寒地技術シンポジウム 2015 北海道開発技術センター 編. 北海道開発技術センター, 2015.11 ットワーク) ; 冨田真未((一社)北海道開発技術センター)/76 32815-II-050 氷上のカーリング・ストーンのカールについて/○対馬勝年(富山大学) ; 森克徳(富山大学)/77 33215-II-
★設計施工ヒューム管要覧 改訂版 小見喜平 著. 日本ヒューム管, 昭和12 <特201-542> 事項 / 38 (0036.jp2)1. 埋戻し及基礎工事 / 38 (0036.jp2)2. アンカーリング / 39 (0036.jp2)3. 鐵道暗渠としての下水用ヒユーム管の埋設深度 / 40 (003
★光学薄膜の最適設計・成膜技術と膜厚・膜質・光学特性の制御 村田貴士 企画編集. 技術情報協会, 2013.6 と反射防止膜への応用//566はじめに//5661. ナノ粒子配合型ハードコート//5661.1 低カーリング型ハードコート//5661.2 アンチブロッキング型ハードコート//5672. 反射防止膜の設計//...搭載//157直流(DC)パルススパッタ//288[て]低エネルギーイオンプレーティング//332低カーリング型ハードコート//566低屈折率材料//65抵抗膜式タッチパネル用ITO膜//620抵抗率//353
★新名寄市史 第2巻 名寄市史編さん委員会 編. 名寄市, 2000.11 ヤシリスキー場//771ピヤシリシャンツェ//772第三節 氷上スポーツ//773スケート//773カーリング//774第九編 宗教//777第一章 宗教団体//778第一節 神道//778国家神道の廃止と法人




# by sentence2307 | 2018-06-25 23:53 | カーリング | Comments(0)
★泊村史 2 泊村教育委員会, 泊村史編纂委員会 編. 泊村, 2001.3 ラインパーク」でプレーをたのしむとまリンク開設記念 親子で交流元五輪選手がアイスホッケー指導起こせ!カーリング旋風、泊のリンク第1回泊村長杯パークゴルフ大会管内初の小学生チーム・アイスホッケーに挑戦最多の1,3
★設計施工ヒューム管要覧 小見喜平 著. 日本ヒューム管, 昭和7 <特211-260> 事項 / 54 (0033.jp2)1. 埋戻し及基礎工事 / 54 (0033.jp2)2. アンカーリング / 55 (0033.jp2)3. 鐵道暗渠としてのヒユーム管の埋設深度 / 56 (0034.j
★パーマネント読本 図書 加藤忠一 著. KATO理容館化学研究所, 昭和11 <特205-688> 18 (0019.jp2)附屬材料編 / (0020.jp2)第一 クロツキノール・プロテクター及カーリングロツド / 21 (0020.jp2)第二 フエルト / 23 (0021.jp2)第三 スムースイ
★モダン・スキー術 A.H.デグヴイル 著, 酒本麟吾 訳. 欧亜社, 昭和6 <617-3> 杖 / 188 (0101.jp2)E 平面滑走のテクニツク / 189 (0101.jp2)F スカーリング / 193 (0103.jp2)四部 クロツス・カントリーとレース / (0106.jp2)第二
★設計施工ヒユーム管要覧 訂 小見喜平 著. 日本ヒユーム管, 昭和10 <627-280> 注意事項 / 38 (0038.jp2)1 埋戾し及基礎工事 / 38 (0038.jp2)2 アンカーリング / 39 (0038.jp2)3 鐵道喑渠としてのヒューム管の埋設深度 / 40 (0039.jp
★設計施工ヒューム管要覧 改訂版 小見喜平 著. 日本ヒューム管, 昭和15 <627-280イ> 注意事項 / 37 (0028.jp2)1 埋戾し及基礎工事 / 37 (0028.jp2)2 アンカーリング / 38 (0029.jp2)3 鐵道暗渠としての下水用ヒューム管の埋設深度 / 39 (0029
★月刊福祉 = Monthly welfare 71(13) 雑誌 全国社会福祉協議会, 1988-11
★実用包装用語事典 包装用語調査研究会 編. 綜合包装出版, 1982.6 //115カートン//115カートンシーラー//116カートンブランク//116カード//116カーリング//116カール(紙、フィルム)//117カール(缶の)//117カール(キャップ)//117カール/261スコア部//261錫チューブ//261錫張りチューブ//261スターホイール//262スタッカーリング//262スタッキング//262スタッキングリング//262スタンダード王冠//262スタンディンク
★粘着剤、接着剤の最適設計と適用技術 村田貴士 企画編集. 技術情報協会, 2014.6 231. 有機・無機ナノコンポジット,ハイブリッド層とその接着/粘着で気をつけること//6232. カーリング制御型ハードコート膜//6233. 帯電防止層と反射防止層//625おわりに//626第3節 パワー...(On-Cell//519温度・速度依存性//285温度による劣化//370[か]加圧脱泡//306カーリング抑制//623解析アプローチ//199解体性//120回転緩和時間//108界面機能材料//173界
★アマダ最新機電用語事典ME-DIC 増補改訂 [アマダ最新]機電用語事典編纂委員会 編. アマダ, 1986.11 きバンチ//41渦電流クラッチ//42渦電流ブレーキ//42薄刃オリフィス//612内R//42内側カーリング型//42打抜き加工//42内曲げ//612ウッドメタル//43ウッドラフキー//43うねり(表面う...プ//88カーバイドホッガ//88カーフ幅//623カーボランダム//88カーボンファイバ//623カーリング//88カールコード//89外径荒削りサイクル//89外径突切りサイクル//90開先//90開先取機
★ステンレス鋼データブック ステンレス協会 編. 日刊工業新聞社, 2000.2 /548第2章 溶接と接合2.1 溶接//5512.2 接合//577第3章 表面処理3.1 ディスカーリング//5873.2 表面研磨//5893.3 溶融Alめっき//590第III編 応用例第1章 化学装...け//5782.2.3 はんだ付け//5812.2.4 接着//583第3章 表面処理3.1 ディスカーリング//5873.2 表面研磨//5893.3 溶融Alめっき//590第III編 応用編編集委員/安保
★新得町百年史 図書 新得町百年史編さん委員会 編. 新得町, 2000.1 トネスパーク整備計画」の推進新得町営温水プルランニングコースサッカー場の造成屋内ゲートポール場フロアカーリングの誕生新得山スキー場狩勝高原サホロスキー場新得町総合体育館スポーツ合宿の里新得町体育連盟スポーツ功労
★現代商品大辞典 : 新商品版 向坊隆 [ほか]編. 東洋経済新報社, 1986.10 /851f トレーニング機具//851g その他のスポーツ用品//852グラススキー/ゲートボール/カーリング用品/ハンググライダー/スカイダイビング/ウルトラライト・プレーン/熱気球/ウインドサーフィン/サー
★極域における電離圏磁気圏総合観測シンポジウムプログラム&予稿集 国立極地研究所, 1991-[2003]
★極域における電離圏磁気圏総合観測シンポジウムプログラム&予稿集 20;1996.11 国立極地研究所, 1996-11 Brandstrom ; Bjorn Gustayson / 25~25 (0019.jp2)フリッカーリングオーロラの高解像度撮像観測/宮岡宏 ; 岡田雅樹 ; 巻田和男 ; 佐藤夏雄 ; 江尻全機 / 26
★高分子・無機・金属材料の熱分析技術 高野宏美 企画編集. 技術情報協会, 2008.5 器の変遷と最近の動向//902. 測定装置と測定条件の選び方//923. 表面効果または極性基のアンカーリング効果//964. 得られたデータの解析の仕方//98第3節 目的による測定法の選び方//100はじめ
★磁気便覧 日本磁気学会 編. 丸善出版, 2016.1 858可変周波数可変電圧電源//718カーボン系複合シート//766ガラス転移温度//225,226カーリング//263カルベン//167カルボニル鉄//753ガレルキン(Galerkin)法//737ガロア体
★コンバーティング・テクノロジー便覧 : コーティングとその技術融合の可能性を探る 加工技術研究会 編集企画. 加工技術研究会, 2006.12 ge and Framing)//27710. Telegraphing//27811. 内部応力とカーリング//27811.1 内部応力の発生//27811.2 内部応力の対策//27812. 割れ CD・DVD・レコード
★精密工学会春季大会学術講演会講演論文集 2015年度 電子資料 精密工学会, 2015.3 地盤における駆動力モデル/丸山敦規(会津大) ; ○成瀬継太郎(会津大)O64 ゲーム木探索に基づくカーリングAIの開発/○加藤修(北海道大) ; 飯塚博幸(北海道大) ; 山本雅人(北海道大)スマートエンジニ
★アスファルト遮水壁工 (舗装工学ライブラリー ; 8) 土木学会舗装工学委員会水工アスファルト小委員会 編. 土木学会, 2012.9 スタリング//1782.1.3 摩耗//1792.1.4 スロープフロー//1792.1.5 マッドカーリング//1802.1.6 亀甲模様//1802.1.7 その他//1812.2 まとめ//1813. 点
★繊維総合辞典 繊維総合辞典編集委員会 編著. 繊研新聞社, 2002.10 ルック//151かりやす(刈安)//151仮撚り加工糸//151仮撚り機//151仮撚り糸//151カーリング//151カルゼ//151カルソン//152ガルバノスクリーン彫刻//152カレッジキャップ//15
★女性アスリートのための傷害予防トレーニング 小林直行, 泉重樹, 成田崇矢 編著. 医歯薬出版, 2013.10 位//87深部筋//59心理相談//17■す水中スプリット//128スイマーズショルダー//117スカーリング//129スキー//150スクラム姿勢//107スクワット//38,39,48,49,53,60,6
★ジョイント・シンポジウム : スポーツ工学シンポジウム・シンポジウム:ヒューマン・ダイナミクス講演論文集 日本機械学会, 1995-
★ジョイント・シンポジウム : スポーツ工学シンポジウム・シンポジウム:ヒューマン・ダイナミクス講演論文集 (98-31) 日本機械学会, 1998-10 ション18] 10:40~12:00 運動解析(3) [座長 前田正登(神戸大)] 25H 水泳のスカーリングにおける数値流体解析 / 對馬孝 ; 浅井武 ; 井上大介 / p268~271 (0143.jp2
★過疎対策の現況 総務省地域力創造グループ過疎対策室, [19--]- 11・新潟県山北町//212・宮崎県諸塚村//213全国過疎地域自立促進連盟会長賞受賞例・北海道常呂カーリング協会//214・宮城県食の博物館実行委員会//215・鳥取県日南町//216・広島県NPO法人INE
★三次元ティッシュエンジニアリング : 細胞の培養・操作・組織化から品質管理、脱細胞化まで 大政健史, 福田淳二 監修. エヌ・ティー・エス, 2015.2 ルギン酸//206アルギン酸ゲルビーズ//295アルギン酸リアーゼ//200アルブミン//200アンカーリング効果//339安全性確保//42安全性評価//41「い」異種間キメラ//334異種細胞の交互配列体
★ナノパーティクルテクノロジーハンドブック 細川益男 監修, ナノパーティクルテクノロジーハンドブック編集委員会 編. 日刊工業新聞社, 2006.4 B>)//224アルミナノ粒子//494アルミノケイ酸塩//179アルミノケイ酸塩粒子//523アンカーリング法//101暗視野像//286暗視野像観察//285安全性評価//386,387安息角//143イオ
★稚内市史 第2巻 稚内市史編さん委員会 編. 稚内市, 1999.1 二一スキー場/庭球場/スケート場/野球場/日本最北端ノシャップマラソンコース/総合体育館/ノシャップカーリング場/漕艇コース/温水プール「水夢館」/水泳プール/パークゴルフ場/総合運動公園第九節 文化活動と文化
★絵で見る建設図解事典 1 Edition on demand 建築資料研究社, 2016.3 /49アンカーしん(-芯)//24アンカーてっきん(-鉄筋)//77アンカーボルト//38・72アンカーリング//77アングル//50あんざんがん(安山岩)//14アンダーカット//79アンツーカーほそう(-舗



# by sentence2307 | 2018-06-25 23:51 | カーリング | Comments(0)
すこし前にこのブログで「写真・常呂町カーリング女子 91年会」について書きました。

1991年生まれの常呂町出身女子カーラーたちの同窓会の写真をみつけて、その顔ぶれが自分のいままでの思い込みを根底から揺るがすもので、その揺らぎのなかにこそ、カーリング選手たちの置かれている不安定な状況(まだまだマイナーなスポーツといわれているのは、その辺のことも含まれているのだと思います)など新たな発見があり、思いつくままに感想を書きました。

そして、その「91年会」の写真の出所を「吉田知那美選手のインスタグラムを眺めていたら」と、簡単に書いてしまったのですが、厳密にいえば、実は、もう少し詳しく説明する必要があります。

確かにこの「常呂町カーリング女子 91年会」の自撮り集合写真は、吉田知那美選手のインスタグラムのなかにあるのですが、その存在を最初に知ったのは、彼女のインスタグラムからではなくて、あるyou tubeの動画を見ていて知ったものでした。

そのyou tube動画というのは、「LS北見vs富士急 前日① カーリング女子」とタイトルされた11分44秒の動画です。

このタイトルにある「前日」というのは、先日戦われた「パシフィック選手権決定戦」の「前日」を指していて、その決定戦を前にした4選手の意気込みをインタビューした動画で、LS北見からは、藤澤五月選手と鈴木夕湖選手、富士急からは石垣真央選手と小穴桃里選手の計4名がインタビューされていました。

しかし、見ていると、「決勝戦の意気込み」というのは、番組前後にほんの少し語られるだけで、番組の主たる内容は、平昌オリンピックでLS北見が銅メダルを獲得したことによって北見市がどれだけ活性化したかという、そっちのレポートの方が主という印象を受けました。

オリンピック銅メダル獲得の効果によって「北見市が活性化された」という企画がまずあって、選手たちの試合への意気込みというのは単なる「付け足し」にすぎないというそんな印象を受けました。

もしその意図が事実なら、選手に対して相当失礼な話だと思ってしまうのですが、しかし、冷静に考えれば、「決勝戦の意気込み」のコメントだけでは時間的にも質的にも番組を満たすことができないと危惧を感じた製作者が、念のために「北見市の活性化」を準備したのだとしたら、たぶんそれはそれで無理からぬことだったのかもしれません。

その最初に感じた違和感というのを、ちょっと書いてみますね。

まず動画の冒頭、4選手が決勝戦への意気込みを順番に語っていきます。

いまではすっかりインタビュー慣れした藤澤選手の気の利いたコメントがあり、続いて鈴木選手の「ミックスダブルス世界戦出場でチームとして藤澤選手を欠いたことで、各選手のポジションの難しさを改めて知り、チームとしてもまた一つ成長できたのかな」というコメントに続いて、富士急の石垣真央選手の語る番になったとき、アナウンサーの「その前にちょっとこの写真をご覧ください」というタイミングで、あの「常呂町カーリング女子 91年会」の集合写真が写し出されて、石垣真央選手もまた常呂町出身の女子カーラーのひとりであることが紹介されていました。

そのとき、自分もまたその「91年会」の写真には大変興味を持ち、そのあとで改めて「吉田知那美選手のインスタグラム」で写真の存在を確認し、その感想をブログに書いた次第です。

この動画は、決勝戦に臨む選手たちの意気込みを伝えるためというよりも、すでに取材済みの「北見市の活性の現状」を紹介するのが主たる目的なのではなかったのかと感じたのが、そのときの「違和感」でした。

まず、選手の並ばせ方からしておかしいのではないかと思いました。

左からいえば藤澤(LS北見スキップ)、鈴木(LS北見セカンド)、石垣(富士急セカンド)、小穴(富士急スキップ)という、そのときの話題(常呂中学同級生)からはずれる富士急のスキップ・小穴選手だけをいちばん端に遠ざけたという印象の、とても強引で不自然ものを感じました。

そうでなくとも場慣れしてない小穴選手の戸惑いの表情(たぶんそれが幾分不機嫌な表情にもみえてしまったのかもしれません)がとても印象的で、なんだか彼女ひとりが孤立してしまっているように見えました。

あれ以来、たびたびこの「91年会」の写真を見返すたびに、「吉田知那美選手のインスタグラム」の方ではなく、この「LS北見vs富士急 前日① カーリング女子」の動画のなかで紹介されている「91年会」の写真の方を見ているのですが、あるときふっと気が付いたことがありました。

この写真を説明するに際してアナウンサーは、確かにこう紹介しています(当然、この写真には藤澤選手も写り込んでいます)。

「ここに写っている皆さんは、常呂中学の同級生なんですよね」と。

しかし、藤澤五月選手は、常呂町の出身でもなければ常呂中学の出身でもありません。

ネットによれば、出身は北見市美山町で、北見市立北中学校~北見北斗高等学校~中部電力となっています。

アナウンサーがなにげに「皆さんは、常呂中学の同級生なんですよね」と言った時の藤澤五月選手の表情(リアクション)を確認しようと、この動画を見直してみたのですが、このアナウンサーのコメントが話されているときの画面には、まだ写真が大写しになっているので、藤澤選手のリアルタイムの表情(反応)を確認することはできませんでしたが、しかし、その場面が変わった直後の表情なら見ることができました。

それは、「憮然」でも「我関せず」でも「不快」でもなく、「微妙な表情」とでもいうしかない表情です、すくなくとも「常呂中学同級生」という当事者の笑顔ではありませんでした。

これは自分の勝手な推測ですが、この91年会が開かれるときに、チームメイトの吉田知那美か鈴木夕湖か吉田夕梨花の誰かが藤澤に声をかけて強引に誘ったのではないかと勘ぐってしまうくらいです。

あの動画から感じた「外された」小穴選手の孤立や戸惑いの「位置取り」の分かりやすさに比べれば、この「常呂町カーリング女子 91年会」のなかに写り込んでいる「そうではないひとり」藤原五月の位置取りは、とても微妙で複雑なものがあるように思えて仕方ありません。

この感じは、ちょうどLS北見の選手たちが、出身校・常呂高校への凱旋報告に行った際に、藤澤五月ひとりが不在だったときに感じた「あれっ?」という不意打ちのショックに似たものがありました。藤澤選手は藤澤選手でひとり北見北斗高等学校に凱旋報告に行ったわけですが。

「91年会」の写真を見続けていると、なんだか背後にいる吉田知那美が、ひとり常呂町出身ではない藤原五月の孤立を感じさせまいと一生懸命かばっているような・守っているような、なんだかそんな感じに見えてきてしまいます。

そう考えると、本橋麻里の藤原五月に対する一歩引いた気の使い方は、「常呂中学校ROBINS」の元選手たち(吉田姉妹と鈴木夕湖)に対するそれとは、あきらかに違うものがあるような気がして仕方ありません。

そうそう、吉田知那美が言っていましたよね。

《「カーリングについて、こんなふうにストイックに考えてしまう自分が、どこかおかしいのか」と思い悩んでいたとき、藤澤五月がロコ・ソラーレ北見に加入してきて、「あっ、もっとおかしな人がいた」と笑いながら、藤澤への敬意を語っていた》

自分も引用させてもらったあの動画で、その吉田知那美のコメントは、そのあとにも、もう少し続きがあって、そこで彼女が語っている藤澤五月の微妙な「位置」というのがずっと気にかかっていました。

その部分をちょっと紹介してみますね。

「(藤澤五月は)本当にカーリングが大好きで、誰もやったことがないことに挑戦することも怖くない、本当に限界がないっていうか、学ぶことに対しても、カーリングに対しても、そういうふうな姿勢で(LS北見に)入ってきてくれて、さっちゃんの中にもこのチームに入ってからのいろんな葛藤だったり、いろんな責任だったり、いろんなことを思って過ごしていると思うんですけれども、そのひとつひとつに真正面からぶつかって、一生懸命取り組んでいる姿は、やっぱり同じ年で同じチームであっても尊敬します」と。

そうそう、本橋麻里もどこかで藤澤が彼女の弱点でもあったメンタルの強化に努めていること(藤澤選手自身がそのことについて語っている動画もあります)を高く評価している動画もあり、吉田知那美と似たコメントを残しているのも覚えています。

そして、これらのコメントは、あの「91年会」写真を見て感じた「吉田知那美が藤原五月を一生懸命かばっている」というあの感じと、とても共通するものがあるような気がして仕方ありません。つまり、藤澤選手に対して「気づかう」という、いい言葉ではありませんが、腫れ物に触るような微妙な空気感という感じです。

2015年5月、藤澤五月は中部電力カーリング部からLS北見に移籍加入しています。

そして、その年の11月に行われた第25回パシフィックアジアカーリング選手権(PACC)では日本勢10年ぶりの優勝を達成します。移籍後、わずか半年で結果を出したわけですが、やはり、絶対的指令塔といわれた期待通りの藤澤五月の活躍がLS北見を優勝に導いたと誰もが考えたに違いありません。このとき、本橋麻里は、産休に入っていました。

次の年、2016年2月、第33回日本カーリング選手権大会決勝でチーム富士急に勝利し、3度目の決勝進出でLS北見は念願の日本選手権初優勝を達成しました。その勝利によって世界選手権と、翌シーズンのパシフィックアジアカーリング選手権の出場権を獲得したということになるのですが、しかし、藤澤五月にとって日本カーリング選手権の優勝は、2011年~2014年まで、すでに4連覇の実績があるくらいの「常連」にすぎず、日本のトップカーラーとしてオリンピック出場とメダル獲得を視野に収めていた藤澤選手にとってはそれほどの感慨があったとはどうしても思えません(推測ですがLS北見の他の選手たちは、この初めての快挙に物凄く喜んだに違いないと思います)。

そして、「オリンピックに出られるなんて夢にも思ってもいなかった」(鈴木夕湖・吉田夕梨花選手)とか「オリンピックに挑戦するステージに立てることすら考えられなかった」(吉田知那美選手)と漏らしていた他の選手たちとのオリンピックに対する思い入れの大きなギャップに、むしろ藤澤五月は精神的な「孤立」を深めていったのではないかと考えました。

2016年3月、世界選手権スウィフトカレント大会で一次リーグを9勝2敗の2位で突破し、決勝でスイスに敗れ日本勢は初の準優勝(銀メダルを獲得しました)を達成します。

そのときの様子がいまでもyou tubeで見ることができるのですが、すっかり喉を嗄らした藤澤五月が悔しさで泣きながら外国メディアのインタビューに答えている動画が残っていて、その悔しさで号泣している姿と悲嘆ぶりは、まるで「予選落ちした」選手のようで、初めての銀メダルを日本にもたらした誇らしさなど微塵もうかがわれないものでした。

それまで「オリンピックに出られるなんて夢にも思ってもいなかった」り、「オリンピックに挑戦するステージに立てることすら考えられなかった」と言っていたチームメイトにとって、悔しさで身もだえして号泣する藤澤五月の姿を間近に見て、彼女からなにかを学んだに違いありません。トップカーラーとして、どこまでも頂点を目指して戦うことの誇りとか。

その後のインタビューでは、「準優勝=銀メダル」を喜ぶコメントを語る選手は誰ひとりなく、「最後に負けて表彰台に立ったのは、自分たちのチームだけ」と涙を流しながら悔しさを語っていました、藤澤五月からカーラーとして氷上で戦うということの意味を学んだ、まさに「藤澤五月効果」といえる姿だったと思います。

そして皮肉なことに、それ以来、2017年9月、平昌オリンピック日本代表決定戦で中部電力に3勝1敗で勝ち平昌五輪代表権を獲得するまでチームが勝ちから見放されるという苦難の期間が続きます。

前述の動画にあった吉田知那美選手のコメントの「(藤澤五月は)本当にカーリングが大好きで、誰もやったことがないことに挑戦することも怖くない、本当に限界がないっていうか、学ぶことに対しても、カーリングに対しても、というふうな姿勢で(LS北見に)入ってきてくれて、さっちゃんの中にもこのチームに入ってからのいろんな葛藤だったり、いろんな責任だったり、いろんなことを思って過ごしていると思うんですけれども、そのひとつひとつに真正面からぶつかって、一生懸命取り組んでいる姿は、やっぱり同じ年で同じチームであっても尊敬します」は、勝てない時期に孤立を深め葛藤のなかで悩み苦しむ藤澤の姿を間近にしていた吉田知那美選手の正直な驚愕の気持ちと、そうした藤澤への尊敬とが語られていたのだと思いました。

「銀メダルを獲得してもなお悔しがるカーラーとしての誇り」や、負け続けた日々、孤立に耐え、もだえ苦しみながら殻を破ろうとした藤澤の姿を間近に見ながら、ほかの選手たちもその過酷な時期に「分裂」ではなく「結束」を高めたことと、オリンピック・メダリストという夢を実現することとが決して無縁のものではなかったことを証しているのだと思われて仕方ありません。



# by sentence2307 | 2018-06-10 23:32 | カーリング | Comments(0)
会談の主導権をとるために虚々実々の七面倒くさい駆け引きをしたすえに、やっと実施が現実的になってきた「米朝会談」ですが、それほど興味のない自分としては、「米朝」の字面を見るたびに真っ先にイメージするのは、いまは亡き「桂米朝」師匠の方という、その程度の「政治」にはあまり関心のない善良な市民です。

しかし、無関心とはいえ、つい最近まで、北朝鮮は日本海にミサイルをバンバン打ち込んできて、いつ戦争になってもおかしくないという緊張状態(臨戦態勢といってもいいと思います)にあったわけですから、それなりには「米朝」ニュースは見ていますが、しかし、視聴する時間と頻度からすれば、毎日のスポーツ・ニュースの方が、はるかにまさっているといえます。

たとえ、そのとき、ほかの番組を見ていたとしても、主要ニュースが終わった時間を見計らってスポーツ・ニュースだけにチャンネルを合わせることもよくありますし、各局のスポーツ・ニュースだけハシゴで見て回ることもあります。ですので、その日の同じ試合のニュースを繰り返し見るなんてことはザラです。

種目的には別にコダワリはありません、オリンピックの時はオリンピック、サッカーでも野球でも、そこはなんでもよくて、そのときに流れているニュースなら片っ端から見るという状態です、とここまで書いてきて、逆に言えば、「そのとき流れていないスポーツなら見ることもない」とすれば、「見る」という方だって、どうも怪しい感じがしてきます。

写っているものは、なんだっていい、ただテレビの方に顔を向けているだけのことなのかもしれません。

そういえばそうだ、と気がつくことがあります。

自分が「見たい」と思うスポーツなら、こちらから進んでネット動画を検索して見るわけですから、スポーツに対する興味の度合いという意味からいえば、自分的には「テレビ視聴」と「ネット動画検索」というのは大変な違い(消極と積極)であることに気づかされます。

サッカーや野球や相撲など、垂れ流し番組をただ受け身で浴び続けているだけの「消極」にすぎないとすれば、「カーリング」は、日に10回以上は検索をかけて自分的には「積極」的に見ているスポーツです。

なぜ、これほどまでにカーリングに嵌まってしまったのかといえば、まずは北海道に対する尽きせぬ憧れというものがあります、自分にとっては、その地を踏んだことのない憧れの大地です、そういうことを含めて、カーリングに魅かれる理由というのは、ゲームの奥深さということでしょうか。

何手も先の相手の石を阻む考え抜かれた配置を積み重ね、挑発し、相手をそこに投げるしかないというところまで追い詰め、案の定まんまと失投を誘うという、ある意味「底意地の悪い謀略の競技」だからこそ、試合開始前後ではマナーにうるさい「紳士の競技」なのだなと考えられます。

ほら、よくあるじゃないですか、試合前では礼儀正しいセレモニーがあっても、いざ戦いが始まると相手の目に指を突っ込むわ(相撲・白鷗)、わざと腹を蹴るわ(サッカー)、後ろから負傷させるためにタックルするわ(これなんかは、もはや犯罪です、日大アメフト)、イテモタロカイと頭を狙ってボールを投げたりとか(野球)反則危険行為ならどのスポーツにも10や20は優にあって、ただどれも偶然を装っているだけくらいのことは誰もが承知している裏常識にすぎません。

しかし、カーリングでは、反則といっても、せいぜいが「石を投げるときに線を越えた」くらいの可愛いらしいものにすぎません(映画「シムソンズ」でもそのことが物語の大切なテーマになっていました)。いまだかつて、怒りのあまりカーリングの石を持ち上げて相手選手の頭を潰したなんて事件は聞いたことはありません。あの石、ひとつ20キロあるそうですから、女性の細腕で持ち上げることができるかどうか、そもそもが疑問です。いやいや、以前、トレーニングで吉田知那美選手が懸垂をしている後ろ姿の写真を見たことがありましたが、その肩から背中にかけての筋肉の盛り上がりの凄さにびっくりしたことがありました、「女性の細腕」なんて言ったらそれこそ殴られそうです、撤回します。が、知那美になら一度くらい殴られてみたい気もしないではありません。

あ、そうそう、フィギュア・スケートでは、むかし、すごい事件があったんだそうですね。

映画『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』を知って、そんなこともあるんだと本当にびっくりしました。

とにかく、カーリング競技の面白いところは、考え抜かれ、苦労して配置された数々の石を、最後の最後で一遍に跳ね飛ばし、あっけなく「無」の状態にしたり、させられたり、あるいは相手の最後の一投が誤って自分たちの石を中央に押し込んで(ミュアヘッド投)、それまでの劣勢なゲーム展開からすると、到底あり得ない勝利が偶然に転がり込んできたりとか、その「落差」がとても面白いなと思いました。

相手に1点取らせて自分たちが「後攻」の権利を得る(そういう点の取り方・駆け引きをするというスポーツを、はじめて知りました)、しかし、それほど後攻の権利を得るということが有利なことなので、そこで複数点を取って差をつける、そのための「1点献上」なのであって、逆に、その後攻で複数点の獲得に失敗したり、相手に複数点を取られたりすると、そこでゲーム展開は一挙に相手側に傾くという、なんだか腹を探り合う世間知を求められる実に切なく身につまされるゲームだなとつくづく実感しました。

また、スキップの役割はとても重大で、勝利はすべてスキップの最後の一投にかかっていて(スキップはいちばん最高の状態の石が与えられ、リードに与えられる石は最悪の状態の石だといいます)、その「最後の一投」のために気の遠くなるような謀略を逆算して最初の一投がプランされ投げられるのですが(たぶん、です)、しかし、計算しつくされ苦労して着々と配置されたその緻密な石も、相手の強力な一投で元も子もなく崩されてしまい「いままでの苦労は、いったいなんだったんだ」と心底がっかりし、しかし、また気を取り直して悪意を積み重ねていく(相も変わらず相手の石を阻む位置にコツコツと)という反省のない底意地の悪さと、悪意の企みが一瞬にして破壊されても、また改めて気を取り直して謀略をやり直そうとするその呪われたような素直さ(というか、懲りない)負のケナゲさみたいなものに複雑な感銘を受けたからだと思います。

藤澤五月が中部電力時代、そのスキップの重圧に圧し潰されて、ソチ五輪代表の権利を逃したことはつとに知られていますが、現在のLS北見の「ナイッスーのチームワーク」は、そうしたむかしの負の教訓から学習した責任分散型ともいうべき態勢で大きな効果を発揮した優れた作戦だと思いました。

今回の平昌オリンピックで世界から評価された鈴木夕湖と吉田夕梨花のクレイジー・スキーパーズの異常さも、それらの教訓から徹底して突き詰めた思想にしっかりと添って為されたものだったと思います。

また、自分がカーリングに強く惹かれるのは、その人間関係にもあるかもしれません。

現在日本では、ごく限られた地域でしか、カーリングができる環境というのがありません。

ほとんどの日本人は、カーリングという競技を知ってはいても、実際には間近で見たことがないという人がほとんどだと思います。

施設がなければ、できない競技なのですから、したことがなければ上達なんて到底望めないわけで、地元にカーリング場を持っているということは、それだけでとても大きな意味があるということができます。

そのいい例が「常呂町」ですよね。ちゃんとした施設(アドヴィックス常呂カーリングホール)が完備していることによって、あの小さな町(総人口4,889人、面積278.29平方キロメートル)から考えられないくらい多くのオリンピック選手を輩出した驚くべき地域です。その元オリンピック選手たちがさらに指導者となって後輩を指導する、その積み重ねの相乗効果のうえでLS北見の平昌オリンピック銅メダルがあったといってもいいくらいだと思っています。それらすべてが、あのアドヴィックス常呂カーリングホールの中で営々と行われてきたわけですから、この事例が将来のオリンピック選手育成の施策の大きなヒントになるということは誰にだって分かることですよね。

以前、北海道銀行フォルティウスのメンバー(小笠原歩、船山弓枝、小野寺佳歩、吉村紗也香、近江谷杏菜)の出身地が全員常呂町であることを知って驚いたことがありました。

しかし、逆に、この小さな町から、これだけ多くのすぐれた人材がカーリング界で活躍しようとしても、しかし実際の自立して活動しているチームの数の少なさ(限られた定員)というアンバランスがあって葛藤もあり、だから、そこに人間臭いドラマが生まれるというわけで、映画好きの自分などは、その辺のドラマ的なものにもつよく魅かれます。

現在の隆盛は、十分「第二次カーリング・ブーム」といってもいいくらい多大の関心を集めていますが、しかし、リーグを組めるまでの数と質とは、まだまだ不足があります。

しかし、ゆくゆくは、日本でカーリングのリーグ戦が組めるようになることが、このカーリング・ブームが一時的なものかどうかの試金石になることは、間違いありません。自分的にはそう思っています。

さて、その施設の話とちょっと関連するのですが、この春に行われた日本ミックスダブルスカーリング選手権大会の予選で、吉田夕梨花・両角ペアを逆転のスーパーショットで破ったチームがありました、チーム妹背牛(もせうし、と読みます)というペアだったと思います。

その大逆転のスーパーショットのシーンは、いまでもyou tubeで見ることができますし、記憶としても鮮明に覚えています。

だって、オリンピック・メダリストに一般人が勝ったわけですから、もうそれだけでも素晴らしい快挙ですよね、と当初は考えていました。

そこで、単純な疑問が湧きおこりました。

この妹背牛の選手たち、オリンピック選手に引けを取らない相当の強さを示したわけですが、果たしてどこで練習をしてそれだけの強さを得たのだろうか、と。

妹背牛から北見まで通ったのだろうかと。

ちなみに、yahooの路線検索で妹背牛駅~北見駅までの時間・距離・料金の検索をしてみました。(北海道では、道民は、足として使うには、本数の少ない列車にこだわると待ち時間など大変なリスクを伴うので、もっぱら高速バス利用ということになっているのですが、ここではあえて、列車のみ利用として検索をかけてみました。)

それによれば、妹背牛駅12:25発→旭川12:55着(待ち時間2時間42分)15:37発→北見駅18:58着、となりますから、北見駅に降り立った時は、外はもう真っ暗になっているという状況ですね、これではとても練習どころの騒ぎではありません。総距離数222Km、運賃4750円だそうです。

いや~、北海道の距離感がまだよく掴めていません。

それに、恥ずかしながら、自分の中では、北海道のカーリング場と言えば、「どうぎんカーリングスタジアム」と「アドヴィックス常呂カーリングホール」の二つしか知らないので、こういう発想になるのだと思います。

なんたる狭い見識かと北海道の人たちに叱られてしまいそうですが、そこで遅ればせながら、慌てて北海道のカーリング場を日本カーリング協会のサイトで調べてみました。


どうぎんカーリングスタジアム(北海道札幌市豊平区)(5シート)
アドヴィックス常呂カーリングホール(北海道北見市)(6シート)国際大会開催規格準拠。
河西建設カーリングホール(北海道北見市)(2シート)
妹背牛町カーリングホール(北海道雨竜郡妹背牛町)(4シート)。
空知川スポーツリンクス(北海道空知郡南富良野町) 2シート。
稚内市スポーツセンター カーリング場(北海道稚内市)(3シート)。
名寄市営カーリング場(北海道名寄市)天然アイス(3シート)
道立サンピラーパークサンピラー交流館(北海道名寄市) 5シート設定可能
士別市つくも市民カーリング場(北海道士別市)天然アイス(3シート)
東光舗道カーリング場(北海道帯広市)(屋外、4シート)
池田町勤労者体育センター (北海道中川郡池田町)
カールプレックスおびひろ(北海道帯広市)(屋内、4シート)。


いや~、認識不足でした。

上記にあるように妹背牛にも「妹背牛町カーリングホール」という4シートの立派なカーリング場があって、この町主催の大会も開かれており大変盛んなことをネットで確認しました。

ネットで検索すると、2006年の「第24回・日本カーリング選手権大会」はこの「妹背牛町カーリングホール」で行われたとあります。

そのときの優勝チームは「チーム青森」、2位が「チーム長野」、第3位が「チーム常呂中学校」だったそうです。

なるほど、なるほど、当時、常呂中学校の中学生だった吉田知那美や鈴木夕湖は、北見から4時間とか5時間かけて(常呂町から北見駅までの所要時間も考慮にいれなければなりませんが)、この「妹背牛町カーリングホール」まではるばるやってきたというわけですね。

こういうところにも、カーリングによせる北海道民の情熱を感じます。



# by sentence2307 | 2018-06-04 18:39 | カーリング | Comments(0)
最近は、どうしてもカーリング女子ネタから書き始めないと、本論(映画の感想)に進むのが、なかなか思うにまかせなくなってしまっているので、なんだか困っています。

実は最初「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の感想を書き始めていたのですが(ホント滅茶苦茶感動しました)、しかし、奥深く繊細な映画だけに、いざ書くとなれば、それ相応の努力は当然求められるわけで、そうなると、数々の優れたシーンのディテールのひとつひとつにも言及しなければならないわけで(この繊細な作品を論じるためには、彼と彼女の戸惑いと諦念、不貞腐れと決断とを指摘していくことは、どうしても必要不可欠な部分だと考えていて)、すぐには「結論」まで持っていくということがなかなかできないでいます。自分の能力の限界を棚に上げて、こんなことを言うのは本当におこがましいのですが、空回りする思いを抱え、まだまだ完成まで相当な時間がかかるだろうなと思うとストレスが溜まるばかりで、どうにもすることができず、まどろっこしい思いばかりが募っている現状です。

例えば、仮に「それぞれに欠落を抱え持った男と女が、相手のその欠落の負の部分に引かれ合って結ばれる映画だ」という結論を設定し、その結論に向かっていくための過程の重要な部分を埋めるための論証のひとつひとつとして優れたシーンを挙げ、死の影に覆われた彼らの戸惑いや不吉な予感、社会に対する不安とか躊躇とかの逡巡のすばらしい描写を辛抱強く数え上げて解析していかなければならない作業をどうしても経なければならないのですが、その堪え性というやつがパワー不足でなかなか思うにまかせず、というよりも今ではすっかり尽きてしまい、結局停滞し、その停滞からの「逃げ」として、日ごろ知識の蓄積を怠りなく積み重ねているカーリング・ネタに、ついついそれてしまうというミチスジになってしまうというのが最近の現状みたいです。なんだか映画にもスミマセン、カーリングにもスミマセンという感じでしょうか。

ですので、今回もまた、その「カーリング・ネタ」というやつにいってみたいと思います。

あるとき、吉田知那美選手のインスタグラムを眺めていたら、ちょっと目を引く集合写真に遭遇しました。数人の女性たちがクリームパフェを前に置いて、こちらを向いてほほ笑んでいる集合写真です。

パッと見、一番左側に笑顔の鈴木夕湖選手がいるのはすぐにわかりました、そして、その隣には吉田夕梨花選手、右側奥にはいまではすっかり見慣れてしまった吉田知那美選手と藤澤五月選手の顔も瞬時にわかりましたが、なんだかまだほかにも「いくつかの顔」が笑顔でこちらを向いています。

なんだこりゃと顔を近づけてよく見てみると鈴木夕湖選手の向かい側に大きく写っているのは北海道銀行フォルティウスの小野寺佳穂選手、あれれ、吉田夕梨花選手の隣にいるのは、なんとパシフィック選手権決定戦で戦った富士急の石垣真央選手じゃないですか、いやいや、北海道銀行フォルティウスといえば、石垣真央選手と吉田知那美選手に挟まれてクリームパフェのうつわをささげ持ってこちらを向いて微笑んでいるのは、どう見てもそのフォルティウスの吉村沙也香選手みたいなのです。

だってアレですよね、吉田知那美選手が北海道銀行フォルティウスから来期の構想にないとか言われて戦力外通告を受けてはずされ、その代わりに加入したというのが、確か吉村沙也香選手でしたよね。戦力外通告を受けて解雇された選手と、その後釜に納まった選手が、お互いかなり後味の悪い思いをしたに違いない関係にあるふたりが笑顔のツーショットで写真に納まるっていうわけですか? 

いやいや、決定戦を明日に控えた状況にある選手同士がクリームパフェを前にして笑顔で写真に納まるっていうのも、われわれ一般の社会常識からすればあり得ない相当に変なことだと思います。

つまり、この集合写真を一瞥したときに感じた数々の違和感というのは、そんな感じでした。

しかし、すぐにひらめいたのは、前列の左と右で顔を近づけて大きく写り込んでいる鈴木夕湖選手と小野寺佳穂選手のあまりにも「近しい」距離感でした。

ああそうか、これは例の「常呂中学校ROBINS」関係だな、と直感しました。

案の定、正式名(かどうかは分かりませんが)これは「常呂町カーリング女子91年会」として開いた会のときの写真なのだそうです。

いわゆる、「同窓会」というやつですね。ふむふむ、同窓会はわかりますが、それにしても「戦力外通告」と「その後釜」とが、なにもなかったみたいに、なんのコダワリもなく笑顔でコンニチワと隣り合わせることができるものなのか、因縁だとか怨念だとかそんなことにコダワリを持つ自分の方がおかしいのか、という思いがしばらく自分の中で堂々巡りしていました。

そのとき、「ロコ・ソラーレ」を立ち上げ平昌オリンピック銅メダルを獲得するまでのドキュメントがyou tubeにあったことを思い出し、「ロコ・ソラーレ」立ち上げの頃のカーリング選手たちの置かれた状況が語られていたのを思い出しました。
そこでは、確かこんなふうに語られていました。

「これまで女子カーリングは、オリンピックをめぐる4年サイクルで戦い、終われば選手たちの引退や休養が繰り返されてきた。そんななかで、4年で終わらず、選手が変わっても継続するチームこそが求められていた」と。

そして、本橋は、強いチームであることはもちろん、地元でいつまでも愛されるチームを作ろうと考えた、というナレーションのあとで、こう言っています。
「たとえ選手の入れ替えがあったとしても、チーム自体は残っていくことができるようなチーム作りをしたい、ちゃんと循環をしていけるチームでありたいと思っている」と。

なるほど、なるほど、そういうことだったのですか。

背景には、オリンピックを軸として、そのために企業に召集された選手たちは、オリンピックが終われば引退か休養(当然その間も自己責任という負担も負いながらひとり自主トレに励む姿が思い浮かびます)を余儀なくされるという理不尽で不安定なカーリング選手たちの厳しい状況と弱い立場とがあって、その受け皿として「コロ・ソラーレ」が考え出されたというわけだったのですね。

地元に根差したチームがないために、常呂町の選手たちはカーリングができる環境を求めて地方のチームに流出しなければならなかった現実と、たとえそこで活動はできても、季節労働者のような不安定な待遇(契約解除とか戦力外通告とか)とによって、なんの継続も繋がりも持てない「引退」に追い込まれるという現実があったわけですか。

なるほど、それでよく分かりました。

北見市常呂町カーリングホールをホームグラウンドにもつLS北見は、市民たちとの交流戦を通して、市民のためのクラブチームとして市民の中に浸透し、そして次の世代を育成し、そのなかから優れた未来の才能を発掘するという好循環のなかに身を置いているわけですね。

だからなおさら、今回の決勝戦に出場していた富士急の石垣真央選手は、カーリング選手として活動を続けるために、幾度かのチームを渡り歩いてくるという厳しい状況の中でここまで到達できた選手としてもっと評価されてもいいのかもしれません。

そういえば、小野寺佳穂選手や吉村沙也香選手にしても、状況は同じといえるわけで、そんなことをぼんやり考えているうちに、この「常呂町カーリング女子91年会」の選手たちが、とても身近に感じられてきました。

この写真は、「カーリングを続けたい」と強く願ったかつての女子中学生たちが、それから10年を経て、不運や挫折、幸運や奇跡に見舞われながらも、いまも厳しい状況の中にあって、しかし脱落することなく頑張って継続をしていることを、朗らかなカールズトークで軽く笑い飛ばしている素晴らしい写真なのだなと納得した次第です。



# by sentence2307 | 2018-06-03 09:41 | カーリング | Comments(0)
こういう話をすると、あえて自分の迂闊な性向をみずから暴露してしまうみたいで、たいへん気恥ずかしいのですが、よくこんなことを経験します。

以前、朝出がけに妻がなにやら盛んに大杉漣の出演した映画やドラマ(TV出演していた妻の愛視聴番組「ゴチ」も、そうでした)の話をするのです、朝のこの慌ただしい時に「なんだってまた、よりにもよって大杉漣なんだよ」と、内心では、その話題を振る妻の「そもそも」の意図が分からず、少なからず苛立って聞き流していました。

きっと、自分の表情にはあからさまな嫌悪が険しさとなって表れていたと思います。

まあ、そのときの見当のつく事柄といえば、たぶん大杉漣が出演した映画「兄貴の嫁さん」の話をしたことがあって、その映画「兄貴の嫁さん」が日活ロマンポルノ系の作品であることを知った妻が即座にドン引きし、その話はそのまま気まずく中断されたなんてことがあり、なにやら後味の悪い思いをしたことがありました、思い当たることと言えば、気まずく中断させてしまったことのフォローの積もりかなという感じでした。

そのときはちょっとイラッときたものの、これもいつもの唐突な「妻のしょうもない芸能人の噂話のひとつか」と無視する感じで家をあとにしました(そういう会話をしたことなんか、当然すぐに忘れています)、会社についてからしばらく同僚と世間話をしているうちに、「きのう、大杉漣が亡くなったぞ」と聞かされ、あっと思いました、今朝、妻が盛んに話しかけてきたのは、「これか」とはじめて気が付いた次第です。

星野仙一死去や西城秀樹死去の報ばかりでなく、そのほかの「タイムリーな話題」であることなど知らずに、唐突に話題を振られ、「?」を抱えながら、必死になって話を合わせる(その裏であれこれ模索をめぐらして焦りまくる)なんてことが、よくあります。

星由里子と朝丘雪路のときも、ちょっとそんな感じはありました。ある人のブログを読んでいたら、盛んに朝丘雪路の思い出話を書いてあるので、「なんでだ」と訝しく思った直後に彼女の訃報を知りました、彼女もう82歳になっていたんですね。藤本義一や大橋巨泉死去のときもそうでしたが、かつて11PMを愛好していた自分などには、「あっという間の人生」という思いをそのつど強くしています。

しかし、よくよく考えてみれば、これらの話の根本にあるのは、自分の「迂闊さ」なんかではなくて(最初に「死去」の事実をはっきり教えてくれていれば、どれもあり得ない話です)、しかし・ともかく、自分が「分からないこと」に直面したとき、たぶん、いちいち応対する煩わしさとかもあったりして、ついつい根本のところを理解しようとしないまま「他人と適当に話を合わせる」という、不誠実で場当たり的なとてもイケナイ面倒くさがりやの自分の性向がありありとうかがえて、ときどき妻がキレて不機嫌になるのは、自分のこうした性格の部分に「冷たい拒絶」みたいなものを感じ取るためかもしれない、などと最近では自己分析をしています。

なんやかやの話の流れから、ついつい自分ばかりが悪い自己懺悔録みたいになってしまいましたが、しかし、その逆の場合だって大いにあるわけで、その辺のところもちゃんと記しておかないとバランス的につり合いが取れず、不完全燃焼をおこしそうなので、ちょっと書いてみますね。

皆さんの周りではどうなっているのか分かりませんが、自分的にはまだまだ「平昌オリンピックのカーリング・フィーバー」というのは継続していて、例の吉田知那美風な「ナイッスー」というフレーズがすっかり身についてしまって、何かの折につい出てしまい(日常的に使う局面というのが、これがまた実に多いのです)、最近では「ナイッスー」とやらかすたびにドン引きされるという「空気」を(空気じゃないか)会社でも家庭でもモロに感じはじめていたところ、ここにきてまた「ミックスダブルス世界選手権」と「パシフィックアジア選手権・日本代表決定戦」などというビッグイベントがあったりして、またまた「カーリング熱の盛り返し感」が顕著になってきて、なんだか少しホッとしているところです。

しかし、そんなふうに安心しているのはアンタくらいなものかもよという冷ややかな指摘(いまでも平昌オリンピックのカーリング・フィーバーをぐずぐず引きずっているのは、あんたくらいなものだという妻の冷ややかな示唆です)もないわけではなく、キープ・スマイルで「ナイッスー」と言いたい局面でも、つい気後れして口ごもってしまう今日この頃ということは、まあ、あるにはあります。

そうそう、「気後れして口ごもる」といえば、昨日の「パシフィックアジア選手権日本代表決定戦」(LS北見が富士急に3連勝して日本代表の座を得ました)をyou tubeで見ていて感じたことがひとつありました。

どの試合でも、吉田知那美選手はじめどの選手も、マスコミやミーハーの俄浮かれファンの期待に大いに反して、平昌オリンピックの試合では盛んに発していた「ナイッスー」や「そだねー」(現在のところ今年度の流行語大賞最有力候補といわれています)をあえて意識的に封じているような印象を受けました。しかしまた、それを「あえて」と感じてしまうあたりなんかも、この自分もまた「ミーハー」のうちのひとりなんだろうなと気づかされてしまう部分はあります、もっとも「もぐもぐタイム」の方はしっかりありましたけれどもね。

オリンピック開催中のあのとき、日本での盛り上がりを知らずに平昌で快進撃を繰り広げていた彼女たちが自然に発していた「ナイッスー」や「そだねー」は、単に試合を戦ううえで必要としたひとつのコミュニケーション・ツールにすぎず(さらにいえば、スキップ藤澤のモチベーションをアップするためのツールという一点につきます)、相互間の親和が保てさえすれば、それはなにも「ナイッスー」や「そだねー」じゃなくってもよく、たとえ「パシフィックアジア選手権日本代表決定戦」において「ナイッスー」と「そだねー」を発しなかったとしても、彼女たちはそれに代わるべきものとしての「なにか」を発し・交わし合って戦ったに違いありません、ぼくらの知らない「別の言葉」や「別な仕草」でね。

そして、それが虚像を作りたくって仕方のないマスコミによって、ひとつのキャッチフレーズとして「烙印」的に固定化され決めつけられることとは無関係な部分で、彼女たちはまたそれとは異なる「現実的な言葉」を発し・使い始めるに違いないのだと思います。

問題なのは、そんなもの(レッテル)なんかではないこと、戦いの場においてなにが大切(実)で、なにが愚劣(虚)なことか、吉田知那美という選手は、最早「ここ」には既にいないことで、アスリートとしての進化を(それに反してマスコミの後進性も)示し、そして気づかせてくれた実にクレバーなアスリートなのだなと感心しました。

試合のあとに、you tubeでたまたま、藤澤五月と吉田知那美が交互にインタビューに答えている7分ほどの動画がアップされていたので、ついつい見入ってしまいました。

そこでは、かつてふたりがそれぞれに厳しい経緯を経てロコ・ソラーレ北見に加入するまでと、そのときの気持ちの動揺について思い出しながら語っています。

吉田知那美は、かつて、カーリングに対する「強くなりたい」という自分の気持ちがあまりにも過剰すぎて空回りした過去(旧所属チームでの人間関係の困難と軋轢を経てスポイルされました)を振り返り、「カーリングについて、こんなふうにストイックに考えてしまう自分が、どこかおかしいのか」と思い悩んでいたとき、藤澤五月がロコ・ソラーレ北見に加入してきて、「あっ、もっとおかしな人がいた」と笑いながら、藤澤への敬意をこめて語っていました。

殺伐としたこの都会において、生き場を見失ってしまった自分たちには、なにごとにつけてもストイックに取り組む人々を、まずは冷笑で揶揄してしまうという、いつの間にか歪んでしまった感性をもってしまっているので、僕たちが「もっと変な人」を見つけ出そうとすることは、実は到底不可能なことであって、吉田知那美だからこそ藤澤五月のストイックな「もっと変」に気づくことができたのだと思います。

そうそう、以前you tubeで、まさにそのストイックな藤澤五月を揶揄(だから、当然敬遠)するようなタイトルの象徴的な動画を見たことがあります。

そのことに触れるまえに、いまでもその動画が見ることができるかどうか、試しに「藤澤五月」と打ち込んでyou tube検索をかけてみたら、まず最初のページにその動画は現れました。

4分41秒のその動画、メインのタイトルは「私も正直、藤澤さんは無理でしたね」、そしてサブ・タイトルは、「藤澤五月が学生時代に友だちがいなかった理由が悲惨すぎる。」「姉が語るカーリング女子スキップの本性」というものでした。(本性? いい言葉じゃありません、「お里が知れる」というやつですね)

この動画が、このタイトルからすれば、当然、藤澤五月のストイックさを揶揄し、敬遠しようとしている内容と予測してしまいますが、実際のところは全然別内容の「客寄せのための虚妄タイトル」でしかありませんでした。

「姉・汐里」という人の家族的な回想が随所に引用されているところを見ると、雑誌か何かに発表された記事の丸写しを能のない接続詞でつないでいるだけの無能で幼稚な構成です、刺激的なタイトルをつけるくらいが精々のところで、内容の改ざんなどという芸当までは思いも及ばなかったか、それとも元々能力的に無理だったのか、その内容はむしろ素直なものでした。

その内容をざっと要約すると、こんな感じです。

父親の影響でカーリングを始めた姉(汐里)に対して、負けず嫌いだった妹(五月)は、姉に負けたくない一心でカーリングにのめり込んでいった。

高1のときに世界選手権に出場、卒業後、中部電力に入社。

2014年、ソチ五輪代表決定戦に敗退して、挫折を味わった。

「妹(五月)は、内気な性格で、友達とうまくやっていくことも苦手でした。だから、環境の違う人と一緒にやるっていうのは、本人も厳しかったんだと思います。」

転機は、2015年5月に帰郷して、LS北見に加入したことだった。

「いまは、周りの方々にうまく支えられている感じです。特に、一歩引いて支えてくれている本橋麻里さんには感謝です。」

「もともと団体競技には向かない性格かもしれません。中学校まで部屋は同じでしたが、私の物は私の物、お姉ちゃんの物も私の物という意識でしたから、私が妹のカバンを黙って借りたときには、一生口を利かないって泣きじゃくっていたのに、私の物は平気で勝手に使っていましたから(笑)。

妹はひとりで突っ走るタイプだったので、いまのチームに入って一人だけじゃ勝てないってことに気づいたんだと思います。」

意外にもジャイアン気質だった藤澤。でも、最高の仲間がいれば大丈夫だよね。(おわり)


現在、アスリートとして活躍している誇らしい妹を、姉はあえて幼く無邪気だったころの妹を回想して幾つかの微笑ましいエピソード(身勝手だったり自己中だったり)を紹介しています。

肉親に対する親愛の前提部分をあえて除外して、「身勝手だったり」「自己中だったり」の部分だけを切り取って、そこだけ孤立させて紹介すれば、きっと「私も正直、藤澤さんは無理でしたね」とか「藤澤五月が学生時代に友だちがいなかった理由が悲惨すぎ」という内容に捻じ曲げることができるのかもしれませんよね。どこをどう押せば、そんなことになるのか、ネットで流されるガセには、ほんと気を付けなければいけません。

こんなとき、菅原文太が生きていたら、こんなふうに言ったかもしれませんよね。

「おい、若杉の兄貴の隠れ家、地図に書き込んで、サツにチンコロしたんは、おどれらか!」なんてね。



# by sentence2307 | 2018-05-20 17:46 | カーリング | Comments(0)
忠実な読者というわけではありませんが、気が向いたときに新聞や雑誌に掲載される書評に目を通しています。

時には「集中的」に読んだり、あるいは、すっかり興味をなくして読まなくなったりということを繰り返しているのは、モチロン自分のむらっけのあるダレた性格に起因するところ大なのですが、あえて言えば、読む書評への失望(その尾を引くほどのダメージ)というのも、大きな要因のひとつかもしれません。

つまり、「すっかり興味を失って読まなくなる時期」というのは、書評というものに対する失望のダメージから回復するのに必要な時間という、そんな感じです。

自分が遭遇したひどい書評に、本の「まえがき」と「あとがき」を安直に要約しておいて、あとは「目次」をつまみ食い的に丸写ししただけなんていう凄まじいのがありました。

そんな書評に出会ったりすると心底がっかりさせられてしまいます、えらそうに大学教授なんて名乗っているテアイにかぎってそんなのが実に多いのです。特にwebなんかではね。

そんな書評に出会うたびに、故丸谷才一はやはり偉大だったんだなと痛感します。品位ある署名入りの書評を書くということは、それほどの覚悟と誠実さが求められるものなのだなと。

興味も知識もないなら、最初からそんな仕事は引き受けないというのが知識人(おっと、「知識人」とは、これまた古い)としての見識だし誠実さというものではないかと思います。

では、散々そんなに腹立たしい思いをして一度は見放したはずの書評なのに、なぜまた性懲りもなく読み始めるのかといわれれば、自分としてはあの時あんなふうに考えたものの、だんだん時間が経つにつれて、冷静に考えてみれば、たかが情報収集のために参考にするだけの「書評」にすぎません、なにもそんなに目くじらを立てて深刻な重責を負わせなくたっていいんじゃね、むしろこちらの方が見当違いをしていたくらいだと思い直すからだと思います。まあ、こんなことをグダグタ繰り返しながら現在に至っているというわけです。

しかしアレですよね、そんなふうな堂々巡りを繰り返しているうちに、だんだん書評氏ばかりを責められない部分もあるのかなという思いも湧いてきました。

まあ、この世に存在する本のすべて(高潔なものからイカガワシイものまで)が、すべて書評に値するような完璧で素晴らしい本なのかというと、そうでもなくて、こういう現実に照らせば、それに呼応する書評だって、高潔なものからイカガワシイものまで多々あるのは当然といえば当然なわけで、それはそれで仕方のないことなのかもしれないなと。

そうそう、最近は「参考文献」が掲げられていない学術書なんていうのもあるくらいです、自分がどのような本を読んで知識の基盤を培ってきたのかという証しとして「参考文献」を提示するのであって、研究を生業とする学者の著書に「参考文献」の提示を欠くというのは致命的なことであって、それだけで信用を半減させると非難されても仕方のないことかもしれません。

最近、自分が手にした映画関係の本でいえば、佐藤忠男が書いた「喜劇映画論 チャップリンから北野武まで」(中日映画社、2015.4.10)という本には、索引(作品、人名、事項)というものがまったく付されてないので、本当にがっかりさせられました、これではこの本の本来の価値も半減です。

自分などは、まず一度通読したあとで、「索引」を眺めてその本の余韻に浸るのというのを何よりもの楽しみにしているくらいなので、これではまるで作りっぱなしの「読み捨て」を推奨しているようなものという悪印象を免れません。

索引作りは編集者の責務だと思い、こちらから著者に提案するくらいでないといけないなー(著者が固辞するっていうのなら、話は別ですが)。だいたい、索引(作品、人名、事項)というものがまったく付いてない本なんて、著者に対しても失礼だと思うくらいでないといけないぞ(なんて、むかしはよく上司からお小言を頂戴したものです)。

さて、その気が向いたときに読むという書評の話に戻りますね、自分が読んでいる定番の書評のひとつに「月報 司法書士」に掲載されている連載コラム「新聞が深くわかる読書案内」という記事があります、筆者は、元日本経済新聞論説委員だった安岡崇志という人。

このコラムの楽しいところは、同時に数冊の本を紹介するという書評の形式をとりながら、それぞれ単発の感想を書くのではなくて、そこに共通しているテーマを関連づけながら新聞の論説風に仕上げているところに独自な異色性にあります(あっ、そうか、この人、元日経の論説委員というだけあって、その辺の纏めのテクは自家薬籠中のものというわけだったんですね)。

似て非なるそれぞれのテーマをこねくり回して、ときには、「それはないだろう」というアクロバット的な離れ業を見せてくれたりするなど知的サービス満点の工夫があって、単発の書評にはないアメージングさも出色のものがあります。

ただ、ときにはその「粘着」が強引すぎて首を傾げたくなるものもないではありません。

まあ、下世話に言えば、落語の三題噺の逸脱の醍醐味を味わえるという感じでしょうか。

今回、「月報 司法書士」2018.4月号のこの欄で取り上げられた本は、以下の4冊。

①園田英弘編著「逆欠如の日本生活文化」(思文閣出版)
②中牧弘允「会社のカミ・ホトケ」(講談社選書メチエ)
③寺岡寛「社歌の研究」(同文館出版)
④ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」(岩波文庫)

そして、コラムの趣旨は、日本の「4月入学」という学校制度をまず取り上げ、かつて世界のグローバルスタンダードを根拠にした東大からの「正論・9月入学」の提案でさえも撥ねつけたくらい「4月入学」という学校制度がいかに日本に根付いた独自の生活文化であるかと説いたうえで、

「西洋化は日本化を伴うという逆説的な現象の見極めにある」

「会社は神をまつり、物故社員を慰霊する法要を営んでいる。会社ビルの屋上には小祠があり、聖地の高野山や比叡山には会社墓が並んでいる。創業者や社長が亡くなれば社葬をもって告別する、と日本にしか見られない会社の宗教的な行いを書き示す」

「会社の社訓・社是を織り込んだ社歌を作り社員に歌わせて、社員の一体感や会社への帰属意識を高めようとするのは、外国企業にはない経営手法とし、海外の現地子会社の従業員に社歌を浸透させるのに苦労する日本企業の事例も紹介している」

「欧米で生まれ発展した社会組織である会社とその経営・運営方法を、日本人が、日本の社会に移植し根付かせるうちに出来上がった、外国にはない会社の在り方と経営手法は、いくらでも見いだせる」としたうえで「つまり両書は日本文化を伴った西洋化について論じた日本文化論としても読めるわけである」なのだそうです。

そして、ここから4冊目のルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」へと論を進めていくのですが、その部分をまるごと筆写してみますね。

「西洋化に日本化が伴う現象は、西洋と日本の固有の文化や社会現象に相違がなければ起きない。その違いの甚だしさは、日本が地球の裏側にある知られざる異邦だった時代に、我が国に来た西洋の人々をひどく驚かせた。

1563年から1597年に亡くなるまで日本で布教をしたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが書いた「ヨーロッパ文化と日本文化」は、西洋人の「驚きの記録」の最も古いものだ。序文には「彼らの習慣は、我々の習慣と極めてかけ離れ、異様で、縁遠いもので、このような文化の開けた、創造力の旺盛な、天賦の知性を備える人々の間に、こんな極端な対照があるとは信じられないくらいである。」とある。

容貌、服装、暮らしの習慣、食事や酒の飲み方から死生観に至るまで609項目も挙げた「極端な対照」を読むと、日本人が西洋の文化をそのまま受容するわけはない、「西洋化は日本化を伴う」のは、必然だと納得するに違いない。」と。

これが、この書評のすべてです、学校制度としての「4月入学」が日本の独自文化だと語りだし、この独自文化として「物故社員の法要」「会社ビルの屋上の小祠」「高野山や比叡山の会社墓」「社葬」「社訓・社是・社歌」「会社経営・運営方法」などにも「西洋化は日本化を伴う」証左だとしたうえで、そして、ルイス・フロイスが初めて見てびっくりしたという奇妙な「日本の風習」の数々が紹介されているのですが、でも、フロイスが見て驚いたという風習は、会社経営に役立つ「先祖敬い」とか「結束をはかる仲間意識」とかの教訓めいたものからは相当に距離のある生活習慣の紹介にすぎず、明らかに本論から外れた「逸脱」と、拡大解釈の「無茶振り」です。

それを、こんな奇妙な風習を持っていた日本人だもの、アイツら西洋化をそのまんまあっさり受け入れるわけないよね、とかなんとか繋げようとするのには、無理やりのこじつけにすぎず、とても違和感を覚えました、というか、たまらない腹立たしさを感じました。

岩波文庫のルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」は、20年以上前に読みました。

その序文には「彼らの習慣は、我々の習慣と極めてかけ離れ、異様で、縁遠いもので、このような文化の開けた、創造力の旺盛な、天賦の知性を備える人々の間に、こんな極端な対照があるとは信じられないくらいである」と、文脈に若干のリスペクト感が窺われなくもありませんが、本文中で箇条書きに記された数々の日本人の奇妙な風習の侮蔑と嘲りのこもった紹介を読めば、それはまるで「東洋原人」という名札の付いた人間動物園の檻の中に閉じ込められた奇妙な風習に固執する日本人という小動物を観察するという見下す視点は明らかで、日本人をもともと同等の人間とは見ておらず、知的な猿とでもいう視点を持てば、そこに「リスペクト感」くらいは発芽しようというものだと理解できました。

その辺の「見下し感」を感じたナーバスな秀吉が、自分の権力の座を脅かしかねない異教を邪教として排斥したのも無理からぬことと感じました。

その内容の多くは、ごくたわいないものばかりなのですが、ときには文化論の根幹にかかわる重要なものもあります。

第2章「女性とその風貌、風習について」の最初の項には、こうあります。

「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉を失わなければ、結婚もできる。」

この一文を読みながら、思えば、この西洋の脆弱な思想の普及によって、失われた原日本人の逞しさを教えてくれたのは、今は亡き今村昌平だったのだな、という思いがふっと過りました。



# by sentence2307 | 2018-05-03 11:35 | 映画 | Comments(0)
ネットで拾いました、原題は、「絶対観るべき映画史に残る不朽の名作30選」なのですが、カシラに「GW」を載せるだけで、はやGW仕様になりました。

【戦艦ポチョムキン】(1925)
映像文法の基礎である「モンタージュ論」を確立させ、映像表現を飛躍的に向上させたと言われる、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による映画史に残るサイレント映画の傑作。1905年、劣悪な扱いに怒った黒海沖の巡洋艦、戦艦ポチョムキン号の水兵たちは反乱を起こし、その怒りの輪は民衆にも広がっていく。

【西部戦線異状なし】(1930)
ドイツのエーリヒ・マリア・レマルクの長編小説をルイス・マイルストン監督が映画化した戦争映画の名作。第1次世界大戦下のドイツを舞台に、愛国心から出征を志願した主人公ポールが戦線で経験する、想像を絶する過酷な実態を描く。アカデミー賞作品・監督賞受賞。

【我輩はカモである】(1933)
4人組のコメディアン、マルクス兄弟が贈る抱腹絶倒の痛快コメディ。架空の国を舞台として、国の財政難をきっかけに宰相となった男が引き起こす破滅劇を皮肉たっぷりなギャグを交えながら描く。レオ・マッケリー監督作品。

【モダン・タイムス】(1936)
喜劇王チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した代表作のひとつ。大工場で部品のネジをしめ続ける毎日を送る男を主人公に据え、お金と機械にがんじがらめの現代機械文明を風刺したブラックコメディ。

【オズの魔法使い】(1939年)
ライマン・フランク・ボームの児童文学を映画化。魔法使いの国に迷い込んで取り残されてしまった主人公の少女ドロシーは、愛犬のトトとともに家に帰るため、オズの魔法使いを探して冒険を開始する。ヒロインのドロシーはジュディ·ガーランドが演じた。

【風と共に去りぬ】(1939)
マーガレット・ミッチェルの原作を映画化、ビビアン・リー、クラーク・ゲーブル主演で贈る映画史上に残る永遠の傑作。南北戦争が勃発した激動のアメリカを舞台に富豪令嬢で絶世の美女、スカーレット・オハラが強く激しく生きていく半生をドラマチックに描く。作品賞、監督賞をはじめ10部門のアカデミー賞を独占。

【レベッカ】(1940)
アルフレッド・ヒッチコック監督によるゴシックスリラー。ジョーン・フォンティーン演じる美しきヒロインは旅行中に英国紳士マキシム(ローレンス・オリビエ)と出会い結婚するが、嫁いだ彼の屋敷では死んだ前妻のレベッカの見えない影がすべてを支配していた。英国で活躍していたヒッチコックの渡米第1作となった。

【市民ケーン】(1941)
名優オーソン・ウェルズが監督・脚本・主演を務め、映画史上最高傑作の呼び声も高い作品。「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死んだ新聞王ケーンの人生に迫る斬新な物語。主人公のモデルは20世紀前半にアメリカのメディアを支配し、新聞王と呼ばれたウィリアム・ランドルフ・ハースト氏。

【マルタの鷹】(1941)
ダシール・ハメットの同名探偵小説をハードボイルドタッチで映画化。私立探偵サム・スペードは、中世のマルタ島騎士団が製作したといわれる「マルタの鷹」にまつわる殺人事件に巻き込まれていく。巨匠ジョン・ヒューストンの監督デビュー作であり、主演のハンフリー・ボガートを一躍スターダムに押し上げた1作。

【カサブランカ】(1942年)
戦火近づく1940年代の仏領モロッコ、カサブランカを舞台に描いた、言わずと知れた恋愛映画の古典的作品。アカデミー賞の作品・監督・脚色賞を受賞。ダンディな主人公リックを演じたのはハンフリー・ボガート、かつてパリでリックと恋に落ちた美しい人妻・イルザ役をイングリッド・バーグマンが演じた。「君の瞳に乾杯」などの名セリフシーンで知られる。

【汚名】(1946)
アルフレッド・ヒッチコックが監督を務め、第2次世界大戦下でのアメリカ南部を舞台に、FBIとナチスとのスパイ合戦や恋愛模様などが描かれる。ナチの動向を探るスパイ役を銀幕の大スター、ケーリー・グラントが演じ、相手役として名女優イングリッド・バーグマンが共演。

【素晴らしき哉、人生】(1946)
名匠フランク・キャプラ監督がクリスマスを題材に人間賛歌を歌い上げる心温まる感動作。自殺しようと12月の冷たい川にやってきた人生に挫折した主人公は「天使見習い」と名乗る男に出会い、自分の人生を見つめなおすファンタジーの旅に出る。

【第三の男】(1949)
キャロル・リード監督がメガホンを取った第2次世界大戦直後のウィーンを舞台にしたフィルム・ノワール(サスペンススリラー)。 親友の死に際に3人の男が立ち会ったことを知った作家のマーチン(オーソン・ウェルズ)はその「第三の男」の正体を探って独自調査を開始する。

【サンセット大通り】(1950)
巨匠ビリー・ワイルダーが監督を務め、かつて一世を風靡した往年の大女優の悲哀と悲劇を描いたフィルム・ノワール。ロサンゼルス郊外の豪邸を舞台に、ハリウッドの光と影が巧みに描写される。出演はウィリアム・ホールデン、グロリアス・スワンソン、エリッヒ・フォン・シュトロハイムほか。

【羅生門】(1950)
芥川龍之介の小説「藪の中」を今は亡き黒澤明監督がモノクロの斬新な映像美で描写した時代劇で、海外で高い評価を受け「世界のクロサワ」の名を不動のものに。ある侍の死に立ち会った、男女4人のそれぞれの視点から見た事件の内幕を生々しく再現。三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬ら俳優たちの鬼気迫る熱演が見事。1951年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞。

【欲望という名の電車】(1951)
ピューリッツァー賞に輝いたテネシー・ウィリアムズによる最高傑作の呼び声高い同名戯曲を名匠エリア・カザン監督が映画化。映画史上に残る2大スター(マーロン・ブランド、ビビアン・リー)の名演が光り、鬼気迫る名演を見せたヴィヴィアン・リーは、この映画で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞。南部の没落した名門の娘、ブランチを通して女性の奔放な性や心の葛藤をあますところなく描きだす。

【雨に唄えば】(1952)
ジーン・ケリーが傘を持って雨の中で唄い踊るシーンが有名な傑作ミュージカル。サイレント映画からトーキーへと転換期を迎えたハリウッドを舞台に、楽屋裏を面白おかしく見せながら人気スターたちの恋を天真爛漫にコメディタッチで描く。

【真昼の決闘】 (1952)
名匠フレッド・ジンネマン監督による西部劇映画。ありきたりな勧善懲悪でなく、リアルな心理描写を取り入れた画期的な作品に仕上がった。ならず者の殺し屋たちにたった1人で立ち向かい、決闘を決意する保安官役をゲイリー・クーパーが熱演し、アカデミー主演男優賞を獲得。

【波止場】(1954)
名優マーロン・ブランドが迫真の演技を見せ、彼の代表作となった作品。ニューヨークの港を舞台に、マフィアのボスに立ち向かう港湾労働者の姿を骨太な演出で描く。アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞など8部門を受賞。

【泥棒成金】(1955)
巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督がケーリー・グラント主演で贈るラブ・サスペンス。風光明媚な南仏リビエラを舞台に、かつて有名な宝石泥棒で今は引退した男が、自分の名を語ったニセ者の正体を暴くために奮闘する姿を描く。

【禁断の惑星】(1956年)
今より60年も前に制作された宇宙開拓をテーマにした作品で、SF映画の金字塔とも呼ばれる。孤島に追放された老いた王の孤独とその復讐をテーマにした、ウィリアム・シェイクスピア晩年の作品『テンペスト』をモチーフにしたといわれる。

【捜索者】(1956)
巨匠ジョン・フォード監督が名コンビのジョン・ウェイン主演で描く名作西部劇。南北戦争終結後、主人公イーサンは兄一家をネイティブアメリカンに惨殺され、幼い姪も連れ去られてしまう。復讐と奪還を胸に誓った主人公は、仲間とともに荒野に捜索の旅に出る。出演は他にジェフリー・ハンター 、ナタリー・ウッドら。

【黒い罠】(1958)
異才オーソン・ウェルズが手掛けた傑作サスペンス。アメリカとメキシコ国境地帯を舞台に、不可解な爆殺事件に遭遇したメキシコの調査官ヴァルガスは、アメリカの刑事と共同捜査に乗り出すが、やがて国境の町に拡がるどす黒い陰謀が露わになる。出演はオーソン・ウェルズ、チャールトン・ヘストン、ジャネット・リーら。

【ベン・ハー】(1959)
巨匠ウィリアム・ワイラー監督が莫大な制作費と長い歳月をかけて完成させたスペクタクル史劇超大作。アカデミー賞作品賞など、11部門受賞の快挙を達成。紀元1世紀のローマ帝国を舞台に、エルサレムの豪族の息子、ベン・ハーがたどる数奇な運命を壮大なスケールで描く。

【北北西に進路を取れ】(1959年)
アルフレッド・ヒッチコックが監督した巻き込まれ型サスペンスの傑作。広告会社役員のロジャー(ケーリー・グラント)はひょんなことから別の男と勘違いされ、謎の組織から狙われるようになり逃走劇を展開する。

【アパートの鍵貸します】(1960)
アカデミー賞主要5部門受賞したビリー・ワイルダー監督の傑作コメディ。名優ジャック・レモン扮する悲哀あふれるサラリーマンとキュートな魅力あふれるシャーリー・マクレーンが織りなすコメディ。

【スパルタカス】(1960)
ハワード・ファストの原作小説を、スタンリー・キューブリックが映画化した歴史スペクタクル。 ローマ帝政時代、勇敢にも反乱軍を組織し立ち上がった1人の奴隷、スパルタカスの生涯を描く。主役のスパルタカスは名優カーク・ダグラスが演じた。

【アラビアのロレンス】(1962)
第1次世界大戦の時代、アラブの救世主と称えられ砂漠をこよなく愛したT.E.ロレンスの波乱に満ちた生涯を描いた壮大なドラマ。デヴィッド・リーン監督に見いだされ、主役のロレンス役を演じた俳優ピーター・オトゥールはアカデミー賞にノミネート。

【暴力脱獄】(1967)
フロリダの刑務所を舞台にした、社会のシステムに組み込まれることを拒否する囚人ルーク・ジャクソンの物語。不屈の反骨精神で脱獄を試みる囚人をポール・ニューマンが熱演したドラマ。スチュアート・ローゼンバーグ監督作品。

【2001年宇宙の旅】(1968)
SF映画史上に燦然と輝く名作として映画史にその名を残す、あまりにも有名なスタンリー・キューブリック監督の代表作。神秘的で難解なストーリー、当時の技術の粋を集めた特撮、圧倒的なビジュアル・イメージ、クラシック音楽の効果的な使用などが詰めこまれた、壮大な映像叙事詩に仕上がっている。アカデミー賞特殊効果賞受賞。



# by sentence2307 | 2018-05-03 11:32 | 映画 | Comments(0)
若い頃、通勤にはずっと私鉄を使っていたので、結婚して郊外に引っ越してJRを使うようになり、はじめて知って意外に思ったことに「整列乗車」というのがありました。

文字通り駅で電車を待つ乗客が整然と3列に並ぶというアレです、それまでこのJR「整列乗車」という慣行をまったく知らなかった自分(私鉄族)には、実に奇妙で堅苦しい(というか、押し付けがましい)決め事に思えました。

そのへんのところは、まったく自由だった「私鉄族」には、この慣行は「強制」以外の何物でもない息苦しさしか感じられませんでした。

私鉄では、あんな習慣はもちろんありませんでした(今でもそうか、現状がどうなっているのかは知りません)、駅で電車を待つ乗客は、三々五々その辺に立っていて、電車が到着すれば、「おっ、来た・来た」なんて感じで、次第に速度を緩める電車の、乗り込もうとアタリをつけたドアに目星をつけて、なんとなく蝟集し、まだ動いているドアと並歩し(「並走」という言葉があるくらいなのですから「並歩」もアリかなと)、徐々に速度を落としていくのと微妙にタイミングを合わせて移動しながら、止まってドアが開けばさっさと乗り込むという感じでした。

その「なんとなく」感が、まさに私鉄の「自由気ままさ」を象徴していた気楽さということだったんだなと、いまにして思います。

でも最近は、少しずつ考え方がJR的に変化しているのもまた、事実です。

私鉄では今でもやはり、朝の通勤ラッシュの混雑時には、我先になんとなく雑然と、つまり先を争って無秩序な乗り込み方をしているのだろうか、もし、そうなら当然乗客同士のトラブルは必至で、小突き合い・蹴り合いくらいは避けられないだろうなと。

それに比べたらJRの規制の効いた乗り方は、だから実に穏やかで、いまではすっかり「JR」の慣行に馴染んでしまっている自分です。

「整列乗車」の長所が、この乗客同士のトラブル回避というところにあるのと、もうひとつは、列の位置取りさえ間違わなければ、必ず座れるというところでしょうか。現状「座れる率」は、ほとんど99%です。

実は、自分が乗り込むターミナル駅では、15分ごとに電車の最後尾に新たに5輌増結される電車があります(合計15両編成の通勤快速電車というのは、日本で最長の通勤快速電車だと聞いています)、まさにそれが優に小一時間はかかろうかという通勤時間のあいだ、座ってのんびり居眠りをしていられる理由です、ずっと立ち続けてモミクチャにされることを考えれば(つい数年前までは、そうでした)、まさに雲泥の差です。

それに、何年か前に「上野・東京ライン」というのが開始されて、以前は上野駅か日暮里駅で乗り換えねばならず、通勤客でごったがえす超混雑の階段をひしめき合って上り下りしなければならなかったものが、いまではストレートに東京駅まで乗り入れるという、自分の通勤環境は、これによって激変しました、「通勤時間短縮と、座われて居眠り」と、それに、隣にウラ若い女性が座るなどという幸運なオマケ付きなんてことも時にはありますし。

まさにこの「通勤時間短縮」が、時間の余剰をうみ、たとえ座れなくとも、さらに15分待てば、次の電車でも座れるというシナジー効果・好循環を生み出したというわけです。

しかし、この「通勤時間短縮」と「座れる」というところまでは、同時に自分の願望でもあったのですが、「居眠り」の方は、単に「座れる」という状況に伴うだけのことで、あえていえば自分の「希望外」のことにすぎません、子供のころから自分は電車に揺すられていると、そのうち猛烈な眠気が差してきて目を開けていられなくなってしまいます、もしかすると、なにかのビョーキかもしれませんが。

しかし、たとえわずかの間でも、通勤時間を読書に当てて有意義に使いたいと思っている自分なので、当然そこには知的な葛藤が生まれというわけです。

すぐに眠気が差してきてうたた寝をしてしまうにしても、せめて僅かな間だけでも何かを読もうと「足掻き」ます。考えてみれば諦めのわるい実にみみっちい話です。

なんか、この状態をむかしの映画のイメージに当てはめるとすると、ブリジット・バルドー初期の作品「わたしは夜を憎む」1956みたいな感じかなと。記憶が定かではありませんが、アレって夫婦間の夜のsexが怖い若い女性の作品だったのだとしたら、眠気で読書ができないこととは、相当な違いがあるのかもしれません。

ちょっと話が飛びますが、淫乱な痴女ものより、病的な潔癖さでsexを嫌悪し拒否する処女ものの方が、よほどエロティックですよね、例えばポランスキーの「反撥」とかあるじゃないですか。(なんの話してるんだよ、飛びすぎだろ)

で、通勤時間には必ず文庫本(でなくともいいのですが、これが一番軽いので)を携帯していきます。行き返りの通勤時間でしか読まないので読むペースは遅々としか進まないのですが、それでも持っていれば安心するお守りみたいになっていて、活字中毒の自分です、たとえそれでもいいじゃないかという気持ちでいます。

ここのところ読んでいる文庫本は、帚木蓬生の「三たびの海峡」という小説です。

予備知識なくたまたま手に取った本でしたが、読んでみてびっくりしました、なんと戦前の朝鮮人強制連行を描いた実に深刻で重苦しい小説です。なにしろこちらは通勤時間に軽く読めるものを念頭においてチョイスしたつもりだったのですが、この拭いがたい民族的憎悪と怨念に満ちた壮絶な小説には、わが「眠気病」も吹っ飛んでしまいました。どうみても、朝の通勤時間の暇つぶしのために読み飛ばせるような軽快な小説ではありません。

それでも毎日少しずつ辛抱強く読み進めていくうちに次第に作者の語り口にも慣れてきて読む調子みたいなものも掴めてきたある朝のことでした、案の定座席にも座れて、おもむろに文庫本を開きました。右隣には妙齢の美しい女性、「今日もラッキー」という気分で朝の読書にかかりました。

この小説「三たびの海峡」は、全編を通して壮絶な民族差別への怒りの告発と、だから一層切ない望郷の念に貫かれながらも、愛する者を失うという(あえていえば、このふたつのうち、どちらかを失わなければ、もう片方は得られないという哀切なジレンマのもとで生きいかなければならなかった過酷な運命に引き裂かれた男の物語です)そういう小説なのですが、朝鮮半島から強制連行されて炭鉱で働かされ、虐待に耐えかねて監禁場所から脱走する際に見張りの労務担当を絞め殺してしまい、それでも逃げ切り、朝鮮同胞からの助けを受けて終戦を迎えて、やがて朝鮮に帰還できたものの、その際に日本で親密になった日本人女性を伴ったことによって逆に祖国でもまた民族的憎悪にさらされて、意に反して日本人女性との引き裂かれる別離を強いられる(そこには言い出せない過去の殺人の事実に立ちふさがれ、もう一歩女性を追えなかったことが、なおさら女性の側に不可解な思いを残すという)終始重厚な物語なのですが、ただの1箇所、実に色っぽい描写の部分があります、朝鮮人男性と日本人女性がお互いに好意を持って惹かれ合い、密会して熱く性交する場面です、繰り返して言いますが、この小説でそういう描写があるのは、ただのその1か所で、たまたまその朝にそのクダリを読む感じになりました。

ちょっとそのクダリを書き写してみますね。


《陽焼けした肌とキラキラ光る目が近づき、柔らかい唇が私の口をおおった。私は彼女を抱きしめ、目を閉じる。彼女のよく動く舌が私の舌をとらえる。私は歓びが全身に広がるのを感じた。
唇を離すと、彼女は私の作業着の胸ボタンをはずした。裸の胸元に頬をくっつけ「あなたを好きだったの」と呟いた。
私は彼女の上着の紐をまさぐった。上体を起こして胸をはだけたのは彼女の方だった。白い豊かな乳房を私はしっかりと視野に入れ、口に乳首を含んだ。大きく柔らかな乳首を口の中でころがす。千鶴が細い声をあげるのを聞き、片方の乳首からもう一方の乳首に唇を移した。工事現場で彼女を見かける時、いつも視線が吸い寄せられた胸だった。その中味を味わっているという歓喜が、身体の内部にひろがっていく。
「下の方も脱いで」
千鶴は冷静に言い、私から上体を離した。私がズボンの紐をはずすのを待って、彼女は私のものに手を添える。顔に時折霧のような雨がかかり、彼女の背後に灰色の空が見えた。
「ちょっと待って」
という彼女の声を、海の音と一緒に聴いた。
「河時根」
彼女はもう一度私の名を呼んだ。大きく目を見開いた彼女の顔がすぐ近くにあり、下半身に彼女の肌を感じた。やがて彼女の右手が私のものを誘導し、身体がその一点で重なった。
「千鶴」
「河時根、好きよ」
熱い吐息がかかり、私は再び目を閉じるしかなかった。彼女の髪が私の顔を覆う。私は両手で彼女の動く尻と背中をしっかりと支えた。
生まれて初めて味わう感触だった。これ以上甘美なものは世の中に存在しないのではないか。
「いい」
彼女が私の首にすがりついて言うのに、私は何度も同意する。波の音が遠ざかり、彼女のあえぎと身体の動きが激しくなり、私は自分が昇りつめていくのを知った。喜びが私の身体を揺らし続け、それから波がひくように、動きをおさめた。
「このまま動かないで」
千鶴は私の胸に顔を押しあてて呟いた。再び海の音が届きはじめる。風の揺らぎとともに霧雨が顔に降りかかった。
「寒くない?」
私は訊く。
「大丈夫。お願いだから、まだこのままにしていて」
千鶴は私の目をみつめて微笑する。私は彼女のむき出しになった下半身を撫でる。私のものに触れている部分の温かみとは裏腹に、背中の窪みから尻の膨らみにかけての皮膚は冷たかった。
頭を起こして彼女の唇を求めた。二人の身体が再び上と下で固く結びつき始めるのを感じた。今度は私が腰を動かす番だった。
千鶴は驚き、私にしがみつく。私は彼女の体を抱きかかえたまま砂の上をころがった。
「待って」
彼女は手を伸ばし、脱ぎ捨てていたモンペを身体の下に押し込む。上体を立てた私から離れまいとして、彼女もまた首を起こして私の胸にしがみついた。くの字に重ね合わせた身体を私は無我夢中で動かし続けた。喉を鳴らして荒い息を吐き、最初に昇りつめたのは千鶴のほうだった。何秒かして私にもその歓びがきた。
私は動きを失った身体をそのまま千鶴の上に落とし、息を継いだ。
「千鶴、好きだ」
私の声に、彼女は目を閉じたままで頷く。》


一気にこの緊張した艶めかしい濡れ場のクダリを読み終わり、張り詰めた気持から解き放たれて、ふぅーっと自分の中で溜め息をついたとき、右からの視線をふいに感じたので、ひそかに目だけを動かして隣をそっとうかがいました。

そのかすかに横に動かした自分の不意の視線に反応し、あわてて逸らしかけた隣の女性の視線とが、虚空でかすかに交錯する瞬間がありました、その驚きと戸惑いの表情から、いまのいままで彼女が自分の開いている頁を黙読していたことは明白です。

自分は一度視線を戻し、改めてチラ見したその彼女の横顔には、明らかに自分に対する「いやらしい」という嫌悪の色がありました。

いままで傍らから自分の本をじっとのぞき見して、黙読していたのは明らかです。

これは、実にショックでした。これじゃあ自分がまるでエロ本を愛読している(いやらしい本を読んでいるところを若い女性にわざと見せつけて、嫌がるのを楽しむ露出狂の)変態みたいじゃないですか。

繰り返しになりますが、この小説はとても重厚な作品で、炭鉱で働かせるために強制連行してきた朝鮮人の苦難が全編に描かれている小説で、とくに前半の差別と虐待の描かれている部分は壮絶で、後半はその深い傷を負った主人公がそれまで目をそらしてきた憎しみの記憶に立ち向かっていくという回顧から構成されているのですが、上記の「濡れ場」はこの部分だけ、460頁ある中のほんの2頁にすぎないのです。

毎朝、自覚的・習慣的にエロ本を常に読んでいて、そのことを軽蔑されるならともかく、朝鮮人強制連行と虐待を告発したゴクまじめな硬派な小説に人知れず真摯に取り組んできた458頁分の苦労をですよ、たったの、それもたまたま遭遇した艶めかしい2頁のために軽蔑されるなんて実に堪え難いものがあります。

その女性にこの文庫本の全頁をペラペラと開き示して、この小説がいかに全編を通して真摯なものであるのかを弁解したいくらいでした。

しかし、あの部分

《「ちょっと待って」
という彼女の声を、海の音と一緒に聴いた。
「河時根」
彼女はもう一度私の名を呼んだ。大きく目を見開いた彼女の顔がすぐ近くにあり、下半身に彼女の肌を感じた。やがて彼女の右手が私のものを誘導し、身体がその一点で重なった。
「千鶴」
「河時根、好きよ」
熱い吐息がかかり、私は再び目を閉じるしかなかった。彼女の髪が私の顔を覆う。私は両手で彼女の動く尻と背中をしっかりと支えた。
生まれて初めて味わう感触だった。これ以上甘美なものは世の中に存在しないのではないか。
「いい」》

う~ん、まあ、本当に感じなかったのかといえば、やはり嘘になりますか。


それからの小一時間は、いままで経験したことのない気まずく苦痛に満ちた時間でした。



# by sentence2307 | 2018-04-19 10:00 | Comments(0)
つい先日、平昌オリンピックで銅メダルを獲得したカーリング女子の吉田知那美選手が、インスタグラムに、5人の選手たちがリラックスしている写真をアップしたことがさっそくmsnのニュースで取り上げられていたので、ついつい見入ってしまいました(https://www.instagram.com/chinami1991/)。

そして、その記事には、日本中から寄せられた多くの反響も掲載されていて、まだまだ、彼女たちの人気が熱く続いているのがこのことからでもよく分かります。

最近では自分なども、パソコンのスイッチを入れて最初にすることといえば「ロコ・ソラーレ」検索なのですが、期待に反してなかなか更新されない情報を繰り返して見たりして、優に小一時間は費やしてしまいます。

とにかく、このフィーバーのなかでも、彼女たちが「大都会・東京・銀座」などに色目を使うことなく、また、パレードで使うクルマも市のトラックを強引に改造したものだし(それでも清掃車なんかじゃなくてホント良かったと思うくらいの勢いです)、パレードのコースも北見市のメイン通りなんかではなくて、たぶん普段は人通りの途絶えた狭い道の商店街(ニュースでは、その「普段」のシャッター通りの寂れ具合も紹介していました)と、手を振る先には知り合いが何人もいるらしい顔見知りの北見市民という、その和やかな徹底した「地元感覚」にはとても好感が持てましたし、また、アスリートとしての潔さにも痛快なものを感じました。

you tubeでアップされていた当地のテレビ番組もローカル色満載で、よくぞ地元の活性化のために尽くしてくれたという手作り感満載のアットホームな感じと、故郷の地にしっかりと足を付けて活動する選手たちへのリスペクト感が顕著で(選手たちを前にして感無量になった市長の号泣もですが)見ていて大変気持ちよく、トレンディな話題を片っ端から使い捨てていく中央メディアの冷ややかな客観視とか歪んだ揶揄とか、意地の悪い批評家の愚にもつかない皮肉にすっかり慣れてしまっている「中央・東京」なんかに関わり合っていたら、なかなかこうはいかなかっただろうなといった思いを強くしました。

自分も前回、このブログで、まだまだ続く最近の熱狂ぶりを追いかけるかたちで、ネットやyou tubeで見聞きした「ロコ・ソラーレ」知識を自分なりにまとめてみたのですが、なにしろ5人の選手(本橋麻里・吉田知那美・藤澤五月・吉田夕梨花・鈴木夕湖)のそれぞれ違う人生が交錯しながら、「平昌オリンピックで銅メダルを獲得」という感動の一点に集約されていくことを整理するための苦肉の策として、5人それぞれの出来事を年度でまとめた「5人同時年譜」というのを作って、当初は、コラム「夢は常呂で結実した ロコ・ソラーレ(どれくらいだい)物語」を書くための単なる手控えだったのですが、我ながらあまりの出来栄えのよさに感心し、恐る恐るアップした次第です。

そして、結局、読み返すことが多いのは、この「5人同時年譜」の方で、そんなふうにこの年譜を何回か読み返していると、あることにふと気が付きました。

2010年に本橋麻里が、チーム青森を脱退して常呂町に戻り、「ロコ・ソラーレ」を立ち上げようとしたときの記者会見の様子(8月16日)をいまでもyou tubeで見ることができます。

そこで彼女は、こう言っています。

「私、本橋麻里は、約15年間活動させていただいたチーム青森を離れる決意をいたしました。同じ故郷の仲間と一緒にチームを組みます。」

カーリングの聖地と言われる常呂町で、なぜ選手が残れないのか、という彼女の素朴な疑問と望郷の思いが、こうして本橋麻里を故郷に帰らせたのですが、そのことに関して別の場所ではこうも言っています。

「いざ北見という大きな町から見ると、常呂町はそんなに賑わっていなかった。(選手を地元にとどまらせるだけの支援してくれるスポンサーがなかった)」と。

そして、チーム名・ロコ・ソラーレが、「常呂の子+solare」という言葉の組み合わせから命名されたということを聞くにおよび、当初、ロコ・ソラーレを立ち上げようとした本橋麻里の念頭に「常呂町」という意識はあっても、はたして「北見市」というところまであったのかどうかという疑問をもちました。

つまり、「LS北見」という呼称(または通称)は、常呂でのスポンサー探しに苦慮し、徐々に「北見市」まで交渉の幅を広げていかなければならなかった必要的・現実的な問題として「LS北見」という呼称が便宜的に生み出されたのではないか、と考えました。

自分が思うに、本橋麻里が常呂町に戻ってチームを作りたいと考えたとき、当初、彼女の念頭にあったものは、かつて、自分も所属していたオリンピック日本代表の「チーム青森」を倒した地元の(当時)中学生チーム『常呂中学校ROBINS』(小野寺佳歩、鈴木夕湖、吉田知那美、中川ともな、小笠原茉由、そして吉田夕梨花が所属していました)で、「常呂町にこだわったチーム」づくりを地元で結成すると表明したときの具体的なイメージとしてROBINSがあったのではないか、だから、その固有のチーム名としては「ロコ・ソラーレ」でなければならなかったというわけで、少なくとも、そのとき・そこにはまだまだ「北見」は想定されてなかったのではないかと思われて仕方ありません(つまり、「藤澤五月」の存在です)。

やがて、常呂町では有力なスポンサーが思うように見つからず、交渉先を北見市内まで広げていく苦心の過程で「LS」に「北見」を付け足さざるを得なかったという、いわば苦し紛れの「公武合体論」みたいなものだったのではないかと。

いまから見ると、「ECOE」の馬渕恵と江田茜はともかく、当時まだ学生だった小柄な吉田夕梨花と鈴木夕湖はいかにもひ弱な印象をあたえ、それにまだまだ動きもぎこちなく(いかにもマッチョないまから見ると実に隔世の感があります)、当時連覇を続けていた無敵のパワーチーム「中部電力」や「北海道銀行」には明らかに劣る、いかにも頼りないという印象を受けてしまいますが、本橋麻里の構想としてあった『常呂中学校ROBINS』再結成のコダワリを考えれば、とにかく彼女たちの将来性に賭けてみようとした本橋のその我慢の起用には納得できます。しかし、結局、彼女が「未熟さに賭けた」その分だけ、ソチ五輪世界最終予選日本代表戦には間に合わなかったということになるでしょうか。

そして、ソチ五輪を迎えようとしたとき、彼女たちがそれぞれに経験した挫折によって、事態は大きく動き出します。

2013年9月、本橋麻里のLS北見は、どうぎんカーリングスタジアムで行われたソチ五輪世界最終予選日本代表決定戦の予選リーグで3勝3敗としてタイブレークとなった中部電力(スキップ藤澤五月)との試合で2-10と敗れて、4チーム中3位で、3大会連続のオリンピック出場を逃します。

この場面はyou tubeで見ることができて、氷上で顔を背け合って幾度かすれ違う二人(敗れて憮然とした本橋と勝利の笑みを噛み殺すような藤澤のツーショットがとても印象的です)の固い表情が忘れられません。

しかしそのソチ五輪出場の大本命といわれた中部電力の藤澤五月も、世界最終予選日本代表決定戦で「追われる立場、負けられないプレッシャー」に圧し潰され、小笠原歩率いる北海道銀行フォルティウスに惨敗し出場を逃します、藤澤自身「どうしたらいいかわからなくなった」というほどの大きな動揺と挫折を味わいます。

2014年2月、北海道銀行フォルティウスの補欠だった吉田知那美は、ソチ五輪において急病の小野寺に代わってセカンドをつとめ、予選リーグで9試合中8試合(リード2試合、セカンド6試合)に出場し5位入賞と大きく貢献したものの、その直後の選手村のその場所で北海道銀行フォルティウスから戦力外通告を受け、「思い出すと涙が出る」ほどの悔しさを味わいます。

そして3月、北海道銀行を退職した吉田知那美は、「何もない状態で」郷里の常呂町へ戻り、カーリングからの引退も考えていたときに、本橋麻里から「一緒に日本代表を目指してもう一回やろう」と誘いを受け、熟慮の末の6月、ロコ・ソラーレに加入します。

たとえ偶然が重なったとはいえ、吉田知那美の加入は、本橋麻里の「常呂中学校ROBINS再結成」構想に沿ったもので、吉田知那美の躊躇の数か月があったとしても、それを待つくらいはなんでもないほどに本橋の吉田知那美加入を求める強い思いは厳然としてあったと予想できます。たぶん、この関係をひとことで言えば「相思相愛の絆」で結ばれたものとでもいうことができると思います。

しかし、藤澤五月がロコ・ソラーレに加入する経緯を同じように考えると、なにかとても違和感があって、どこかに大変な無理があるような気がして仕方ありません。

ましてや、「相思相愛」などというイメージには程遠い、どこを探しても懐柔などあり得ない修復不能な関係のように思えて仕方ありませんでした(もちろん私見です)。

たぶん自分の頭の中には、あの残像(敗れて憮然とした本橋と、勝利の笑みを押し隠すように俯く藤澤の不自然な表情のふたりが顔を背け合って氷上ですれ違う姿)がいつまでも強く残っているからだと思います。

ロコ・ソラーレを結成した2010年以降、チームが低迷を続けてきたのは、大切な局面で常に藤澤五月のいた強力な中部電力が立ちはだかり、苦汁を飲まされ続けてきたからだといっても決して過言ではないくらい藤澤五月の存在は大きく、大切な場面で何度も彼女に負け続けてきたといってもいいくらいのロコ・ソラーレでした。

自分たち社会の一般常識からすると、そうした過去の経緯や悪関係を考えれば、本橋麻里が抱く藤澤五月に対する感情は、そう簡単には払拭できるような代物では決してなく、価値観が180度ひっくり返るような何か重大な転機とかが起こらなければ二人の間にできた積年の溝は、そう簡単には埋められないように感じていました。

ましてや、本橋麻里が元ROBINSの吉田知那美の加入を強く望んだようにして、はたして藤澤五月の加入を自分から強く望むだろうか、とても疑問です。それに藤澤五月の加入を求めるということは、自分のスキップとしての場所を譲り渡すことも同時に意味していたわけだし、それでも平昌五輪出場とメダル獲得という大義のために本橋麻里は大人の判断を下したのだろうか、という疑問に捉われていたときに、偶然ある記事に出会いました。

藤澤五月をスキップとしてロコ・ソラーレに迎えたいと望んだのは、コーチの小野寺亮二だったという記事です。
そのへんのイキサツをWikiはこう書いています。


2015年3月末、藤澤五月は中部電力を退社した。「地元の北海道北見市での活動を検討している」と報道された。失意を抱きながら故郷の北見に帰った藤澤は、本橋麻里(ロコ・ソラーレの創設者)と会食の機会を持った。その席で、「さっちゃんも入らない? 私たちは、もう次に進んでいるよ」という本橋の言葉に心を動かされて、ロコ・ソラーレへの移籍(入団)を決心した。北見市にある保険代理店株式会社コンサルトジャパンに所属し、事務として勤務しながらトレーニングを行うようになる。
しかし、移籍後しばらくは練習に思うようについていけず、試合に勝てない日々が続いた。そんなあるとき、「さっちゃんの、やりたいようにやればいいんだよ」という本橋の言葉がきっかけで、前向きな気持ちを持てるようになっていった。そして、ロコ・ソラーレのチームメイトと共に練習や試合を積む過程で、自分が先頭に立ってチームを引っ張らなくてもいい、弱みを見せてもいい、頼れる仲間に出会えているから「ひとりじゃないんだ」と考えることができるようになり、自信を取り戻せたという。


なるほど、なるほど、誰が最初に声をかけたかとか、誰が折れて、誰が会食の席を設けたとか、アスリートには、そんなささいなこと、関係ないのかもしれませんね。

でも、これってなんだか坂本龍馬が仲立ちした薩長同盟結成の場みたいな感じもしますよね。


【年表・ロコ・ソラーレが藤澤五月に敗れ続けた日々】
2010年7月、元「チーム青森」で旧常呂町出身の本橋が関係者と共に新しい環境の元、同町の出身者5名(本橋・馬渕恵・江田茜・鈴木夕湖・吉田夕梨花)により結成。
2010年12月、オホーツクブロックカーリング選手権初優勝。
2011年1月、北海道カーリング選手権初優勝。第28回日本選手権への出場権を獲得。
2011年2月、第28回日本カーリング選手権に初出場。予選で全勝し1位でプレイオフに進出したが、プレイオフで敗れ、3位。
2012年2月、第29回日本カーリング選手権で初の決勝進出を果たす。決勝では藤澤五月率いる中部電力カーリング部に敗れ、準優勝。
2013年2月、第30回日本カーリング選手権で4位となり、ソチオリンピック世界最終予選日本代表決定戦への出場権を得る。
2013年9月、ソチオリンピック世界最終予選日本代表決定戦にて、決勝進出を賭けたタイブレークで藤澤率いる中部電力に敗れ、ソチ五輪出場権を得られなかった。
2013年10月、アドヴィックス常呂カーリングホールが落成。チームの活動拠点となる。
2014年6月、北海道銀行フォルティウスから、旧常呂町出身の吉田知那美が移籍加入。
2015年2月、第32回日本カーリング選手権で2度目となる決勝進出を果たしたが、決勝で北海道銀行フォルティウスに敗れ準優勝。
2015年4月、馬渕恵が選手活動を引退。
2015年5月、中部電力カーリング部から北見市出身の藤澤五月が移籍加入。
2015年11月、本橋の産休のため、第25回パシフィックアジアカーリング選手権(PACC)には帯広市出身の石崎琴美が参加。同大会で日本勢10年ぶりの優勝を達成。
2016年2月、第33回日本カーリング選手権大会にて、決勝でチーム富士急に勝利。3度目の決勝進出にして日本選手権初優勝を達成。世界選手権と翌シーズンのパシフィックアジアカーリング選手権の出場権を獲得。
2016年3月、世界選手権にて一次リーグを9勝2敗の2位で突破。決勝でスイスに敗れたが、日本勢初の準優勝。銀メダルを獲得。
2017年9月、平昌オリンピック日本代表決定戦(3勝先勝方式)で中部電力に3勝1敗で勝ち平昌五輪代表権を獲得。
2018年2月、平昌オリンピックに日本代表として出場。予選4位でカーリングの日本チームとして五輪初の準決勝に進出した。準決勝の韓国戦は延長戦の末7-8で敗れたが、3位決定戦でイギリスを5-3で破り銅メダルを獲得した。




# by sentence2307 | 2018-04-07 17:28 | カーリング | Comments(0)
このところ「映画について書く」というモチベーションが著しく低下しているのが自分でもはっきりと分かります。

「このところ」というのを、期間で限定すれば、「韓国・平昌で開かれたオリンピックの一連の競技をテレビで観戦していた期間」ということになるでしょうか。

そして、その期間で見た映画というのを具体的にあげれば、例えば「猫なんか呼んでもこない」とか「ラ・ラ・ランド」、「ムーンライト」「ヒッチコック 幻の映画」「プレシャス」「湯を沸かすほどの熱い愛」「プリズン・エクスペリメント」(これなんか無理して見続けたことさえ後悔しています)、「コードネーム:ホレッツ」(前作で既にキレていたので、こちらは途中で見るのをやめました。なにも無理して見ることもありませんし)で、そうそう、見たということを記憶・記録として書き留めておくことさえ嫌悪を感じる「珍遊記」というのもありました。

まあ、「珍遊記」に関して言えば、その少し前に中国映画「人魚姫」という破天荒な作品を見てそのハチャメチャ振りに抱腹絶倒、あそこまで徹底していればもはや「芸術の域」に達したも同然と関心した余韻もあり、このジャンルの映画に対してとても無防備になり過度な期待をもってしまいました、これはそもそも柳の下に2匹目の泥鰌を期待した自分の方が悪いので、文句を言う筋合いではないのかもしれませんが、よりにもよってあんな愚劣な映画「珍遊記」など作らなくたっていいだろうという腹立たしさというか、いずれにしても結局は「嫌悪感」に行きついてしまうという惨憺たる映画でした。

でも、ここにあげた鑑賞リストのなかには、オスカー受賞作やメディアで大きく取り上げられた話題作「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「ヒッチコック 幻の映画」「プレシャス」「湯を沸かすほどの熱い愛」(いつもの自分ならトレンディな「宮沢りえ」ネタでなにかちょっとしたものを書けたかもしれませんが、映画自体は、宮沢りえに肝っ玉かあさんは似合わないだろうという印象にとどまりました)もあるわけですから、すべての作品に対して「嫌悪感」とか「愚劣」とかがあてはまるわけではないのですが、いずれにしても、どの作品も自分のモチベーションをあげるのには正直もうひとつなにかが足りなかったという感じでした。

あっ、そうそう、1本だけリストに入れるのを忘れていた作品がありました、たまたまインターネットで佐藤祐市監督の「シムソンズ」2006を流していたので、加藤ローサが懐かしくて見てみました(しかし彼女、決して過去の人なんかじゃなくて、タントCMに出ていることをあとで知りました)、その見た理由というのは、「懐かしさ」というのもひとつありますが、むしろ平昌オリンピックで銅メダルを獲得したカーリング女子の吉田夕梨花選手がエキストラとして出演していると聞き、ぜひその場面を見てみたいというのが主たる動機です。

結果は、残念ながら彼女を発見することはできませんでしたが、しかし諦められず、ネットで「ヒント」となるものを探しまわったのですが、やはり的確な情報を見つけることはできませんでした、その代わりに2006年というと彼女が13歳くらいだと知り、いまの成人したイメージに捉われていたために見つけ出せなかったのかと遅ればせながら納得しました。

自分をその映画「シムソンズ」に引き寄せたものは、今回の平昌オリンピックのカーリング女子、日本対イギリスの3位決定戦でイギリスの最後の一投が微妙にズレ日本の石がナンバーワンになるというあの奇跡の絶叫「ナンバーワンは、日本だ!」から影響されたものなのですが、この銅メダルに至るまでの彼女たちの選手としての軌跡がすこぶる陰影に富んでいて、あまりにもドラマチックなのと(もちろんブームに乗った部分もありますが)、you tubeなどで彼女たちのことを部分的に知るにつれて、この期間に見た映画という映画(「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「ヒッチコック 幻の映画」「プレシャス」「湯を沸かすほどの熱い愛」)がことごとく色あせて見えてしまったことと、あるいは関係があるかもしれません。

吉田知那美と吉田夕梨花が姉妹であることと、彼女たちの母親がカーリング選手だったので、この姉妹が小学生から自然にカーリングに親しんだことはTV中継のなかで幾度も紹介されていました。

そして、彼女たちが中学生のときに結成した「常呂中学校ROBINS」(吉田姉妹のほかに同級生の小野寺佳歩と鈴木夕湖)が、日本カーリング選手権に出場し、トリノオリンピック日本代表だった「チーム青森」に予選リーグで勝ち星を挙げて大々的に報じられ中学生旋風を起こしたことは薄っすら記憶しています。ちなみに、ロコ・ソラーレ現コーチの小野寺亮二は、小野寺佳歩の父親です。

敗れた「チーム青森」の小笠原歩選手も常呂町出身で、自分が育成した「常呂中学校ROBINS」の少女たちを「末恐ろしい中学生」とコメントしています。その「チーム青森」には本橋麻里も在籍していて、「常呂中学校ROBINS」に負けた瞬間の場面をいまでもyou tubeで見ることができますが、そこには勝利を喜ぶ吉田知那美や鈴木夕湖の背後で、呆然とたたずむ小笠原と本橋の姿が映し出されていました。

その本橋の呆然とした表情なら、もう一つ見た記憶があります、LS北見がオリンピック代表選考戦で中部電力に敗れた場面、敗れた本橋麻里が表情を硬くして、勝利し満面笑みをたたえた中部電力のスキップ・藤澤五月と顔を背け合って氷上ですれ違う場面です、勝負に生きる者なら当然のことですが、やはり、時を経てやがてオリンピックで共に銅メダルを獲得し、抱き合って喜びを分かち合っていた姿を知っている現在から見ると、いずれもとても違和感のある場面です。

しかし、その本橋の表情には、「負けたショック」とともに、「常呂町」出身者同士が郷土の誇りとは違う部分でぶつかり合わなければならない状況への割り切れない戸惑いが窺われるような気がします、そこには、やがて本橋麻里が常呂町に戻ってロコ・ソラーレを立ち上げる動機のようなものが潜んでいたのかもと見るのは、都合のいい思い込みかもしれませんが。

その「常呂中学校ROBINS」の生徒たち、吉田知那美・小野寺佳歩・鈴木夕湖らを担任していたのは、のちにチームメイトとなる藤澤五月の父親で、また、ROBINSの選手・鈴木夕湖と藤澤五月とは、父親が従兄弟同士のはとこにあたるなど、知れば知るほど奇縁で結ばれており、まるでご都合主義のフィクションのようで、you tube閲覧にもついつい熱が入り嵌まり込んでしまいました。
 
いえいえ、これだけなら傑作・秀作・名作の「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「ヒッチコック 幻の映画」「プレシャス」「湯を沸かすほどの熱い愛」を差し置いて「ロコ調査」に熱中なんかしやしません。

「ロコ・ソラーレ」加入に至る選手たちの軌跡が、これまたさらにドラマチックなのです。

まず、いかにもアイドルみたいな容貌の創設者・本橋麻里、かつて、カーリングという競技に対してではない部分で「カーリング・ブーム」が巻き起こった際、メディアの関心のされ方に違和感と危惧と反発を漏らしていた彼女の印象が、もうひとつリアルさに欠けているという印象を持ったのは、彼女の「化粧好き」にあったのかもしれません。

「なんだか言っていることと、していることと矛盾してね」という感じです。

オリンピック期間中、藤澤五月のことを天才スキップと称されていたことが紹介されていましたが、それを言うなら中学生にしてオリンピック代表「チーム青森」を倒した吉田知那美だって十分に天才だと思いますが、しかし、ひとつの信念から無の状態のチームを立ち上げ、わずか10年たらずでオリンピックのメダル獲得にまで到達させた本橋麻里の手腕は、選手としても経営者としても管理者としても、まさに天才といってもいい業績だったと思います、少なくとも実業団チームでは為し得なかった快挙です。実業団チームが為し得たことは、実力ある選手を戦力外として見放し、使い捨てて、その管理者としての無能ぶりを後世に伝え世界の笑いものになることくらいがせいぜいだったわけですからね、北海道銀行さん。

そして、「ロコ・ソラーレ結成」から今回の「凱旋会見」まで、今回you tubeをいやというほど見て、はじめて気が付いたことがありました。

数々のタイトルをとり、華々しい戦歴を重ねて十代でオリンピック出場を果たして、その「オリンピック出場・メダル獲得」という視点は常にぶれることなく、もうひとつのコンセプト・郷土愛(「正解」のような気もしますが、スポーツの世界にあっては、ローカルにこだわることは資金面や人的資源からみて、とてもリスキーな賭けでもあります)を前面にだして「ロコ・ソラーレ」を結成して、マイナーな場所(常呂が「聖地」といわれながら、それを本気にしている人など誰一人いなかったのではないかと思います。)にこだわって出発した彼女にとって、「化粧」は、その「微笑」や「涙」と同じように、他人から不安や本心、素顔や内面を読まれないようにシャッタアウトするための仮面=武装なのだと。彼女にあって、たとえそれが「号泣」や「歓喜」や「驚愕」のように見えても、いや、故郷から遠く離れ、故郷を失ったうえで、他国で勝利の栄光をあびることの無意味と空虚と苛立ちを、彼女の「化粧」が、しっかりと覆い隠していて、本当の部分までは分からない、どこか冷めている印象を受けるのは、たぶんそのためだったと思いますし、メダル獲得後に「芸能プロダクションと契約してブームにのって荒稼ぎ」という噂を一蹴したのも、彼女のブレのなさと強い意志とを感じました。

吉田知那美がソチ・オリンピック終了直後、コーチからキミは来季の構想にないと戦力外を言い渡され、その直後の会見で、「私が能力以上の場所に身を置けたのは自分の貴重な財産ですし・・・」と話しながら、突然絶句し、言葉を発せられないくらいの嗚咽に身を震わせはじめる映像でもっとも印象的なのは、その明らかにブザマな嗚咽を取り繕うかのように瞬間にみせる彼女の不自然で痛ましい微笑です。そのとき、その無防備な嗚咽は、まるでいじめにあった弱々しい中学生という印象を受けました。実は、その通りだったのですが。

郷里の凱旋会見で「いまは、ここ(常呂)にいなければ、夢は叶わなかったと思います」というコメントは、故郷にいたのでは夢は叶わないと一度は故郷を捨て、しかし、都会で企業から使い捨てという過酷な仕打ちを受けてすべてを失い、追い立てられるように失意の中で帰省した彼女の、しかし、その逆境を跳ね返した以前とは打って変わった力強い本音だったからこそ、多くの人に感銘を与えたのだと思います。

笑顔こそが最強の武装・武器になると本橋麻里から学んだ吉田知那美の「悟り」だったのだと思いました。

中部電力のスキップ時代の藤澤五月の映像を見ていると、今回の平昌オリンピックの氷上でプレイしている見違えるくらい美しい藤澤五月が、同一人物とは到底思えないくらいの違和感を覚えます。

重圧のもとで投げられた最後の一投が軌道をはずれ、目指す石に掠ることもなく、むなしく流れる石の行方を呆然と見つめるあの素顔の悲痛な表情は、平昌オリンピックの氷上ではどの試合においても見つけ出すことはできませんでした。

自信にあふれ、追い詰められた局面でも微かに微笑み、氷の状態をもういちど仲間と確認し、とにかくゆっくり投げ出せば、リードとセカンドがスウィーピングでいい位置に運んでくれるという余裕さえうかがえます。

そこには、かつて中部電力時代に、責任をひとりで抱え込み、仲間の慰めを拒むような切迫した孤立感で氷上に呆然とたたずむ彼女の姿は、平昌オリンピックにおいては、もうありませんでした。

失敗を引きずらない強さと、チームワークと世界を振り向かせた美しさ(の武装)もまた、本橋麻里から学んだものに違いありません。

この小文は、北見市で行われた凱旋パレードをyou tubeで見ながら書きました。北見市でおこなわれた凱旋パレードのあと、市民会館の報告会で、吉田知那美は、パフォーマンスではなく、カーリング選手としての自分たちの姿を見て欲しいと涙ながらに訴えた姿が印象的でした。




# by sentence2307 | 2018-03-21 17:22 | カーリング | Comments(0)

【1986年】本橋 麻里
北海道北見市(旧常呂郡常呂町)で生れる。


【1991年】藤澤 五月
5月、北海道北見市美山町で生れる。
【1991年】吉田知那美
7月、北海道常呂郡常呂町(現:北見市)で生れる。
【1991年】鈴木 夕湖
北海道常呂郡常呂町(現・北見市)で生まれる。チームメイトの藤澤五月とは父親が従兄弟同士のはとこ。
「夕湖」という名前は母が妊娠中によく見に行っていたサロマ湖の夕陽に由来し、夕陽のようにきれいに育って欲しいという想いから名付けられた。身長145㎝と非常に小柄であり、「カーリングちび部部長」を自ら名乗っている。


【1993年】吉田 夕梨花
7月、北海道常呂郡常呂町(現在の北見市常呂町)で生まれる。
母と姉の影響で、5歳でカーリングを始める。


【1996年】藤澤 五月
藤澤五月がカーリングを始めたのは5歳のとき。北見市立常呂中学校の教員で、元カーリング選手にして長野オリンピックの最終候補選手に選ばれていた父にカーリングリンクに連れていってもらったのがきっかけだった(3人きょうだいの末っ子で、兄姉も父の影響でカーリングを始めていた)。同年代の子どもと比べ体が大きく、重さ約20kgの大人用ストーンを操れる天性の技術を既に持っていた。姉曰く、子ども時代から既に「負けん気がすごかった」という。姉と同じ、地元・北見のチーム「ステイゴールドII」でプレーするようになる。
中学1年生のとき、父は「感覚よりも理論を重視する」藤沢の素質を見出し、姉と交代する形でチームの作戦を立てるスキップを任せるようになった。後にチームメイトになる吉田知那美は、練習試合で藤澤のチームと対戦したときに「同い年と聞いたけど、私たちとは比べものにならないくらいうまかった」と思ったという。


【1998年】本橋 麻里
12歳の時に、常呂カーリング協会初代会長・小栗祐治に誘われてカーリングを始める。
【1998年】吉田知那美
常呂町が日本カーリングの本場でもある環境もあり、小学校2年からカーリングを始め、4年次から大会に出るようになる。
【1999年】鈴木 夕湖
小学校2年生からカーリングを始め、このころから同級生の吉田知那美と、その2歳年下の妹である夕梨花姉妹とは一緒にプレーしていた。


【2000年】本橋 麻里
3月、第13回常呂町ジュニアカーリング選手権大会優勝。

【2001年】本橋 麻里
第9回北海道ジュニアカーリング選手権:3位(マリリンズ)

【2002年】本橋 麻里
1月、第10回日本ジュニアカーリング選手権大会優勝。(「マリリンズ」所属・スキップ)。
第19回日本カーリング選手権:2位
3月、第15回世界ジュニアカーリング選手権に出場(スキップ)。最終順位は10位(最下位)。しかし本橋個人はリンク上、またリンクを離れた場所におけるスポーツマンシップの奨励を目的とした「スポーツマンシップアワード」を受賞(出場選手から構成される委員会における投票により、男女各1名が選出される)。

【2003年】本橋 麻里
「河西建設女子」にリザーブとして加入。
第11回日本ジュニアカーリング選手権:2位(マリリンズ)
第22回北海道カーリング選手権大会:優勝(河西建設女子)
11月、第13回パシフィックカーリング選手権大会:優勝。
【2003】吉田知那美
北見市立常呂中学校入学後、2歳年下の実妹である吉田夕梨花、同級生の小野寺佳歩・鈴木夕湖らと共に『常呂中学校ROBINS』を結成しスキップを務める。
常呂中学での担任は、のちにチームメイトとなる藤澤五月の父で、藤澤五月は同じチームの鈴木夕湖とは父親が従兄弟同士ではとこにあたる。

【2004年】本橋 麻里
2月、第21回日本カーリング選手権(女子の部):3位(河西建設女子)
4月、第26回世界カーリング女子選手権大会:最終順位7位。
第14回パシフィックカーリング選手権:優勝

【2005年】本橋 麻里
2月、「青森県協会(「チーム青森」)」から負傷によりチームを一時離脱した目黒萌絵に代わり、第22回日本カーリング選手権(女子の部):2位(青森県協会)
3月、引き続きチーム青森に帯同して第27回世界女子カーリング選手権出場。最終順位は9位。この結果、2006年トリノ五輪カーリング競技における日本女子チームの出場権(同選手権における過去3年間の国別ポイントの累積によって決定される。この場合は03~05年の累積。)を獲得。
4月、青森明の星短期大学に入学。それに伴い「チーム青森」に正式加入。
社団法人日本カーリング協会(JCA)の強化指定選手に選出される。
11月23日、オリンピック冬季競技大会日本代表(女子)選考会に出場。第1戦目で「チーム長野」に勝利し、同五輪カーリング競技日本代表権を獲得。

【2006年】本橋 麻里
2月、トリノ冬季オリンピックカーリング競技女子の部に出場(セカンド)7位入賞。
3月、第23回日本カーリング選手権・優勝。同選手権終了後、「チーム青森」から小野寺歩(スキップ)、林弓枝(サード)の両名が離脱(公式声明発表、同年5月17日)。
5月19日、主力メンバー(小野寺、林)の離脱に伴う「チーム青森」の戦力低下を考慮した日本カーリング協会が、協議により「チーム青森」、「チーム長野」の両者による2007年世界女子カーリング選手権大会日本代表チーム選考会の開催を決定。
5月31日、「GALLOP」(長野県カーリング協会)の山浦麻葉が「チーム青森」に加入。ポジション編成の刷新が行われた同チームにおいてサードに就任。
11月、第16回パシフィックカーリング選手権出場・最終順位3位。
12月17日、2007年世界女子カーリング選手権大会日本代表チーム選考会出場。「全5戦中3勝したチームが代表権を得る」という条件の下、3勝2敗で代表権を獲得。
【2006年】吉田知那美
3月、日本カーリング選手権に常呂中学校ROBINSとして出場し、トリノオリンピック日本代表だった『チーム青森』に予選リーグで勝ち星を挙げ中学生旋風を起こした。
中学卒業後は北海道網走南ヶ丘高等学校へ進学。常呂中学校時代の仲間と共に『常呂中学校ROBINS』からチーム名を『常呂JJ』に改め、引き続き同じチームでプレー。しかしメンバーの進学先が異なっていたこともあり、チーム練習の時間が思うように取れず、中学校時代のような成績を挙げることは出来なかった。
【2006年】吉田 夕梨花
北見市立常呂中学校入学、2歳上の姉(吉田知那美)、姉の同級生だった小野寺佳歩・鈴木夕湖らと共に『常呂中学校ROBINS』を結成。
カーリング映画『シムソンズ』に選手としてエキストラ出演する。
【2006年】鈴木 夕湖
北見市立常呂中学校で吉田姉妹、小野寺佳歩らと共に常呂中学校ROBINSを結成する。中学時代の2006年(第23回大会)と2007年(第24回大会)には北海道代表として日本カーリング選手権大会に出場し2年連続で3位入賞を果たした。カーリングのほか、中学の部活動ではバスケットボール部に所属していた。


【2007年】本橋 麻里
1月、2007年冬季ユニバーシアードトリノ大会カーリング競技出場・最終順位3位。
1~2月、軽井沢国際カーリング選手権大会2007出場。最終順位3位。
2月、第24回日本カーリング選手権優勝(女子の部):優勝(チーム青森)
3月、青森明の星短期大学卒業。
3月、第29回世界女子カーリング選手権大会・最終順位8位(タイ)。
4月、八甲田ホテル(青森市)入社
6月、同社を退社。
7月、NTTラーニングシステムズ株式会社と所属契約を締結(2010年6月までの3年契約)。
「チーム青森」リーダーに就任。但し、第29回世界女子カーリング選手権終了までは寺田桜子が主将、目黒萌絵がスキップをそれぞれ務めている。また、チームにおけるリーダーの定義・役割は明らかにされていない。
11月、第17回パシフィックカーリング選手権出場・最終順位2位。 なお予選リーグ終了時の成績が中国チームと同一であったため、両チーム各4人がストーンを投げ、ハウスの中心までの距離を合計した結果を競う「チームドロー」が行われた。その結果、予選リーグ2位となった日本チーム(「チーム青森」)は、大会ルールにより同3位の韓国チームと世界選手権出場チーム決定戦を行い、これに勝利し、日本女子チームの第30回世界女子カーリング選手権(2008年開催)への出場権を獲得した。
【2007年】藤澤 五月
北海道北見北斗高等学校に進学。スキップを務めて、高校1年生(2008年)、2年生(2009年)の2年連続で、(「チーム北見(ステイゴールドII)」)日本ジュニアカーリング選手権優勝、世界ジュニアカーリング選手権出場を果たす(また、パシフィックジュニアカーリング選手権でも日本ジュニア代表として2大会連続優勝を果たしている)。このときには既に、「天才」の称号を欲しいままにする存在になっていた。
【2007年】吉田 夕梨花
第24回日本カーリング選手権では常呂中学校旋風を起こして3位に入賞。吉田はこの時13歳で当時の日本選手権最年少出場者だった。


【2008年】本橋 麻里
2月、第25回日本カーリング選手権・優勝(チーム青森)。同年3月に開催される第30回世界女子カーリング選手権の日本代表権を獲得した。
2月、軽井沢国際カーリング選手権大会2008・準優勝。
3月、第30回世界女子カーリング選手権出場・最終順位4位。
4月、アドミッションズ・オフィス入試により日本体育大学体育学部に入学。
第18回パシフィックカーリング選手権: 3位
【2008年】藤澤 五月
パシフィックジュニアカーリング選手権・優勝
世界ジュニアカーリング選手権・7位


【2009年】本橋 麻里
軽井沢国際カーリング選手権大会2009: 3位
第26回日本カーリング選手権: 優勝 (チーム青森)
【2009年】藤澤 五月
パシフィックジュニアカーリング選手権・優勝
世界ジュニアカーリング選手権・10位
【2009年】吉田知那美
高等学校卒業後にバンクーバー(カナダ)へ留学。当初の留学目的は語学研修だったが、現地での下宿先が日系人カーリングコーチであるミキ・フジ・ロイ邸であったこともあり、改めてカーリングを学び直す。
【2009年】吉田 夕梨花
北海道常呂高等学校進学後、姉の知那美らと共にチーム常呂のメンバーとして第19回日本ジュニアカーリング選手権に出場して2位となる。
【2009年】鈴木 夕湖
化学エンジニアを目指し旭川工業高等専門学校物質化学工学科へ進学。旭川高専ではバレーボール部に所属し、週末は北見へ戻りカーリングを続けた。同校の富樫巌教授に指導を受け、卒業研究のテーマは「クロカビと黒色酵母に対するラベンダー精油の防カビ効果」。



【2010年】本橋 麻里
第27回日本カーリング選手権: 優勝 (チーム青森)
2月、バンクーバー冬季オリンピックカーリング競技女子の部に出場(セカンド)・8位入賞。
3月、第32回世界女子カーリング選手権出場。サードスキップを目黒、フォースを本橋が務めることもあった。最終順位11位。
5月1日、札幌市で行われたイベントで、2014年ソチ冬季オリンピックに向け現役継続を示唆した。
6月10日、自身の24歳の誕生日に所属のNTTラーニングシステムズと2年間の契約更新を発表し、2014年のソチオリンピックを目指す意思があることを明らかにした。
8月16日、記者会見にてチーム青森からの脱退を発表した。同時に新チーム『ロコ・ソラーレ(太陽の常呂っ子を意味する造語)』を結成すること明らかにした。チームは常呂町を拠点とし、メンバーにはいずれも常呂町のカーリングチームである「ECOE」の馬渕恵と江田茜、「ROBINS」の吉田夕梨花と鈴木夕湖の4人が参加する。
【2010年】藤澤 五月
高校卒業と同時に故郷を離れ、長野県を拠点とする中部電力に入社。職員として勤務しながら、同社に結成されたカーリング部の創設メンバーとなる。
中部カーリング選手権・優勝
日本カーリング選手権・3位
【2010年】吉田 夕梨花
高等学校2年次にはオリンピック選手の本橋麻里が北見で結成した『ロコ・ソラーレ(LS北見)』に参加した。
【2010年】鈴木 夕湖
7月、高専在学中、本橋麻里が地元・北見市を拠点に結成したロコ・ソラーレに創立メンバーとして参加。のちに「この時マリちゃん(本橋)に誘われてなければ、カーリングを辞めていた」と述懐している。結成初年度には道内の大会で優勝した。



【2011年】本橋 麻里
第28回日本カーリング選手権: 3位 (LS北見)
【2011年】藤澤 五月
入社直後からスキップを務めて、主将の市川美余らと共に、日本カーリング選手権大会を4連覇、また2011年のパシフィックカーリング選手権に日本代表として出場した。
中部カーリング選手権・優勝
日本カーリング選手権・優勝
パシフィックカーリング選手権・4位



【2012年】本橋 麻里
第29回日本カーリング選手権: 準優勝 (LS北見)
【2012】藤澤 五月
中部カーリング選手権・優勝)
日本カーリング選手権・優勝
【2012年】吉田知那美
日本へ帰国後、故郷の先輩であり、日本代表として二大会連続五輪出場の実績を持つ小笠原歩からの誘いを受け、北海道銀行フォルティウスに加入。北海道銀行嘱託行員として銀行業務の仕事もこなしながらのプレーであった。フォルティウスでは主にリード(先鋒)を務めていた。この間、中高生時代の仲間で愛知県の中京大学に進学していた小野寺もフォルティウスに加入、再びチームメイトとなる。
【2012年】吉田 夕梨花
東海大学国際文化学部国際コミュニケーション学科へ進学し、学業と競技を両立させながらの活動を続ける。
【2012年】鈴木 夕湖
第29回日本カーリング選手権では準優勝を果たしたが、結成から3年ほどは全国レベルの大会では好成績を残せなかった。
3月に旭川高専を卒業し、4月に北見工業大学工学部バイオ環境化学科へ3年次編入学。北見工大ではキノコの研究を行い、食品研究室に所属。佐藤利次博士に指導を受け、「組換えシイタケによるラッカーゼの発現とウルシ(Toxicodendron vernicifluum)からのラッカーゼ遺伝子の単離」を共同執筆している。



【2013年】本橋 麻里
第30回日本カーリング選手権: 4位 (LS北見)
9月、どうぎんカーリングスタジアムで行われた全農カーリングソチ五輪世界最終予選日本代表決定戦の予選リーグで3勝3敗、タイブレークとなった中部電力との試合で2-10と敗れて、4チーム中3位となり、3大会連続のオリンピック出場を逃した。
【2013年】吉田知那美
12月のソチオリンピック世界最終予選に臨みオリンピック出場決定戦でノルウェーに逆転勝ちし、オリンピック出場を決めた。このときフィフス(リザーブ)であった吉田は、「(出番がくるのは日本のピンチなので)最後まで出番がなくてよかったです」と笑顔で話した。
【2013年】藤澤 五月
ソチオリンピック出場をかけた9月の世界最終予選日本代表決定戦で、「追われる立場。負けられないプレッシャー」に屈する形で、小笠原歩率いる北海道銀行フォルティウスに敗れて出場を逃した。藤澤にとって、「どうしたらいいかわからなくなった」と思うほどの大きな挫折だった。
中部カーリング選手権・優勝
日本カーリング選手権・優勝
世界女子カーリング選手権・7位


【2014年】本橋 麻里
第31回日本カーリング選手権: 3位 (LS北見)
【2014年】吉田知那美
2月のソチオリンピックでは競技開幕直前に小野寺がインフルエンザにかかったため、代わってセカンドを務めた。
憧れていたカーリング選手スイスのミリアム・オットに高校時代手紙を送り、返信を貰ったことがあり、ソチオリンピック出場時にはその手紙を持参し、オットのスイスと対戦して勝利した。
予選リーグでは9試合中8試合(リード2試合、セカンド6試合)に出場し5位入賞に貢献した。
ところが、ソチオリンピックの日程終了後、まだソチの選手村にいる段階で北海道銀行フォルティウスからの戦力外通告を受けた(最終戦終了後、五輪公園の会議室で通告されたという。)。通告を受けた時には「リンクに上がることさえ嫌(になる状態になった)」「思い出すと涙が出る悔しさ」と語り、ひとり金沢・富山・軽井沢・東京と一人旅を続ける中でさまざまな出会いを得て、「自分の人生はまだまだこれからだ」と自信を取り戻すことができたという。
3月、北海道銀行を退職。吉田自身が「何もない状態で帰って来ました」という失意のもと郷里の常呂へと戻った。無所属となり、大きなショックを受け一度カーリングから離れる決断もしていたが、地元の先輩である本橋麻里から「一緒に日本代表を目指してもう一回やろう」と誘いを受ける。
6月、当初は断ったが、熟慮の末に本橋が率いるチーム、ロコ・ソラーレに加入した。チーム参加を決断した際には「人生を賭けて、このチームで終わってもいいと思うくらいの覚悟でもう一度戦おうと思いました」という。勤務先はネッツトヨタ北見で、オフシーズンには系列の携帯電話販売店での接客業務などを担当する。
【2014】藤澤 五月
中部カーリング選手権・優勝
日本カーリング選手権・優勝
【2014年】鈴木 夕湖
3月、同大学を卒業。学位は学士(工学)。
大学卒業後は網走信用金庫へ就職したが、業務と競技の両立に悩み、入社から半年での退職を余儀なくされた。郷里の図書館でのアルバイトを経て、ロコ・ソラーレを支援していた北見市体育協会へ就職した。こうした競技続行への不安や失業を経ていることから、その3年後の2018平昌五輪にて銅メダル獲得直後のインタビューでは「(五輪でのメダル獲得を)当初は全く、全く想像してなかったですね こんなこともあるんですねえ、フフフ」と回答している。
同じこの年に、吉田知那美がロコ・ソラーレに加入した。



【2015年】本橋 麻里
第32回日本カーリング選手権: 準優勝 (LS北見)
【2015年】藤澤 五月
3月末、中部電力を退社した。「地元の北海道北見市での活動を検討している」と報道された。
失意を抱きながら故郷の北見に帰った藤澤は、本橋麻里(ロコ・ソラーレの創設者)と会食の機会を持った。その席で、「さっちゃんも入らない? 私たちは、もう次に進んでいるよ」という本橋の言葉に心を動かされて、ロコ・ソラーレへの移籍(入団)を決心した。北見市にある保険代理店株式会社コンサルトジャパンに所属し、事務として勤務しながらトレーニングを行うようになる。
しかし、移籍後しばらくは練習に思うようについていけず、試合に勝てない日々が続いた。そんなあるとき、「さっちゃんの、やりたいようにやればいいんだよ」という本橋の言葉がきっかけで、前向きな気持ちを持てるようになっていった。そして、ロコ・ソラーレのチームメイトと共に練習や試合を積む過程で、自分が先頭に立ってチームを引っ張らなくてもいい、弱みを見せてもいい、頼れる仲間に出会えているから「ひとりじゃないんだ」と考えることができるようになり、自信を取り戻せたという。
パシフィックアジアカーリング選手権・優勝
【2015年】吉田 夕梨花
LS北見のメンバーとして第25回パシフィックアジアカーリング選手権の日本代表決定戦で勝利し、カザフスタンのアルマトイで開催されたパシフィックアジアカーリング選手権本大会に日本代表として出場して中華人民共和国の10連覇を阻止して日本に2005年以来の優勝をもたらした。
【2015年】鈴木 夕湖
藤澤五月がチームに加入してからはセカンドのポジションで出場し、2015年パシフィックアジアカーリング選手権では、優勝をはたす。



【2016年】本橋 麻里
第33回日本カーリング選手権: 優勝 (LS北見)
2016年世界女子カーリング選手権大会: 準優勝 (日本代表)
【2016年】吉田知那美
ロコ・ソラーレでは主にサードを務め、世界女子カーリング選手権大会で準優勝。
【2016年】藤澤 五月
藤澤が自信を取り戻したことで、ロコ・ソラーレは快進撃の道を歩むようになっていく。日本カーリング選手権大会で優勝し、2016年世界女子カーリング選手権大会で準優勝(銀メダル)に輝いた。この世界選手権決勝のスイス戦では、第9エンド終了時点で6-7と相手に1点リードを許した日本代表(LS北見)が後攻で迎えた最終第10エンド、スキップの最終投擲がNo.1に入れば7-7の同点となりエキストラエンド(延長戦)突入という場面で、藤澤が投じたラストストーンがハウスを通過する痛恨のミスショットとなってスイスの前に敗戦を喫して優勝を攫われた。その試合後に藤澤は「最後のショットを決められなかったのは私の責任」と悔恨のコメントを残した。
日本カーリング選手権・優勝
パシフィックアジアカーリング選手権・3位
世界女子カーリング選手権・準優勝
【2016年】吉田 夕梨花
LS北見のメンバーとして2月の第33回日本カーリング選手権で優勝し、世界女子カーリング選手権の日本代表に自動的に選出されると、3月の2016年世界女子カーリング選手権大会では優勝決定戦まで勝ち上がり、スイスとの大会三度目の対決となった優勝決定戦では最終第10エンドまで死闘を演じながらわずかの差でスイスの前に敗れて準優勝となった。
【2016年】鈴木 夕湖
第33回日本カーリング選手権大会で優勝を果たす。2016年世界女子カーリング選手権大会(カナダ・スウィフトカレント)では決勝戦まで勝ち上がり、スイスとの決勝戦では最終第10エンドまで激しい攻防を繰り広げ惜しくも敗戦を喫したが準優勝に輝いた。



【2017年】本橋 麻里
第34回日本カーリング選手権: 準優勝 (LS北見)
9月、アドヴィックス常呂カーリングホールで行われた第23回オリンピック冬季競技大会(2018平昌)平昌オリンピック日本代表決定戦で中部電力を3勝1敗で降し、3度目のオリンピック代表権を獲得。
【2017年】藤澤 五月
2月の札幌冬季アジア大会カーリングでは銅メダルにとどまるが、2017年9月の平昌オリンピック代表決定戦では自身の古巣である中部電力に勝利して、自身初めてのオリンピック出場を叶えた。このとき藤澤は、「4年前に負けてカーリングをやってていいんだろうかと思いました。このメンバーで戦えて幸せ者だなと思います。私以上に周りの人が信頼してくれ、チームメートに支えられたし、五輪に出ていない悔しさがありました。ここからまた五輪まで成長できれば」と涙を流しながら述べた。また、「中部電力がいたからこそ、私たちの成長があった」と古巣に感謝の言葉を述べている。
【2017年】鈴木 夕湖
9月、平昌オリンピック日本代表を賭けた中部電力カーリング部との最終5番勝負の決戦を3勝1敗で制し、ロコ・ソラーレをオリンピック出場に導いた。



【2018年】本橋 麻里
2月、平昌オリンピックではチームキャプテン・リザーブとしてチームを支え、予選を4位で突破した。準決勝では大韓民国に敗れたが、イギリスとの3位決定戦を制し、オリンピックで日本のカーリング史上初、また冬季五輪史上初のママさんメダリストとなる銅メダルを獲得した。
【2018年】吉田知那美
2月の平昌オリンピックにサードで全試合出場し、日本勢で初めて予選を4位で突破した。準決勝では韓国に敗れたが、イギリスとの3位決定戦を制し、オリンピックで日本のカーリング史上初のメダルとなる銅メダルを獲得した。
【2018年】藤澤 五月
平昌オリンピックに臨むにあたり、「勝てなくても憧れられる、尊敬されるカーラー」を目指すと心に誓い、「折れない心」を身に付けるためのメンタルトレーニングに取り組み続けてきた。迎えた本番で、藤澤がスキップを務める日本は、開幕3連勝を飾ったが終盤2連戦で藤澤のミスが続き連敗を喫し自力突破が無くなった一方、4位争いをしていたアメリカが破れた為に、結果的にかろうじて予選を4位(5勝4敗)で突破、予選最終戦の対スイスでミスから大敗した為「正直、複雑」と答える。準決勝で韓国に敗れ3連敗となるも3位決定戦でイギリスに勝利し、オリンピックで日本のカーリング史上初のメダルとなる銅メダルを獲得。「考えるカーリング」が結実しての銅メダル獲得であることと共に、藤澤は自身が目指した、メダルの似合う「グッドカーラー」になることを叶えた。
平昌オリンピック・3位
【2018年】吉田 夕梨花
2月の平昌オリンピックに出場し、予選を4位で突破した。準決勝では開催国の韓国と対戦して敗れたがイギリスとの3位決定戦を制し、オリンピックで日本のカーリング史上初のメダルとなる銅メダルを獲得した。
平昌オリンピックでは試合中に明るく発する北海道方言の「そだねー」が大きな話題になり、「そだねージャパン」の愛称で呼ばれた。
2018年時点では北見市内の医療法人「美久会」に勤務している。同法人の理事長はLS北見のスポンサーのほか馬主としても著名な人物であり、平昌五輪後に自身の馬に「ソダネー」と命名した。
3月、日本ミックスダブルスカーリング選手権に協会推薦枠で男子五輪代表の両角友佑とペアを組んで出場。初戦で敗れるなど、苦戦の連続の中白星を重ねたが、最終戦で妹背牛協会に大逆転負けを喫し、予選リーグ敗退となった。
【2018年】鈴木 夕湖
2月の平昌オリンピックでは、予選リーグを4位で突破した。鈴木は当大会参加のカーリング選手の中で最も身長が低かったが、予選リーグ韓国戦の第8エンドで「4秒間に19往復」させたスイープ力は高い評価を得た。準決勝は韓国との再戦となり延長戦の末敗れたが、イギリスとの3位決定戦を制しオリンピックで日本のカーリング史上初のメダルとなる銅メダルを獲得した。なお、同大会中では試合中に戦術検討する際に発する「どれくらいだい?」や「そだねー」などの北海道方言での会話が話題となり、「そだねージャパン」の愛称で呼ばれた。特に「~だい?」や「~かい?」という言い回しは鈴木が多用する。




# by sentence2307 | 2018-03-21 17:19 | カーリング | Comments(0)

ラジオ体操第一・花柳流

昨日が、ちょうど4月異動の1か月前ということで、多くの会社で「ひそかな内示」があったみたいですね。

自分の所でも、昼休みには、社員食堂やトイレの入り口などで悲喜こもごもの表情の社員たちが、怒気や渋面をあらわにして盛んに立ち話をしている姿(ひそひそ声です)をよく見かけました。

まあ、いつものことで、困難な営業の現場の状況を無視した一方的な人事部の幼稚で身勝手なタライ廻し異動をいくら毒づいてみても、結局は従うしかないのですが、長い時間をかけて汗水たらしてやっと築き上げてきた他社との人間関係やネットワークを一挙に失ってしまううえに、その異動によって生ずる厄介な家族や子供の学校の問題も控えているので、たとえ目先で「地位や給料」がアップしたとしても、そのすべてが暗雲に包まれたような憂鬱な気分になるのは、自分にも覚えがあります。

まるで、神の啓示みたいに下されるこの人事異動が、ただの机上で考えられただけの機械的な人間循環にすぎないという実態を知ったら、きっと誰もがびっくりしてヤル気を失うと思います。

それは、例えば、転勤先で待っている煮詰まった仕事の厄介な後始末とか、ますます深刻化している取引先とのトラブルの解決策のための捨て駒に使われる役を担わされるらしいとか、まるで罠のような人格無視のポストに身を置かなければなかない「憂鬱」だったり、その突然の転勤に伴う家族の難問題も控えた「憂鬱」(「幼児」や「老親」を抱えている人など大変です)でもあるので、そうした事情を知っている者にとっては、内示後、社内に一瞬動揺が走り、周囲には「渋面」ばかりが目につくばかりで、まるで「満面の笑み」などひとつとしてないというのも、そりゃあ、当然といえば当然の話だと納得できます。

以前、人事の人間と飲んだ時にその辺のところを聞いてみたのですが、彼が言うには、たとえ各社員の現場で長年培ってきたネットワークを犠牲にしても、そんなことは会社にとっては取るに足りない小さな損失で、むしろ、その期間に積み上げられた関係他社との負の滓(彼は、そのままの言葉でそう言ってました)、つまり個人的な利益と副作用としての業者との馴れ合い・癒着を断ち切り(これは目先では不利益と見えても、長い目で見れば、結局会社にとって大きな利益となって「健全なセキュリティ」が会社に返ってくるのだから)、その異動によって生じるであろう社員の不満や不利益・犠牲などは、会社のためなら無視すべき低次元のリスクにすぎない、それらすべてを織り込んだうえでの異動なのだといっていました。それが人事の仕事というものだと。

そりゃそうでしょう、彼ら人事部の人間から、有無も言わせぬ「生贄異動」や「見せしめ異動」や「人身御供異動」や「恫喝異動」の辞令を突き付けられたことのある者なら、そんなことは十分すぎるくらいに承知しています。

人事部が、幸運を届けてくれる愛のキューピッドとか幸福なプレゼンターなどと能天気に信じているわけではありませんが、まさかそこまで「えげつなかったのか」とあきれ返り、白け、それ以後の彼との会話の問い掛けに対する返すべき相槌も、なんだかぎこちないものになってしまいました。

内示の際に、「いやなら拒否していただいて一向に構いませんよ」という柔和な人事部長の甘言に乗せられてつい拒否した同僚が、しかし、4月以降、彼に用意されたポストというのが、西日がやたらに強烈にさす壁際の隙間風の通り道のような寒々しい席で、別にこれといった仕事も与えられるでもなく、かかればすぐにでも終わってしまうようなささやかな仕事を小出しに与えられ、それが途切れるたびに、かつての部下だった年下の若い女性社員に敬語を使って次の仕事の支持を受けなければならないような(その「仕事」だって、苦心惨憺ようやく考え付いたようなつまらない整理仕事ばかりです)、そういう異動拒否に対する「罰のようなミセシメの仕事」に懸命に取り組むにせよ、あるいは、「給料さえ貰えればなんだっていい」と割り切ってサボって適当に流すにせよ、時が経てばそんな席にしがみ付いている自分がだんだん情けなくなって、それに気が付いた時にはすっかり精神の荒廃が深刻に進んでしまっていて(ストレスから深酒にのめりこんだり、そのために家族や友人との関係がうまくいかなくなったりしてはじめて、そのことに気づかされ)、いったい、自分は何をしているんだ、こんな愚劣な仕事にしがみついている価値など果たしてあるのかと自分を責め、その挙句結局は、半年くらいで辞表を提出するというのが定式だと聞いたことがありました。

つまり、これを、計算され仕組まれた「定式」にすぎないというなら、パワハラの「無茶振り異動命令」は、その当人の諾否に関係なく(いずれにしろ会社の利益につながるようにはなってます)、そのまま公式的な経営理論・経営戦略のひとつ、あるいは、偉い経済学者がすっかり計算した巧妙な労務管理のひとつなのではないかと勘繰りたくなるような、経営を無条件に好転させる伝家の宝刀「人員削減」に直結しているものなのだなと、なんだかへんな納得をしてしまった次第です。


さて、サラリーマンにとって、この過酷な異動の季節を迎え、いまふっと、ある人のことを思い出したので、今回は、そのことについて書いてみますね。

もうあれからどのくらい経ったのか、すぐには思い出せません。

その人の名を仮に「菊池さん」(そのときすでに定年間近でした)としておきます、しかし、これは根拠のないまったくの仮名というわけではなくて、彼の名「菊次郎」という名前から連想しました。そう、タケシの親父さんと同じ名前です。はじめて紹介された時、その名前には本当に驚かされました。なにしろ「菊次郎」ですから。

フツーの親が、そんな歌舞伎役者みたいな名前をつけるのかという驚きがひとつと、驚いて思わずその菊池さんの顔を改めてしげしげと見直してしまったときに感じたその艶めく名前とは裏腹の、激ヤセした菊池さんの顔は異様に青ざめていて、まるで文字通り病的な「うらなり瓢箪」という印象の強烈な覇気のなさ感、というのがもうひとつありました。

自分の狭い経験からいうと、親からすごく突飛で奇妙な名前(妙齢の女性だったら思わず顔を赤らめてしまうような名前もありました)を付けられながらも、馬鹿にされまいと発奮して大成する人と、その名前のためにカラカワレ虐められつづけ、すっかり委縮して被害妄想の化け物みたいな大人になるという2種類のタイプの人がいるとすると、菊池さんは、明らかに後者に属する人でした。

そうそう、友人の知り合いに女性で検察官になった人がいるのですが、その人の名前は、まるで錦糸町か亀有にでもいそうなキャバクラ嬢そのものという、(親なのにどうしてそーゆう名前を付けるかなーという)いかにも下品な、なんだかヤタラ物欲しそうなシモネタ名前なのですが、彼女、そんなプレッシャーなどものともせず、圧し潰されるどころか、司法試験に一発でパスして、いまでは痴漢男や下着泥棒男(常習累犯)相手に厳しく求刑し変態野郎を片っ端から監獄に送り込んでいるというツワモノなのですから、根っから強い人は強いのだなあと感心してしまいます。まあ、長い間、突飛な名前をずっと揶揄われてきたことの報復で、いま検事さんになって、さかんに揶揄ってきた世界に対していまこそ復讐しているという見方もできなくはありませんけれどもね。

さて、その菊池さんと、半年のあいだコンビを組んで、ある商品を売り出すための宣伝プロジェクトの準備に取り組むという仕事に従事することになりました。

商品のデザインは有名なデザイナーに依頼するとして、スーパー向けのキャンペーン計画とそのポスターのデザインだけは自分たちで考えてみようということになりました。

そのとき自分には、まだ「本務」というのがあって、その勤務時間を終えたあとに菊池さんの席に伺って、昼間のあいだ菊池さんが関係業者に手配した詳細をうかがったり、ポスター・デザインのアイデアの進捗状況を聞くという毎日を送りました、これは自分たちが勝手に会社に居残っているという体裁なので、もちろん残業手当などはつきませんし(いまでは居残りなどしていたら、会社と組合から厳しい指弾の挟み撃ちにあってしまいます)、こう書くとなんだかまるで自分が菊池さんのことを管理していたかのような印象を与えてしまうかもしれませんが、決してそうではなくて、当時自分が関わった仕事で契約上のトラブルがいまだ尾を引いている状態だったので、それが単に長引いていて抜けられなかったというだけのことでした。菊池さんとは、あくまでもフィフティ・フィフティの関係でずっと仕事をしました。

そんな感じで、昼間、菊池さんがポスターのアイデアを10種類程度考えてくれたのを二人で話し合って更なるアイデアに発展させるという弁証法的毎日(そうこうするうちに、だんだんこの仕事が楽しみになってきました)を送りました。

菊池さんは毎日、自分の前に、きちっきちっと10種類のアイデアを提出して説明しましたし、自分はその提出されたアイデアを別段気にとめるでもなく聞き役に徹しました。

そんなふうに、惰性みたいに菊池さんの説明をぼんやり聞き流していたある日、「毎日10種類」のアイデアを出すということが、相当しんどいことのはずなのに、それをなんということもなく繰り返すことができている菊池さんの行為にだんだん疑問が湧いてきました。

考えてみれば、実際問題として様々なポスターのアイデアを毎日10種類も次々に考え出すというのは、口で言うほど簡単なことではありませんし、というか、きわめて不自然な話です。いかにプロだってそんな無謀なアイデアの粗製乱造はできるはずもないし、するとも思えません。

そこで菊池さんに率直に問いただしました「なんでそんなに豊富なアイデアがあるんですか」と。さすがに「不自然じゃないですか」とまでは言えませんでしたが。

「あっ!」と菊池さんは一瞬息をのみ、「分かりました?」という感じで、ボクの顔を見上げるようにのぞき見しながら、背広の胸の内ポケットから1冊のノートを取り出して自分の前に置きました。

そのノートを手に取り、開いてみて、今度は自分の方が「あっ!」と言う番でした。

そこには、ミニチュアにされた映画ポスターがびっしりと貼られていました。「こ、これが菊池さんのアイデアの元ネタだったんですか!」

「ね、いいでしょう、今日のアイデアはコレから借りました」とページを繰っていくと、見開きページいっぱいにタルコフスキー作品のポスターがびっしり貼り込まれています、壮観です。目がくらみ、衝撃でちょっとよろけたくらいです。

そして、「今日」の菊池さんのポスターのアイデアを比べてみて、思わず笑ってしまいました。

なるほど、なるほど、菊池さんのにも、この「ノスタルジア」があります、アハハ、よく見れば、国会議事堂の前でうらぶれた田中角栄が横座りしているところ(まさかね)なんか、「廃屋の前で男が横座りしているコレ(ノスタルジアです)とそっくりそのまんまじゃん、なんで分からなかったかな~」悔しそうに思わず大声を出してしまった自分ですが、もうすっかり菊次郎ワールドに乗せられ、それどころか、このシチュエーションをすっかり楽しんでしまっているのを菊池さんに気付かれてしまい、ポスターの図柄検討などそっちのけで、いままで菊池さんが提出したアイデアの元ネタ探しに夜が更けるまで興じてしまいました。久しぶりに愛するタルコフスキーに思わぬ形で邂逅したという懐かしさもありましたが。

「このときは、黒澤明特集だったんですね、全然分からなかった、そうか、なんか悔しいな」とか「ヒッチコックがゴマフアザラシに変わっていたとは、さすがに気が付かなかったなあ」とか。

それ以来、僕たちの夜のお仕事は、本務そっちのけで、菊池さんが奇妙にデフォルメしたアイデアを提出し、自分がその元ネタの映画ポスターを言い当てクックッなどとこみあげてくる笑いを苦しくこらえたりして「ふたりだけの密かな夜の遊び」にふけりました。

しかし、結論から言うと、この「ふたりだけの夜のお仕事」は、開発の途上で他社と商標権問題が持ち上がり、さんざんにこじれ、販売は中止、このポスターの菊池さんとの検討会も1か月とちょっとであえなく廃止・解散となりました。

それ以来、菊池さんとは会っていません、どこかの地方の営業所に異動されたことまでは聞いていたので、てっきりそこで無事定年を迎えられたものと思っていたのですが、最近信じられない情報を耳にしました。

異動のあとすぐに、役所関係の取引で贈賄だとか収賄だとかの事件に巻き込まれたという当時の新聞記事を見せてくれた人がいました、全然知りませんでしたが日付を見ると、あの「ふたりだけの夜のお仕事」から何か月も経っていないことも知りました。

結局起訴まではされませんでしたが、そのこともあって定年を迎えずに退社されたということです、あんなに定年を楽しみにしていたのに、ご本人もさぞ残念だったと思います。

当時、このことを知っていたら、なにか自分なりのお手伝いができたかもしれないのに、いまとなっては、どうすることもできません。

知人を通じて菊池さんの消息を尋ねてもらったのですが、なんの手掛かりもありませんでした。自分に届いた唯一の消息は、「なにせ高齢なので、施設に入られたのではないですか」というなんの根拠もないただの憶測だけでした。

当時の菊池さんの年齢に近づくにつれ、あのとき、ともに楽しいとき過ごした「ふたりだけの夜のお仕事」をときおり思いだしています。

長い会社員生活を通して、ただうんざりするだけの多くの無意味な仕事を次々にこなすことを強いられ、また耐えることができたのは、自分がなにものにも囚われずに動ずることなく、その局面その局面をクールに処理してきたからだと自負する部分もありますが、あの夜の菊池さんとの遭遇は、「そういうことで本当にいいのか」と問うものがありました。

タルコフスキーやアンゲロプロスを見ることで、会社人間をつづけるために、誰にも知られたくない、社会との折り合いをつけるための素の部分の領域に属するものだったそこに、突如「菊池さんのタルコフスキー」が立ち現れ、「ああ、こういう人もいるのか」と心動かされたのだと思います。きっと、うまく言い表すことができないと思いますが、「タイプは全然違うけれども、同じような場所で必死に格闘しているもうひとりの自分」みたいな。うまく言えませんが。

菊池さんのことを考えていたら、あることを鮮明に思い出しました。

あの菊池さんと過ごした日々のどこかの夜で、なにかの話のついでに、自分が早朝のテレビ体操を習慣にしていることを話したら、菊池さんが特別な「ラジオ体操」を自分で考案したと話してくれました。

「見ます?」「ぜひともお願いします」というわけで、菊池さんが実演して見せてくれたのがこの「ラジオ体操第一・花柳流」というもの、自分が知っている「ラジオ体操」といえば、腕や足をこん棒のように無様に振り回すだけの野暮の真骨頂のようなものですが、菊池さんの演じる体操は、まさに「舞う」という表現がぴったりの日舞風な芸術体操です。

無骨な無様な「体操」が、こんなふうな振りで様変わりできるのかという、いわば官能的な感銘を受けてしまいました。

指先がまるで風にあおられる蝶のように舞い狂い、両の腕は蛇のようにしなやかに体にまとわりつき、流し目であやしく迫ってきたり、誘うようなしなやかさで焦らすように逃げたりと。

しばし幻想に囚われながら、自分の指先があのときの菊池さんの指の所作を真似るように微かに動きはじめようとしているのを感じました。



# by sentence2307 | 2018-03-03 22:46 | 映画 | Comments(0)

リリーのすべて

いままで、男優が女装する映画というのを何本か見ています。

タイトルの方が、すぐにはちょっと出てこないのですが、ジョン・ローンが女装した作品とか、そうそう、ウィリアム・ハートが演じた「蜘蛛女のキス」などという名作もありましたよね。

いずれの作品も、まさに「女装」というグロテスクさそのものを強調する作品だったのでしょうから、たとえそれが「いかにも男」というのがミエミエで薄気味悪さだけを感じさせたものだったとしても、そこがまた作品の狙いでもあったわけで、まあ、あれはあれで良かったのかなともいえますが、しかし、今回、トム・フーパー監督作品「リリーのすべて」を見ていて、その部分についてちょっとした違和感というか衝撃を受けたので、その辺のところを少し書いてみたいと思いました。

元ネタというのが「実話」ということらしいので、この違和感というのが、あるいはそのあたりにあるのかもしれないなと思いながら書き進めていこうと思います。

というのは、いままでの自分の狭い経験からして、計算し尽くされたストーリー展開を自由にいじくり回すことのできるフィクションに比べて、実話に基づく物語というのによくあるパターンの、結末の「肩透かし」感や脱力系の終わり方の「尻切れトンボ感」みたいな起伏に欠いたストーリーが、なんだかやたら多いように感じるのは、きっとそこには現実の人間の行動というものが、それほど素直で潔くもなく、また、ドラマチックでもなく、(観客の期待に反して)ウジウジと逡巡する「臆病さ」や「恐怖感」、「狡猾さ」や「躊躇」、そして「捨て鉢」などの負の感情によって期待するようなストーリー展開は歪められ、予測に反した低劣なものに流れていく(それこそが生の人間の「現実」というものでしょうから)という印象が自分にはあるので、この作品にもそういう違和を感じてしまった部分で、この作品についての感想を書いてみようと思い立った次第です。

画家アイナー(エディ・レッドメイン)が、妻ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)からモデルの代役(女性です)を頼まれるところから、この映画は始まっています。

妻ゲルダも同じ画家ですが、この時点では夫の名声に比べれば、まだまだという感じで、むしろ、「画家志望」の段階といった方が相応しいのかもしれません。

女性モデルの代役とはいえ妻ゲルダにとっては「足の部分」のデッサンだけなので、彼女は「女性らしさ」を演出するために、夫にドレスを胸に当てさせ、ストッキングを履くことを要求します。

夫アイナーも戯れ気分でストッキングを履いたその瞬間、そのストッキングの滑らかな感触に思わずぞくっとするような官能を刺激されて、柔らかいドレスを胸に抱き締めながら一瞬恍惚となる密かな性的動揺(妻に気取られないような)に囚われたことが描かれています。

彼がそのストッキングの滑らかさに陶酔し、ストッキングに包まれた自らの足を撫でまわして密かな快感を楽しんでいるうちに、その手の感触から自分の肉体の奥底に「女性」性が潜んでいることを探り当ててしまう、つまり、自分の中の「男性」が揺らぎ、不意に「女性」に覚醒するというナルシックな場面が精密に描かれているこの場面は、いわばこの作品全体を象徴する重要なシーンとなっています。

アイナーは懊悩のすえに、自分の肉体から「偽りの性」を抹殺することを決意し、心身を一致させるための自己否定を具体的な除去手術という形で肉体を破損し、やがて術後の感染症によって生命までも失うという痛切で悲惨な彼の生涯の結末に至るその発端を描いている重要な場面でした。

夫アイナーの痛切な願いとその挫折に振り回されながら、妻ゲルダは終始「夫」への愛を貫こうとしているからこそ、夫アイナーのなかの女性「リリー」の人格だけはどうしても認めることも受け入れることができないでいたそのラストで、死の床にある瀕死の夫アイナーを、はじめて「リリー」と呼びかけ、生涯の最後で彼を女性と認めます。

夫アイナーは、心身ともにひたすら「女性」になることを求め、その彼を支える妻ゲルダは、彼の願いが叶った瞬間に最愛の「夫」を失うという夫婦の悲痛で皮肉な愛の物語というふうに自分的には一応は解釈し、当初はこれで自分なりに納得できるような気がしたのですが、しかし、考えてみれば、妻を気遣い、妻への思慕を強く表明しながらも、夫アイナーは、それとは裏腹に「女性」になるためのいかなる手続きや「性転換手術」へとのめり込んでいくという頑なさの前では、妻への気遣いや愛情でさえも異常なほどに無力であることの違和感が、自分にはどうしても払拭できませんでした。

もし、それほどまでに妻を愛し気遣うというのなら、彼には手術を放棄することだって選択肢のひとつでもあり得たはずなのに、「妻への思慕」を理由に手術を躊躇し思い悩む場面などこの作品にはいささかも用意されてはいませんでした。

以上のことをまとめるとすれば、こんな感じになるでしょうか。

つまり、妻ゲルダが「夫の浮気」に対して異常な嫉妬と苛立ちを示したようにして、果たして、夫が強く望んでいる男性器の除去手術に対しても同じように示しただろうか、「夫の愛を失う」という意味においては、後者の方がよほど深刻であるはずなのに、施術に対する妻のこの異常な無関心は、不自然で理解できないものがあります。

そして、このことと前述した夫アイナーが「妻への思慕を理由に手術を躊躇し思い悩む場面などこの作品にはいささかも用意されてはいませんでした」との一文が奇妙な対を成していることにはじめて気が付きました。

この夫婦の互いに対する気持ちのカクノゴトキ微妙な行き違いやズレがあるのは、いったい何を意味しているのかと思い始めたとき、実際にはこのときアイナーとゲルダは「夫婦」でなかったからではないかという思いが募り、しばし「実話」を手掛かりにあれこれと検索してみたところ「LUCKY NOW」というタイトルのブログでこんな一文に遭遇しましたので、一部を引用させていただきますね。


「1930年、アイナーは世界初の性別適合手術を受ける。性別適合手術への理解が乏しいこの時代に手術にアイナーが手術を決断するのは容易なことではなかった。

性に寛容なパリでは、リリーとして自由に生きられたアイナーだったが、やはりその時間は夫婦に危機感を与え始めた。

二人はパリの医者のもとに相談に行くが、医者からは服装倒錯(異性の服装を身に着けることで、性的満足を得ること)と診断され、具体的な処方はされなかった。「女の格好をするのを我慢しろ」ということだ。

その後しばらくして、リリーの体から奇妙な出血が見られるようになる。それは月に1回、まるで女性の生理の様に起こった。

それは、リリーにとって戸惑い以上に女性の人格をより強く意識するきっかけとなり、さらに苛烈に“女性”を求めるようになっていく。そして二人は、当時ジェンダー研究の最先端だったドイツに向かい、そこで驚くべき診断を下されることになる。

リリーの体内に未発達の卵巣があり、それが女性の人格を生み出しているというのだ。

そうして初めて、アイナーには服装だけでなく身体もリリーに作り変えるという選択肢が与えられたのだ。性別適合手術を目の前に戸惑うアイナーの背中を押したのは、他ならぬゲルダだった。

そうしてアイナーは睾丸摘出、陰茎除去、卵巣移植、子宮移植と、1年間かけて計5回の手術を受けた。中でも卵巣移植には拒絶反応を起こし、数度の手術を経て再摘出された。

しかし理解を示していたゲルダも、夫の身を案じて引っ切りなしに繰り返される手術には反対していたようだ。

こうしてアイナーは法的にもリリーとして生きることを認められ、リリー・エルベの名前でパスポートも手に入れている。しかし、手術のことを知った当時のデンマーク国王に婚姻を無効にされ、その後二人は別々の人生を歩むことになった。

別れてすぐにリリーはフランス人画家のクロード・ルジュンと恋に落ちた。女性に目覚めて初めて恋をしたリリーは、次第に母性を求めるようになる。そして5回目となる子宮移植の手術を受け、リリーはその数ヵ月後に心臓発作でこの世を去った。

当時は移植免疫拒絶反応について解明されておらず、そもそも臓器移植という考え方そのものが議論されていない時代だった。そんな時代に、リリーは命をかけてでも母親になることを求めた。

それは内から湧き出る性への渇望だったのか、あるいは恋人に対しての引け目だったのかは知る由も無い……」

(2015英米独)監督・トム・フーパー、脚本・ルシンダ・コクソン、原作・デヴィッド・エバーショフ『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』、製作・ゲイル・マトラックス、アン・ハリソン、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、トム・フーパー、製作総指揮・リンダ・レイズマン、ウルフ・イスラエル、キャシー・モーガン、ライザ・チェイシン、音楽・アレクサンドル・デスプラ、撮影・ダニー・コーエン、編集・メラニー・アン・オリヴァー、製作会社・ワーキング・タイトル・フィルムズ、プリティー・ピクチャーズ、アルテミス・プロダクションズ、リヴィジョン・ピクチャーズ、セネター・グローバル・プロダクションズ
出演・エディ・レッドメイン(アイナー・ヴェイナー、リリー・エルベ)、アリシア・ヴィキャンデル(ゲルダ・ヴェイナー)、マティアス・スーナールツ(ハンス・アクスギル)、ベン・ウィショー(ヘンリク・サンダール)、セバスチャン・コッホ(ヴァルネクロス)、アンバー・ハード(ウラ)、エメラルド・フェネル(エルサ)、エイドリアン・シラー(ラスムッセン)



# by sentence2307 | 2018-02-26 22:25 | トム・フーパー | Comments(0)

間宮兄弟の臨界

週末、会社の廊下で顔なじみの同僚とすれ違うときなど、軽い挨拶代わりに交わす言葉は、きまって「今年は、もう2回も雪が降ったのに、この4日もまた、ものすごい寒波がくるんだってさ」でした、「また大雪か」というウンザリした思いをみんなが持っていて、その危惧(やれやれ)を何度も確認しあったような気がします。

僅かの降雪でも電車のダイヤは大幅に乱れ、遅れ遅れの通勤電車の混雑が半端じゃなくなるので(まさに「殺人的」です)、早朝通勤を余儀なくされるサラリーマンには、ものすごい痛手です。「革靴で雪道」というのも結構苦痛で、それにまた、相当に危険ですよね。

実際に、知人の課長も雪道で転倒し、その際、前頭部を歩道の角でしたたかに強打して虎の門病院に救急搬送され、脳内出血を起こしてないかと大仰な精密検査をいくつも受けさせられたそうで(結果的に無事でしたが)、後日、本人からそのときのリアルな話を聞きました。

それによると、前を歩く若い女性がスマホの操作に夢中になりながら歩道の真ん中をノロノロと歩いているのに業を煮やした彼は、(いつも早めに出勤しているので、その朝も別段、急ぐ必要など少しもなくて、ただ単に彼女の「スマホでノロノロ」に苛立っただけだったそうで)傍らを追い抜こうとして、その際に歩道の端を踏み外して転倒したということですが、本人は「通勤労災で、結局治療費はタダ、そのうえ会社も1日堂々と休めたし、なんだかトクした気分だよ」なんて呑気に話しながら、冗談まじりに、彼が苛立って追い抜こうとした彼女は、目の前で転倒した自分を一瞬チラ見しただけで、またスマホに夢中になって、なにごともなく倒れ込んでいる自分を無表情のまま跨いで歩み去ったというのです、考えてみれば、それってゾッとする薄気味悪いシチュエーションですが(彼女にとっては、リアルに転倒している自分も結局はスマホ画面に写っている一風景にすぎなかった、みたいな)、そのへんを彼は面白可笑しく、尾ひれを付けて語っていました。

まあ、冗談はともかく、「頭部強打は洒落にならないよ、もしあれがオオゴトになっていたら、極端な話、オタクも家庭崩壊だぞ」と脅かしてやりました。

自分などは、踵に滑り止めの金具がついている雪道専用の靴をアイスバーンに突き立てながら小幅で恐る恐る歩くようにしているので、転倒リスクは、それなりに防いでいるつもりですが、それでも気を付けるに越したことはないと、さらに用心をしているくらいです。

こんなふうに語られる「三度目の大雪」の恐怖に相槌を打ちながら、そうか、誰もが、まだまだ今の寒さがこれから先もずっと続いて、温かくなるなんて考えられないくらい相当に先の話だと思っているらしいことを実感しますが、しかし、実は自分的には、ちょっと違う感覚もあります。

早朝は依然として寒いし、寝床の温もりを断って思い切って起き出すには、少しばかりの時間と決意が必要なことはまだまだ変わりませんが、それでも起きたとき、以前は真っ暗だった外が、最近は薄っすらと明るんできました。明るくなってくると、それなりになんだか温かくなってきたような気もしてきますし。

いつまでも温かい寝床に潜り込んでいたいといつも平日に思っているので、その快楽を十分に実現できるはずの土曜日なのに、いざ目が覚めて寝床の温もりの中にいるのに、そのまま横になっていられません、そうしていられるのはせいぜい10分がいいところで、どうしても起き出してしまうのです、ヒラのサラリーマンの悲しいサガだとお笑いください。

仕方なく、まるでイモ虫のようにもぞもぞと起き出して、パソコンのスイッチをonにするのが土曜日のいつもの日課です。

実は、この映画ブログ、こんなふうに土曜日の早朝に週イチペースで書き継いできたので(もちろん、書くことに失敗する土曜日というのも当然あります)、早朝の気温とか明るさ・暗さには人一倍敏感で関心もあって、そういう意味では微妙な季節の移り変わりにはそれなりに反応できていると自負しています。

さて、今日はどんな作品を書こうかと、今週見た作品のメモを眺めました。

いちばん重厚な作品といえば、マーチン・サントフリート監督の「ヒトラーの忘れもの」です、ドイツが敗戦した直後、デンマークでは捕虜になったドイツの少年兵たちが、現地デンマーク人のナチに対する憎悪に晒されながら、少年たちを傷みつけることだけが目的のような生還不可能な地雷除去作業(彼ら少年たちは地雷除去作業などしたことのない素人です)に従事・強制するという、この作品は、実に胸の痛くなるような憎悪の物語です、除去に失敗した少年たちは次々に地雷を暴発させて無残に命を落としていきます。

実は、少年兵たちの監視人ラスムスン軍曹とのあいだで、海岸の地雷をすべて撤去したらドイツへ帰国させるとの約束があって、それを唯一の希望として死の恐怖に身を晒しながら、必死になって地雷除去作業に従事し、ついに約束の作業をやり遂げます。

軍曹は約束通り少年たちをドイツへの帰国の途につかせますが、軍上層部から、別の場所の、それこそ生還など絶対不可能な過酷な地雷除去命令が、さらに少年たちのうえにくだります。

そのあとのストーリーは、軍曹が軍上層部の命令に逆らって少年たちを国境まで逃がして彼らとの約束を果たすという結末で、一応ホッとさせる結末にはなっていますが、しかし、全編を通して描かれている徹底したナチに対する憎悪と報復のリアル感にくらべたら、少年兵たちを約束通りに逃すという(取ってつけたような)ほのぼのとしたラストがいかにも無力で、実際には実に多くのドイツの少年兵捕虜たちは、こんなふうに虐待され、まるでナチが犯した侵略と虐殺の罪を贖うようにして憎悪の下で殺され、報復のような死を死んでいかねばならなかった過酷で無残な事実は覆い隠しようもなく(そこには依然として、ナチの虐殺した側と、蹂躙された被侵略国の側の事実とが厳然として存在しているわけですから)、この映画のラストで唐突に孤立した空々しい絵空事を見せられても、苦苦しい思いは払拭できず、言葉をつなげていくという困難と過酷に耐えられずに、結局はこの「ヒトラーの忘れもの」の感想を書くことは諦めました。

普段なら「憎悪」であろうと、「侮蔑」であろうと、そういう負の感情に対しても、それなりに距離を取って客観的に強引に書き伏せてしまうことができると思っていたのに、今日のところは駄目でした、このような憎悪の物語に耐えられないくらい、自分の気持ちも少し弱っていたのかもしれません。

ほかに気にかかった作品が2本ありました。

御法川修監督作品「世界はときどき美しい」(2006)と 森田芳光監督の「間宮兄弟」(2006)です、ともに2006年作品ですか、なんだか偶然ですが。

御法川修監督作品「世界はときどき美しい」は、5本のストーリーからなっているオムニバス映画です。

この5作品に共通して描かれているものは、おそらく、この社会や、そして他人にどうしても馴染めず、折り合いがつかず、打ち解けることもできない孤絶とか孤独感です。

なかでも、柄本明がアル中の中年男・蝿男を演じた第二作「バーフライ」にものすごく心惹かれました。

別にこれといったストーリーがあるわけではなく、日夜酒浸りの中年男の日常(これでもか、これでもかと酒を飲み続ける日々をコミカルに追っています)を終始男自身の愚痴とも悔恨ともつかないつぶやきをモノローグ風に綴るという、とてつもなくシンプルで、世間の嘲笑に煽られ追い立てられながら破滅の極限に踏み込もうとするやけっぱちの自傷行為が、ひた向きなだけに妙にピュアで、見るものを打つ映像の力強さがありました。それを痛ましいといってしまえば、それまでなのですが。

しかし、このもがき続けるシンプルな生き方(生きることの原初的な姿)について、なにをいまさら語り得るものあるだろうかという思いは確かにあります。

自分が、多くのアル中を扱った独特の映画群のどれにも、ある種の神聖さを感じてしまうのは、それが下降的に生き方にすぎなくとも、そのピュアな「ひたむきな姿」に惹かれるからに違いありません。

しかし、こうして「なにをいまさら語り得るものあるだろう」などという壁に突き当たってしまったら、もうそこから先には進めません。

そして、次に見たのが森田芳光監督の「間宮兄弟」(たぶん初見です)でした、この作品の全編にわたる優しさと、そして、ひとつのシーンに堪らなく感応するものがありました。この感応は、「ヒトラーの忘れもの」を見た後で、すっかりすさんでしまった自分の気持ちの落ち込みを抱えて見たことと無縁のものではありません。

そのことについて書きますね。


兄・明信の同僚大垣賢太夫妻の離婚騒動で、妻のさおりに惹かれた弟・徹信が、同情と関心半々から、自分の気持ちを伝えようと離婚後の彼女に会いにいくシーンで、弟・徹信は自分の気持ちをあれこれの品物(贈り物)で伝えようとして(その幼さが、かえって、痛手を負った女性の勘には堪らない無神経さとして苛立ちと怒りをかい)、手ひどく撥ねつけられる場面です。

撥ねつけるさおりの言葉の辛辣さに弟・徹信は傷つきます。

その場面をちょっと再現してみますね。

さおりの関心をかおうとして、いくつもの贈り物を差し出す弟・徹信にさおりは言います。

「そんなもの、いただくわけにはいきませんわ。なぜ私があなたから音楽をいただかなければいけないんですか。これも全部お返しします。一曲も聞いていませんから。こういうことされるのが、いちばん傷つくんです。迷惑なんです。あなたには、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないと思っています。もうなにもかもやめてください。あなたもいい大人なんだから、私の言っていること、もうお分かりでしょう。もう結構ですから、帰らせてください。」

こうまで詰られても、弟・徹信はこんなふう言います。「人生はまだまだ続くし、憎しみからはなにも生まれてきませんよ」と。そんなことを言うこと自体が、彼女の言う幼さであることにも気が付かずに。

そして、弟・徹信の失恋を知った兄・明信(彼もこの直前に、直美への芽生えかけた恋心を砕かれています)は、新幹線の操車場が見下ろせる場所で「これからもふたりで一緒に暮らしていこう」と弟を励まします。

そして、次の場面、昼の小学校の校庭で作業をしている弟・徹信のもとに直美の妹・夕美が現れます。そして、いつも一緒にいた恋人が勉強のためパリに旅立ってしまったことを徹信に告げます。

とつぜん恋人に去られたことを別段寂しそうにするでもなく、いつものように能天気にはしゃぐ夕美は、弟・徹信の失恋を聞き出し、一瞬息をのむような間があって、突然、背後からじゃれつくように抱きつきます。そして夕美は「これは違うよ、愛じゃないよ、友情の抱擁だからね」と囁きかけます。

不意に恋人に去られた女が空虚な気持ちを持て余しているとき、子供っぽいと相手に撥ねつけられた男の孤独に感応して思わず抱き締めずにいられなかった切なく実に優しさに満ちた場面でした。

そしてまた、ふたりのあいだに漂う孤独と遣り切れなさを静かなスローモーションでとらえたこの場面自体が、観客に深い思い入れを許す優しさと美しさ深く打たれました。

北川景子、その率直であけっぴろげな優しさが役柄とシチュエーションにぴったり嵌まり、優しさがじかに伝わってきたいい感じの演技でした。


世界はときどき美しい(2006)
監督脚本・御法川修、製作・棚橋淳一、中島仁、長田安正、プロデューサー・西健二郎、撮影・芦澤明子、録音・森英司、音響・高木創、衣装・宮本まさ江、ヘアメイク・小沼みどり、音楽監修・大木雄高、サウンドトラック盤・オーマガトキ (新星堂)、製作=「世界はときどき美しい」製作委員会、主題歌・鈴木慶江 「月に寄せる歌」〜歌劇「ルサルカ」より(EMIクラシックス)、Life can be so wonderful
第1話・世界はときどき美しい、松田美由紀(野枝)
第2話・バーフライ、柄本明(蝿男)、遠山景織子(スナックのべっぴんママ)、尾美としのり(スナックの酔客)、安田蓮(ハナタレ小僧)、川名正博(バーのマスター)、戸辺俊介(バーテンダー)、時任歩(仕事帰りのホステス)、
第3話・彼女の好きな孤独、片山瞳(まゆみ)、瀬川亮(邦郎)、
第4話・スナフキン リバティ、松田龍平(柊一)、浅見れいな(朋子)、あがた森魚(野辺山教授)、桑代貴明(幼い頃の柊一)、
第5話・生きるためのいくつかの理由、市川実日子(花乃子)、木野花(静江・花乃子の母)、草野康太(大輔・花乃子の兄)、南加絵(カフェの店員)、鈴木美妃(花乃子の友人)、


間宮兄弟(2006)監督・森田芳光、プロデュース・豊島雅郎、エグゼクティブプロデューサー・椎名保、プロデューサー・柘植靖司、三沢和子、原作・江國香織『間宮兄弟』(小学館刊)、脚本・森田芳光、撮影・高瀬比呂志、美術・山崎秀満、衣裳・宮本まさ江、編集・田中愼二、音響効果・伊藤進一、音楽・大島ミチル、主題歌・RIP SLYME『Hey,Brother』、照明・渡邊孝一、装飾・湯澤幸夫、録音・高野泰雄、助監督、杉山泰一
出演・佐々木蔵之介(兄・間宮明信)、塚地武雅(ドランクドラゴン)(弟・間宮徹信)、常盤貴子(葛原依子)、沢尻エリカ(姉・本間直美)、北川景子(妹・本間夕美)、戸田菜穂(大垣さおり)、岩崎ひろみ(安西美代子)、佐藤隆太(浩太)、横田鉄平(玉木)、佐藤恒治(中華料理店のおじちゃん)、桂憲一(犬上先生)、広田レオナ(薬屋のおばちゃん)、加藤治子(お婆ちゃん)、鈴木拓(ドランクドラゴン)(ビデオショップの男)、高嶋政宏(大垣賢太)、中島みゆき(間宮順子)、




# by sentence2307 | 2018-02-03 16:23 | 映画 | Comments(0)

伊豆の娘たち

数年前、「神保町シアター」で、特別企画として終戦直後に封切りされた作品ばかりを集めて上映するという企画がありました。

実に素晴らしい企画で、その貴重な機会を逃さないように無理やり仕事を算段して出来るだけ見に行こうと焦りまくっていたことを最近しばしば思い出すことがあります、残念ながら「日参」とまではいきませんでしたが。

あれから少し時間がたってしまい、だいぶ記憶も薄れてきたのですが、おりに触れて、そのときの苦労や、そこで見た幾つかの作品のことを懐かしく思い出しています。

しかし、いまとなっては、その作品を「神保町シアター」で見たのだったか、「フィルムセンター」で見たのか、いや、それとも、もっとべつの映画館で見たのだったか、記憶が錯綜してだんだんあやしくなってきました。

しかし、なんだってそんなことが気になるのかといえば、自分にとって「むかし見た映画」(記憶の中にあっては、昨日も10年前もみんな「むかし」です)というのが、ただ単に「作品」それ自体の記憶というのではなくて、その作品を見た場所というのが、記憶の重要な属性になっているからだと思います。

作品自体を覚えてさえいれば、それだけで十分じゃないかと言われてしまいそうですが、自分にとって「映画の記憶」とは、それを見た映画館と一体のものとして格納されています。

小津監督や溝口監督の諸作品は、すべて銀座の並木座で見ましたし、大島渚作品「少年」や吉田喜重作品「戒厳令」など、当時の時代の先端を行く尖鋭で重厚な作品は、ことごとく池袋の文芸地下で出会いました。ロベール・アンリコの「冒険者たち」の底抜けの悲しい明るさや、ゼフレッリの「ロミオとジュリエット」の宿命的な死の輝きと美しさに圧倒されたのは、神楽坂の「佳作座」でした。「keiko」や「不良少年」「絞死刑」を寒々しい場末の映画館で見ていなければ、こんなにも映像に打ちのめさ、その衝撃を衝撃として感受できなかったかもしれません。

映画を求めて東京の薄汚い繁華街の闇をさまよった先の映画館の思い出がなければ(さらには、「誰と見たか」とか、その時の「気分=失恋とかね」が再現できなければ)、きっと「映画の記憶」をこんなにも燦然と輝かせることも、自分のものにすることも叶わなかったに違いありません。

思い出していくうちに、たまらなくなって「神保町シアター」のホームページからその企画を検索して確認したくなりました。
ありました、ありました。

「◆戦後70年特別企画 1945-1946年の映画」、これですね。具体的には、1945年8月15日から1946年末までの間に封切られた映画、とあります。

なるほど、なるほど。

上映作品は、以下の通りです。

1.『歌へ!太陽』 昭和20年 白黒 監督:阿部豊 出演:榎本健一、轟夕起子、灰田勝彦、川田義雄、竹久千惠子
2.『グランドショウ1946年』 昭和21年 白黒 監督:マキノ正博 出演:高峰三枝子、森川信、水ノ江瀧子、杉狂児、三浦光子
3.『そよかぜ』 昭和20年 白黒 監督:佐々木康 出演:並木路子、上原謙、佐野周二、齋藤達雄、若水絹子
4.『はたちの青春』 昭和21年 白黒 監督:佐々木康 出演:河村黎吉、幾野道子、大坂志郎、高橋豊子、坂本武
5.『わが恋せし乙女』 昭和21年 白黒 監督:木下惠介 出演:原保美、井川邦子、増田順二、東山千栄子、勝見庸太郎 *16mm上映
6.『伊豆の娘たち』 昭和20年 白黒 監督:五所平之助 出演:三浦光子、佐分利信、河村黎吉、桑野通子、四元百々生、飯田蝶子、笠智衆
7.『お光の縁談』 昭和21年 白黒 監督:池田忠雄、中村登 出演:水戸光子、佐野周二、河村黎吉、坂本武、久慈行子
8.『大曾根家の朝』 昭和21年 白黒 監督:木下惠介 出演:杉村春子、三浦光子、小沢栄太郎、賀原夏子、長尾敏之助 *16mm上映
9.『国定忠治』 昭和21年 白黒 監督:松田定次 出演:阪東妻三郎、羅門光三郎、尾上菊太郎、飯塚敏子、香川良介
10.『狐の呉れた赤ん坊』 昭和20年 白黒 監督:丸根賛太郎 出演:阪東妻三郎、阿部九州男、橘公子、羅門光三郎、寺島貢、谷譲二
11.『東京五人男』 昭和20年 白黒 監督:齊藤寅次郎 出演:古川緑波、横山エンタツ、花菱アチャコ、石田一松、柳家權太樓
12.『へうたんから出た駒』 昭和21年 白黒 監督:千葉泰樹 出演:見明凡太郎、潮万太郎、岩田芳枝、浦辺粂子、逢初夢子
13.『或る夜の殿様』 昭和21年 白黒 監督:衣笠貞之助 出演:長谷川一夫、山田五十鈴、高峰秀子、飯田蝶子、吉川満子、志村喬、大河内傳次郎
14.『歌麿をめぐる五人の女』 昭和21年 白黒 監督:溝口健二 出演:坂東簑助、坂東好太郎、髙松錦之助、田中絹代、川崎弘子
15.『浦島太郎の後裔』 昭和21年 白黒 監督:成瀨巳喜男 出演:藤田進、高峰秀子、中村伸郎、山根壽子、管井一郎
16.『人生とんぼ返り』 昭和21年 白黒 監督:今井正 出演:榎本健一、入江たか子、清水将夫、河野糸子、江見渉

◆巨匠たちが描いた戦争の傷跡
終戦間もない時期に公開された巨匠たちの戦争の傷跡を色濃く映し出した作品
17.『長屋紳士録』 昭和22年 白黒 監督:小津安二郎 出演:飯田蝶子、青木放屁、河村黎吉、吉川満子、坂本武、笠智衆、殿山泰司
18.『風の中の牝鶏』 昭和23年 白黒 監督:小津安二郎 出演:田中絹代、佐野周二、村田知英子、笠智衆、坂本武
19.『夜の女たち』 昭和23年 白黒 監督:溝口健二 出演:田中絹代、高杉早苗、角田富江、浦辺粂子、毛利菊江
20.『蜂の巣の子供たち』 昭和23年 白黒 監督:清水宏 出演:島村俊作、夏木雅子、久保田晋一郎、岩本豊、三原弘之

そして、解説には、こうあります。
《戦争で焼失した映画館は全国で500館を数え、一方、空襲を免れ残った映画館は、終戦の日から一週間だけ休館し、営業を再開したといいます。その後、焼け跡にはバラックの映画館まで出現し、マッカーサーが日本に降り立ったまさに1945年8月30日同日、終戦後初の封切作品『伊豆の娘たち』(1945.08.30 松竹大船 五所平之助)『花婿太閤記』(1945.08.30 大映京都 丸根賛太郎)の二本が公開されたのです。
終戦直後、映画会社や映画館の人々の情熱によって届けられた映画は、戦災の中で生き抜こうとする人々の希望の光になったと、信じてやみません。今回は、日本が復興に向けて歩み出した1945年8月15日から翌年末までにGHQの厳しい検閲を通過し公開された、知られざる映画たちを回顧します。》

解説を読んでいくうちに、「伊豆の娘たち」の長女・静子(映画の中では「静江」ですが)の揺れる娘心を健気で繊細に演じた三浦光子の演技(清潔感と妖艶さが矛盾なくひとつのものであること)に衝撃を受けたことを鮮明に思い出しました。

脇を固める役者もこれまた実に素晴らしく、河村黎吉や桑野通子や東野英治郎や飯田蝶子らが、畳みかけるように生き生きと掛け合いを演じていくシーンは、まるで心地よい映画の波動にいつまでも身を委ねていられるような快感さえ感じられました。

いろいろな解説書のいたるところで、かならずといっていいほど「戦時中にもかかわらず」という文言を見かけますが、そんな思い込みが無意味に思われるほど、この映画には独自の映画的な固有のリズムがあって、「戦時色」などという末梢的な粗さがしなど排除してしまう力強さと気高ささえ感じることができました。

(1945松竹大船撮影所)演出・五所平之助、脚本・池田忠雄、武井韶平、撮影・生方敏夫、西川享
配役・河村黎吉(杉山文吉)、三浦光子(長女・静子)、四元百々生(次女・たみ子)、桑野通子(叔母・きん)、佐分利信(宮内清)、東野英治郎(村上徳次郎)、飯田蝶子(しげ)、笠智衆(織田部長)、忍節子(夫人)、柴田トシ子(娘雪子)、坂本武(宗徳寺の和尚)、出雲八重子(おたけ婆さん)、
1945.08.30 紅系 8巻 2,018m 74分 白黒



# by sentence2307 | 2018-01-28 09:54 | 五所平之助 | Comments(0)
年末のBSで、朝から黒澤明の主要作品を一挙放送していました。

まず最初に放映された作品が、「七人の侍」。

どっこいしょとばかりテレビの前に陣取った当初は、すべての作品を見るつもりの意気込みだったのですが、実際に「七人の侍」を見はじめたとき、こんなふうにこれからさき何作も立て続けに重厚な黒澤作品を見ることができるのかと、なんだか自信がなくなってきました、というか、むしろ疑問が湧いてきたというべきかもしれません。

それは、まず、実際問題として、黒澤明の重厚な作品群を、集中力を途切らさずに何時間も見る気力が自分にあろうとは思えないことと、そんなふうにしてまで見ることにどのような意味も価値もあるのかと疑問に思えてきたからだと思います。

結局は、「七人の侍」だけを見て、案の定集中力を使い果たし、相当に疲れ、そのあと終日、この超弩級の名作の余韻に浸りながら過ごしました、他の作品を見逃したことの後悔などいささかもなく、むしろやり過ごした方が良かったくらいだと、心地よい疲労感に満たされながら、その残念な見逃しを自分自身納得さえしたのでした。

もっとも、黒澤作品は放映されるたびに几帳面に録画しているので、同じ作品のストックなら何本もあります、とくに記録とかはしてはいませんが。

黒澤作品に限らず、未見の作品となれば、(すぐに見るかどうかはともかく)極力録画する方針なので、空きスペースを無駄に遊ばせておかず、即有効活用することを心がけていますので、厳格な空きスペース管理は欠かせません(まるでこれじゃあアパートの空き部屋を必死で埋めるために管理に苦慮する不動産屋状態です)、緻密なタイムテーブルを作成し、それを俯瞰・駆使しながら秒数きざみまでカウントして的確にかぶせ録画しているのですが、黒澤作品だけは例外として消去せずに(また、できるわがありませんが)永久欠番状態にしています。

つまり、最初から消去するつもりなど全然ないのですから、当然管理とかも必要なく、黒澤作品は録りっぱなしの野放し状態の溜まる一方、ですので、これといった「記録」もしていないというわけです。

この治外法権的な監督作品といえば、ほかに小津作品、溝口作品、成瀬作品があり、こんな感じなので、将来のいつの日にか、自分の録画ストックはすべて、黒澤作品と小津作品と溝口作品と成瀬作品とに(他の作品を凌駕して)入れ替わってしまうかもしれません。

「七人の侍」を見た後に「晩春」を見て、さて、次は「東京物語」でも見るかと探したとき、たまたま手にしたのが「浮雲」で、高峰秀子いいよなゼッテエ~、などと呟きながら、両の手には次に見る「宗方姉妹」と「雨月物語」を握りしめ、足先で手繰り寄せたのは別に録画した「七人の侍」で、おっと、確かこれはさっき見たぞなどと呟いては退け、さらに「めし」と「生きる」を足先でモゾモゾと探し当てては確保し、さらに「用心棒」も小脇に抱え、そのとき一緒に手繰り寄せた1本の作品名を確認しなかったことを思いだして、いったいこれはなんじゃらほいと見直せば、なんと「にごりえ」じゃないですかと驚き、思わず「お~い、今井正もストックしとかなきゃダメじゃないか」と誰もいない部屋で架空の相手を叱りつけ、すぐに「はいはい」などと自分で答えてあやまり、すごすごと「永久欠番棚」(あんのか、そんなもの)にあわてて今井作品コーナーをこさえたりなんかするという、これってなんとも幸せな映画オタクの白昼夢の極地であって、自分の周囲にはすべてこれ「七人の侍」で埋め尽くされ、ひとりその恍惚郷にどっぷりと浸り込み、思わずクックックと湧き上がる哄笑を必死に抑えながら肩を震わせたりしています、あぶねぇ~。

冗談はさておき(冗談にするな、この野郎)、今回「七人の侍」を見て、感じたことを書いておこうと思います。

野武士に刈り入れ時期をねらわれ、そのたびに収穫したコメと村の女を強奪されて、これでは、もはや生きていくことなどとてもできないと悲嘆して困窮したとき、村の長老が、自衛のために食い詰めた侍を雇うこと、つまり、野武士と戦うことを提案します。

いままで野武士にされるがままになって耐え忍ぶだけだった無力な百姓にとって、野武士に刃向かうというのは、それだけでも価値観を根底からひっくり返すほどのとんでもないアイデアだったはずで、さらに、その手立てとして「侍を雇う」というのですから、それはもう驚天動地の(そんなことができるのかという)秘策中の秘策だったと思います。

しかし、この「食うだけは保証する」という最低限の条件は、もしかすると百姓たちを苦しめている野武士たちと同じような低劣悪逆な武士をさらに呼び寄せかねない恐れとリスクを伴うと同時に(妙齢の娘を持つ万造の不安は、まさにこの点にありました)、逆に、出世や功名とも無縁なこの死闘に命を懸ける条件が、とんでもなく素朴で無欲だからこそ、それに呼応するような清浄で無垢な侍たちをも引き寄せることができたことにつながり、この卓越したシチュエーションにはいつもながら感心させられます。考え抜かれた実に見事なシナリオです。

百姓が侍を雇って野武士を撃退するなど、本当にできるのかと疑心暗鬼の思いを抱く百姓たちは、それでも恐る恐る街にでて侍探しをはじめますが、もとより、戦いの報償が、ただの「食うだけは保証する」というだけなので、それだけでは当然、思うように侍を集めることができず、落胆した利吉・万造・茂助たちは、そろそろ村へ帰ろうと悲観にくれます。

そして、それから七人の侍がひとりひとり選ばれていくという前半のサムライ・リクルートの場面に続いていくのですが、中盤の戦いに備えて武士や百姓が村の防備に奔走する緻密な描写や、後半の野武士たちとの激烈な死闘場面(最初、タカをくくっていた野武士たちが、堅牢な防備と意表を突く逆襲に驚愕して次第に必死なっていく捨て身の死闘のダイナミズムも含めて)に比べても、なんら引けを取らない、ダイナミックで丹念な描写で、実に堂々としていて、観る者を惹きつけずにはおきません。

勘兵衛と勝四郎が出会い、保留的な伏線として菊千代が絡んで、やがて五郎兵衛、七郎次、平八、久蔵と侍はそろいます。

この7人のうち勘兵衛をのぞいて(すでに観客は、五郎兵衛が勘兵衛に表明した敬意の言葉「わしは、どちらかというと、おぬしの人柄に惹かれてついて参るのでな」を共有しているので、当然「勘兵衛をのぞいて」となります)、そのもっとも印象的な出会いは、以前にも書いたことがあるのですが、自分的には、七郎次との出会いということになります。

そのシーンをちょっと再現してみますね。

勘兵衛のはずんだ大きな声。
勘兵衛「ハハハ、いいところで会った。いや、有難い」
勘兵衛と物売り姿の男(七郎次)が入ってくる。
勘兵衛「フム、貴様、生きとったのか。わしはもう、てっきりこの世には居らんと思っとったが」
七郎次、静かに笑っている。
勘兵衛「ところで、貴様、あれからどうした?」
七郎次「はア、堀の中で水草をかぶっておりました。それから夜になって・・・」
勘兵衛「フムフム」
七郎次「二の丸が焼け落ちて、頭の上に崩れてきたときには、もうこれまでだと思いましたが・・・」
勘兵衛「フム、そのとき、どんな気持ちだった?」
七郎次「別に・・・」
勘兵衛「もう合戦はいやか?」
七郎次、静かに笑っている。
勘兵衛「実はな、金にも出世にもならぬ難しい戦があるのだが、ついて来るか?」
七郎次「はア」
勘兵衛「今度こそ死ぬかもしれんぞ」
七郎次、静かに笑っている。

この会話のなかで、勘兵衛は七郎次に、「死ぬことは恐ろしくないか」と問いかけたうえで、この百姓の苦衷を救う無償の戦いに誘っています。

そして、「今度こそ死ぬかもしれんぞ」とダメを押す勘兵衛の言葉にも、七郎次は「静かな笑い」で返しています。

むかしから自分は、このときの七郎次の笑みが、どういう種類の「笑み」なのか気になって仕方ありませんでした。

聞きようによっては、随分と意地悪い勘兵衛の遠回しの誘導尋問にあがらいながらの(身分制度の位置付けられた制約の中からの)精一杯の七郎次の自己主張と見ていた時期もありました、いまから思えば随分と穿ちすぎな考えですが。

例えば、夜陰に乗じて種子島を奪ってきた久蔵に対して、勝四郎が「あなたは、素晴らしい人です。わたしは、前から、それを言いたかったんです」という言葉に、久蔵が顔をやや歪めてみせるあの笑みと二分するような傑出したシーンです。

そのときの久蔵の笑みが、「苦笑→自嘲」の範囲の中にあるものだったとしたら、「今度こそ死ぬかもしれんぞ」と問われて返した七郎次の笑みは、あきらかに

「死ぬこと」など、なにものでもないと一笑に付すサムライの豪胆さだったのだと納得しました。

まさに、これが「命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」だったのだなあと、大河ドラマ「西郷どん」が始まろうかというこの年頭、七郎次の「笑み」というのが「あれだったんだな」と、つくづく感じ入った次第です。

しかし、その私欲を絶った高潔な豪胆さこそが、最後には、久蔵に死をもたらし、西郷隆盛をも死へと追いつめた元凶だったのだとしたら、七郎次をあの激烈な死闘から生還させたものが、ただの偶然だったのか、もう少し考えてみる必要があるのかもしれません。



《スタッフ》
製作・本木壮二郎、脚本・黒澤明・橋本忍・小国英雄、撮影・中井朝一、同助手・斎藤孝雄、照明・森茂、同助手・金子光男、美術・松山崇、同助手・村木与四郎、音楽・早坂文雄、同協力・佐藤勝、録音・矢野口文雄、同助手・上原正直、助監督・堀川弘道(チーフ)・清水勝弥、田実泰良、金子敏、廣澤栄、音響効果・三縄一郎、記録・野上照代、編集・岩下広一、スチール・副田正男、製作担当・根津博、製作係・島田武治、経理・浜田祐示、美術監督・前田青邨・江崎孝坪、小道具・浜村幸一、衣装・山口美江子(京都衣装)、粧髪・山田順次郎、結髪・中条みどり、演技事務・中根敏雄、剣術指導・杉野嘉男、流鏑馬指導・金子家教・遠藤茂、

《キャスト》
三船敏郎(菊千代)、志村喬(勘兵衛)、稲葉義男(五郎兵衛)、千秋実(平八)、加東大介(七郎次)、宮口精二(久蔵)、木村功(勝四郎)、津島恵子(志乃)、高堂国典(儀作)、藤原釜足(万造)、土屋嘉男(利吉)、左ト全(与平)、小杉義男(茂平)、島崎雪子(利吉の女房)、榊田敬二(伍作)、東野英治郎(盗人)、多々良純(人足A)、堺左千夫(人足B)、渡辺篤(饅頭売り)、上山草人(琵琶法師)、清水元(町を歩く浪人)、山形勲(町を歩く浪人)、仲代達矢(町を歩く浪人)、千葉一郎(僧侶)、牧壮吉(果し合いの浪人)、杉寛(茶店の親爺)、本間文子(百姓女)、小川虎之助(豪農家の祖父)、千石規子(豪農家の嫁)、熊谷二良(儀作の息子)、登山晴子(儀作の息子の嫁)、高木新平(野武士の頭目)、大友伸(野武士の小頭・副頭目)、上田吉二郎(野武士の斥侯)、谷晃(野武士の斥侯)、高原駿雄(野武士・鉄砲を奪われる)、大村千吉(逃亡する野武士)、成田孝(逃亡する野武士)、大久保正信(野武士)、伊藤実(野武士)、坂本晴哉(野武士)、桜井巨郎(野武士)、渋谷英男(野武士)、鴨田清(野武士)、西條 悦郎(野武士)、川越一平(百姓)、鈴川二郎(百姓)、夏木順平(百姓)、神山恭一(百姓)、鈴木治夫(百姓)、天野五郎(百姓)、吉頂寺晃(百姓)、岩本弘司(百姓)、小野松枝(百姓女)、一万慈多鶴恵(百姓女)、大城政子(百姓女)、小沢経子(百姓女)、須山操(百姓女)、高原とり子(百姓女)、上岡野路子(百姓の娘)、中野俊子(百姓の娘)、東静子(百姓の娘)、森啓子(百姓の娘)、河辺美智子(百姓の娘)、戸川夕子(百姓の娘)、北野八代子(百姓の娘)、その他、劇団若草、劇団こけし座、日本綜合芸術社、



# by sentence2307 | 2018-01-20 16:14 | 黒澤明 | Comments(0)

右太衛門の忠臣蔵

先日、テレビのニュースを見ていたら、ある外食産業が例年開店していた正月の営業を取り止めると発表していました。

ああそうか、いままで当たり前に思っていましたが、これってバブル期の名残りだったんですね、改めて感じました。

「働き方改革」っていうと、なんだかつい最近の新政策みたいに思っていましたが、実はすでに現実の方が大きく変わってしまっていて、「政策」が慌てて綻びた現実の手当に動いたということなのかもしれません。

元日でも家にじっとしていられず、とにかくどこかに出かけたい人間にはちょっとさびしいことになるのかもしれませんが、この「イケイケの正月開店」という強引な考え方自体が、「少子高齢化による売り上げ減」とか「超過勤務」とか「シャッター通り」とか、最早いまの現実には合わない働き方になってしまっていたんでしょうね、

考えてみれば、自分の子供時代だって、正月三が日は、どこの店(個人商店です)も閉まっていて、寒風に晒されながら広っぱで凧揚げやコマ回しをした記憶がありますが、しかし、いま思えば、あれってそうするしかほかにできることがなかったから仕方なかったという面もあったのかもしれません。

だって、大型スーパーだとか、24時間開店しているコンビニができるまでの夜道は、それこそ真っ暗でした。

つまりこれなんかは、「昔なくて、今あるもの」ですが、「昔あって、今ないもの」の象徴みたいなものといえば、年末に必ずと言っていいくらい上映していた「忠臣蔵」ではないかと思います。

最近ではすっかりすたれてしまいましたが、むかしは年末ともなると、年中行事のように、決まってどこかの映画会社が必ず「忠臣蔵」を作って上映していたものでしたよね。

子供のころ、年の瀬には親に連れられて実に様々な「忠臣蔵」を見た記憶があります。

何かの拍子にふっと蘇ることがあって、そんなときは、なんだか切なくなったりしますが、まさに年中行事という感じだったと思います、そういう印象があります。

しかし、そんな感じで毎年のように見てきた「忠臣蔵」ですが、その数があまりにも多くて、どれがどれやら作品の区別などさっぱりつかない混濁した状態なのですが、しかし、その特定できないというモヤモヤ感が、ある意味、ある種の「郷愁」を形成して、少年期の懐かしい記憶のひとつになっている気もします。

たぶん、この誰もが持っている「懐かしさ」が、いまではすっかり新作の製作の途絶えた現在でも、CS放送などで旧作の「忠臣蔵」上映をうながす隠れたパワー(というか「圧」)になっているのかもしれません。

まあ、いずれにしても、懐かしい「忠臣蔵」を見られるということは実に嬉しいかぎりで、自分もその貴重な機会を逃さないように、ここのところ、日常的に「忠臣蔵」の放送情報なんかをこまめにチェックしてネット検索に励んでいます。

そんなふうに検索の毎日をおくっていたとき、ネットの「Q&A」でこんな質問に遭遇しました。

「よろずある『忠臣蔵』や『赤穂浪士』を題材にした映画のうち、どれがお勧めでしょうか」とか、あるいは、「忠臣蔵の傑作を教えてほしい」という質問です、見ていくとこの手の質問が結構あることに気が付き、ついつい読みふけってしまいました。

たとえば、「傑作ってどれ?」という「Q」に答えた「A」というのにこんなのがありました。

《なんといっても、12月10日に時代劇専門チャンネルで放送される、市川右太衛門が大石内蔵助を演じた昭和31年公開の東映オールスター映画『赤穂浪士 天の巻・地の巻』が注目作です。
これは、数ある忠臣蔵映画の中の最高傑作という評価がある大佛次郎の同名小説を映像化したもので、脚本の出来の良さもさることながら、実際の内蔵助もこんな人だったんじゃないかと思わせる、茫洋とした雰囲気を前面に押し出す右太衛門の抑えた芝居が何より見どころです。
やはり右太衛門は、十八番である『旗本退屈男』シリーズ以外(なぜ? 原文ママ)がいいんですよ。
可能であれば、ぜひとも視聴してください。
なお12月3日には、東映チャンネルで創立10周年記念を謳い昭和36年に公開された片岡千恵蔵主演の『赤穂浪士』が放送されますが、これは同じ大佛の小説を原作にしていながら、31年版の足元にも及ばない駄作です。》

なるほど、なるほど、右太衛門の忠臣蔵ですか、こりゃあ面白いじゃないですか、とにかくこちらも嫌いな方じゃなし、今日のところはやたら暇でもあるしで、勝手ながらさっそく混ぜてもらうことにしました。それにしても、片岡千恵蔵じゃなくて、なぜ右太衛門なんだという思いはありますよ、トーゼン。

実は、千恵蔵の方の「忠臣蔵」を今年の夏だかに見たばかりなので、ちょっとこの「駄作」発言には引っかかるものがありました。

もし、そう考える要素のひとつとして、千恵蔵のあの独特のセリフ回し(聞き取りにくい?)というのが入っているのだとしたら、「だって、あれがいいんじゃないですか」くらいの突っ込みを入れたくなる誘惑に駆られたりします。

しかしまあ、それはともかく、右太衛門が出演した「忠臣蔵」作品をjmdbで調べてみました、なんせこちらは、すこぶる暇ですし。暇ついでに右太衛門には★マークなども入れてみました。

こう調べてみて、右太衛門が溝口健二の「元禄忠臣蔵」に出ていることを知り、ちょっと意外でした。



赤穂浪士快挙一番槍(1931市川右太衛門プロダクション・松竹キネマ)
監督・白井戦太郎、脚本・行友李風、原作・行友李風、撮影・松井鴻
出演・★市川右太衛門、大江美智子、高堂国典、武井龍三、伊田兼美、正宗新九郎
1931.01.31 帝国館 8巻 白黒 無声


忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻(1932松竹キネマ・下加茂撮影所)
忠臣蔵 後篇 江戸の巻(1932松竹キネマ・下加茂撮影所)
企画・白井松次郎、大谷竹次郎、企画補助・白井信太郎、城戸四郎、井上重正、監督・衣笠貞之助、監督補助・渡辺哲二、大曽根辰雄、森一、脚本・衣笠貞之助、原作・衣笠貞之助、撮影・杉山公平、撮影補助・真々田潔、加藤武士、作曲指揮・塩尻清八、演奏・日本新交響楽員、作曲選曲・杵屋正一郎、長唄・杵屋六、杵屋六徳、杵屋六栄、三味線・杵屋六祥、杵屋六佐喜、杵屋六加津、杵屋六美代、杵屋六祥次、杵屋六喜栄、杵屋六弥太、鼓曲・望月太明蔵、笛・住田又三久、小鼓・望月太明蔵、大鼓・望月太意四郎、太鼓・六郷新之助、囃子・望月太明七郎、望月太計夫、望月幸一郎、洋舞・江川幸一、邦舞・尾上菊蔵、舞台意匠・吉川観方、設計・香野雄吉、舞台装置・尾崎千葉、高橋康泰、装飾・光谷義淳、八田務、橋本博、録音・土橋武夫、録音補助・中西進、松本辰吉、河野貞樹、西村滋、杉山政樹、中岡義一、照明・今島正人、高倉政史、山根秀一、衣裳・松竹衣裳部、殺陣・林徳三郎、字幕・望月淳、顧問・大森痴雪、
配役・阪東寿三郎(大石内蔵之助)、林長二郎(浅野内匠頭長矩、吉田沢右衛門)、★市川右太衛門(脇坂淡路守、垣見五郎兵衛)、岩田祐吉(大野九郎兵衛)、藤野秀夫(千阪兵部)、上山草人(吉良上野介)、高田浩吉(大石瀬左衛門)、堀正夫(原惣右衛門、草間格之助)、尾上栄五郎(小林平八郎)、坂東好太郎(勝田新左衛門)、野寺正一(堀部弥兵衛)、武田春郎(大久保権右衛門)、新井淳(家老斎藤宮内)、押本映治(笠原長太郎)、島田嘉七(上杉綱憲)、結城一郎(加藤遠江守)、阪東寿之助(矢頭右衛門七)、実川正三郎(大野九十郎)、小笠原章二郎(間十次郎)、関操(小山源五左衛門)、志賀靖郎(大竹重兵衛)、坪井哲(片岡源五右衛門)、風間宗六(伊達伊織)、高堂国典(上杉家家老)、斎藤達雄(不破数右衛門)、小林十九二(外村源左衛門)、日守新一(幇間狸六)、大山健二(大高源吾)、宮島健一(梶川与惣兵衛)、岡譲二(柳沢出羽守)、小倉繁(碇床主人)、滝口新太郎(大石主税)、喜曽十三郎(奥田孫太夫)、高松錦之助(進藤源四郎)、小泉嘉輔(大野家用人)、中村吉松(清水一角)、山本馨(内蔵助下男八助)、中村政太郎(朝倉喜平)、小林重四郎(堀部安兵衛)、沢井三郎(多門伝八郎)、広田昴(韋駄天の猪公)、井上晴夫(間瀬孫九郎)、宇野健之助(家老左右田孫兵衛)、永井柳太郎(千阪家用人)、静山繁男(大石家用人)、森敏治(上杉の刺客)、百崎志摩夫(講釈師)、小川時次(中村勘助)、長嶋武夫(武林唯七)、山路義人(江戸ッ児熊公)、柾木欣之助(臆病武士)、日下部龍馬(早水藤左衛門)、竹内容一(萱野三平)、青木弘光(赤埴源蔵)、高山雄作(吉良家附人)、和田宗右衛門(矢頭長助)、三井一郎(小野寺幸右衛門)、千葉三郎(吉良の用心棒)、冬木京三(神崎与五郎)、芝一美(吉良の附人)、中村福松(貝賀助右衛門)、土佐龍児(垣美の附人)、大崎時一郎(幇間仙八)、市川国蔵(お坊主)、木村猛(下男斗助)、・来留島新九郎(お坊主)、・石川玲(江戸ッ児留公)、・石原須磨男(大野派の梶村)、矢吹睨児(上杉の刺客)、南部正太郎(上杉の刺客)、津田徹也(瓦版売り)、頼吉三郎(お坊主)、三井秀男(碇床小僧)、阿部正三郎(碇床小僧)、突貫小僧(餓鬼大将)、菅原秀雄(大三郎)、市川右田三郎(芝居の師宣)、嵐若橘(塩冶判官)、嵐巖常(大名)、片岡孝夫(大名)、嵐橘利之助(大名)、嵐巖太郎(大名)、阪東助蔵(大名)、竹本菊勢太夫(浄瑠璃)、重沢延之助(三味線)、川田芳子(大石妻理玖)、飯田蝶子(不破の妻縫)、鈴木歌子(おるいの母親)、八雲恵美子(浮橋太夫)、田中絹代(八重)、川崎弘子(瑤泉院)、岡田嘉子(おるい)、柳さく子(戸田局)、千早晶子(勝田妻光)、飯塚敏子(芸者小妻)、井上久栄(大野九十郎の妻)、河上君栄(芸者信香)、千曲里子(芸者小桜)、北原露子(芸者力弥)、中川芳江(七兵衛七の母親くに)、
前編1932.12.01 東京劇場 10巻 2,995m 109分 白黒
後編1932.12.01 東京劇場 10巻 2,818m 103分 白黒


元禄忠臣蔵 前篇(1941興亜映画・松竹・京都撮影所)
総監督・白井信太郎、演出者・溝口健二、演出助手・渡辺尚治、酒井辰雄、花岡多一郎、小川家平、脚色者・原健一郎、依田義賢、原作者・真山青果、撮影・杉山公平、撮影助手・松野保三、中村忠夫、吉田百人、作曲・音楽監督・深井史郎、演奏・新交響楽団、指揮者・山田和男、美術監督・水谷浩、建築監督・新藤兼人、建築助手・渡辺竹三郎、装置者・六郷俊 大野松治、装置助手・小倉信太郎、襖絵装飾・沼井春信、伊藤栄伍、装飾者・松岡淳夫、荒川大、大沢比佐吉、装飾助手・西田孝次郎、録音者・佐々木秀孝、録音助手・杉本文造、田代幸一、木村一、照明者・中島末治郎、三輪正雄、中島宗佐、編集者・久慈孝子、速記者・山下謙次郎、普通写真撮影者・吉田不二雄、服飾者・川田龍三、奥村喜三郎、服飾助手・加藤信太郎、技髪者・高木石太郎、技髪助手・尾崎吉太郎、福永シマ、現像者・富田重太郎、
字幕製作者・望月淳、
〔考証者〕武家建築・大熊喜邦(文部省嘱託・工学博士)、言語風俗・頴原退蔵(京都帝国大学講師・文学博士)、民家建築・藤田元春(第三高等学校教授)、時代一般・江馬務(風俗研究所長)、能・金剛厳(金剛流宗家)、史実・内海定治郎(義士研究家)、風俗・甲斐荘楠音(旧国画創作協会同人)、造園・小川治兵衛(「植治」)、素槍・久保澄雄(立命館大学範士・貫流)
配役・河原崎長十郎(大石内蔵助)、中村翫右衛門(富森助右衛門)、河原崎国太郎(磯貝十郎左衛門)、嵐芳三郎(浅野内匠頭)、坂東調右衛門(原惣左衛門)、助高屋助蔵(吉田忠左衛門)、瀬川菊之丞(大高源吾)、市川笑太郎(堀部弥兵衛)、市川莚司(武林唯七)、市川菊之助(片岡源五右門)、山崎進蔵(大石瀬左衛門)、市川扇升(大石松之丞・主税)、市川章次(瀬尾孫左衛門)、市川岩五郎(早水藤左衛門)、市川進三郎(潮田又之亟)、坂東春之助(井関紋左衛門)、中村公三郎(生瀬十左衛門)、坂東みのる(大塚藤兵衛)、坂東銀次郎(岸佐左衛門)、 嵐徳三郎(奥野将監)、筒井徳二郎(大野九郎兵衛)、加藤精一(小野寺十内)、川浪良太郎(岡嶋八十右衛門)、海江田譲二(堀部安兵衛)、大内弘(萱野三平)、大川六郎(近松勘六)、大河内龍(奥田孫兵衛)、羅門光三郎(井関徳兵衛)、小杉勇(多門伝八郎)、三桝万豊(吉良上野介)、清水将夫(加藤越中守)、坪井哲(進藤築後守)、山路義人(梶川与惣兵衛)、玉島愛造(深見宗近左衛門)、南光明(近藤平八郎)、井上晴天(久留十左衛門)、大友富右衛門(大久保権右衛門)、賀川清(田村右京太夫)、粂譲(稲垣対馬守)、沢村千代太郎(関久和)、中村進五郎(津久井九太夫)、嵐敏夫(登川得也)、市川勝一郎(石井良伯)、★市川右太衛門(徳川綱豊)、三浦光子(瑶泉院)、滝見すが子(浮橋)、岡田和子(うめ)、山路ふみ子(お喜世)、京町みち代(お遊)、中村梅之助(吉千代)、三井康子(おくら)、山岸しづ江(大石妻おりく)、
1941.12.01 国際劇場 11巻 3,066m 112分 白黒


赤穂浪士 天の巻 地の巻(東映・京都撮影所)
製作・大川博、企画・マキノ光雄、山崎真市郎、坪井与、大森康正、玉木潤一郎、辻野力弥、岡田茂、監督・松田定次、助監督・松村昌治、脚色・新藤兼人、原作・大仏次郎、撮影・川崎新太郎、音楽・深井史郎、美術・角井平吉、森幹男、録音・佐々木稔郎、照明・山根秀一、編集・宮本信太郎、時代考証・甲斐荘楠音、色彩担当・岩田専太郎、進行・栄井賢、スチール・熊田陽光、 
配役・
★市川右太衛門(大石内蔵助)、片岡千恵蔵(立花左近)、月形龍之介(吉良上野介)、薄田研二(堀部弥兵衛)、堀雄二(堀部安兵衛)、原健策(片岡源五右衛門)、片岡栄二郎(毛利小平太)、植木基晴(吉千代)、清川荘司(渋江伝蔵)、百々木直(梶川与惣兵衛)、神田隆(小平太の兄)、月形哲之介(武林唯七)、時田一男(三国屋番頭清吉)、団徳麿(八助)、大文字秀介(深井伝四郎)、植木義晴(大三郎)、尾上華丈(原惣右衛門)、小金井修(三村次郎左衛門)、遠山恭二(菅野三平)、森田肇(吉田吉左衛門)、葉山富之輔 (間瀬久太夫)、近江雄二郎(潮田又之丞)、河村満和(近松勘六)、熊谷武(菅谷半之丞)、原京市(富森助右衛門)、小金井勝(奥田孫太夫)、源八郎(村松喜兵衛)、人見寛(室井左六)、舟井弘(泉岳寺の僧)、小田部通麿(岡林埜之助)、山村英三朗(戸村源右衛門)、近松龍太郎(玉虫七郎右衛門)、津村礼司(赤垣源蔵)、有馬宏治(早水藤左衛門)、大丸厳(寺坂吉右衛門)、上代悠司(前原伊助)、河部五郎(権太夫)、中野市女蔵(伊達左京亮)、中村時十郎(真野金吾)、加藤嘉(小野寺十内)、河野秋武(目玉の金助)、龍崎一郎(脇坂淡路守)、進藤英太郎(蜘蛛の陣十郎)、中村錦之助(小山田庄左衛門)、大友柳太朗(堀田隼人)、東千代之介(浅野内匠頭)、小杉勇(千坂兵部)、宇佐美淳(柳沢出羽守)、三島雅夫(丸岡朴庵)、三条雅也(大高源吾)、高木二朗(片田勇之進)、高松錦之助(穂積惣右衛門)、明石潮(安井彦右衛門)、楠本健二(神崎与五郎)、青柳龍太郎(近藤源八)、水野浩(藤井又左衛門)、堀正夫(中村清九郎)、加藤正男(江戸の商人E)、山内八郎(町人B 多吉)、中野文男(平谷新兵衛)、富久井一朗(町人A 三次)、小田昌作(江戸の町人A)、舟津進(江戸の町人B)、矢奈木邦二郎(江戸の町人C)、浅野光男(江戸の町人D)、若井緑郎(江戸の町人E)、東日出夫(駆けて来る男源太)、藤木錦之助(伝奏屋敷の番士)、石丸勝也(巡礼A)、村田宏二(巡礼B)、丘郁夫(関久和)、葛木香一(牟岐平右衛門)、伊藤亮英(三国屋五平)、中野雅晴(磯貝十郎左衛門)、岸田一夫(朴庵の弟子)、香川良介(大野九郎兵衛)、沢田清(将軍綱吉)、吉田義夫(石屋の源六)、藤川弘(清水一学)、杉狂児(松原多仲)、加賀邦男(小林平七)、東宮秀樹(上杉綱憲)、三浦光子(大右妻りく)、高千穂ひづる(お仙)、田代百合子(さち)、浦里はるみ(お柳)、植木千恵(おくう)、吉井待子(しのぶの女中)、毛利菊枝(宗偏の妻)、赤木春恵(長屋のお内儀)、吉田江利子(京の料亭仲居 おさん)、六条奈美子(弥兵衛の妻 若)、鳳衣子(京の料亭仲居 お米)、松浦築枝(十内の妻 丹)、八汐路恵子(京の料亭仲居 お菊)、星美智子(安兵衛の妻 幸)、千原しのぶ(夕露太夫)、喜多川千鶴(お千賀)、伏見扇太郎(大石主税)、
1956.01.15 15巻 4,136m 151分 イーストマン・カラー


★赤穂浪士(1961東映・京都撮影所)
製作・大川博、企画・坪井与、辻野公晴、玉木潤一郎、坂巻辰男、監督・松田定次、脚本・小国英雄、原作・大仏次郎、撮影・川崎新太郎、音楽・富永三郎、美術・川島泰三、録音・東城絹児郎、照明・山根秀一、
配役・片岡千恵蔵(大石内蔵助)、中村錦之助(脇坂淡路守)、東千代之介(堀部安兵衛)、大川橋蔵(浅野内匠頭)、丘さとみ(お仙)、桜町弘子(お咲)、花園ひろみ(桜)、大川恵子(北の方・瑤泉院)、中村賀津雄(伝吉)、里見浩太郎(上杉綱憲)、松方弘樹(大石主税)、柳永二郎(柳沢出羽守)、多々良純(佐吉・蜘蛛の陣十郎)、尾上鯉之助(武林唯七)、明石潮(原惣右衛門)、戸上城太郎(小林平八郎)、阿部九州男(片田勇之進)、加賀邦男(赤垣源蔵)、原健策(猿橋右門)、長谷川裕見子(千代)、花柳小菊(おりく)、青山京子(楓)、千原しのぶ(浮橋太夫)、木暮実千代(おすね)、大河内伝次郎(立花左近)、近衛十四郎(清水一角)、山形勲(片岡源五右衛門)、薄田研二(堀部弥兵衛)、進藤英太郎(多門伝八郎)、月形龍之介(吉良上野介)、大友柳太朗(堀田隼人)、★市川右太衛門(千坂兵部)、
1961.03.28 12巻 4,122m 150分 カラー 東映スコープ



# by sentence2307 | 2017-12-30 09:44 | Comments(0)

忠臣蔵

いよいよ年の瀬になりました、昨夜は、各課合同の会社の納会も終わり、いよいよ一週間の正月休暇です。

この期間に、まとまった旅行でもすれば有意義に使えるのではないかと、いつも思うのですが、現実問題として考えれば、はずせない定番の家庭のイベントがいくつかありますし、そのための用事がちょびちょびあり、毎年、あとから振り返れば、家庭人としてそれなりに必要とされているので、そのすべてを放り出しての「正月旅行」というのは、今のところ自分的にはちょっと考えられません、しばらくは家庭サービスのためにもこの期間を開けておこうと思っています。

それにほら、よく言うじゃないですか、旅行はあれこれ計画しているときが一番楽しいって。

そして実際、旅行会社にあちこち連れまわされる総花的な定番ツアーのあとの、あの義務を果たしたときに感じるような疲労感というか徒労感(そうした旅の思い出も、あとから考えれば、なんだかカタログ的です)しか残らない虚しさを思えば、やはり正月旅行は、近い将来には果たしたい「夢」として持ち続け、先送りしている状態の方が、なんだか正解のような気もしますし。

しかし、この期間に自分の時間がまったく持てないかというと、そんなことはありません。

なんといってもサラリーマンの武器は、「早起き」の習慣です、すっかり「休暇」に緩みきって、午前中はゆっくり寝ている家人に比べたら、自分は日頃からとんでもない早朝に起きる習慣が身についている筋金入りのサラリーマンです、目覚まし時計などセットしておかなくとも、「その時間」ともなれば1秒たがわずパッチリ眼が開いて、今の時期は日の出までまだまだ1時間は優にあろうかという時刻ですが、体の方はもうすっかり目覚めていて、もはや積年あこがれの「二度寝」など考えられないような覚醒状態にあり、家人が起き出してくるまでの数時間は、読書をしようが、ゲームをやろうが、you tubeに嵌まろうが、なんだってできる、まさに自分だけの解放区なわけですよね。Webで見られるお手軽映画なら、優に2本はいけそうな時間です。

さっそく「クリック・クリック」で検索を始めました。

ハハーン、gyaoで大曾根辰保の「大忠臣蔵」がアップされていますね、こりゃまた面白そうじゃないですか、画像には、討ち入りの衣装を着込んだ大石内蔵助の写真が大きく掲載されています、市川猿之助ですか。へぇ~めずらしいなというわけで、スタッフとキャストの記事をチェックしたら、「出演: 高田浩吉, 有馬稲子, 山田五十鈴, 松本幸四郎(初代・松本白鸚), 市川染五郎(九代目・松本幸四郎)」とだけあって、主役のはずの猿之助の名前がありません、これじゃあまるで「松本幸四郎(初代・松本白鸚)」が主役で大石内蔵助を演じているみたいじゃないですか。

松本幸四郎主演の忠臣蔵といえば、名作の誉れ高い「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」のはずです。おかしいじゃないですか、今日は一日中、暇なことでもありますので、ここはじっくり調べてみることにしました。
この1950年代に撮られた大曾根辰保監督「忠臣蔵」といえば2本あって、1957年製作がこの猿之助主演の「大忠臣蔵」で、松本幸四郎作品は、1954年に製作された「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」みたいですよね、まあ、せっかく調べたことでもありますので、その調査結果を以下に掲げておきますね。


忠臣蔵 花の巻、雪の巻(1954松竹・京都撮影所)総指揮・大谷竹次郎、製作・大谷隆三、高村潔、製作補・高木貢一、市川哲夫、監督・大曾根辰夫、脚本・村上元三、依田義賢、撮影・石本秀雄、音楽・鈴木静一、
配役・松本幸四郎・初代松本白鸚(大石内蔵助)、高田浩吉(浅野内匠頭)、滝沢修(吉良上野介)、鶴田浩二(毛利小平太)、北上弥太郎(岡野金右衛門)、高橋貞二(多門伝八郎)、田浦正巳(大石主税)、山内明(片岡源五右衛門)、近衛十四郎(堀部安兵衛)、水島道太郎(不破数右衛門)、薄田研二(堀部弥兵衛)、河野秋武(原惣右衛門)、大坂志郎(武林唯七)、柳永二郎(柳沢出羽守)、坂東鶴之助(矢頭右衛門七)、山田五十鈴(大石妻りく)、月丘夢路(瑤泉院)、淡島千景(浮橋太夫)、桂木洋子(しの)、瑳峨三智子(つや)、幾野道子(安兵衛妻こう)、
1954.10.17 25巻 6,401m 白黒


大忠臣蔵(1957松竹・京都撮影所)総指揮・城戸四郎、製作・白井和夫、監督・大曾根辰夫、脚本・井手雅人、撮影・石本秀雄、音楽・鈴木静一、美術・大角純一、録音・福安賢洋、照明・寺田重雄
配役・市川猿之助・猿翁(大石内蔵助)、市川団子(大石主税)、水谷八重子(大石妻お石)、高田浩吉(早野勘平)、高千穂ひづる(おかる)、坂東簑助(加古川本蔵)、山田五十鈴(戸無瀬)、嵯峨三智子(小浪)、北上弥太郎(浅野内匠頭)、有馬稲子(あぐり・瑤泉院)、石黒達也(吉良上野介)、大木実(清水一角)、永田光男(千崎弥五郎)、市川小太夫(原惣右衛門)、名和宏(片岡源五右衛門)、森美樹(桃井若狭助)、片岡市女蔵(斧定九郎)、野沢英一(与市兵衛)、毛利菊枝(おかや)、小夜福子(戸田局)、戸上城太郎(不破数右衛門)、近衛十四郎(寺坂平右衛門)、市川染五郎(矢頭右衛門七)、嵐吉三郎(落合与右衛門)、伴淳三郎(幇間)、松本幸四郎(立花左近)、
1957.08.10 松竹中央劇場 17巻 4,248m カラー 松竹グランドスコープ


こんな感じです、しかし、「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」に比べて、こちらは「シネマスコープ・総天然色」が売りなだけで、出来としては、やや精彩を欠いた作品とはいわれているものの、渋みのある市川猿之助主演ですから、これもまた大いに楽しみです。

当時、映画批評家・北川冬彦は、「大忠臣蔵」について、こんなふうにコメントしています。
「この『大忠臣蔵』には新たな解釈などいささかもない。これははっきり仮名手本で、歌舞伎的な場面が充満している。映画と歌舞伎との、あまり見事ではないがまあカクテルの味があった。シナリオにはごたごた無駄があったが映画を見て大曾根辰保のシネスコ的コンテの作り方に感心した。それに映画と歌舞伎のカクテルになり損ねていたり、名優猿之助や幸四郎に精彩がなかったのは考えさせられた。映画の演技として右太衛門、千恵蔵に及びもつかないのである。八重子もセリフははっきりしているが表情がいただけない。歌舞伎と映画とが割合ミックスした場面、例えば、一力茶屋の場は画面が充実していてシネスコ的演出を感じた。」(キネマ旬報186号)

まあ、べた褒めというわけにはいきませんが、しかし、こういう批判もまた映画を楽しむためのひとつの材料にはなりますよね、いや、それどころか、一層楽しみが増すってものじゃないですか。

しかし、このとき、ちょっとショッキングな記事も見つけてしまいました。自分が、「名作の誉れ高い」と思っていた「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」が、「それほどのものか」という疑問が投げかけられている記事です。

「この忠臣蔵はあくまでも仇討ではなく、お家の再興という点を強調して描かれた。大石が討入りを決心するのは、決行の5日前くらいとなっている。
4時間に及ぶ長尺だが、いたるところに疑問を感じながら観た記憶がある。とくに大きな矛盾は、大石が討入りすることをすべての人々が知っていて、討入りを決意するのは5日前くらいとなっているが、その間どうして討入り道具が揃ったのか、新解釈もところどころボロを出している。幸四郎の大石もこのときは重厚な演技とはいえなかった。」(御園京平「映画の忠臣蔵」)



# by sentence2307 | 2017-12-29 11:23 | 忠臣蔵 | Comments(0)

見憶えのある場所

誰しもそうだと思いますが、出勤前の限られたわずかな時間のなかで、素早く支度ができて、しかも忘れ物をしないようにと、あれこれ工夫してきた経験値が積み重なり、なんとなく定着した自分なりの準備のシステムがあります。

靴下・ワイシャツ・ズボン・コート(上着は、すぐに着られるように、すでにコートの中に納まったままです)は、着る順に並べておいて、さらに通勤定期券と財布と携帯電話のセット、それに通勤途中スタンドでコーヒーを買うための小銭(特別に用意しておかないと、その場になって小銭探しで慌ててしまうので)も、ジョギング用キャップの中にまとめておきます。

これで、服を着る流れ作業のなかで、通勤必須の小物も各ポケットへ滞りなく収められますし、あとはカバンを肩にかけて、いざ出発、「いってきま~す」というわけです。

こうすれば、駅の改札口まできて胸の内ポケットをまさぐり、はじめて通勤定期券を忘れてきたことに気がついて愕然とするなんてこともありません。

なにしろ限られた毎月の小遣いなので、そのたびにキャッシュで電車賃を払っていたら、それこそたまりませんものね(モロ昼食代に影響します)。

これは幾度かの過去の痛い経験がつちかった朝の習慣といえますが、大げさに言えば、経験が生んだ個人的な「文化」みたいなものでしょうか。

あっ、そうそう、もうひとつ忘れていました。なにしろ自分は極度の「活字中毒」なので、なにか読むものを携帯していないと落ち着きません、必ずカバンのなかには本を入れておきます。電車に乗っているときなどのちょっとした空き時間でも、ぼんやりしているのがなんだかもったいない気がして、本を開いて活字を追っていると、その方がとても落ち着くのでそうしているのですが、それならスマホでもいいじゃないかというと、そうはいかないのです。

最初からただの情報収集というのが目的なら、そりゃあ、あのぶつ切りの味気ない記事(針小棒大・白髪三千丈みたいなツギハギ・デッチあげの得意なライターの顔が見えるようです)を次々と読む空しさにはどうしても耐えられません、活字になにを求めるかという問題なので、なにも空しさを感じないというのであれば、なにもわざわざ自分だって「活字中毒」なんぞにならなかったと思います。

さて、そんなある朝、さあ出かけるかというときになって、カバンの中の本が昨日読了したものであることに、そのときになってはじめて気がつきました。しまった、チェックするのを忘れていた! という感じです。

もはや本棚の本をあれこれ選んでいられるような状況でもないので、著者名なんて確かめることもなく、なるべく薄くて軽そうで、表紙のデザインも明るめの本を選びました。

たまたま手にしたその本の表紙は、なんだか、いわさきちひろ風な絵で、見るからにホンワカした印象の本です、薄さも十分、これなら、あとであらためて精選する次に読む本のツナギには十分だろうという感じでカバンに収めました。

電車に乗り、その日は運よく座席に座れたので、さっそく仕込んできた本を取り出しました。

著者は安達千夏、未知の作家です、そして書名は「見憶えのある場所」(集英社、2007.2刊、140頁)となっています。

この本を買った記憶が、まったくないので、たぶん妻が、読んだあと自分の本棚に勝手に並べた本だと思います。

パット見、乱雑に見えるかもしれませんが、自分なりの分類法はあり、それなりの整理をしているつもりの本棚です、勝手にそういうことされると困るんだよな、とかなんとか思いながら読み始めました。

結論からいうと、びっくりしました、物凄い書き手です、母と娘のどろどろの深刻な葛藤を、まさに辣腕で読者を物語の渦中にぐいぐい引き込みます。

退屈な通勤時間を埋めればそれで十分という思いで手に取った軽めの読み物という先入観があったので、衝撃はなおさらだったかもしれません。

心覚えのために、ちょっとあらすじを書いてみますね。

母親・菜穂子は、以前、一流商社に勤めていた元バリバリのキャリアウーマン、結婚し娘ができたことで仕事を辞めなければならなかったことを悔い、そのことをひどく腹立たしく思っています。

こんなに優れた自分が、よりにもよって自分より遥かに劣ったこんなつまらない男=夫・三樹夫やぐうたら娘・ゆり子のために、輝くような自分の将来を犠牲にさせられたことに苛立ち、ことあるごとに家族を罵しります(もうひとり息子がいますが、我関せずの態度の彼には、なぜかホコサキは向かず、彼女からの罵倒の非難を免れています)。

最初、夫に向けられていた執拗な非難は、ついに妻・菜穂子の「出ていけ!」という罵りの最後通牒により、夫が家を出ることで一応終結し、次なる罵りの対象は娘に向けられることになります。

物語は、ここから始まっている感じです。
親の期待にことごとく応えることのできなかった娘は、さらにシングルマザーとなって、娘をひとり抱えながらスーパーのアルバイトで食いつないでいる始末で、このことも母親の苛立ちをさらに募らせています。

スーパーで働いている間、子供を母親のもとに預けているゆり子は、毎夕、母・菜穂子の家に娘を引き取りに行き、そのたびに辛辣な嫌みをいわれますが、彼女はただ薄笑いを浮かべて耐えるしかありません。

劣った娘という負い目があるうえに、彼女には、母親から受けた暴力・虐待の記憶があって、それがトラウマとなっていて、完全無欠の強い母親にどうしても言い返せないでいるのです。

しかし、ある夜、娘・ゆり子は、このままではいけないと自立するために、母・菜穂子への反抗を決意します、その母娘が言い争う迫真の場面を、ながくなりますが、心覚えのために以下に写しておきますね。


《菜穂子が、眉根を寄せた。
「あれだけしてやったのに、どこに不満があるっていうのよ」
「してやったこと」を並べ立てる。正月や七五三の晴れ着、盆の花火大会の浴衣に学芸会の手作りのドレス、欠かさなかったお誕生会、春夏冬のまとまった休みには泊まりがけの旅行、プールに海水浴に遊園地に動物園、ハロウィン、クリスマス、そして、世間では流行っているものなら、頼まれなくても買い与えてやった。
「よその家でやるようなことはすべてしてやったわ」
そうね、してやった。ゆり子は即座に認め、でも、と穏やかに切り返す。
「あなたは私を殴った。蹴った。踏んだ。罵った。嫌みも絶妙よね。楽しそうにしてたり、喜んでたりする時に、挫くの。嫉妬に狂ったら、相手を惨めな気持ちにさせなゃ気が治まらない。ああそうそう、私の笑ってる顔が大嫌い。見てるとむしょうに腹が立つ、って真顔ではっきり言ってたものね? 一生の汚点だ、産むんじゃなかったと後悔してる、って。なにしに来たのとさっき訊いたわよね。この話をしに来たの」
さっきまで私自身もよくわかっていなかったけど、とゆり子は胸の内に呟いた。菜穂子はしきりと瞼をしばたたかせ、白っぽいストッキングの脚を組み替えると、「なによ」とちいさく、震え声で言った。ゆり子は声を荒げもせずに続ける。
「百点の答案を持って帰ると無視して、機嫌がわるくなって、九十点ならバカだブタだイヌだと罵って上機嫌に自慢話してたよね、さっきみたいに。自分は頭がいい、勉強なら誰にも負けない、いつだって一番、って千回も聞いた。こんな試験私なら間違いなく百点しかとらないわ、って小学生相手に敵愾心燃やしてたの憶えてる? どうして、そんなにも劣っている娘がライバルなの? どうして、私を陥れなければ安心できないの? 私なら私なら、って、もう聞き飽きた。昔話はいいから、なにができるかやってみせてよ」
淡々とゆり子は語った。仕事のことだけど、と視線を背けている母親の顔を、ゆっくり覗き込む。
「千草を食べさせるためならなんでもする。私にはこんな家はないし、生活費を振り込んでくれる夫もいない。今の仕事は、待遇に満足とはいえないけど、誰かがやるべきことを誇りを持ってやろうって思ってる。でもあなたは私と違う。TOEICとか国家資格とかご立派な試験を受けて、優秀さを証明して、30年も前に辞めた商社の海外駐在員だの、テレビの気象予報士だのになれる日を夢見てたらいい。私は止めないから。ただし、成田の到着ロビーで、外タレの来日待ちしてニュースに映り込むなんてことは恥ずかしいからやめてください」
ぶん、と勢いよく腕を振り抜いてから菜穂子は驚く。娘を殴った手の、しびれる痛みにまで気がまわらず、殴られた娘の姿を見てなにをしたか悟る。ゆり子は頬をかばうこともせず、体勢を戻して、それから、とひるまずに言葉を継ぐ。
「他人の仕事を馬鹿にするのも結構だけど、どうして私なんかと比較して、勝った勝ったって喜べちゃうの?」
私はあなたのネガとして育てられたのに。斜めにうつむけた頬と唇には、乱れた髪が張りついている。ねえ母さん、と呼ぶ下唇から細く血が伝った。
「完璧な家庭を作れ、なんて誰があなたに頼んだ? 誰もこんな家になんか興味はないのよ」
二発目は、それと意識して手を出した。忌まわしい分身を力いっぱい殴りつけ、打ち砕きたかった。頬を張り、左手で首根っこをつかむと右で喉首を、体重をかけひと息に床へ押し倒し、とにかくつかまえておこうと夢中で両手に力を込める。息が詰まりゆり子はあえいだ。もがく脚がテーブルを蹴り上げ、横倒しになった天板のガラスが派手な音を立てて割れる。苦しさから逃れようと、首をしめつけてくる手指を引きはがし、身体ごと抜け出そうとしたゆり子は勢いあまって、木製の電話台に肩をしたたかに打った。電話機が床へ落ち、切手シートが見開きの状態で膝に載る。
乙女チックなラブシーンのスチールを、ゆり子は咳き込みながら見下ろし薄笑いを浮かべた。菜穂子にはそう見えた。乱れ髪をつかみ、激しく揺さぶり、引きずり倒し、まるで昔のように、肩といわず腰といわず足蹴にした。
憤りが昂じれば昂じるほど、激しく責めたならそれだけ、ゆり子は菜穂子のなすがまま、逃れようと試みはするが、殴られても蹴られても決して刃向かおうとはしなかった。両腕で頭をかばい、壁際へ後退って、背を丸め、そうしていればやがて消えてしまえるとでもいうように、ちいさくちいさく四肢を引きつけ縮こまる。幼い頃にも、今も、娘は無力で、泣き叫びもしないそのさまがますます菜穂子の熱をあおった。突き飛ばすなり、腕や脚をはらいのけるなり、哀願や、逆襲すら可能だろうに手も足も出そうとせず、なにも起きてはいない、痛みはなにも変えないといわんばかりに身を晒し、菜穂子を否定する。
「虫ケラのくせに。馬鹿にしやがって、どいつもこいつも、私を見くびって馬鹿にしてる」
この娘は、私を否定するために生まれてきた。
「思い知ればいい。なにものでもないって、生きていてもしようがないって。こんな女、誰も相手にしない。いても、いなくても、誰も気づきもしない」
ゆり子を罵る言葉は、そのまま、菜穂子がひた隠しにしてきた想いだった。ゆり子にはそれがわかった。涙が溢れた。哀しくて、それも、自分自身のことではなく菜穂子の言動が憐れでならないから、別離の痛みにじっと耐えていた。もう、この人とうまくやっていこうなんて思うまい。だが菜穂子は、謝りなさい、と吼えるように命じている。さあ顔を上げなさい、謝るのよ、言うことを聞かぬのならと菜穂子が腕を伸ばし、ゆり子の髪をつかみ頭を引っ張り上げようとした時、けたたましい電子音が空気を震わせた。》



まあ、とにかく、久々に読書に集中できた充実した通勤時間でした。幸い乗り過ごすこともありませんでした。



# by sentence2307 | 2017-12-16 14:48 | 徒然草 | Comments(0)



原題「Der Staat gegen Fritz Bauer」と邦題「アイヒマンを追え!」では、見る前の観客に相当見当違いな、あるいは、誤った先入観を与えてしまったのではないかと危惧しています。

その副題の「ナチスがもっとも畏れた男」だって、原題の不正確さを補完するために慌てて付け足したかのような蛇足感をまぬがれません、かえってメイン・タイトルが言葉足らずなことを、逆に証明してしまっているようなもので、それだけでも責任ある命名者(興行者)として作品のイメージをそこない、さらに営業戦略としても、ずいぶんな失策だったのではないかと思いました。

自分の受けた感じからすると、これは単に「フリッツ・バウアー」(どうあろうと、この映画の主人公なのです)という名前を出すよりも、世間的に遥かに浸透している「アイヒマン」とした方が、宣伝効果があるに違いないという短慮から、このような見当違いな邦題の命名に至ったというなら、それは、この作品に対する根本的な認識不足というしかありません。

原題「Der Staat gegen Fritz Bauer」を「フリッツ・バウアーをめぐる状況」とでも訳すれば、このサブ・タイトル「ナチスがもっとも畏れた男」の方だって、相当あやしいものになってくると思います。

だってそうですよね、この原題が指向しているものは、戦後、いまだに国内の司法にはナチの残党・抵抗勢力が残っているという中で、ナチの戦争犯罪を追及しょうというユダヤ人検事長の苦労話なわけですから、ここで描かれているものは、少なくとも「人=アイヒマン」なんかではなかったというのが本筋です。まあ、言ってみれば、アイヒマンという設定は、ユダヤ人検事長にとっての「困難な状況」を説明する単なる素材にすぎなかったわけで、タイトルに掲げられた「アイヒマン」を注視していた観客には、見当違いの道しるべを与えられたような、なんとも迷惑な話だったかもしれません。

それは、検事長の職務にあるフリッツ・バウアーが、ブエノスアイレス市民からの投書によって、アイヒマンが彼の地に潜伏しているらしいことを知り、それが本人であるという更なる確証を得たあとで、検事長としての権限でドイツ本国に連行し裁きを受けさせたいと上申したときに、強硬に拒否された抵抗勢力(当時のドイツ司法に占める多数の元ナチス党員や関係者たち)のことを「状況」と表現しているのですから、それを「アイヒマン」という見当違いな人名をタイトルの前面にだしてしまったら、タイトルに引きずられた観客が戸惑い幻惑されるのも、そりゃあ当然のことだったと思います、「作品を損なう」と言われても決して言い過ぎなんかではない、むしろ「暴挙」とさえ言い得るタイトルの命名だと思いました。

検事長フリッツ・バウアーがユダヤ人であるために国内で受けなければならなかった困難が、具体的な数字として残されています、つまり、当時の西ドイツ司法部(裁判官と検察官)には戦前からの元ナチス党員・関係者というのが、まだ1,118人いたと、東ドイツのキャンペーンの数字としてwikiには記載されています。(注)


(注)「だが実際には1945年のナチス党の解散時にナチス党員は約850万人、協力者は300万人以上にものぼっており(合計で当時のドイツ総人口の約2割)、また官僚や政治家、企業経営者など社会の中核をなす層にも浸透していたことから、ナチスの追及は敗戦で荒廃したドイツの戦後復旧を優先した結果としておざなりなものとならざるを得なかった。加えて直接の関係者はもとより親族などの反対もあり、ナチス追及は不人気な政策であった。
1950年代末には、西ドイツに対して「血に飢えたナチ裁判官」キャンペーンが東ドイツで行われている。そこでは元ナチス関係者(党員か協力者)の裁判官や検事など司法官僚が1,118人も西ドイツにはいると非難されており、これらの元ナチス司法官僚はナチスの追及に大きな障害となった。最終的に有罪になったナチス関係者は、罰金刑のような軽い罪を含めても6000人あまり、関係者全体の0.06%に過ぎない。」


当時のドイツにおけるこの元ナチの残党1,118人という数字が意味する「逆境」において、「ナチの戦犯を追及」することの困難と、公正な法の支配とその執行など、そもそも最初から望むべくもなかった状況にあったことは明らかでした。

だからこそ、フリッツ・バウアーは窮余の一策として、ドイツ国内法の「国家反逆罪」のリスクを負ってまで、秘密裏にイスラエルの秘密警察モサドに助力を仰がざるを得なかった、そして、この事実(第三国への協力と通報の行為)が明らかにされたのが、彼の死後数十年も経ってからのことだったと、この映画の最後で語られていました。

自分は、このナニ気に付け足された「彼の死後数十年も経ってから」という部分に強く惹かれました。

つまり、「数十年経たなければ」このユダヤ人検事長の犯したドイツにおける「国家反逆罪」の嫌疑は薄まることなく、ずっと有効だったわけで、いまになってやっと語られるこの「美談」風な衝撃の事実は、逆に、彼が生きている限りは容認されなかったし、彼が死に、さらにその影響が薄らぐまで語るのを憚られてきたということのアカシにほかならないと理解してみました。

このシチュエーションを日本に当て嵌めて考えてみれば、その「トンデモナサ」は明らかですが、フリッツ・バウアーのしたことは、「他国」と気脈を通じ、そして利するために「自国」を裏切るという背信行為なのであって、少なくとも、国家から国の秩序の安定をはかるために全面的に権力を託された検事長・公務員にとって(この全面的な権力の委託=なんでもできる強権を受諾する見返りが、国家への限りない忠誠でなければ)、その裏切り行為は、とても深刻な事態だというしかありません、たとえそれが「一民族の正義」のために行われたことだったとしても、みずからの属する国家を一蹴し、あるいは飛び越えるという違和感は、どうしてもぬぐえません。

それは「正義」のために躊躇なく決行した第三国への協力・通報の行為(裏切り)は、この映画にあっては、称賛されこそすれ、いささかも問題にされていないという視点です、そこに自分はこのストーリーにも、このフリッツ・バウアーという人物にも、嫌悪に近い限りない違和感をもちました、この映画には、わが意に反して生きなければならない者の、迷いや葛藤はことごとく無視され、「正義は我にあり」という被害者意識に満ちた踏み絵をかざし、讒言と密告も、そして国家ぐるみの誘拐も拉致も当然視され、そのうえでなされる裁判と処刑も、何でもアリという、目をそむけたくなるような思い上がりに対する、限りない嫌悪です。

それは、最後のこんな場面でも感じました。

フリッツ・バウアーが協力を要請した部下の検事・カールが、同性愛者のクラブ歌手との淫行(「彼女」に嵌められたのですが)の写真を盗撮されて当局に脅迫され、屈服しないカールはやがて自首します。

カール検事を拘束したと上席検事クライトラー(ナチ側です)からの報告を受けた検事長フリッツ・バウアーとの素っ気ない会話が、この映画のラストで描かれています。

カール検事拘束の報告を聞いて、検事長フリッツ・バウアーはこう言います。

「考慮したまえ。彼は猥褻行為に及んだが自首したんだぞ」

「本件に、なにか拘りでも?」

「ない、仕事に戻りたまえ」そして「覚えておけ。私は自分の仕事をする。私が生きている限り、誰にも邪魔をさせん」

たった、それだけ!? あんたねえ、仮にも無理やり協力を強いて働かせた部下なんでしょ、抵抗勢力を抑えてあれだけのことができたわけですから、検事長の権限でオカマの検事ひとりくらい助けるくらいわけなくできそうなものじゃないですか。

彼のこの冷ややかな対応は、「自分にもそのケはあり、国外でやらかすなら罪にならないぞと、だから国内ではアレは決してやるなよってあれほど言ったろう。ドジ・まぬけ・バカヤロー」くらいしか窺われません。

わが身可愛さで、結局彼は、のうのうというか、ぬけぬけと職務を全うしたっていうじゃないですか。

なんか他に言いようがないんですかね、言うに事欠いて「私は自分の仕事をする」だって?
アホか。
役に立たなくなった人間は、そうやってどんどん切り捨てて、戦犯追及の大義名分のもとに、ぬけぬけと自分だけ生き抜いていくというわけですか。なるほどね。あんたという人も、この映画も、よく分かりました。


この小文を書くまえに、手元にあるアイヒマンについて書かれた幾つかの論文に目を通しました。

そのなかのひとつ、広島大の牧野雅彦という人が書いた論文「アレントと『根源悪』―アイヒマン裁判の提起したもの―」(思想2015.10)のなかに興味深い部分があったので、どこかで活かせるかなと思いながら、念のためにタイプしておいたのですが、結局、活用する機会を逸してしまいました。

むげに捨てるのも、もったいないので、「参考」として記載することにしました。

「悪事をなす意図を前提として始めて法的責任と罪を問うことができる―意志を持たず善悪の弁別能力を持たない無能力者は処罰の対象にならない―というのが近代刑法の原則であるとするならば、アイヒマンの犯罪はそれを超えた―いやそれ以前の、というべきか―いわば世界とその法的・道徳的秩序そのものを破壊するような悪なのであった。そうした悪に対しては極刑をもって対する以外にない。アレントは仮想の裁判官に託してアイヒマンに対して次のような裁きを下している。

『君が大量虐殺組織の従順な道具となったのは、ひとえに君の逆境のためだったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それゆえ積極的に支持したという事実は変わらない。というのは、政治とは子供の遊び場ではないからだ。政治においては、服従と指示とは同じものなのだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他の幾つかの国の国民たちとともにこの地球上に生きることを拒む・あたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み、誰が住んではならないかを決定する権利を持っているかのように・政治を君が支持したからこそ、何人からも、すなわち人類に属す何者からも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待し得ないと我々は思う。これが君が絞首刑にならねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。』」

あらためて読んでみると、論旨は至極まっとうで、やはり、自分のコラムのなかに、この文章を生かせる箇所は、なかっただろうなという思いを新たにした次第です。自分もやはり、当初、タイトルの「アイヒマン」に引きずられた被害者のひとりにすぎなかったことを示している見当違いな残骸を前にして、しばし呆然の感じでいたかもしれません。

(2015ドイツ)監督脚本・ラース・クラウメ、製作・トマス・クフス、脚本オリビエ・グエズ、撮影・イェンス・ハラント、美術・コーラ・プラッツ、衣装・エスター・バルツ、編集・バーバラ・ギス、音楽・ユリアン・マース、クルストフ・M・カイザー、製作・ゼロ・ワン・フィルム、原題・Der Staat gegen Fritz Bauer

出演・ブルクハルト・クラウスナー(フリッツ・バウアー)、ロナルト・ツェアフェルト(カール・アンガーマン)、セバスチャン・ブロムベルグ(ウルリヒ・クライトラー)、イェルク・シュットアウフ(パウル・ゲプハルト)、リリト・シュタンゲンベルク(ヴィクトリア)、ローラ・トンケ(シュット嬢)、ゲッツ・シューベルト(ゲオルク=アウグスト・ツィン)、コルネリア・グレーシェル(シャルロッテ・アンガーマン)、ロベルト・アルツォルン(シャルロッテの父)、マティアス・バイデンヘーファー(ツヴィ・アハロニ)、ルーディガー・クリンク(ハインツ・マーラー)、パウルス・マンカー(フリードリヒ・モルラッハ)、ミヒャエル・シェンク(アドルフ・アイヒマン)、ティロ・ベルナー(イサー・ハレル)、ダニー・レヴィ(チェイム・コーン)、ゼバスティアン・ブロンベルク(ウルリヒ・クライトラー)、


# by sentence2307 | 2017-12-09 17:50 | 映画 | Comments(0)

ある天文学者の恋文

まるでなにかの罠に嵌まってしまったみたいに、同じようなタイプ(それも取り分けレアなテーマです)の映画を立て続けに見てしまい、そのまるで計算しつくされたような奇妙な符合に、これってなにかの不吉な予告とか祟りのタグイなのかと、思わず不安になるなんて経験したことってありませんか。

先日、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ある天文学者の恋文」(2016)を見ていたときに、そのオゾマシイ霊感とやらに突然金縛りにあってしまいました。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品なら、それがどのように不評な作品であろうと、とりあえずは見てみたいと思っている自分にとって、この「ある天文学者の恋文」もそのうちの1本でした、それもこれも数多くの幸福な映画の記憶をトルナトーレからいただいているからこその、そしていまもなおその「保証期間」が継続中であることの証しみたいなものなのかもしれません。

しかも主演が、超繊細な演技が売りのジェレミー・アイアンズとくれば、もうそれだけで一見の価値があります、最近では、見るからに弱々しい繊細さで売るこういう男優って稀有な存在になってしまいましたし、思えば、かつてはこのタイプの男優はすぐに思いつくくらいに多くいて、例えばジェラール・フィリップだとか、モンゴメリー・クリフトだとか、ジェームス・ディーンなんかも、そういうタイプの役者の代表格でしたよね、むしろマッチョで猛々しいタイプの俳優よりも、「こっち系」の男優の方が、はるかに主流だったような気がします、あの時代がそういう軟弱な俳優を求めていたからかもしれません。

ほら、例のフィリップ・マーロウの「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.(強くなければ、生きられない。優しくなければ、生きている資格がない」なんて言葉が象徴していたあの雰囲気です。

自分としては、それを聞いた当時だって、ずいぶん甘々で、それを平気な顔して言う相手の顔をまじまじと見てしまうくらい、なんだか気恥ずかしくてたまりませんでしたが。

しかし、今の時代、優しいばかりでウジウジなどしていたら、無視されて放っておかれるどころか徹底的に干渉されて生き場を失い叩き潰すまで追い詰められて秒殺されるという過酷な時代なのであって、現代がそれだけハードで容赦ない時代になったからだと思います。

でも、自分としては、むしろこの本音の現代の方が、ずっと生き易くて気に入っています。

さて、この「ある天文学者の恋文」ですが、天文学者の大学教授エド(ジェレミー・アイアンズ)と教え子の女学生エイミー(オルガ・キュリレンコ)は不倫の関係にあって、この映画の冒頭でも、さっそくふたりの「くんずほぐれつ」の情事の描写から始まっている始末です、私見ですが、こういうのって実にけしからんと思いませんか。老いぼれとピチピチの女子大生が、あっちを舐めたり、こっちを吸ったりなんかしたりして、なんなんだこの野郎という感じです。そんなことして、気持ちいいだろ、てめ~。

自慢じゃありませんが、自分はこのようなことにただの一遍だって遭ったことがありません、悔しくて悔しくてたまりませんよ。

まあ、それはさておいて話を続けますね。

ある日、大学の講義を受けていたエイミーは、エド教授が急逝したことを知らされます。

しかし、エド教授から旅行に行くと知らされていたエイミーのもとには、依然として彼からなにごともなかったかのようなメールが継続的に入ってくるし、それに、まるでタイミングを計ったような郵便物も届くので、彼女にはどうしても教授の死を信じることができません、そして、エド教授の死を確かめるための彼女の旅が始まるというちょっとミステリーっぽい物語です。

しかし、このミステリー仕立ての物語の根底にあるものは、たとえ自分が死んでも、愛する者をどうにかして、いつまでも見守り続けたいという痛切な深い思いがあって、たぶんそれが観客を感動させずにはおかないのでしょうが、自分としては、この手を替え品を替えの「仕掛け」の部分がどうにも引っかかって、しっくりと受け入れることができませんでした。

はたして教授が思っているほど、彼女が将来にわたって「永遠の愛」を信じ続けることができて、そして、教授の見守りをいつまで必要とし、彼女の歓迎を保てるか、愛の企みを夢中になって仕掛けていた死期の迫った教授が、「そのこと」に少しの不安も抱かなかったのかという疑問です。まあ、少しでも疑問を持ってしまったら、こんな企みができるわけもありませんが。

自分としては、教授が仕掛けたこれらすべての企みは、教授のエゴから発した未練にすぎないもので、決して生き残る愛する者を思いやってのことではない、つまり、「余計なお世話だ」という感想を持ちました。

たぶん、最愛の人を失った彼女は、しばらくの間、そりゃあ悲しむでしょうし、相当な「喪失感」に苦しむには違いありません。

しかし、時が経てば、いつまでも悲しんでいることの空しさを悟り、やがて時間が、過去の辛いことを少しずつ忘れさせ、立ち直ることができるものだと思います。

しかし、そこに相変わらず「教授のメール」が届いたりすれば、それは彼女の立ち直りを阻む効果しかないことは明らかです。

彼女が自由に生きることは許されないのか、という思いを持ちました。

そして、この映画を見た少しあとに、「愛を積むひと」(2015、朝原雄三監督)を見ました。

心臓病で余命幾ばくもないことを知った妻(樋口可南子)は、夫に幾通もの手紙を、まるで「仕掛け」のように残していきます。

まだ十分に若い彼女には、この世に思いを残すことは、きっと数多くあったに違いありません。

夫(佐藤浩市)を見舞うはずの困難な事態を予測して、妻は、的確な場所に明快な手紙を残して迷う夫に天国から助言を与え助けます。

この部分を見ながら、ふっと小学生か中学生だった頃に流行った小噺を思い出しました。

ある男がトイレに貼ったら、正面の壁に「左を見ろ」と書いてあるので左を見ると、左の壁には「右を見ろ」と書いてあったので、今度は右を見ると「上を見ろ」と書いてある。天井には、「きょろきょろするな、バカ」と書いてあったという滑稽噺です。

「愛を積むひと」は、きっと良質な作品には違いないとは思いますが、たとえドラマにすぎないとしても、死者の傲慢というか、人の人生に身勝手に立ち入る「お節介」さには、耐え難いものがあります。

以前、「ニライカナイからの手紙」(2005、熊澤尚人)を見たときに感じたことですが(以前、このブログに書きました)、早世する母が、娘を気遣って、自分の死を知らせずに、まるで生きているかのように成人するまで誕生日に手紙を送り続け、娘を励ました行為に疑問を抱いたのは、そんな歪んだかたちで「母の死」を隠されたこと自体を娘はどのように感じたか、という疑問でした。

たとえ遺された娘が、「母の死」を知らされたとしても、一時は悲しみ、苦しんで、しかし、それに耐え、跳ね返す力を持つことが、「生きること」なのではないか、と思ったからでした。こんなことは、社会一般のごく常識なことにすぎません。

家中で自分だけが知らされていないことがある、しかもそれが「母の死」だとすれば、その歪んだ関係は、すこぶる異常だと言わざるを得ません。

(2016イタリア)監督・ジュゼッペ・トルナトーレ、製作・イザベラ・コクッツァ、アルトゥーロ・パーリャ、脚本・ジュゼッペ・トルナトーレ、撮影・ファビオ・ザマリオン、美術マウリッツォ・サバティーニ、衣装デザイン・ジェンマ・マスカーニ、編集・マッシモ・クアリア、音楽・エンニオ・モリコーネ、プロダクション・デザイン・マウリツィオ・サバティーニ
出演・ジェレミー・アイアンズ(エド・フォーラム)、オルガ・キュリレンコ(エイミー・ライアン)、ショーナ・マクドナルド(ヴィクトリア)、パオロ・カラブレージ(オッタヴィオ)、アンナ・サヴァ(アンジェラ)、イリーナ・カラ(エイミーの母親)、



# by sentence2307 | 2017-11-26 22:23 | 映画 | Comments(0)

ある日の原節子

ちょっと前の土曜日の昼過ぎに、借りていた本を返しに図書館に行ったときのことでした。

ここは図書館のほかに集会場や300席くらいのホールなど、それなりの施設が入っているものの、なにせ小さな市なので、さほど大きな建物ではありませんが、平日でも多くの市民が利用しているとても賑やかな場所です(他に適当な施設がないということもありますが)、図書館はその建物の1階部分を占めており、建物に入ってすぐの玄関ホールには市の広報紙やセミナーのパンフレットが置いてある場所があります。

毎年、確定申告の時期ともなれば、自分もここに「暮らしの税情報」(国税庁)を貰いに来たり、そのほか県の広報紙や市の広報をはじめ、NPO法人の地域のボランティア活動報告とか、認知症予防講座の参加募集とか、ウォーキングを兼ねた郷土史研究会のご案内だとか、高齢者のインフルエンザワクチンのお知らせのタグイだったりするので(いまのところは、幸いにして、そのどれにもお世話にならずに済んでいます)、それなりの時間つぶしにはなりますが、緊急の必要事でもなければ、わざわざここに立ち寄ることは滅多にありません。

いつもならさっさと通り過ぎてしまうその場所ですが、その日はなんだか、誰かに見られているようなヘンな視線を感じて(胸騒ぎとでもいうのでしょうか)、思わず足を止めてしまいました。

自分は、かなりの近視なので、少しでも距離があったりするとぼやけてよく見えないのですが、ある一枚のパンフレットに写っている女性が、行きかう人の足を思わず止めさせるほどの物凄い美形であることだけは、遠目にもはっきりと分かりました、これがまさに「オーラ」を発しているということなのだなと実感しました。

引き寄せられるように近づくと、その美人が、尋常でない美しさであることが、ますます、はっきりとしました。

ほら、よく言うじやないですか、ぱっと見、美人と思わせるための大きな要素として「柔らかな微笑」というようなものが必須だとか(七難隠す、みたいな)、そのパンフレットに掲載されている女性は、背後やや上方の肩越しの位置から撮られていて、振り向きざまになにかを真剣に凝視しているその横顔には、その「柔らかな微笑」などというタグイの俗世的な固定観念に真っ向から挑むような・否定するような、容易に人を寄せ付けない毅然として固く厳しい、それでいて、それが「美しさ」を少しも損なってないという完璧な表情です。

これが、足を止めさせるほどの「オーラ」の意味だったみたいです。

いわば「いやん、ばかん」ではなく、「何なさるんですか!!」みたいな。

よく分かりませんが。

まあ、このセリフがどのようなシチュエーションのもとで発せられる種類のものであるかは、ご妄想(ご想像だろ)にお任せしますが、いやはや「処女性」ということで、つい連想が暴走してしまいました。

さっそく、そのパンフレットを手に取ると、それは「原節子選集」(特集・逝ける映画人を偲んで 2015-2016)というフィルムセンターの宣伝チラシであることが分かりました、そこに写っていたのが、今まで見たこともないような美しい原節子です。いやいや、この言い方は少しおかしいか。

原節子が美しいのは、いまさら始まったことではないので、ここは「美しい原節子の今まで見たことのない写真」というべきでした。
裏返してみると、最下端右隅に小さな活字で「表紙・わが青春に悔いなし」と記されています。それなら自分が見てないわけがないじゃないか。自慢じゃありませんが、「わが青春に悔いなし」なら両の手の指をすべて折ってもまだ足りないくらいは見ていますし、このブログにもコラムを書いたことがあります。

しかし、こんなシーンあったかなと、パンフレットをひっくり返して、また原節子の写真をじっと見入りました。

艶やかな黒髪に縁どられたその凛とした表情には、「潔癖」という言葉が自然と思い浮かぶくらい微塵の隙も緩みもありません。

眉をきりりと引き締めた鋭い瞳には幾分の潤いがあって、それが緊張と感情の高ぶりを表していることは判然・分かるものの、それが悲しみのためなのか、それとも怒りとか不安のためのものなのかはともかく、迫りくる過酷な「時代」に立ち向かおうと身構えている緊張感の鬼気迫るものであることだけは確かです。

きっと、自分が、すでに本編を繰り返し見ていて「わが青春に悔いなし」という映画のストーリーを隅々まで知悉している(勝手にそう思い込んでいるだけかも)既知の記憶に沿って原節子の表情を当て嵌めようとしているだけなのかもしれませんが、しかし、いずれにしても、そんなあれこれの考えを巡らしたのは、結局のところ、しばらくの時間、じっとその美しい顔に見とれていたかったことの言い訳でしかなかっただけだったような気がします。

これ以上見つめていると、写真にキスでもしそうな勢いなので(ここは公共の場で傍目もあり、すでにほとんど「危ないおじさん」になっていると思います)そのパンフレットを2枚いただいて、あとでゆっくり鑑賞することにしました。

しかし、それにしても、やや横を向いてじっと彼女が見据えている先にあるものが、いったいなんなのか、すぐにでも知りたくなりました、さっそく家に帰って、我がライブラリーから「わが青春に悔いなし」を探し出し、このシーンを確認しようと思いました。

いやいや、実際に映画で確認するというのもいいのですが、その前に、この場面がストーリーのどのあたりのシーンなのか、見当をつけておくことも必要です、少しでも手掛かりを得ようと、道々、画像の隅々まで目を走らせて必死になって考えを巡らせました。

この写真からすると、きれいに撫でつけられている髪型から、生活感のない良家の子女という感じなので、ストーリー後半で描かれている村民の迫害と生活苦に疲れた「農婦」でないことは一目瞭然です。ならば、前半に描かれている自由奔放な「お嬢さん」風かといえば、その落ち着いた雰囲気とか黒地のスーツの隙のない着こなしから見ると、どうも付け回す特高に毅然として対峙する中盤の原節子だろうなという見当をつけました。

それに、彼女が美しい横顔を見せて座っている場所は、どうも池か川のほとりの野原という感じです。

これだけの情報をもとに、帰宅してすぐに「わが青春に悔いなし」を見るはずだったのですが、実は、あっ、結論から申し上げますと、我がライブラリーから、カノ「わが青春に悔いなし」を探し出すことに、結局、失敗しました。

というのは、その映画が「あったのか・なかったのか」よりも先に、手の付けられない未整理の混沌・テープの山のカオスから、目的のものを探し出すことなどとても不可能で、早々に断念せざるを得なかったというのが、最も相応しい説明ということができるかと考えています。

思い返せば、常日頃、自分にしてからが、たまたま山の頂上にあるテープを手に取って順番に見ているだけなので、「何かを見たい」などという大それた我欲に満ちた俗世の欲望というか煩悩などすでにして超越しているというか(せざるを得ない)境地に至っていることを早々に思い出すべきだったかもしれません。

なので、映画「わが青春に悔いなし」の「確かめ」は、ついに果たされなかったことを、遅ればせながらここにご報告する次第です。ならば、うだうだ言わずに最初からそう言えば良かったじゃん、とか言われてしまうやもしれませんが(「かもしれません」を多用したので、少し言い方を変えてみました)、今回見られなかったのは残念ですが、でも、自分のこの推理は間違いないと思うけどな。

もう一度見たい作品もあるので、フィルムセンターで11月9日から開催されている原節子特集の11本の上映作品を以下に記しておきますね、とにかく、ものすごく楽しみです。



【魂を投げろ】
原節子の出演第3作で、現存作品としては最も古い。オリジナルは65分のサウンド版だが、本篇途中部分のみが無声で残存している。甲子園を目指す旧制中学の野球部を描いた青春スポーツ映画で、原はエース投手の妹役。当時15歳ながら、その美貌が深い印象を残す。脚本の玉川映二はサトウハチローのペンネーム。プラネット映画資料図書館所蔵プリントからの複製。
(1935日活多摩川)監督・田口哲、原作・飛田穂洲、脚本・玉川映二、撮影・福田寅次郎、
出演・伊沢一郎、中村英雄、和歌浦小浪、原節子(女学生)、東勇路、大島屯、名取功男、正邦乙彦、松本秀太郎、
(26分・35mm・24fps・無声・白黒・部分) 1935.09.26 富士館 8巻 白黒 サウンド版


【生命の冠】
北海道の漁港を舞台に、米国輸出用の蟹缶詰を製造する会社のオーナー・有村恒太郎(岡譲二)の奮闘を描く。原節子は恒太郎の妹役。オリジナルは94分のトーキーだが、現存プリントは無声の短縮版。皮肉にも当時まだあった無声映画館のためにサイレントにした版だけが残った。ほとんど失われた作品のもっとも悲惨な例として戦前の日活作品がよく例にあげられるが、内田吐夢の日活多摩川時代の諸作品もあげられるほか、村田実、伊藤大輔、溝口健二、山中貞雄、伊丹万作、田坂具隆、稲垣浩、熊谷久虎、倉田文人、阿部豊などの日活時代の名作のほとんどが失われた。この作品について佐藤忠男は「千島は1936年の内田吐夢監督の『生命の冠』で蟹漁場の港や蟹缶詰工場のある漁場基地として描かれた。この戦前の北洋漁場は1953年の山村聰監督の『蟹工船』でも描かれた。日本映画における北辺、さいはての苛烈な労働の場というイメージである。」(日本映画史④81)と記している。マツダ映画社所蔵16mmインターネガからの複製である。
(1936日活多摩川)監督・内田吐夢、原作・山本有三、脚本・八木保太郎、撮影・横田達之、
出演・岡譲二(有村恒太郎)、滝花久子(妻昌子)、伊染四郎(弟欽次郎)、原節子(妹絢子)、見明凡太郎(片柳玄治)、伊沢一郎(北村英雄)、菊池良一(漁夫)、鈴木三右衛門(漁夫)、光一(漁夫)、長尾敏之助
(53分・35mm・24fps・無声・白黒)  1936.06.04 富士館 9巻 2,588m


【冬の宿】
豊田四郎得意の「文芸物」の一本。元松竹蒲田のスター・勝見庸太郎が、落ちぶれてもなお見栄を張る中年男の悲哀を全身で演じている。原節子は勝見演じる嘉門がほのかに想いを寄せる清楚なタイピスト役。他にムーラン・ルージュ新宿座の水町庸子も出演。脚本は、豊田四郎の重要な作品「若い人」「泣虫小僧」「鶯」などを書いた八田尚之で「第二次大戦に突入する直前の時期の不安に満ちた市井の世相風俗をユーモアと哀感と知性的な態度でさらりと描く作品に巧みさを見せ」、「この作品は当時、奇妙な性格異常者を描いた掴みどころのない作品のように受け取られて、野心作ではあるがおおむね失敗作というふうに受け取られていた。しかしいま見れば、このせっぱ詰まっていながら、そういう自分たち自身の状況を認識できず、ますます愚行を重ねていく彼らこそ、まさに日中戦争の翌年というこの映画の製作時の日本の無自覚的な混迷ぶりを象徴する人物のように見える。あとからつけた理屈であるかもしれないが、芸術家の直感が時代の本質をとらえているとは言えないか。・・・情緒に流れることを排した小倉金弥の撮影も素晴らしい。」(佐藤忠男)オリジナルは95分で現存プリントは5巻目が欠けている。
(1938東京発声)製作・重宗和伸、監督・豊田四郎、脚本・八田尚之、原作・阿部知二、撮影・小倉金弥、音楽・中川栄三、津川圭一、美術・進藤誠吾、録音・奥津武、照明・馬場春俊
出演・勝見庸太郎、水町庸子、原節子、北沢彪、林文夫、藤輪欣司、島絵美子、堀川浪之助
(84分・35mm・白黒・不完全) 1938.10.05 日比谷劇場 10巻 2,534m


【美はしき出發】
叔父からの仕送りで何不自由なく暮らしている北條幹子(水町)と3人の子供。だが叔父は破産し、彼らは自分の生き方の見直しを迫られる。原は画家になる夢を捨てきれない長女の役。一家のために奔走する次女を演じる高峰秀子との初共演が話題となった。ニュープリントによる上映。
(1939東宝東京)製作・武山政信、監督脚本・山本薩夫、脚本・永見柳二、撮影・宮島義勇、音楽・服部正、美術・戸塚正夫、録音・村山絢二、照明・佐藤快哉、
出演・原節子(北條都美子)、高峰秀子、月田一郎、水町庸子、三木利夫、清川荘司、嵯峨善兵、柳谷寛
(66分・35mm・白黒) 1939.02.21 日本劇場 8巻 1,808m


【東京の女性】
丹羽文雄の同名小説を映画化。生活能力のない父に代わって一家を支えるため、節子(原)は自動車会社のタイピストから“セールスマン”へと転身し、次々と成功を収める。能動的で溌剌とし、男性社会を脅かしさえする女性を演じた原は、当時の映画評で「東宝入社以来おそらく最も生彩のある演技」と高く評価された。ニュープリントによる上映。
(1939東宝東京)製作・竹井諒、監督・伏水修、脚本・松崎与志人、原作・丹羽文雄、撮影・唐沢弘光、音楽・服部良一、美術・安倍輝明、録音・下永尚、
出演・原節子(君塚節子)、立松晃、江波和子、水上怜子、藤輪欣司、水町庸子、水上怜子、外松良一、鳥羽陽之助、深見泰三、如月寛多、若原雅夫
(82分・35mm・白黒) 1939.10.31 日本劇場 9巻 2,281m


【青春の氣流】
新鋭旅客機を設計した若き技師・伊丹(大日方)が、その製造実現に向け突き進む姿を、喫茶店で偶然出会った女性(山根)との恋愛を絡めつつ描くメロドラマ。社内で伊丹を支持する進歩派の専務(進藤)の令嬢に原が扮し、伊丹と添い遂げようと積極的にアプローチする姿が目を引く。ニュープリントによる上映。
(1942東宝)製作・松崎啓次、代田謙二、演出・伏水修、脚色・黒澤明、原作・南川潤「愛情建設」「生活の設計」、撮影・伊藤武夫、音楽・服部良一、美術・松山崇、録音・宮崎正信、照明・横井総一
出演・出演・大日方伝(伊丹径吉)、山根寿子(馬淵美保)、英百合子(その母)、中村彰(その弟章)、進藤英太郎(由定専務)、原節子(その娘槙子)、清川玉枝(その叔母)、清川荘司(竹内専務)、真木順(橋本設計部長)、藤田進(村上)、矢口陽子(喫茶店の女の子)、御舟京子[加藤治子](喫茶店の女の子)、永岡志津子(喫茶店の女の子)、
(87分・35mm・白黒) 1942.02.04 東宝系 10巻 2,389m


【緑の大地】
中国・青島に長期ロケを敢行した国策映画。運河建設をめぐり、日本人技師(藤田)やその妻(原)、女教師(入江)、悪徳商人(嵯峨)、反対派の中国青年(池部)たちが衝突するさまを描く。原は、女教師が夫の初恋相手であると知り、友情と嫉妬の間で揺れる妻の役を演じる。
(1942東宝)製作・田村道美、演出原作・島津保次郎、製作主任・関川秀雄、脚色・山形雄策、撮影・三村明、音楽・早坂文雄、演奏・東宝映画管弦楽団、美術・戸塚正夫、録音・下永尚、照明・平岡岩治、編集・長沢嘉樹、現像・西川悦二、後援・青島日華映画製作委員会、
出演・入江たか子(井沢園子)、丸山定夫(伯父井沢尚平)、藤間房子(母みね)、英百合子(尚平の妻すみ)、里見藍子(娘歌子)、江川宇礼雄(園子の弟幸造)、千葉早智子(呉女子)、藤田進(上野洋一)、原節子(妻初枝)、汐見洋(楊鴻源)、林千歳(楊劉子)、池部良(楊克明)、斎藤英雄(克明の友朱)、進藤英太郎(堺)、高堂国典(尹)、草鹿多美子(鄭秀蘭)、清川玉枝(南夫人)、沢村貞子(張嘉雲)、嵯峨善兵(宮川信成)、真木順(建設局長)、小島洋々(劉校長)、恩田清二郎(副校長)、鬼頭善一郎(取引所理事)、坂内永三郎(取引所理事)、大崎時一郎(宮川の友人)、松井良輔(木谷理事)、佐山亮(救済院長)、
(118分・16mm・白黒) 1942.04.01 紅系 12巻 3,217m


【母の地圖】
没落した旧家の母と子供たちが、東京で新たな生活を始める。しかし、長男(三津田)は満洲で一旗あげると飛び出し、次男(大日方)は出征してしまう。三女の桐江(原)ら女性だけが残され、一家の生活は逼迫していく…。植草圭之助の映画脚本第1作で、ヒロインの原節子も植草の指定によるものだった。文学座の俳優陣の手堅い演技が脇を固めた。
(1942東宝)演出・島津保次郎、演出助手・杉江敏男、脚本・植草圭之助、潤色・島津保次郎、撮影・中井朝一、音楽・早坂文雄、美術・戸塚正夫、録音・下永尚、照明・平岡岩治、編集・長沢嘉樹、現像・西川悦二、
出演・杉村春子(岸幾里野)、三津田健(長男平吾)、一の宮敦子(妻直子)、大日方伝(次男沙河雄)、千葉早智子(長女槙江)、花井蘭子(次女椙江)、原節子(三女桐江)、徳川夢声(舘岡一成)、東山千栄子(一成の妻)、丸山定夫(与田専務)、英百合子(与田の妻)、斎藤英雄(与田隆三)、中村伸郎(筧英雄)、森雅之(北野二郎)、若原春江(タイピスト)、立花潤子(タイピスト)、進藤英太郎(紳士)、嵯峨善兵(課長)、龍岡晋(課長)、深見泰三(村長)、横山運平(伊作老人)、
(102分・16mm・白黒) 1942.09.03 紅系 11巻 2,825m


【怒りの海】
ワシントン軍縮会議によって決定された主力艦保有数の制限を、米英による陰謀と強調した時局映画の一本だが、一方では「軍艦の父」と呼ばれ巡洋艦の開発に死力を注いだ平賀譲中将を描いた伝記映画で日本海防思想の発展を説いた。原節子は父である中将(大河内)の健康を気づかう娘の役。本作は、内閣情報局より、「国策遂行上啓発宣伝に資する」として国民映画選定作品に指定された。この年、ほかに選定作品に指定されたものに「勝鬨音頭」「決戦」「不沈艦撃沈」「水兵さん」「三太郎頑張る」「君こそ次の荒鷲だ」「あの旗を撃て」「加藤隼戦闘隊」「一番美しく」「命の港」「敵は幾万ありとても」「雷撃隊出動」「剣風練兵館」「菊池千本槍」「雛鷲の母」「肉弾挺身隊」「かくて神風は吹く」がある。ニュープリントによる上映。
(1944東宝)製作・佐々木能理男、藤本真澄、監督・今井正、脚本・八木沢武孝、山形雄策、撮影・小倉金弥、音楽・山田和男、美術・平川透徹、録音・安恵重遠、照明・平岡岩治、特殊技術・円谷英二
出演・大河内伝次郎、原節子(平賀光子)、月田一郎、河津清三郎、山根寿子、黒川弥太郎、村田知英子、志村喬、
(89分・35mm・白黒) 1944.05.25 白系 9巻 2,435m


【北の三人】
原、山根寿子、高峰秀子らスター女優が、女性通信兵として北方の航空基地で活躍する姿を描いた時局映画。戦争も末期を迎え、「銃後の守り」を主としていた映画の中の女性像も、戦地で積極的に活動するものへと変わっていた。1945年8月5日に封切られた戦中最後の劇映画。残存フィルムは不完全(オリジナルは72分)。
(1945東宝)製作・田中友幸、監督・佐伯清、脚本・山形雄策、撮影・中井朝一、美術・平川透徹、音楽・早坂文雄、特殊技術・円谷英二、
出演・原節子(上野すみ子)、高峰秀子、山根壽子、藤田進、河野秋武、佐分利信、志村喬、田中春男、淺田健三、光一、小森敏、羽鳥敏子
(41分・35mm・白黒・部分) 1945.08.05 白系 8巻 1,972m オリジナル72分


【わが青春に悔なし】
占領軍の民主化政策に沿って、戦前の京大滝川事件とゾルゲ事件を題材にして製作された民主主義啓蒙映画。学生運動弾圧の犠牲となって獄死した愛人・野毛(藤田進)の遺志を継いで社会意識にめざめるブルジョア令嬢(原節子)の革新的な熱情を描く黒澤明の戦後第一作。令嬢が愛人だった貧農学生の母を訪れて、みずから百姓生活に飛び込みスパイの汚名を受けながら陰湿な迫害の下で泥まみれになって働くという強烈な女性像は、戦争直後、民主化の機運の高まりに高揚していた当時の青年たちに多大な感銘を与えた。
(1946東宝)製作責任・竹井諒、製作・松崎啓次、監督・黒澤明、演出補助・堀川弘通、脚本・久板栄二郎、撮影・中井朝一、音楽・服部正、美術・北川恵笥、録音・鈴木勇、音響効果・三縄一郎、照明・石井長四郎、編集・後藤敏男、現像・東宝フィルム・ラボトリー
出演・原節子(八木原幸枝)、藤田進(野毛隆吉)、大河内伝次郎(八木原教授)、杉村春子(野毛の母)、三好栄子(八木原夫人)、河野秋武(糸川)、高堂国典(野毛の父)、志村喬(毒いちご)、深見泰三(文部大臣)、清水将夫(筥崎教授)、田中春男(学生)、光一(刑事)、岬洋二(刑事)、原緋紗子(糸川の母)、武村新(検事)、河崎堅男(小使)、藤間房子(老婆)、谷間小百合(令嬢)、河野糸子(令嬢)、中北千枝子(令嬢)、千葉一郎(学生)、米倉勇(学生)、高木昇(学生)、佐野宏(学生)、
(110分・35mm・白黒) 1946.10.29 12巻 3,024m



# by sentence2307 | 2017-11-12 09:05 | 原節子 | Comments(0)